妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

【忙しい学校 どうする?】中教審の議論に参加してます

今日は、審議会を続けて2つのダブルヘッダー

中教審(中央教育審議会)で学校の働き方改革の議論がスタートしました。もうひとつはスポーツ庁の部活のあり方に関するガイドライン検討の2回目。

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両方とも、自分なりの提案資料を作って少しプレゼンしました。

フツーは1回目の会議というのは、事務局説明がかなりあって、委員は自己紹介と何か意見を一言ずつ言って、じゃあ今後も検討してきましょうね、で終わるのが通例だろうと思います(まあ、今日もこれに近かったのは確かですが・・・)。

ぼくは中教審の運営に携わったことはありませんが、霞が関の役所で勤務していていたし(2年だけだけど)、だいたい想像できます。

で、言葉だけで言ってもいいんですが、やはり役所の人間は、客観的なデータや根拠を重視しますから、ペーパーを出せるものなら出したほうが良いだろう、そう思いました。それに、今日もちょっと言いましたが、学校の長時間労働のせいで、人が死んでいるのです。待ったなしのなか、のんびり構えていいはずがありません。

また、いまは各省概算要求の準備の時期です。もう大詰めだと思いますが、中教審からこんな意見もあったというのは、あまり強くはないかもしれませんが、ひとつの文科省のなかや、財務省との折衝のなかで、多少は活きてくる部分もあるかもしれません。そのため、予算が必要となることを中心に後半は優先度が高いと思うことを提案しました。

具体的には、

  • 労働問題として、学校の長時間労働を真剣に捉えること。少人数学級の実現よりは、教員がもつ週あたりコマ数を減らすほうに優先度を置くべき。
  • 学習指導要領などで優先度の高いことを示すことを文科省はやってきた。でも、いま必要なのは、多少軽くしてよいよ、という劣後順位の高いものを示すこと。たとえば、本当に給食や清掃はどこまで必要か?
  • ちゃんと業務プロセスを改善しようと思えば、ある程度の時間と手間はかかる。自動車メーカー大手だって、そういう方法で改善している。教員の知恵と外部の支援のもと、時間をつくって、業務を洗い出し、改善点や不要なプロセスを見つけるべき。

もちろん、いろんな意見があるでしょうし、これ以外にも必要なことは多いと思います(ぼくもそう思います)。また、財源を示さずに理想論だけ言うのでは不十分かもしれませんが、アイデアを出していくことも必要だと思います。

★詳しくはこちらに資料をアップしています。そのうち文科省HPでもアップされるとは思いますが。

www.slideshare.net

部活の方は、顧問教員のリアルな声と題してこれまで聞いてきたことの一部を伝えました。自分の子どもの世話もできないで、本当に生徒によい教育ができるだろうか、という声は切実です。

これまで部活が加熱してきた理由、背景をしっかり踏まえて議論しないと、ガイドラインの実効性は薄くなると思います。そのため、なぜ過熱していきのか別に、検討が必要なことを提案しました。詳しくは次回以降の審議会でも発信しますし、委員の方のアイデアやご意見をお伺いしたいです。

こちらに資料をアップしました。

www.slideshare.net

両方とも、各委員からはさまざまな意見が出ました。正直まとめていくのも大変だろうと思います。議事録は後日アップされると思いますし、ここには書きません。

せっかく議論するのだから、なるべく具体論にも踏み込んで、現場の教職員のためになる(それがひいては子どもたちのためになる)ものにしたいと思っています。

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先生が足りない!?

先日のNHKニュースで全国の小中学校で700人以上の教員の欠員が生じているとのこと。教頭や教務主任がかねている例もあるということで、彼らはもともとたくさんの業務を抱えているので、その学校現場は本当に大変だと思う。

全国の公立の小中学校の教員の数が、ことし4月の時点で定数より少なくとも700人以上不足し、一部の学校では計画どおりの授業ができなくなっていることがNHKの取材でわかりました。これまで欠員を埋めてきた臨時採用の教員の不足が要因と見られ、専門家は「国や自治体は早急に実態を把握し、対策を検討すべきだ」と指摘しています。

・・・

NHKが全国の都道府県と政令指定都市、合わせて67の教育委員会に教員の定数とことし4月の始業式の時点での実際の配置状況について尋ねたところ、全体の半数近い32の教育委員会で定数を確保できず少なくとも717人の教員が不足していたことがわかりました。

このうち福岡県内では担当教員の不在で技術や美術の授業をおよそ2か月間実施できない中学校があったほか、千葉県内では小学校の学級担任が確保できず教務主任が兼務する事態も起きています。

(NHKニュース 2017年7月4日)

www3.nhk.or.jp

いくつか注意してニュースに接したほうがよいと思う。

この教員の欠員のことは、個々の学校ではとても深刻な話だが、全国的に見れば、まだわずかだということがひとつ。

全国の小中は3万校あるのだから、仮に1校1人の欠員が生じているとしても、700人は2.3%ほど。大多数の学校はこうなっているわけではない、ということには留意するべきだろう。

ただし、炭鉱のカナリアと見たほうがよいだろう。

 

