妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

たかがお茶出し、されどお茶出し

連休が明けて、みなさん、お元気でしょうか?ちょっとはリフレッシュできたという方も、いや~そうでもなかったという方もいると思いますが、覆水盆に返らずですしね。五月病とか、大丈夫でしょうか?

うちは連休中、子どもが3人妻方の実家に行っていましたので、ずいぶん楽ちんでした。遠出はせず、映画館や近くの温泉に行ったりで、ゆっくり過ごしました(映画3本も観ました)。

★写真は葉山のめちゃうまパンや、ブレドールです!

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きょうは、娘の小学校のPTAの会議がありました。来月運動会があるので、その話題も。そこで出たのが、当日教育委員会などの来賓があるので、保護者にお茶出しを手伝ってもらえないか、という学校からの申し出でした。

毎年そうしてきたのだと思います。保護者10人ほど、9時~10時の間にいてくれると、ありがたいという話でした。そこで、ぼくは次のことをお話しました。

PTAはボランティアな活動ですし、お茶出しをしたくないのでしたら、断っていいと思います。教育委員会は半分、学校の身内みたいなものですし、保護者にとってお客様ではありません。むかしの男尊女卑的な発想でお母さん方がお茶出しをする理由はありません。それよりも自分の子どもを観ていたいというお考えでいても自然だと思います。でも、まあ暑い中来てくれているので、ちょっとしたことだし手伝ってもいいよ、という考え方もあろうかと思います。どう思いますか?

すると、あるお母さんが、ペットボトルでお茶を買っておいて、それを渡すことにしませんか?そうしたら、そんな手伝いの人数は要らないだろうし、飲みたくなければ持って帰ることもできるし、というアイデアを出してくれました。

少し意見交換して、その案でいくことになりました。学校としては来賓受付はするし、そのときに渡せばよいので、保護者手伝いはなくて大丈夫、ということになりました。

ちょっとしたことですが、あまり意味のないことには労力をかけず、ちょっとした勇気を出してやめる、あるいは代替案を探るということの例だと思います。

たかがお茶出しなのですが、いろいろなことが見えてきます。

保護者、それもほとんどの場合、お母さんたちの有志(≒PTA役員)がお茶出しをしてきたというのは、ちょっと考えてみれば分かるとおり、ちょっとヘンです。4点に分けてみます。

1つ目は、誰が客かという論点です。お母さんたちは学校の職員ではありませんし、対する教育委員会(または市長)は公務として給料ももらって来ています。それに、市立小学校なので、設置したのは市の教育委員会。むしろ、教育委員会のほうがホストで、保護者は客とは言いませんが、ホストではないはずです。

※来賓が議員の場合もあり、学校と議員との関係はややこしいです。しかし、この場合も、議員だって、保護者にとって客ではありません。

2つ目は、お母さんたちの無償労働や善意を手軽に利用できるので、しちゃっていた、本当にそれでいいのかという論点です。ボランティアは自ら進んでやるならいいですが、例年やっていたから今回もお願い、動員してね、というのはちょっと違う感じがします。まあ、お茶出しくらいで目くじら立てなくていいよ、と思われるかもしれませんが。

3つ目は、性別のヘンな役割分担を、暗黙のうちに子どもたちにも伝えかねないことです。受付やお茶出しを男性の保護者がやっている学校はたぶん、そう多くないと思います。代わりにテントの片づけはお父さんたちが活躍するなど、それぞれの強みを活かすのは大事なことではあるのですが、やはりどこか旧態依然とした男女の分業で動いていることを感じます。大人同士であれば、双方の合意でいいのですが、学校教育の場なので、子どもへの「隠れたカリキュラム」としての影響も考えたいです。

4つ目は、どの財布が負担するかという問題です。学校がこれまで保護者の無償労働に頼ってきたのは、ペットボトルのお茶を出すといった予算を計上していなかったこともあります。学校によっては校長のポケットマネーでお茶を買ってくるなんてことも起こりかねませんが、それもビミョウな話です。一方、学校が正式に来賓として呼んだならまだ分かりますが、(勝手に)来た来賓に税金でお茶を出すのは、いいのかなというところはあります。

さらに、これはこれでビミョウな部分もありますが、今回のお茶代はPTA予算からとなりそうです。子どもに直接関係ないのだし、PTA費として支出するものではない、という考え方もあろうかと思いますが、少額ですし、せっかく見に来てくれた方に保護者からの小さなプレゼント(まあ大げさですが)という程度のものと捉えてもよいと思います。

今回の変更でよかったかどうかは、また意見があろうと思います。たかがお茶出し、されどお茶出しというわけです。

 

ちなみに、教育委員会の方は(たぶん市長も)、市内のすべての5つの小学校を回って、各校でお茶をもらうことに例年なっているそうなので、うちはペットボトルのミネラルウォーターにしましょう、お茶ばっかりだと飽きるし、ということになりました(笑)。

 

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【忙しい学校 どうする?】本当に必要なのは残業規制なのか?

教職員の残業規制を求める運動がスタート

昨日、「教職員の時間外労働にも上限規制を設けて下さい!!」という運動が始まりました。過労死された教員の遺族の方が手記を寄せてくださっています。この運動の賛否(後述)はともかくとして、「パパを返して」というこの手記は、多くの方に読んでいただきたいと思います。

自分の命を縮めて、家族に寂しい思いをさせて、子どもにとって「ひとり親」にして、、、。そこまでしないとできない仕事は辛すぎます。

www.change.org

報道もされています。

公立学校の教員は制度的に時間外勤務の想定がなく残業代も支払われず、労働実態に見合っていないとして、教育研究者らが一日、時間外労働を把握し上限規制を設けるよう政府に求めるインターネット署名を始めた。署名サイト「change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」で、六月初めごろまでに四万人を目標に募り、松野博一文部科学相らに提出する。最終的に二十万人を目指す。 

(東京新聞、2017年5月2日)

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201705/CK2017050202000253.html

ぼく自身は中途半端な言い方ですが、この主張には、半分賛成、半分反対

まだ、違和感のほうがあるので、ぼくは署名はしませんでした。読者の方に押し付けるつもりはまったくありませんが、その理由を今日は書きます。今後考えが変わるかもしれませんが、現時点での自分のアイデアを整理しておきます。反論、ご批判も歓迎です。

まず、賛成なのは、教員の長時間労働はこのままではいけない、というところです。過労死や病気になる方は一人でも減らしたい、起きない環境にしたいと切に感じています。また、そこまで至らなくても、早期に退職を余儀なくされたり、育児・介護とは両立できない、と諦めてしまう人が減るようにしたい、とも思っています。

そうでなければ、こんなにめちゃ時間かけて、何度もブログで【忙しい学校 どうする?】とか書きませんって!

また、すごく長時間の残業をしているのに、実質残業代がほとんど出ていないというのも、大きな問題です。先日ブログに書いたとおりですが、50年前から変わっていないのは、どう考えてオカシイ話です。ビートルズの時代からでっせ!?

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悪いのは、本当に給特法なのか?

以上が賛成、共感するところですが、一方で、半分反対と書いたように、違和感もあります。もっともひっかかるのは、「時間外労働(残業)の上限を設けよう」というこのキャンペーンのメイン主張です。

詳しくは省きますが、現行制度はリンク先の文科省の説明のとおり、公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法(略して給特法)によって、公立学校教員の時間外勤務手当及び休日給は支給されず、教職調整額(給料月額の4パーセント)が支給される制度となっています。

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/031/siryo/07022716/003.htm

今回のキャンペーンや、中心となっている樋口先生らの主張(たとえば、総合教育技術5月号を参照。わたしのインタビュー記事も登場しています~)は、おそらく、次のロジックである、と理解できます。

  • 給特法によって、公立学校の教員には残業代が出ない。(a)
  • 残業代を出さなくてよいので、学校側(校長等)は残業(休日勤務を含む)に無頓着でいられる。労働時間を把握する必要すらない、との意識になってしまっている。(b)
  • 企業では高額な残業代を出すことをためらうために、業務量の調整等が行われるが、学校はそういうインセンティブが働かない。(c)
  • 教員の残業が常態化する。(d)
  • 過労死基準を上回る長時間労働が横行する学校の「常識」を変えるため、直ちに時間外労働の上限規制を設けるべき。(e)

 

 まず、上記のうち(a)と(d)は事実です。(d)は最近の勤務実態調査でも明らかです。

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ぼくが特に問題にしたいのは (b)と(e)です。残業代を出す必要がない、あるいは残業時間の上限がないので、校長等は労務管理はなおざりでいい、と思っているのか?という問いです。本当にそうでしょうか?

そもそも管理職ならみんな知っていると思いますが、教員には原則時間外労働を命じることはできない制度になっています(超勤4項目の規定)。また、休憩時間の確保などは労基法上定められており、これは学校にも適用されます。

このように、見かけ上は、現行制度でも、かなり「手厚い」ともとれる保護があるにもかかわらず、教員の長時間労働は続いているし、悪化しています。

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 どうしてでしょうか?

問題の真因仮説①:学校にも教育委員会にも、労務管理については、法令遵守の意識が弱いから。

背景のひとつは、超勤4項目や労基法上の休憩時間の確保について、守る意識が学校側にも、また監督責任をもつ教育委員会(市町村立学校の教員については市町村教委、県立学校などは県教委)にも少ないから、という可能性です。

校長や教育委員会の職員なら、ほとんどの人が、学校現場は超勤4項目以外での残業が常態化している、つまり、超勤4項目で歯止めをかけたつもりだったのに、現実にはそれは形骸化していることは、知っています。

また、とくに小学校などでは、子どもがいる間はほとんど休憩時間をとれず、人間的な労働環境からは遠いことも多くの人は知っています。トイレを我慢する、という先生は実は少なくありません。

なのに、なぜ改善しないのか。まあ、法令上の原則は原則だけど、守らなくていいか、となっているからではないでしょうか?

道徳教育うんぬん以前の問題で、教育現場と教育行政には、法令遵守の意識に欠ける、と評すると言い過ぎでしょうか?

問題の真因仮説②:教育効果があればOK、コストは無視という価値観のせい。

仮説①とも関連しますが、超勤4項目以外で残業していても、それは、子どものためになることを教員がやっている、それはいいことなんだから、咎めないという意識が校長や教委には働いている、という可能性。

裁判でも、教員の時間外労働が争われた案件で、これは校長の命令ではなく、教員の自主的な判断によるもの、との見解を示したものがあります。つまり、教員は子どものためを思って、自主的に教材研究や部活動をしているのだ、形式上、タテマエ上は、校長は残業を決して命じていないということになっています。

なぜそんな実態にそぐわないタテマエがずっとまかり通ってきたかと言えば、校長も教委も、残業を続ける教員自身も、教育のため、子どものためなんだから、いいだろう、仕方がない、と思い込んでいたから。これが仮説②です。

言い換えると、教育効果があるというのは錦の御旗。コストはほとんど考慮しない、というわけです。

問題の真因仮説③:責任の所在があいまい、かつモニタリングがないから。

教員の労務管理の責任者は誰ですか?と問われれば、ややこしい問題があります。

地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第四十三条には、「市町村委員会は、県費負担教職員の服務を監督する。」とありますから、市町村立学校の場合は、市町村教委が監督はしないといけません(県立学校の場合は県教委)。同時に、校長も監督します(各自治体での学校管理規則等)。

つまり、市町村立学校の場合は、労務管理の中心は市町村教委と校長。しかし、政令市などを除き、教委には職員はそういないし、校長は身内みたいなもの(教育委員会の職員のなかにはその後で校長等となる人も多いです)。それに、学校や教育行政にはIT化も遅れている。これらの理由から、市町村教委では、ちゃんと労務管理できない。

結局、このキャンペーンにも書いているとおり、タイムカードなど労働時間の管理すらしない。予算措置ができないでいるところが多いのです。

つまり、ここではお互いに言い訳ができてしまいます。

市町村教委の主張:
労務管理ちゃんとやれ、と言われても、職員はいないし、現場監督である校長がまずはしっかり観てますから!ご安心を~。

校長の主張:
労務管理ちゃんとやれ、と言われても、タイムカードもPCログの把握もないしね~。観れる範囲では観てますよ、ちゃんと!あとは教委に少しでも働きやすい環境になるよう、要望してます。

こんな感じかもしれません。

 

もし仮説①~③のどれか(あるいは複数)が当たっていたとしたら、残業の上限を設けても効果は小さい。

「問題の真因仮説①:法令遵守の意識が弱いから」が仮に正しい場合

残業規制があろうと、学校や教委は、ごまかそうとする。現にある市では、残業時間を月80時間超えるとややこしいことになるので、80時間未満にしなさい、正直につけるなよという”指導”が校長あるいは教委から入るところがあるらしい。

 

「問題の真因仮説②:教育効果があればOK、コストは無視という価値観のせい」が仮に正しい場合

上限規制があっても、教員が自ら、ちゃんと申告しない可能性がある。あるいは自宅に仕事を持ち帰る。タイムカードをおさない休日出勤の横行などは現状でもとても多い。

職場の価値観としても、残業規制があったからといって、仕事が減るわけでもなく、子どものためには仕方ないんだよ、という空気が蔓延。事実上は現状とあまり変わらなくなる。

むしろ、残業上限までは働いくのが当たり前だ、という変な価値観を学校に増幅させてしまう危険性すらある。育児・介護などを抱えた人にとって、さらに働きにくい職場になるリスクもある。

★★★
ただし、教員に残業代が時間に応じてちゃんと払われるようになれば、仮説②の問題は幾分か、やわらぐ可能性はあると思います。教育効果はあっても、こんなに多額の残業代を払うほどやるべきか、という議論は学校内外から起きますから。
このキャンペーンが「教員に適正な残業代を支払え」であれば、ぼくは賛成していたと思います。

 

「問題の真因仮説③:責任の所在があいまい、かつモニタリングがないから」が仮に正しい場合

誰も責任をもってモニタリングしないので、規制が守られているかどうか、ちゃんと報告されない。あるいは報告のための業務がまた増えて、学校現場はさらに疲弊する。

 

みなさんは、どう思いますか?どうもぼくは上記の理由から、残業規制でマシになるほど現実は甘くない、と思うのです。むしろ、マイナスの影響、リスクも懸念されます。

実際どうですか?給特法の適用外の国立学校の場合、たとえば、国立大学の附属小中学校などでは、研究事業がものすごく盛んです。それで夜中まで残って過酷な労働環境という例もあると聞いています。残業規制はちゃんと効いていないのではないですか?

※このへんは、ちゃんとぼくは調査していないので、事実誤認があればご教示ください。

かといって、現状がよいとも思っていません。

では、どうするか。対策例としては、仮説①、③にとくに関わりますが、PCログなどを校長を経由せずに自動集計して見える化する仕組みや、教職員が安心して使える内部告発の保護がほしいところです。

仮説②については、直接的には、管理職や教員の意識改革が必要ですが、同時に、教員の仕事を減らしていくことと、効率的にできることを変えていかないといけないと、学校現場の納得は得られないと思います。

長くなりましたし、今日はこのへんで。

★★★妹尾の考える今後の在り方の一部は、先日、日本教育新聞に取り上げていただきましたので、よかったらご参照ください。あるいはオンラインゼミでも議論していますので、ご参加ください。

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【忙しい学校 どうする?】わが子を大切にできる学校にしませんか?