ぼくが最近よく講演で紹介するデータとして、労働力人口の推移がある。

労働力人口とは働いている人の数に完全失業者数を足したもの。学生や専業しゅふ等は除く。つまり、仕事をしている人+求職中の人の数を指す。

この労働力人口、日本は、2000年頃からすでに減っているのだ。しかも、少子化の影響などもあって、今後も急激に減っていく。よく使うスライドを載せておく。2030年には2015年と比べて、約825万人も減る予想なのだが、これは福岡をのぞく九州各県の人口よりも多い。それほど大規模な人手不足が起きる。

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こうした労働力人口の減少のなかで、教職に魅力がなければ、「先生が足りない!」という事態は、全国的に拡大するだろうと思う。優秀な人は引っ張りだこだ。

しかも、ここ数年続いている大量退職・大量採用の傾向のなかで、20代、30代が増えている。当然、これから出産・育児等で休暇をとる人も(男女問わず)職場で多くなっていくだろう。すでにそういう学校も多い。

言うまでもないが、長時間労働が蔓延したままや、非常勤講師への待遇が低いままでは、先生のなり手は見つかりにくくなる


財源が問題となるが、上記の改善を本気で進めることが第一。第二に、定年や育児で退職した教員が再度活躍しやすくなることも、ひとつの方向性かと思う。すでに国家公務員については65歳定年に引きあげる検討がはじまっている。教員の世界も近くそうなるだろうと思う。

もちろん、シニアな方も様々だ。正直しごとがやりにくくなるという職場もあるかもしれないし、経験の豊富な方がいてくれて大助かりという職場もあるだろう。

また、育児等でやめた人も時短勤務などで復帰しやすくなることももっと必要だと思う。

しかし、いずれにしても、上記の労働力人口の未来予測を踏まえるならば、つぎはぎだらけの、対症療法的な施策ではダメだろうということだ。必要な教員の数はある程度見通しが立つ(そして育児休暇等をとる人数もだいたいの予想はつく)のだから、計画的に人を採用して、育成していくことが必要となる。

採用については、財政当局がうんと言うかというところが大きな課題だ。

育成については、教育委員会の施策、それから、なによりも学校現場でのOJTがどこまで実りのあるものかが課題だ。

最近よく学校の長時間労働、業務改善について講演、研修を各地でしているが、なぜ今のままの長時間労働じゃまずいのか、なぜ業務改善や働き方改革が必要なのかの腹落ちが当の教職員たちになれば、いくら研修しても効果は薄い。

多忙な職場では、人材育成や自己研鑽が犠牲となりがち、今のままじゃマズイでしょう?とわたしはよく問いかけている。また、今回のニュースは一部の事例、兆候とはいえ、先生の魅力をあげて、いい人にたくさん来てもらわないと、みなさんの仕事もしにくくなるでしょう、というメッセージも加えたいと思う。

もう一度言う。炭鉱のカナリアが鳴いている。

 

★『変わる学校、変わらない学校』また重版(5刷目)となりました。

応援ありがとうございます!引き続きおススメください。いま続編も製作中です。

変わる学校、変わらない学校―学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道

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新学習指導要領の移行措置にパブコメしました

小中学校の新学習指導要領の移行に伴う措置等についてのパブコメは、あさって25日、日曜までが〆切となっています。

ぼくは先ほど、次の内容を提案しました。参考までに載せておきます。

意見のある方は提出してみてはいかがでしょうか?

賛否ある話だと思います。妹尾の誤解や不足している点は、またフィードバックをいただけると有難いです。

search.e-gov.go.jp

~先日はこんなテーマで勉強会もしました~

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***以下、提出した意見です***

いつも大変お世話になっております。今回の授業時数の特例について、見直しを求める意見を提出します。

■要旨
総合的な学習の時間の一部を外国語活動に振り返ることができる措置は、総合の時間の重要性を軽く捉えてよいとのメッセージを学校現場に与えかねないため、行うべきではない。

■詳細
総合的な学習の時間の一部を外国語活動に振り返ることができる措置は、小学校の多忙な現状を鑑みた、いわば苦肉の策かと推測します。しかし、これは、誤ったメッセージを国から教育委員会、それに学校現場に伝えることになりかねません。誤ったメッセージとは、「総合的な学習の重要性を軽く捉えてよい」というものです。

今回の特例措置は、総合の時間の趣旨を損なうものではない、と答弁されそうですが、次の点で問題があります。

第1に、小学校現場の実態として、既に総合の時間の形骸化が進みつつある学校もあります。今回の措置は、そんな学校の教職員に、「やっぱり、総合の時間はまあテキトウでよいな」と解釈されてしまう危険性があります。
国や教育委員会が行うべきは、そういう学校に総合もっと工夫して面白くできますよ、と言っていくことだと思います。

第2に、一方で、今も一生懸命、総合の時間の充実を進めている学校もあります。今回の措置は、そういう学校や教員の思いと実践に水を差すものになっています。総合に熱心な学校は、この特例措置は使わなければよいだけだ、と言われそうですが、特例措置を使うかどうかが問題ではなく、この措置で与える国からのメッセージが問題です。

第3に、中教審等の審議との関係です。この特例措置は、十分議論されたのでしょうか?それとも文部科学省内部で検討され出てきたものなのでしょうか?仮に公の場で十分議論されたものでないのだとしたら、中教審なりにこの特例措置の是非を議論してもらうべきではないでしょうか?

第4に、優先順位の問題です。
釈迦に説法ですが、新学習指導要領は、答えのない問いに立ち向かう力や、協働して問題解決する力を伸ばすこと等に、趣旨、主眼があります。総合の時間はこの趣旨に非常にフィットします。教科書がないことに象徴的にあらわれていますが、決まった答えを効率的に出すトレーニングではなく、自分なりに試行錯誤したり、他の児童や場合によっては保護者や地域の方等と協力して課題に取り組む学びの場となりえます。

もちろん、外国語活動でもそうした力を伸ばす場にはなりえますが、①小学生が不慣れな英語等で行う活動と、②総合の時間で母国語で行う活動のうち、どちらがより主体的、対話的で深い学びとなりやすいとお考えですか?ほとんどの子どもや学校現場にとっては、明らかに②でしょう。つまり、削るべきは総合のほうではない、と考えます。

なお、小学校教員の負担の問題は非常に憂慮するべきことですが、それは、外国語活動向けの専任教員の加配など、別の政策的な支援を考えるべき話だと思います。

以上の4点から今回の特例措置は問題が多いと考えます。ぜひお考えなおしていただくことをお願いします。

 

***参考記事***

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【学校の”当たり前”を見つめなおそう】修学旅行は”修学”になっているのか!?

今日は、愛知県の田原市で中学校の校内研修会の講師をしました。

学習指導要領改訂の背景を解説して、いまの中学校教育のままでいいんでしょうか?と問題意識を高めるワークをしました。

残念ながら、一般論として、ほとんどの小中学校の教員は学習指導要領改訂の背景や理念を理解していません。英語が増えるとか、そういうことはよく知っているかもしれませんけど。目の前のことで大変な毎日だということはわかりますけれど、大きな理念やその背景にある社会の大きな変化を踏まえておかないと、いい教育、いい学校になれないですよね?

 

ところで、ここ田原中学校はとてもがんばっています。

例年5月にやっていた修学旅行を昨年から11月に見直しました。

なぜか?

ふるさと学習を中3の春から秋にしたいからです。そして、田原の良さを修学旅行先の東京の人に生徒が発信する学びをやるためです。

たとえば、JAや市役所の東京事務所とも連携して、田原産のキャベツなどの特産品を生徒がPRする場を設けます。でも、東京では、忙しい人も多いなか、子どもたちがPRしても、無視されたりするなど、生徒にとって、つらい経験、心が折れそうになる経験もさせることになります。でも、そこから乗り越えてがんばる力をつける、試行錯誤する体験を積むのも教育、修学旅行の”修学”たるゆえんだ、というのです。

なんともしびれる話です。

 

日本全国で修学旅行は行われていますよね。やっていない小中高はほとんどないのではないですか?

で、問いますが、本当に”修学”になっていますか?

みなさんの学校ではどうでしょうか?次の問いに答えてください。

  • なんのための修学旅行ですか?物見遊山といいますか、楽しい思い出作りになります、で満足していていいのでしょうか?
  • 保護者等にも生徒にも、そういう話はしていますか?
  • 6~9万円とか、家庭にとっては相当重たい負担がかかる旅行です。家族でパック旅行すれば、半額以下で済むでしょう。で、その金額と教職員の多大な準備時間をかけるくらいの効果はあると、胸をはって言えますか?
  • そもそも、修学旅行のねらいや目標を自信をもってアツく語れる教員がどれほどいるのでしょうか?例年、東京(あるいは京都など)に行くことになっている。それじゃあ、説明になっていませんよ。
  • どうせやるなら、もっと主体的で対話的で深い学びができる修学旅行にしませんか?

修学旅行は、敢えて申し上げますが、費用対効果、時間対効果が高いものにはなっていない学校が多い気もします。あなたの学校はどうでしょうか?

 

★写真は田原中学校での昨年の修学旅行のひとこまです。

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田原中では、修学旅行でこうしたマジメな学び、体験も重視しています。かつ、ふるさと学習と関連づけた教育をです。

でも、そういうカタイことばかりでもありません。東京ディズニーに行って楽しい時間も過ごします。でも、ぼくは申し上げました。「どうせディズニー行くなら、クルー(スタッフ)にインタビューしてはどうですか?ディズニーに学べというビジネス書は数多いです。クルーに仕事の魅力や工夫していることを生徒が聞いてまわれば、よいキャリア教育になりますよね。」

このアイデアが実現するかどうかはまだ分かりません(もちろんオリエンタルランド側の反応も分かりませんし)。でも、この田原中の修学旅行はもっと進化しそうな予感がします。

もう一度問います。修学旅行は”修学”になっていますか!?

★お知らせ!