みなさん、こんにちは。今日はふるさと徳島に帰ってきて、中学の頃の友人の結婚式に参加してきました。やはり徳島はあたたかい、とてもいい式でした。

きょうは幸せオーラで気持ちよく酔っているのですが、改めて感じたことについて。

学校の多忙化の問題をとらえるとき、何度か申し上げていますが、なんのため?というところがすごく大事だと思います。

  • わたしは子どもの成長を願って一生懸命やっているだけ。どうしてそれがダメって言うの?だいたいアンタにごじゃごじゃ言われなくないよ。
  • ”働き方改革”とか”業務改善”なんて言われても、ぴんとこないな。国や教育委員会は、教員定数も増加させないままで、どこまで本気でやろうとしているの?
  • 世の中は長時間労働解消に向けて動いている?でもどこまでできるのかな~。それに、学校は社会とは別だからね。だって、子どものために必要なことは切れないし。
  • この忙しいのはなんとかしたいけど、管理職に提案しても聞く耳もっていないし。しまいには、子どものために頑張ることを負担とはなんだ!?って怒るし。。。

などなど、こうした声があると思います。つまり、納得していないと、この忙しいなか、改善、改革なんて前に進むわけがありません。この現実をちゃんと見ないと、対策はあさってのほうに行ってしまいます。

※写真はきょうの結婚式のデザート。美味~。

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そこで、ぼくは前にもお話したように、子どもと向き合う時間の確保のために、多忙化対策をしよう、業務改善をしよう、と国や教育委員会は声を大にして言っているわけですが、この意味付けでは不十分だと思っています。だって、部活動だって、自宅残業での採点作業だって、広い意味では子どもと向き合う仕事じゃないですか~?子どもと向き合うというマインドが多忙化を増幅させてもいるのです。

 

ぼくは、教職員の方になぜ多忙化対策に本気で取り組まないといけないのか、と問われれば、シンプルです。自分のため、という答えをします。

詳しくはこちらの記事もご覧ください。

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きょうはこれと似た話をします。みなさん、こういう言葉があるのご存じですか?

部活未亡人・部活孤児・部活離婚

いわんとしていることはお分かりですね。部活指導で休日もつぶして家庭を省みない教師とその家族を指した言葉です。

結婚式に参加すると、やはり感じるのは、自分の子どもの結婚式のときに感謝される親であるか?ということです。

もちろん、忙しくても子どもから慕われる親はいると思います。でも、やはり、かけた時間、一緒にいた時間と比例するところはあるのではないですか?

たとえば、部活だけが悪いわけではないけれど、教員のなかには、家族旅行なんてほとんど行ったことがない、という方がちらほらいます。まとまった休みが取れないからです。

もう少し申し上げます。学校の先生は、自分の担任クラスや部活の子どものことはほんとに大切にしていますが、わが子はどうですか?

とってもシンプルで当たり前のことなのですが、「わが子を大切にできる学校にしませんか?」そのことを今日は伝えたいです。

いま都市部を中心に、20代、30代の教員が増え、ちょうど産休・育休の方が増えています。それで育休明けのときに、安心して気持ちよく働くことができますか?というところが大事だと思います。少なくない方が育児復帰後、退職したり、精神的にしんどくなったりする例もあります。

おととい、教員勤務実態調査の結果が公表されましたが、いまの学校は、多くの人にとって、自分の子どもの育児をしながら続けるのは、むずかしいほど、過酷な労務環境です。自分の子どもを寝かしつけ、家事を片付け、少し寝て、4時に起きて授業準備をする、そんな女性教員もいます。

少なくないケースが教員同士で結婚し、それなら、部活の負担などは分かるだろうとして、男性側は仕事に邁進し、女性側に家事・育児負担を押し付ける夫婦もあります。

こういうことも調査したら興味深いデータになると思います。(だれか一緒にやりませんか?)

子どもには男女平等とか、男子も家庭科できないととか、社会に貢献できる自立した人材になろう、なんて教えておきながら、自身の生き方がどうなのかが問われていると思います。

もちろん、これは価値観、人生観でもあります。夫婦によっては、夫には家事育児はやらなくていいというところがあってもよいでしょうし、逆もありえます。

しかし、それは選択できればまだいいのですが、いまの労務環境では、ちゃんと選択できないままに、ずるずる行ってしまっている、そんな状況ではないでしょうか?

念のため補足しますが、子どもがいない教員にとっても、働きやすい職場であってほしいと思います。ただ、育児などを抱えながらも仕事がしやすい職場になれば、それは、子どものいない方にとっても、介護を抱えている方にとっても、かなりの場合、働きやすい職場となるはずです。

なぜ、いまの忙しい現状は放置できないのか。今一度、シンプルで素直にとらえてみてほしいと思います。

 

★きょうはここまで。感想などは気軽にどうぞ!

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【忙しい学校 どうする?】最新の勤務実態調査はこう読む

とても信頼性の高いサンプル数と調査方法

昨日、2016年度の小中学校の教員勤務実態調査が公表されました。先生たちの労働時間などの実態について結果が出ています。小中それぞれ約400校、小学校教員8,951人、中学校教員10,687人が回答した大規模な調査です。この規模の調査はほかにありません。正直、コストかけすぎと言いたくなるくらいです(回答する側の手間も含めて)。

しかも、他のアンケート調査などは、直近1週間何時間くらい働きましたか?などと記憶を聞くものが多いのに対して、この教員勤務実態調査では、30分単位で、どんな業務を行っていたかマークシートで記入していく形式です。つまり、記憶ではなく、記録をもとにしているという点でも大変貴重な、信頼性の高いデータだと思います。

懸念点や調査の限界もあります。2016年10月17日~11月20日のうちどこか1週間を選んで回答していますから、その選び方がどうだったのかのギモン。たとえば、さすがにとっても忙しすぎるときはこんな手間のかかる調査をやる暇もない、と考えた学校もいあるでしょうし、逆にちゃんと忙しいこと伝えたいと考えた学校もあるでしょうし。また、この時期は体育祭などの行事とぶつかり、それが調査結果へ影響している可能性です。さらに、対象はフルタイムの教員のみ。どうせなら、事務職員なども対象に加えてほしかったなと思いました。

小学校の約3割、中学校の約6割が過労死ラインを超えて働いている

それで本題の結果について。たとえば、次のように報道されており、過労死しておかしくない水準で実に多くの先生たちが働いている実態が明らかとなりました。

厚生労働省は、時間外労働が、1か月でおおむね100時間を超えるか、2か月から6か月のいずれかでおおむね80時間を超えた場合を、労災の基準となる「過労死ライン」に定めています。
この調査では、1週間の時間外労働が20時間を超えた教員は、小学校が33.5%、中学校が57.7%、また、副校長や教頭の管理職では、小学校が62.8%、中学校が57.9%に上りました。
いずれも、このまま1か月働き続けると「過労死ライン」に上るおそれがあるということで、文部科学省は「深刻な結果で業務改善などに早急に取り組む必要がある」と話しています。

NHKニュース 4月28日

文科省の発表した資料によると、ダイレクトにわかるのが、次のグラフ。

週65時間以上働いているということは、週に約25時間残業(時間外勤務)しているということですから、月100時間以上の残業ということなのですが、その水準の方が、小学校の17.1%、中学校の40.6%もいます。

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電通だけじゃない、という指摘は当たっている

参考までに、電通の新入社員の自殺が2016年に過労死認定されたことは大きな社会問題となりました。彼女の場合、残業時間が月130時間を超えていたことが報道されていますが、今回の結果をみると、月120時間以上残業している教諭は、小学校で7.2%、中学校で26.6%もいます。労働時間だけの問題だけではありませんが、学校も相当ひどい、と言われても仕方がない水準です。しかも、教員のほうは学内での勤務時間だけの数字。これに授業準備や採点などの自宅残業を加える必要があります。

ほぼ定時帰宅はゼロに近い

もうひとつ注目してほしいことは、週40時間未満や40時間~45時間未満という人が、小中とも5%もいないことです。平日すべて定時で終えると38時間45分ですから、定時前後という人はほとんどいません。

教員は超勤4項目といって、学校行事や職員会議など臨時的・緊急的な場合など以外は、校長は時間外勤務を命じることができない、ある意味では”手厚い”法制度となっているのですが、まったく形骸化している事実がわかります。

さらに、最初にのべたとおり、調査したのが今回は10月下旬~11月下旬であり、通知表などの成績処理は比較的少なく、諸手続きが多い時期でもありません。3月や4月など、一年でもっとも忙しい時期であれば、もっとひどい結果となっていたかもしれません。

なにに時間を使って、忙しいのか

では、なにに、そんなに忙しいのかというデータも大事です。これは次のグラフ。教諭についてです。

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授業がある程度あるのは仕方がないことですが、多くの時間を使っているところがほんとうにそれでいいのか、考えていく必要があります。もちろん、学校の学級の状況等によって、何がよいかなんて一概に言える話ではありませんけど。

で、見ると、やはりよく言われるように、中学校では部活の負担が重いことは明らか。平日は41分ですし、土日は2時間10分使っています。注意が必要なのは、これは平均であるということ。当然、もっと費やしている先生もいます。

しかし、同時によく見たいのは、部活だけではないということです。小学校であれば、成績処理、生徒指導(集団)、学校行事なども1日、30分前後~1時間使っていますし、中学校も、成績処理、生徒指導(集団)、学校行事、学年・学級経営などの時間が比較的長い。

成績処理とは、通知表の時期ではありませんので、主にはテストや提出物(宿題等)の採点などが該当します。いわゆる丸付けですね。

生徒指導(集団)は、集団なので、給食、掃除、登下校指導などが該当します。

よくセンセーショナルに言われる保護者対応は、平日7~10分と、全体から見ると比率はとても低いのです。ただし、繰り返しますが、平均のデータなので、ひどいケースはあるでしょう。

しかし、全体的にみると、傾向としては、丸付け、給食・清掃等の集団活動の指導、行事、学級経営、そして部活。このへんの改革・改善なくして、多忙化対策はありえない、ということを示唆しています。

長時間労働の実態を報道等されると、教育委員会や校長等は、すぐに「管理職のマネジメント意識を高めないといけない。よしタイムマネジメント研修の講師を呼ぼう」とか、「部活の休養日をせめて週1か2は入れたい」とか、「ノー会議デイやノー残業デイを推奨しよう」とかの施策に入りますが、はっきり申し上げて、上記のファクトを見るかぎり、労働時間を多く投下しているところに効く施策をやっているようには見えません

もちろん、いまの異常なまでも過労死ライン超えは、教員の増加などの抜本的な措置も必要となるように思います。学校に求めることを大幅に減らさないのであれば。同時に上記のように、いまたくさん時間を使っているところへの対策もしっかり捉えていかないといけません。的を射るという言葉があるように、どこが的の真ん中なのかを見るべきです。

50年前から変わらないもの:ポールマッカートニー・吉永小百合・学校の先生の時間外手当

NHK朝ドラの「ひよっこ」を楽しみに観ています。

ちゅらさんと似ているなと思っていたら、脚本家の方が同じだったんだ~。今回の舞台は茨城県(ついに!)の田舎。ときは1965年。うちの親父と主人公は同世代(2歳ちがいぐらい)だわ、ビートルズの話が出てきたときに気づきました。

ちなみに、話はまた学校についてになりますが、最初の教員勤務実態調査が行われたのは1966年

この時代から変わらないのは、ポールマッカートニーと、吉永小百合と、学校の先生の時間外手当の3つである、とわたしは言いたい。

正確に言うと、公立学校の教員の時間外勤務手当は支給されておらず、その代わりに給料月額の4パーセントに相当する教職調整額というのが支給されるという制度となっています。

それで、なぜ4%なのかといえば、1966年に行われた教員勤務実態調査で、時間外勤務は1週間平均で小学校 1時間20分、中学校2時間30分、小中平均1時間48分というのをもとに計算した額だそうです。

 

※詳しくはこちらが参考になります。

(文科省のページ)

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/031/siryo/07012219/007.htm

(Teach for Japanの松田さんのブログ)

yusukematsuda.blog.jp

みなさん、どう思いますか?・・・聞くまでもないかもしれませんけど。

この4%の根拠、1週間の平均残業時間ですよ。いまや1日でも2時間以上残業している人のほうが多いですよね?

実際、文科は、40年ぶりの2006年にも大規模な調査をしました。そのときも、先生たちの残業はもっと多いということは明らかになりました。平均して1日約2時間の残業が恒常的に発生していることが調査で明らかとなったのです。

それで有識者会議などをやって、この4%の制度を見直すことも議論されたようなのですが、財源のせいが大きかったのだろうと思います、結局制度改革は進みませんでした。

(報告書はこちらにアップされています)

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kyuyo/

 

それで、きょう飛び込んできたニュースはこちら。2016年度の公立小中学校教員の勤務実態調査についてです。学校現場の事態はさらに悪化しているという結果が出ています。

文部科学省は28日、2016年度の公立小中学校教員の勤務実態調査の速報値を公表した。中学教諭の約6割が週60時間以上勤務しており、過労死の目安とされる水準を超過。

・・・

調査結果によると、教諭の平日1日当たりの平均勤務時間は小学校で前回調査から43分増の11時間15分、中学で32分増の11時間32分だった。小学校では33.5%、中学では57.6%の教諭が週に60時間以上勤務し、20時間以上残業していた。これは厚生労働省が過労死の労災認定の目安としている月80時間超の残業に相当する

中学教諭6割が過労死ライン=月80時間超相当の残業-授業、部活増加・文科省調査:時事ドットコム

 

これを受けて、

文科省は「学校が教員の長時間勤務に支えられている状況には限界がある」として、中央教育審議会に改善策の検討を諮問する

とのことですが、ほんとに大丈夫でしょうか???

  • 4%の調整額はこのままじゃアカンやろと強く思いますが、結局財源の話になって、2006年頃と同じ轍を踏むことにならないでしょうか?
  • 中教審から改善策が出てくるなら、新学習指導要領で学習内容や小学校の授業時数を増やすのをやめるべき、部活動などの記述も指導要領上の位置づけも中途半端なまま、と思う現場の方は、多いと思います。こうした声にちゃんと答えられますか?
  • 文科省や中教審に期待することは、各学校の判断で薄めてもよいことをもっと明確に発信することです。そこを「カリキュラム・マネジメント」とか言って、各学校任せとして明言を避けるのはダメだと思います。
  • 「教育効果があるからやってもよい」というロジックでは、教職員の仕事は増えるばかりです。教育効果があるからと、生産性や時間対効果を軽視する風潮、信念、信仰は、はっきり言って、学校教育畑にずっといた人にはとても強いように思います。本当に中教審から改善策は出てくるのでしょうか、心配。。。
  • 同時に、せめて、先生たちがまともに休憩、休息をとれるようにするべき。掃除の時間や給食の時間までずっと1人の担任が面倒をするというのはオカシイと思いませんか?土日も部活でつぶれるのもヘン。さらに言うと、小学校は学級担任制のままで、産休・育休の先生も増えている昨今、本当に持続可能なのでしょうか?
  • 財源も伴う話にはなると思いますが、ビルド&ビルドのままでは、教員数は少子化に伴い減少するのですから、そりゃ多忙は加速します。たとえば、小学校も中学校も、3~4人の先生で2クラス担任として見る仕組みにしてシフトを組むくらいでもよいかもしれない。あるいは、生徒指導担当教員の加配を増やして、生徒指導かんけいの仕事(保護者との話も含む)は学級担任から大幅に離す(情報の共有は必要だけど)。プリントの印刷や表計算ソフトでの集計など、教員でなくてもできることは、アシスタントさんを雇って依頼する。
    ※こうしたことはいきなり全国でやるのは危うい。一部の地域でやって、ちゃんと研究者の先生たちにエビデンスベーストで検証してもらうべき。
  • とはいえ、財源や国の動きばかり期待しても、現場はすぐにはかわらないので、すでに学校の判断でできることも多いのだから、それは前進させたい。いくつかアイデアはこのブログでも発信していますし、これからもお話していきます!