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【お知らせ】近況と今後の公開研修会など

ちょっとバタバタしていてブログ更新ができずでした。

正確に言うと、すっごく忙しいというわけではなかったのですが、

ちょっと研修や出張が続いていることと、夜はゲームをよくやっていたからです。

長男が7月発売のドラクエの新作をやりたいということで、長男・長女とぼくで出資しあって、プレステ4を買いました。

ぼくは戦国無双真田丸というゲームを買って、真田昌幸や幸村(信繁)や茶々(淀)になったつもりでやりこんでしまいました。昨日いちおうクリアーしました(難易度はふつうモードで。難しいとか鬼というモードにすると、全然クリアーできまへん)。

これは名作ですよ。ストーリーやキャラ立ちがしっかりしています。

そういえば、最近は大河ドラマの直虎を録画はしているけど、観れてないなあ。。どうしようかな。。。

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さて、ちょっと宣伝。

近日開催の次の研修会、勉強会で登壇します。よかったら、お越しになってください。

 

◎6月28日(水)10時~12時@文科省・虎ノ門

教育委員会の方向けに、文科省講堂で業務改善・学校改善の講演・研修をしてきます。

教育委員会の方の本気度を高めるゾ!

たぶん一般参加は不可ですが、どうしても来たい方は、妹尾までお問合せください。

 

◎7月2日(日)@福岡

まんがで知る教師の学びの前田先生とのコラボ研修。

きっとめちゃ面白くなる!

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★詳細と申し込みはこちらからです。

www.kokuchpro.com

◎7月8日(土)あおばセカンドキャリアフォーラム@横浜

金子郁容先生の話が聞けます。ぼくはちょこっと登壇します。

市ケ尾中学、市ケ尾高校とコラボして中高生と地域のおとなが

まちづくりを進めるプロジェクトを開始します。

このページにはありませんが、16時~17時までは、そのためのワークショップもあります。

学校と地域との協働について、都市部で先進例をつくる意気込みですし、

中高生にとって、受験勉強だけでは体得できない力の、よき学びの場になってほしいなと思っています。

massmass.jp

◎7月30日 学校働き方改革フォーラム2017 @東京

こちらも楽しみな企画。以下引用します。強力なタグです。

ゲストには、

◯ 10年以上前から学校の働き方の問題に気づき、先駆的な取り組みをされてきた
元福岡県春日市教育委員会学校 学校教育部長 工藤一徳さん

◯ 学校リスク研究所、部活動リスク研究所を主宰し、学校の様々な問題への啓発を続けておられる
名古屋大学准教授 内田良さん

◯ 学校や行政のマネジメント改革に従事され、『変わる学校、変わらない学校』の著者
学校マネジメントコンサルタント 妹尾昌俊さん

にお越しいただきます。  

 ★詳細、申し込みはこちらから。

kokucheese.com

★引き続きオンラインゼミを開講しています。

学校の当たり前を見つめなおそうをテーマに、読書会をしたり、アイデアを交換したりしています。出版にもつなげたいと思っています。

料金はかかりますが、どなたでも参加いただけます。

synapse.am

★参考記事

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新潟市民病院での過労自殺と学校の実態は、似ている

本日の毎日新聞で新潟市民病院の研修医木元文さんの過労自殺が報道されていました。ぼくと同じ年でもあり、なんとも痛ましい話です。

以下、記事から引用します。

2016年1月、新潟市民病院(新潟市中央区)の女性研修医(当時37歳)が自殺したのは過労が原因だったとして、新潟労働基準監督署は31日、労災認定する方針を決めた。

・・・

亡くなった研修医は木元文(あや)さん。看護助手をしながら医師を目指して勉強を続け、2007年、新潟大医学部に合格。卒業後の13年から研修医となったが、15年4月に後期研修医として同病院に移ると、救急患者対応の呼び出し勤務が激増。

・・・

木元さんの電子カルテの操作記録から月平均時間外労働(残業)時間は厚生労働省が「過労死ライン」と位置付ける80時間の2倍を超える約187時間、最も多い月では251時間に達していたと主張した。

 一方、病院側は木元さんが自己申告していた残業時間は月平均約48時間だったと反論。「電子カルテの操作記録の多くは医師としての学習が目的で、労働時間に当たらない」と説明していた。

headlines.yahoo.co.jp

学校の多忙化については、このブログでもたびたび取り上げていますが(今日はそのことで2件も取材を受けましたが・・・)、病院の現場(とりわけ本件のような救急医療)でも厳しい現実があるようです。

このニュースを見たとき、ぼくは学校と大変似た構造があると感じました。

  1. 過労死ラインをはるかに超えるような長時間労働が常態化していること。管理者は気づいていながらも、子どものため(病院の場合は急患の人がいる)ということで、人手が増えないという大変厳しい事情はあるにせよ、手をこまねていた。
  2. 本件の場合は研修医、学校の場合は、新任教員や常勤講師(非正規雇用)などの立場の弱い人たちに大きなしわ寄せがきていることが少なくないこと。(学校の場合も、新任等だけの問題ではありませんが。)なお、新任教員の自殺という事案はあります。
  3. 労働時間の正確な実態把握という意味で、管理者側と本人(遺族側)の主張が大きく食い違っていること。なぜ客観性のあるデータがないのか、あるいは、あったとしても食い違うのか?