 以上、走り書きですが、考えたいことをメモしました。ご意見などお待ちしています!

 

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【忙しい学校 どうする?】掃除の時間は本当に必要?

学校は忙しいからと言って、なんでもかんでも、やめろ、省力化がいいとは思わないのですが、さすがに過労死ラインを超えて働く人が多い小中高の実態を見ると、
①やめる
②減らす
③くっつける(既存のものを統合する、
あるいは新しいものを純粋に追加するのではなく、既存のものと一緒にする)
という3つのことがもっと必要な気がしています。

うちのオンラインサロン(元気な学校づくりゼミ)では、学校の”当たり前”を見なそうをテーマに、アイデアを募って、ブラッシュアップしていきたいと考えています。実際学校現場のゼミ生もいますし、ぼくは教育委員会や学校向けの研修やアドバイザー支援をしているので、考える、言うだけでなく、よいアイデアはぜひ実践したいとも思っています。※ゼミ生は随時募集中です~

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学校での掃除は”当たり前”なことではない

さて、きょうは、モヤモヤのアイデア段階ですが、ひとつの問題提起。タイトルのとおり、学校で掃除は必要なの?について。

実は、これは古くて新しいテーマかも。以前2011年にも中学生がツイッターでつぶやき、大きな論争となったそうです。

中学生ブロガー(以下GkEc君)が発した「学校の掃除は必要か?」という問いがネット上で議論を呼んでいる。
・・・GkEc君の論点を要約すると、以下のようになるだろう。

1. なぜ学校の(男子)トイレというものはこんなにも汚いのだろうか。清潔好きの自分としては嫌でたまらない。
2. 学校の掃除は業者に頼む便益が費用を上回るなら、業者に頼むべきだ。生徒がやるよりその方がずっと綺麗になる。
3. 学校教育は生徒へ投資して生産性を高めるための場であり、掃除(および勉強以外のその他すべて)の時間を勉強に充てるなど生徒の生産性向上に振り向ける方が最終的効用は大きい。

それに対する「大人」側の反論はおおよそ下記のものに代表されるだろう。
1. 学校で掃除の仕方を学習するのが目的 (学校しつけ論)
2. 掃除もできないような人間は社会で使えない (社会人基礎力論、社畜養成論)
3. 税金で学んであるのだから自分たちで掃除して当たり前 (社会奉仕論)
4. 公共施設で自分で使ったところは自分で片付けるべき (公共心涵養論)
5. 現実問題として学校が業者を雇う金はない (財源論)

 出所)

http://blog.goo.ne.jp/hiroccha_/e/b10366073805c520c6388da1771ffe28

 

おもしろい議論ですね。両者、なるほどと思う点も、ちょとどうかなと思う点もありますよね?それにしても、中学生とは思えない、スマートな論理武装ですね。

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学校清掃がある国もあるようなのですが、ヨーロッパなどではその伝統はなく、日本の風景はかなり奇異にうつるそうです。最近もこんな記事がありました。

日本の学校清掃について、「素晴らしい取り組みと賞賛する人、児童労働・虐待になりかねないと懸念する人、学校は掃除よりも勉強の場所であると主張する人」など外国からの反応はさまざまだそうです。

blogos.com

次の記事も興味深いです。

2016年2月25日、シンガポールの教育省は国民の度肝をぬく政策をぶちあげました。公立の小学校・中学校・高等学校の生徒に、学校での毎日の清掃を義務付けたのです。
・・・
シンガポール教育省MOEはマスコミからの取材で「生徒の学校清掃は日本や台湾からヒントを得た」と公言しています。

www.huffingtonpost.jp

学習指導要領でも掃除をやれとは書いていない

いまの学習指導要領で、清掃についての記述は、小学校では一か所のみだと思います(ざっと検索したかぎりですが)。特別活動のところで、学級活動として「清掃などの当番活動等の役割と働くことの意義の理解」との記述があります。ちなみに中学校の学習指導要領では清掃は出てこないと思います。

この意味はなにかと言うと、学習指導要領解説では、次の記述があります。

「勤労観」を養う観点から,「清掃などの当番活動等の役割と働くことの意義の理解」を加えた。

 なんと~。学校を綺麗にすることではなく、勤労観を養うに主眼があったことを今日知りました。みなさんはご存じでしたか??解説には次の記述もあります。

日々の学級や学校の生活を維持するため,児童に清掃をはじめ当番活動に取り組ませている学校が多い。その際,与えられた役割を果たすというだけの消極的な活動ではなく,当番活動の役割や働くことの意義などが十分に理解できるようにするとともに,学級や学校に貢献していることが実感できるように指導することが大切である。

これらの指導は,学級活動の授業時数を充てない朝や帰りの時間,児童が当番活動を行っている時間などに行うことが中心となるが,学級活動においても適切に取り上げ,計画的に指導する必要がある。その際,清掃のほかにも,給食,日直,飼育,栽培などの当番活動や学校内外でのボランティア活動などの活動を具体的に取り上げた多様な指導方法を工夫することが大切である。

清掃は、学級活動としても取り上げたほうがよいですよ、と言っています。毎日、昼休みのあとにやりなさい、とかは書いていません。

つまり、特活の時間にやるなら教育課程のなかですが、ほとんどの小中学校が設けている掃除の時間というのは、任意のもの、教育課程外の学校の裁量、自主性でやっている”ザ伝統”です。別に廃止したとしても、学習指導要領違反には、おそらくならないでしょう。この解釈はちょっと文科省の方にも聞いてみたいところですが。

 

次の新学習指導要領が3月末に発表されましたよね。そこではどうなっているか。やはり小学校では、特別活動の学級活動のなかで登場します。

(3) 一人一人のキャリア形成と自己実現
イ 社会参画意識の醸成や働くことの意義の理解

清掃などの当番活動や係活動等の自己の役割を自覚して協働することの意義を理解し,社会の一員として役割を果たすために必要となることについて主体的に考えて行動すること。

ここでは、現行と文言はかわっていますが、やはり、協働や働くことの意識を付ける活動のひとつとして清掃が捉えられています。

掃除をしたら、ほんとに働く意識の向上になるの?

ここで素朴なギモンが。現行でいう勤労観、次期でいう協働することの意義を感じ取らせることに、清掃はどこまで貢献するのでしょうか?

次期なんて「一人一人のキャリア形成と自己実現」のなかに清掃がありますが、掃除をキャリア形成や自己実現とつなげるには、相当論理の飛躍があると思います。言うまでもありませんが、文科省が言いたいことは、清掃員になりたい子のための教育活動ではもちろんありません。人のためになることをしたり、人と協力して働くことが、キャリア意識向上にもなるでしょう、という意味です、たぶん。

そういう意味なら、なんとなく分かりますが、やはり、因果関係は遠いなあと感じます。みなさん、どうですか?