 

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別の毎日新聞の記事によると、病院側は労使協定違反の長時間労働という点は認識していたということ、しかし、「急性期病院のため救急患者を受け入れざるを得ない」と釈明している、とのことです。

mainichi.jp

本件で市民病院の落ち度はありますし、それを批判することはある意味簡単です。しかし、

  • なぜこうした事態が起きたのか
  • なぜある程度は認識しながらも、改善しようとしなかったのか
  • いくら急患がいる現場だとはいえ、人の命を救う現場でなぜこういうことになるのか(学校の場合は、人の命の尊さを教える現場で)
    という点が問われなければならないと思います。

新潟市民病院のウェブページには理念として、次のことが書いています。

病院の理念は、[患者とともにある全人的医療]をめざすことで、ウイリアム・オスラーの言葉による「医学・医療は患者とともに始まり、患者とともにあり、患者とともに終わる」を基に、その信念を何時も全職員が忘れることなく毎日の業務に携わっています。

おそらく、この手の理念は、なにも病院であれば珍しいことではないと思います。学校の場合は、「患者」のところを「児童生徒」とか「子ども」と置き換えてもらえたら考えやすいと思います。

患者優先、子ども優先は、当たり前と言えば当たり前なのですが、だからといって、患者のため、子どものためということで、思考停止になっていはいないでしょうか?人手が増えないなか、ある程度の過重労働は仕方がないじゃないか、と問題を過小評価することはなかったでしょうか?

また、自殺にまで至る心境や背景は人それぞれではありましょうが、患者(子ども)優先で考えるあまり、自分を責めてしまうようなところもあったのではないか、と推察します。

患者(子ども)のためという気持ちはもちつつも、今のままでいいのか、もっと見直せるところはないのか、つらい思いをしている人はいないか、もっと自分も大事にしようと言っていってもよいのではないか、ということを考えることがもっと必要だと思います。

また、本件でも労働時間の認識の違いがあるようですが、これは教員の世界でもよくあります。正式な労働時間の記録が残っていないため、裁判等で何年も闘争するということが多発しています。ICカードやタイムカード、PCログなどでせめて、学校内にいる時間は記録しておくことは、本人のためにも、管理者のためにも、優先度の高い施策でしょう。

なお、本件のように、学習していた時間は勤務時間外という主張も、切り分けが難しい問題もありますが、ヘンなところも多いです。研修であれば、すべて労働時間外かといえば、そんなわけはありませんから。電通の事案でも、自己研鑽に使った時間は労働時間から控除するという方法で、実態よりも過少な労働時間申告が横行していた、との報道があったように記憶しています。似た問題は多くの組織であるのかもしれません。

もっとも、労働時間の把握があるからといって、それで長時間労働の削減に動くとは限りません。しかし、正確な現状把握なしに有効な対策が生まれるとも思いません。

以上のように、今回の新潟市民病院のこととを、ぼくは学校改善を図ろうとしている身としても、他人事とはとうてい思えません。もう失われた命は帰ってきませんが、どうすればこういうことが起きないようにできるのか、引き続き取り組んでいきたいと思います。

 

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労使協定を無視した残業が常態化していたことが毎日新聞の情報公開請求で明らかになった。同病院は協定違反を認めたうえで「急性期病院のため救急患者を受け入れざるを得ない」と釈明。
労使協定を無視した残業が常態化していたことが毎日新聞の情報公開請求で明らかになった。同病院は協定違反を認めたうえで「急性期病院のため救急患者を受け入れざるを得ない」と釈明。
新潟市民病院(新潟市中央区)で、労使協定を無視した残業が常態化していたことが毎日新聞の情報公開請求で明らかになった。同病院は協定違反を認めたうえで「急性期病院のため救急患者を受け入れざるを得ない」と釈明

【忙しい学校 どうする?】文科省幹部に提案したこと

決戦は金曜日~、と懐メロが聞こえてきそうでした。今日は、いま話題の文部科学省へ。「教員の働き方改革に向けた論点整理のためのヒアリング」という初等中等教育局(幼児教育~小中学校~高校までが主な所管ですね)の局長主催の勉強会でプレゼンする機会を得ました。

働き方改革といいますか、教員の多忙化対策、負担軽減に向けて、検討したいということのようです。およそ25の団体・個人から聞き取りを行っているということで、1人の持ち時間はプレゼン20分+10分の質疑応答でした。

〇〇会代表などですと、その団体で出席しますが、ぼくはピン芸人のようなものですから、1人ぼっちで、ちょっと寂しかったですね。先方は、審議官から、課長、企画官、補佐ら、20人くらいはいましたので(男性率は高かったなあ)。

事前にFacebookやオンラインゼミでも、また研修会や飲み会等でも、多くの方(それも現場の教員や事務職員、学校支援している方ら)に意見や生の声をもらっていたので、ぼくの粗削りな部分は多かったと思いますが、率直なところを、気合入れてお伝えしてきました!

とても幸運だったのは、教員勤務実態調査を担当している課の方や、教職員の処遇関係を所掌する課、業務改善を推進している課、教育課程課、部活動に関係する課、ICT教育を担当する課などなど、関係者が一堂に集まっていたことです。

ぼくの資料は下記のスライドシェアにて公開しました。

www.slideshare.net

ぜひまたご意見等いただき、ブラッシュアップしていきたいですし、国はもちろん、教育委員会、学校などとも組んで、活動していきたいです。ぼくは評論家ではありませんので、実行を支援、伴走してなんぼと思っています。

 

下記にとくにお伝えしたかったことを書きます。スライドシェアと一緒にざっとお読みいただけると、嬉しいです。

  • 報道されているとおり、過労死ラインを超えて働いている教員は非常に多い。しかも、調査結果を平均だけで見ると誤解する。個別に見ると、月残業が200時間超えなどもいる。電通のケースが月130時間残業と言われているので、学校はもっと深刻だ。
  • 小中の議論になりがちだが、高校の多忙も無視できない。また人により、比較的残業の長い人、それほどでもない人、差が大きいことも認識しておくべきだ。
  • 直近の勤務実態調査の10年前、2006年時点から、学校が多忙なことと、休憩もとれないほど過密労働であることは明らかであった。この10年国等はどうしていたのか、と言われても仕方がないのでは?
  • 下記の資料のとおり、他の業界と比べても、学校のブラックさは異常である。国も、教育委員会も、学校長も、もっと危機感をもつべきだ。
    ※データには注意が必要で、調査の方法やサンプリングの違いはあるので、一概に他業界と小中学校を比較はできない。なお、労働力調査の学校教育には小中も含まれるが、幼稚園、認定こども園、高校、専門学校、高等教育機関等も含まれるので、参考値。

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  • よく多忙化対策というと、学校では、ノー会議デイや会議の効率化の話が出てくる。これも大事だが、それだけでは到底この労働環境の過酷さは解消しない。
  • やはり大きなところ(時間がかかっている)ところを見直していくことを考えるべきだ。具体的には、授業、授業準備、生徒指導・集団(給食、清掃等)、部活動、成績処理などだ。現場の先生の多くは、これらは子どもたちのために時間がかかっても仕方ないと思い込んでいる。本当に見直せる余地はないのだろうか?
  • 学校には大きく2タイプいる。忙してもモチベーションが高い人。この人たちは好きで多忙になっているところもあり、ポジティブだが、その分、歯止めがかかりにくいので、過労死など注意が必要だ。もうひとつは、モチベーションが下がっている人。この人には早期退職してしまうなど別のリスクがある。
  • 一生懸命やっているから、忙しても仕方がない、ではいけない。自己研鑽が細るなど、長時間労働の負の影響をしっかり見るべきだ。
  • では、どうするか。下記の3点は基本的な考え方として共有したい。

 

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  •  学校には大事なことが多い。それはよく分かる。しかし、スクラップ&ビルドなく、ビルド&ビルドだけでは多忙化は加速する。では、どうやってやるべきことを重点化するのか。それは、課題の重点化から始めるべきだ。
  • 下記のように、狭い意味での業務改善、方法改善では限界がある。仕分けと精選も進めないといけないが、それは学校の課題とビジョンを基準にするしかない。

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  •  文科省の方なら釈迦に説法だが、少子化の影響で児童生徒数は大きく減っているものの、教員数はそう減っていない。にもかかわらず、多忙な学校の実態は悪化している。ということは、必ずしも、定数改善(=教員数の増加)だけでは問題は解決しない、ということを示唆している。
  • とはいえ、これまで紹介した現状の問題を考えると、定数改善も求めたい。ただし、これまでの文科省の要求のように、35人の少人数学級にするための定数改善を求めたいのではない。先生たちが人間らしく働ける場として、労務環境改善としての定数増だ。この観点でぜひ厚労省と組んで、財務省と戦ってほしい。
  • 同時に、教員数増だけを考えていたのでもダメだと思う。教員がやらなくていいものはアシスタントさんにやってもらうことも拡充したい。実際先行事例では効果が出ている。
  • とはいえ、これもアシスタントを設置すればいい、という単純なものではない。人に頼るのが苦手な教師に働きかけるなど、職員室のコーディネーターが必要だ。この役割は、日ごろから教員と協力して日常業務をしてきた、事務職員のほうが向いていることが多い。そういった意味で事務職員の活躍を増やしたい。
  • また、小学校は10教科前後もひとりの学級担任がこなすのは、授業準備からして無理がある。現場では、流す授業になってしまう、という声もある。教科担任制までできなくても、複数教科の担当とするなど、もっと分担できるようにしてほしいし、小中高とも、一人当たりの週のコマ数も抑制するように、国は働きかけてほしい。

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  • 繰り返すが、定数改善だけが国の役割ではない。学習指導要領は優先度の高いものもリスクだが、逆に優先度が低いものはどうしていくかのガイドもほしい。たとえば、給食は本当に担任がずっと面倒を見ないといけないのだろうか?
  • 処遇・制度面では、教員調整額という残業代の代わりは、1966年に実施された調査をもとにしている。これはビートルズが武道館でコンサートした年で、ぼくの親父の青春のときだ。そのときから変更がないのは、やはりおかしい。