それで、仮に、その目的と目標なら、次のギモンも浮かびます。別に清掃じゃなくて、ええやん。

指導要領では現行も次期も、「清掃などの当番活動等」と書いているように、清掃はワンオブゼムなのです。別にほかの活動や体験で、協働意識等は高められるでしょう。たとえば、給食当番でもいいじゃないですか?

清掃が生活指導・生徒指導上効果があるという説

以上みたように、仮に清掃をやめても、教室等が汚いという以外に、そう大きなダメージが学校にはあるのでしょうか?

現実問題としては、学校に外部の清掃サービス等を活用する財源がないので、子どもにやらせているだけ、それを勤労観とか協働とか、もっともらしいロジックを変につけているだけ、と意地悪くとらえることもできます。

しかし、ここで大きな反論があることを承知しています。清掃は、児童生徒の心を落ち着かせるんだ、という話が必ず出ます。部活動にも似たロジックです。清掃も、生活指導や生徒指導上、有効であると。

それで、無言清掃とか自問清掃というのを採り入れている学校もあります。

たしかに、そういう効果もあるかもしれません(データ等で確認はとれていませんが)。しかし、これも、掃除じゃないとダメなの?と言いたい。

道徳の時間も、いろんな集団での活動の時間も、学校にはたくさんあるわけです。別に掃除に頼らなくたって・・・と思うのは、生徒指導を知らない、素人の視点でしょうか??

教育効果があるという理屈だけでは、教員の仕事は減らない

先ほど申し上げたとおり、部活の話も同じですが、「教育効果があるから、やるんだ」「子どものためになることだから、みんなで推進しましょう」というロジックは、弱いと思います。そんなこと言うと、なにもかも、学校の仕事、教師の教育活動となり、ぜんぜん手離れしません。教員数や教師の時間が潤沢なら、それでもいいです。でも、現実はそうではないのだから、なにかを我慢するとしたら、毎日の掃除の時間は、ひとつの検討だと思います。

それに、本当に教育効果がめちゃくちゃ高くて、全国でぜひともやるべきことだったら、学習指導要領に時数付きで明記していくべきです。掃除が効果的と考える先生や研究者の方は、ぜひ検証していただき、国等へも提案をお願いします。

百歩譲って、掃除が必要だとしても・・・

まあ、そういわず、掃除は教育効果もあるし、実際、きれいになって気持ちいいんだから、という意見もよく分かります。ぼくも気持ち的には、掃除くらいちょこっとやらせるくらいはいいかなとも思います。

でも、今日は、学校の”当たり前”を見直そうという点から、あえて、きつめに書きました。実際、財源があれば、別に掃除は教育活動から手離してもいいかもしれません。

加えて、しつこいようですが、次の点も検討したいです。

時間対効果の低いローテクとアマチュア掃除が幅を利かせている

ある学校でダスキンの出張授業があったそうです。そこでこんな話を投げかけられたそうです。家庭科の年間時数よりも掃除に使っている時間のほうが長いですよね。それで、子どもたちの掃除の技術は身についたんですか?

まあ、上記のように、掃除がうまくなることや躾が掃除のメイン目的ではないのですが、、、この指摘も興味深いですよね。

それから、たしかホリエモンだったと思いますが、なんで学校はいまだにホウキでやってんの?どの家庭でも今は掃除機でしょ、というツッコミ。

こうした問題提起に、ちゃんと答えられる人が学校にはいるのでしょうか?生産性を意識しない典型例が、学校掃除の風景かもしれません。

毎日やる必要はほんとにあるの?

上記との関連しますが、家庭科の時間や学活の時間を活用すること、たまに大掃除の日とかを決めて掃除はやればいいんであって、毎日15分とかとる必要はあるのでしょうか?

前からそうしてきたということで思考停止してはいないでしょうか?

昨今、新しい学習指導要領関連で一番ホットな話題は、小学校の英語の時間をどう確保するかです。多くの教育委員会や小学校の先生が、時間がない、時間がないと言っています。文科省は多忙化解消とか言いながら、学校の仕事を増やしているというお怒りも多いです。

で、ぼくはこれがベストとは思いませんが、ひとつの案として、掃除の時間をもっと減らして(たとえば、週2にすると週30~45分うき、約1コマ分になる)時間確保するという方法もなくはないです。

いや、それは邪道と言われそうだし、個人的にはそう勉強ばかりさせようとしなくても・・・とは思いますけどね。それに、これをカリキュラム・マネジメントと言われも、ちゃうやろ、って強く思いますけどね。ひとつのアイデアとしてはありえます。

なにが言いたいか。個人的には、自分の日常使う空間をちょっとはきれいにしようという子のほうがいいとは思っています。しかし、子どもも教員も、時間は有限です。なにかを①やめる、②減らす、③くっつけるとすれば、毎日の掃除の時間はもっと見直しが議論されていいと思うのです。

これが正解というものではないと思います。でも、気を付けたいのは、前からやっているから正しい、教育効果があることはぜひ続けるべきだ、という思考で止まってしまうことです。

 

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【忙しい学校 どうする?】給食費はだれが集めるか?

4月19日に小田原市の小学校で給食費120万円あまりが集金作業中に盗まれた、というニュースを見ました。そこで、今日は、タイトルのとおり、給食費はだれが集めるのがいいのか?について考えてみたいと思います。

news.tbs.co.jp

この事件で見える、学校のフシギ

この事件では小学校側は被害者なのですが、こんなローテクでセキュリティもなにもない集め方をしているのか?と批判されても仕方がないと思います。

だれもが思いつくと思いますが、フシギなことは3点。

  1. なぜ銀行引き落としでないのか
  2. なぜPTAや元職員が給食費の集計作業にかかわるのか
  3. 「集金の際の人物確認など作業態勢を改善する」はぜんぜん改善策になっていないのではないか?

今回の事件の小学校のような方法は少数派だが、給食費を現金で扱う小中学校は約2割

文科省では「学校給食費の徴収状況に関する調査」という抽出調査を行っています。とりえず、小学校だけ触れると、平成24年度の状況によると、口座引き落としが73.5%で大多数。金融機関への振込が4.6%、児童が担任や事務職員へ手渡しするは9.0%、今回の小学校のようにPTAと連携して徴収というのも6.1%あります。いくつかの方法を併用(保護者が選択)も5.8%あるので、トータル約2割の小学校が給食費を現金で学校で扱っていることになります。中学校でも2割強が現金で扱っているようです。

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出所)平成24年度「学校給食費の徴収状況に関する調査」

http://www.mext.go.jp/a_menu/sports/syokuiku/1341369.htm

 

ちなみに、この調査によると、給食費未納の児童は0.8%(中学校は1.2%)に過ぎません。これは保護者の意識や学校、関係者の努力によるものも大きいと思いますが、未納はごくごくわずかです。

 

さて、肝心の給食費についてですが、2種類の観点で分類できます。ひとつは、先ほどの調査のように集め方、徴収方法で分類する方法です。今回の事件を教訓にしてセキュリティの観点からも、また昨今大きな問題となっている教職員の負担軽減の観点からしても、口座引き落としが一番でしょう。

しかし、学校でよく聞くのは、給食費等の口座は通常とは別口座にしている家庭もあり、引き落とし日に残高不足でできない家庭も多い、という声です。それで結局督促の連絡などをしなければならず、ローテクだが、集金袋持参のほうが確実という声もあります。

とはいえ、両者でそれほど確実な徴収にちがいはあるのでしょうか?よく検証するとともに、再度メリット、デメリットをよく整理するべきだと思います。

というのは、やはり、現金を学校で扱うのは、いろいろやっかいな問題を引き起こしかねません。今回のような盗難は稀なケースでしょうが、紛失(子ども場合も、担任等の場合も)も起こります。

それから、教員や事務職員の負担という問題に加えて、ある小学校教員経験の方は次のことをお話くださいました。

金額が足りない児童は「誰かが取った(盗んだ)」みたいな事を言い出すことがあります。大概は、鞄の底などに落ちています。
また、親が勘違いで、少ない額を入れてしまうこともあります。勘違いなので、親はちゃんと入れているつもりなのに、教室では全額が無いとなると、場合によっては不信感が募ることにもなります。

このように、子ども同士や家庭と学校との間の不信感を招くことにもなりかねません。現金を学校で扱う方式は、弊害やリスクのほうが大きいと、わたしは感じます。

自治体が扱う公会計にすべきでは?