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  • 採点、添削も多くの小学校教員らが自宅残業までしてこなしている。これは、パソコンやAIでもっとできる領域のはず。次世代学校というなら、そのへんにも投資してほしい。これは児童生徒の個別の進捗に応じた教育にもなる。
  • ICTやネットを使うのと、リアルな場での対話等は、両方必要であり、ブレンドすること。
  • 現場の先生は、声をあげたくても、なかなか安心して届けるところがない。これも大きな問題だ。管理職育成のためにも、現場の声を管理職や教委に伝えるフィードバックの仕組みも考えたい。以上、7点を重点として提案する。

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★きょうはここまで。以前もシェアしましたが、下記の新聞記事も関連したことを書いていますので、よかったら、御覧ください★

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【本気で考えて実行しよう】総合の時間の一部を英語にしてええの?

今朝の読売新聞の報道によると、新学習指導要領で時数が増える小学校英語(外国語活動)は、来年度からの移行期間中、総合の時間の一部を使ってよい、ということになるらしい。

2020年度に実施される次期学習指導要領で小学校の英語が教科になることに伴い、文部科学省は18年度から2年間を移行期間と定め、授業時間確保のため、「総合的な学習の時間(総合学習)」の一部を「英語」に振り替える措置を容認することに決めた。

今夏にも関係省令を改正する。教員の多忙化もあり、授業時間を増やせないと判断した。

www.yomiuri.co.jp

賛否ある話だと思うけど、最初この報道を見たときは、耳を疑った

こうして総合的な学習の骨抜きがさらに進むのだろう。

だいたい、現状でも、学校行事もかなりあって、総合の時間は使われていると聞く(学校にもよるでしょうけど)。たとえば、運動会は体育のためだけではないとはいえ、体育の時間だけでは足りないので、総合の時間などを使って準備をする。ソーラン節をやることが総合的な学習だろうか、かなりギモンなのだが、そういうことをちゃんと説明できる学校や教育委員会は多くいるのだろうか?

つまり、総合的な学習について、理念はよいとしても、既に運用はその理念についていっていない現実もあるのではないか?上記の文科省の容認措置は、このような現状の骨抜き傾向を加速させることになりかねない。※下につづきます。

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新学習指導要領は、答えのない問いに立ち向かう力や、協働して問題解決する力を伸ばすことに、趣旨、主眼がある。以下は、わたしの研修でも度々引用する、中教審の答申の重要な箇所だ。

解き方があらかじめ定まった問題を効率的に解いたり、定められた手続を効率的にこなしたりすることにとどまらず・・・・主体的に学び続けて自ら能力を引き出し、自分なりに試行錯誤したり、多様な他者と協働したりして、新たな価値を生み出していくために必要な力を身に付け、子供たち一人一人が、予測できない変化に受け身で対処するのではなく、主体的に向き合って関わり合い、その過程を通して、自らの可能性を発揮し、よりよい社会と幸福な人生の創り手となっていけるようにすることが重要である。
中央教育審議会「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策等について(答申)」(平成28年12月21日)

 

現行の指導要領でも、この側面はあるが、新学習指導要領でより強調されている問題意識、理念であると思う。総合の時間は、この趣旨に親和性がある。つまり、決まった答えを効率的に出すトレーニングではなくて、自分なりに試行錯誤したり、他の児童や場合によって地域の方等と協力して課題に取り組む学びになる場だ。

言い換えると、アクティブ・ラーニングだって、もちろん英語(外国語活動)でやってもいいのだが、総合の時間がもっとも自由度高く、深くできるはずではないか。
***

ビルド&ビルドで、学校のやることをどんどん増やしていくのは、どうかとは強く思うのだが、だからといって、総合の時間をもっと軽くしてよい、というのは、21世紀を生き抜く力という意味では逆行する措置だと思う。

ただし、総合の時間を、主体的な学びや深い学びの時間にしようとしたら、教師の側に相当時間の手間や準備がかかる。そんなことは当たり前の話。

小学校の先生はすでに10教科といった準備をしていて、タイヘンだ。この記事でも、先生たちの多忙が背景として語られている。

たしかに小学校現場が悲鳴をあげる事情ももっともだ。

  • 英語は、時数を増やしてもっとがんばりましょう
  • 総合などでは、主体的で対話的で深い学びもできるといいですね
  • 道徳も教科化しますんでよろしくね などなど

この理想論を本気で実行しようとするならば、「総合の時間の一部で英語やってもいいですよ」は、解決策ではない

本来は、教科担任制に近いかたちで、たとえば、A先生が5、6年生の国語、算数、理科をみます、B先生は社会、総合、道徳を見ます、C先生は英語専科で3~6年の外国語です、みたいにすることだと思う。そのほうがしっかり授業準備できるだろう。

もちろん、教員定数とそれに伴う財源の問題はある。人を増やせずに上記のような工夫をできる余地がまったくないわけではないが、かなり大変だろうと推察する。
***

そうしたなか、苦肉の策として、移行期間中は、総合の時間の一部を英語にしてよい、という話になったのだろう、とは推察する。しかし、本来の趣旨を形骸化させる手段に走るのはいかがなものか。