給食費の区分にはもうひとつあります。市町村などの自治体会計で扱う「公会計」なのか、その他なのかという区分です。公会計とは、税金など同じく、市町村の財布に入るということで、集めるのは、基本的には市町村の役割となります(学校が協力するというケースもあるでしょうが)。

公会計にして、保護者口座からの引き落としで自治体口座に行くという流れが、もっとも学校は給食費を扱わなくて済む方法です。

先ほどの「学校給食費の徴収状況に関する調査」によると、公会計にしている学校は28.2%と、まだまだ多いわけではありません。

では、多数の学校が採用している「その他」とは何かというと、学校長の名義の口座で集金・管理・支出しているところ(「私会計」)が多いと思われます。公会計と比べて、会計処理の透明性が低いのではないか、との批判もあります。

保護者目線の感覚的にもかなり変ですよね?給食費の多額のお金を校長口座に入れるなんて。

今回の事件の学校はそうかは知りませんが、学校の私会計を経由させず、PTAが集めて市町村の口座へもっていくという学校もあるそうで、この場合は、おそらく公会計に入るのかな。今回のようなことも起きかねませんし、本来のPTAの趣旨からもどうかと思います。未納の家庭がどこか、ほかの保護者が知ることにもなりかねませんし。

学校給食の集め方と会計の仕方がこうもいろいろあるのは、特段法律では定めはなく、判例でも公会計でも私会計でもよいとされている経緯があるためです。詳しくは、友人の柳澤さんの本が詳しいです。

本当の学校事務の話をしよう: ひろがる職分とこれからの公教育

本当の学校事務の話をしよう: ひろがる職分とこれからの公教育

 

無用な現金のやりとりは、学校・家庭の関係にもヒビを入れかねない

先ほど紹介したある小学校教員経験者は、次のようにも話してくださいました。

お金が絡むことによって教師と保護者の関係がこじれるのがとても気になります。お金のことではなく、子どもの育ちについてのいろいろな話をしたい(しなければならない)相手なのに、それが難しくなります。お金を取り立てないといけないようなケースでは、子どもの育ちに関する話などがほとんどできないような関係になってしまいます。親と教師が同じ方向を向いて子どもを育てていけば、うまくいくかもしれないのに、給食費が理由でそれがうまくいかなくなってしまうのです。

こうした点や会計の透明性も考えて、やはり、口座引き落とし、かつ公会計化という方法が、一番いいように思います。

なお、給食費というのは、一食あたり300円前後の家計的にかなり助かる金額ですが、これは食材費・材料費です。調理員などの人件費や施設・設備費は市町村立学校であれば、市町村の予算で賄っています。だったら、給食費(材料費)も公会計で一緒にやればよいのに、と思います。

なぜ、公会計にしないのか。ひとつには、市町村側の手間が増えるからです。児童数等の規模にもよりますが、公会計にすることで、職員を3人とか4人とか増やすという自治体もあるようです。

しかし、見方をかえれば、その人件費相当の労力を、私会計では多くの場合、学校側が教職員の追加的な人件費なしで、担っていたということです。それで本当によいのでしょうか?

公会計化した先行例から学ぶ:塩尻市

地域や学校によって多少の状況のちがいはあるとはいえ、お金を集めてどう会計処理するかという話は共通点も多いはずです。先行事例から学びましょう、ということで、先日文科省でも発表していた長野県塩尻市教育委員会のプレゼンテーションと資料がたいへん参考になります。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/uneishien/detail/1378184.htm

とくに重要なところを紹介します。公会計化したあとの業務の流れは大きくかわりました。次の図の赤字のところです。市の仕事は増えてしまいますが、学校側の仕事はゼロにはならないにせよ、相当減ります。

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出所)塩尻市教育委員会資料

 

塩尻市によると、「公会計にすると、未納が増える」という反対意見や懸念する声も多くあったのですが、ふたを開けてみると、未納はむしろわずかに減ったということです。これは、市職員が債権回収マニュアルをつくって頑張ったことや、児童手当から天引きすることができるようになったことも効いていると思われます。

 

もちろん、どんな方法にも課題はあると思います。しかし、いまの方法が本当によいのか、対症療法的な対策ではいけないのではないか、今一度振り返ってみるべきです。すでにさまざまな工夫や努力をしているところもあることですし。

 

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防災頭巾で子どもを守れるの?

今年から、子どもの小学校のPTA活動にも少し関わっています(副会長やってます、どこまでお役に立てるかはわかりませんが)。

PTAの会議である保護者の方から、こんな内容の話がありました(ぼくが記憶している範囲なので、若干ニュアンスなど違うところもあるかもしれません)。

各家庭で防災頭巾を購入することになっているんですけど、保育園ではヘルメットになっています。ある外国暮らしの長い方が、頭巾で子どもを守れると思っているなんて信じられない、と発言されたことがきっかけになったと聞いています。小学校でもヘルメットを常備することは検討できないでしょうか?

f:id:senoom:20170419194630g:plain

http://daianshin.com/SHOP/18007/59038/list.html

 

なるほど、という指摘でした。防災頭巾は、日ごろは座布団代わりにもなる便利品ですが、どれほどの衝撃に耐えられるのか、心もとないですよね。防災頭巾は、関東地方などでは1970年代に広まり、それからずっと続いているようです。西日本では、防災頭巾もヘルメットもない、という地域が多いようです。こうした”伝統”、たしかに一度よく考えてみる必要があるかもしれません。

www.nikkei.com

学校としては、予算がないこと、家庭負担で購入してもらうとしても、いまのご時勢、家庭負担を増やすことには慎重に検討したいこと、置き場所が悩ましいこと、折り畳み式ヘルメットだと場所の問題は少なく済むが、低学年の子ができるかどうか、などの話もありました。ある保護者の方からは、ヘルメットの耐用年数が5年なので、1年生のとき買って、それを6年生では使えないという話も出ました。

 

そこで、ググってみたのですが、防災頭巾の安全性については国民生活センターという公的機関が2010年に調査した結果を報告しています。

http://www.kokusen.go.jp/pdf/n-20100901_1.pdf

 

こちらの内容をざっと読みますと、次の点が気になるポイントです。

  • 表示などで防炎性能を謳っていても、自己消火せず燃焼が続き焼失するものがあった。
  • 日本防炎協会認定品の場合、防炎性能は安定している傾向にある。
  • 衝撃吸収率としては、50%前後のものも多かった。
  • ただし、防災頭巾の衝撃吸収性能試験は、5kg のストライカーを 10cm の高さから落下させるが、災害時の落下物から頭部を防護するヘルメットは、防災頭巾とは異なり硬い素材を使用し、その規格ではストライカーの落下高さも防災頭巾の 10 倍の高さから落下させて衝撃吸収試験を行うことから、防災頭巾よりかなり高い衝撃吸収性を有しているものと考えられる。
  • このため、防災頭巾は、書籍などの軽量な落下物からの保護用であると思われる。
  • 経年劣化や洗濯などによって、防炎性能も衝撃吸収性も低下する例がある。

つまり、防災頭巾は火の粉を防いだり、本の落下などから守るという点では、ある程度有効なこともあるが、重いものが落ちてきたとき等には役立たない可能性が高い、ということです。しかも、劣化したり、使い方によっては綿が偏っていたりもするので、防炎という点でも、衝撃吸収という点でも、安全でない場合も出てくるということです。

もう少し場合分けすると、想定する災害によって備えは異なると言えそうです。

火災(地震に伴う火災を含む)の場合は、防災頭巾のほうが有効。地震での落下物等の対策としてはヘルメットということでしょう。体育館などが避難場所になりますが、天井は耐震化されていないことがあるそうです、コワ。。。

欲を言えば、両方あってよいということなのかもしれません。

ただし、もうひとつ想定が必要です。言うまでもありません、津波です。その場合は、何よりも高いところに早く避難することが最優先ですが、防災グッツとしては、ライフジャケットがあったほうがよいのではないでしょうか?多少のショック吸収にもなりますし、溺死する確率を少しでも低下できると思います。

千葉の沿岸部のある小学校ではライフジャケットを備えて、訓練もしているとあります。

御宿町立御宿小学校ホームページ「ごりんのひろば」

 

今回の防災頭巾に関連する話、内田良先生の『教育という病』という本で述べられている「教育リスク」のひとつかもしれません。30年、40年続いてきたことについて、「まあ、大丈夫だろう」、「ないよりはマシ」という楽観的な思考でいたのではないか、ぼく自身を含めて反省したいと思います。

また、学校や地域によっては、防災頭巾を親(多くの場合は母親かと)の手作りでというところもあります。わが子を思ってという美談ですが、本当に自分の子どものことを思うなら、その性能で大丈夫かを案じるべきです。

もちろん、気にしたらキリがないということもあると思います。肝心の家庭ではどうなっているかと言われれば、うちはヘルメットなどもっていませんし、心もとない。。。通学路での被災も心配だからといって、毎日ヘルメットかぶらせよう(かぶろう)とは思わないでしょう。

通学路などは、ある程度、日常の便利さとリスクは、天秤にかけざるを得ないと思います。

しかしながら、備えられるところはやっておくことにこしたことはありません。この商品がいいかどうかは知りませんが、たとえば、折り畳み式のヘルメットを付けた防災頭巾というものもあるらしく、3800円です。5年使えるとしたら、仮に家庭負担(自治体予算ではなく)としても、そう高くはありません。

yellow-inc.com

ヘルメットを置く場所に困るという意見は、実際問題としてはあるあるですが、そう深刻でしょうか?折り畳み式ならかなり収納は便利そうです。また、どの教室でも掃除用具を入れる場所があるなら、防災グッツのほうが優先のような気が個人的にはします。PTAのある保護者は、椅子の下にヘルメットを入れておけるネットを手作りしてみた、という方もいました。

ライフジャケットは、地域によってはライオンズクラブや日本釣振興会(そんな団体があるんですね~)が寄贈されていることもあるそうです。

平成28年度の救命胴衣(ライフジャケット)寄贈先 – 公益財団法人 日本釣振興会

それに頼りきっていいかは微妙ですが、そういう方法でそろえるということもある、ということです。津波の危険な地域は、普段はマリンスポーツに親しめるわけですから、スポーツ団体等とも相談していけば、訓練への協力など、なにかと進展があるかもしれません。

子どもたちの安全のために、大人は思考停止せず、実現する方法について知恵を絞っていくべきだと思います。

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全国学力テストの大きなギモン4点

今日は全国学力・学習状況調査が行われました。小中の約3万校、200万人の子どもが参加する一大国家プロジェクト。今回は10回目。エビデンスを収集して、教育政策や学校運営、授業改善に活かすということはとっても大事だと思います。その意味で経年比較や専門的な分析ができるこの手の調査は貴重です。

しかし、当然、膨大なコストもかかっています(文科省の予算だけでも50億円)。先日、文科省の専門家会議は、今後も悉皆かつ毎年度実施すべしと述べていますが、費用対効果はどれほど、エビデンスベーストで(因果関係などを推定する科学的な根拠付きで)分析されたのか、気になるところです。

全国的な学力調査の今後の改善方策について(まとめ):文部科学省

※写真は今はだいぶ散りましたが、先日の近所の風景

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また、理念やねらいがよくても、運用がそうなるとは限らない、典型的な例がここにあります。今後は政令市別の結果も公表する方針ですから、地域間競争はより激しくなるでしょう。以前書いたリンク先のブログの内容は、反論も多々あると思いますが、みなさんの学校、教育委員会は大丈夫でしょうか?

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少なくとも、次の4点はよく考えてほしいです。

  1. 平均点を重んじる信仰はやめませんか?たとえば、下位層の子ができるようになる、伸びることのほうが大事ではないですか?
  2. 貴重なこの4月に学校、学級が行うこととして最優先は、学力テストの対策ではありえません。まずは学級づくりや若手教員等のスタートアップを支援することでありましょう。
  3. 自治体独自のテストを行っているところは、本当にどこまで、何のために必要ですか?地域によっては、その設問作成や採点作業に現場の教員が駆り出されています。これでは、教員の負担軽減など言っても、ウソっぽく見えて当然です。その労力があるなら、全国学力テストの活用をもっと進めることが生産的だと思います。
  4. 以上3点はなにもぼくような者から言われなくても、関係者の多くは、気づいているはずです。仮に、「おかしいな」と思っても、声をあげられない、検討できない風土だと、学力テストをやる以前の問題が大きいと思います。

 

きょうは辛口にしましたが、大きな問題だと思うので。このへんで~。

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自分の子どもを大事に思うなら、誰に気を付けたらよいか

我孫子・松戸の痛ましい事件を見て、保護者会代表をするほどの熱心な人であっても信用できない、もはや誰を信じたらよいのか、という論調がある。たとえば、次の新聞記事。

news.yahoo.co.jp

感情的には理解できるが、一事が万事と見てよいものか?2つのギモンがある。

ひとつは、最新の犯罪統計(平成28年版 犯罪白書)を確認すると、被害者を児童に限ったデータではなくて全体だが、殺人に至ったケースで約半数が親族によって起こされているのである(この親族とは親、配偶者、子が多い)。

http://hakusyo1.moj.go.jp/jp/63/nfm/images/full/h6-1-5-01.jpg

 

つまり、データが教えるのは、自分や愛する人の命を守りたいのであれば、一番気を付けるべきは、不審者でも、知人でもない。親族ということである(ただし、これをもって不審者対策などを軽視してよいという意味ではない)。なお、犯罪の種類によって傾向は異なる点には注意。

ふたつめは、殺人などの重大犯罪よりも、交通事故をはじめとする事故死が多いことだ。下記のリンク先の厚労省のデータによると、5~9歳の死因として、不慮の事故が一位で26%である。

厚生労働省:死因順位(第5位まで)別にみた年齢階級・性別死亡数・死亡率(人口10万対)・構成割合

 

ちなみにこのデータを見ると、10代後半、20代、30代の死因のトップは自殺であり、3~5割も占めている。このほうが、純粋に数の比較だけで言うならば、たいへん暗くて深刻な現実だ。

つまり、児童の見守りや交通安全活動というのは、児童にとって顔見知りの大人が増え、その人から犯罪リスクにあう確率はたしかに存在するけれども、おそらくそれ以上に、発生頻度としては多い交通事故を、かなり回避している確率のほうが高いということではないだろうか?

 

以上2点を考えると、うちの子どもたちのことを思っても、やはり、保護者や地域の方による交通安全活動、見守りは、ありがたい存在だという気持ちに変わりはない。

 

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