つまり、なんだろう、モヤモヤするのは、今回の話には、国側の本気度が伝わってこないからだ。繰り返しなるが、本気で、子どもたちの問題解決力等をもっと伸ばす学校教育にしたいのであれば、もっと別のところで政策手段と財源的な措置を考えていくべきだと思う。中教審は高い理想を言ってますけど、現場ではテキトウでいいっすよ、ではないはずだ。

***

問題は、国の対応だけではないと思う。忙しいなどの事情はあるだろうが、多くの小学校や中学校で、新学習指導要領の話など、上の空のことだとも聞く。つまり、「英語の負担が増えて大変だな、どうするよ~」はみんな知っているし、話題にもなるのだが、今日引用したような理念は、一般の教員の多くは知らないし、校長等ですら、ちゃんと捉えていない学校もあるように思う。(いや、そんなことない、という学校もあるでしょうけど、それはいい学校だと思いますよ。)

国や教育委員会がゆるい話をもってきても、「うちの学校は、こういうビジョンで総合の時間は活用しますから」としっかり言える校長は、どれだけいるだろうか?

 

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『不安な個人、立ちすくむ国家』経産省若手官僚の資料にちょっと申し上げます

ネットで話題になっているらしい、経産省の若手官僚(20代、30代)のプロジェクトチームの方が作った資料(リンク先)。まったく外野からの率直な感想を書きます。

★資料はこちら

http://www.meti.go.jp/committee/summary/eic0009/pdf/020_02_00.pdf

★ネットで話題はたとえば、こんな感じ

togetter.com
***
超多忙なお仕事をしながら、意欲的な挑戦だと思いますが、いろいろモヤモヤが募るペーパーでもあります。

一番は、So what?

何が課題なの?何が言いたいの?がどうも伝わってこない気がします。

たぶん最後の3.我々はどうするかがメッセージだと思いますが、1.2.とうまくつながっているかなあ?3.の根拠や具体的な政策メニューがもっとあったほうがよいかもしれません。

***
まずは現状認識について。政策や社会システムが主たる原因であるものと、そうではないものがごっちゃになって議論されていると思います。

たとえば、母子家庭の貧困は、社会保障の問題であるので、政策論。しかし、老後にTVばっかという生き方してるよねは、個人のライフスタイルや価値観の問題であり、あまり社会システムは関係ない気がします。
***
次に違和感があるのが、どうも人生には正解があるふうなテイスト、前提です。

「人それぞれでしょう」と言いたくなるし、「政府に人の人生について関わってほしくねーよ」という人もいると思います。

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昔も、どうだったのでしょうか?そう単線的な、昭和な生き方ってカチッとしていたのでしょうか?

この資料のp10で奇しくも紹介されているように、正社員になり定年まで勤めあげる、というのは、1950年生まれ(=ぼくの親父と同じ年)でさえ、34%しかいなかったのです。これは、いまの朝ドラとほぼ同時代。出稼ぎのような不安定な職の人もいましたし、起業する人だっていました。

この資料では、昭和な生き方ではある程度、レールに乗っかれるものがあったけど、いまは、しっかりしたレールがなくて不安という前提です。だから、資料のタイトルが「不安な個人」とあります。

しかし、昔からレールなんて、そうたいしたものはなかったのかもしれません。

1950年生まれの人と、いまの世代のもっとも大きなちがいは、日本が人口増社会か、人口減社会かのちがいです。つまり、人口増の時代は、ある程度放っておいても内需は増えたから、仕事も、そして多くの場合、所得も増えました。しかし、いまはそうではない。だから、「不安」なんです。レールがあるかどうかよりも、経済成長しやすいかどうかのちがいではないですか?

***

関連して、このペーパーは一見、多様な生き方を促したいふうな体裁をとっていますが、実は、中身はそうじゃない感じもします。そこが一番ひっかります。ぼくの誤解があるかもしれませんが。

たとえば、年金がもらえるからといって、元気なのに、仕事も地域活動もせずに、TVばかりの老後はダメ、という価値観が透けて見えますが、ほんとにそれでいいのでしょうか?余計なお世話だ、って言われちゃいますよ。

***
インプットも大丈夫でしょうか?

エライ人たちとディスカッションしたと書いていますが、大学の先生らとの会話は、彼らは日常の業務のなかでも少しはできているはず。

本当に必要なのは、もっと当事者意識のある人や現場の人たちではないですか?

たとえば、TVばっか見ているふうな、あるいは図書館でぼけーとしているようなシニアな方にインタビューしたのでしょうか?彼らは、いまの生き方で幸せだ、って言うかもしれませんよ。あるいは、市町村の公務員にも聞いたほうがよいかもしれません。現場感が鋭いから。

***
おっと、悪口を書きすぎましたかね。。。でも、この程度の批判にめげる方たちではないと思うので、期待を込めて批判的に書きました(読んでくれる人はいないかもしれないですけど。)

ご意見はメールでもFacebookメッセージでも歓迎です。

 

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ぼくが学校の多忙化に取り組む理由

きょうは日曜だし、短めにいきますね。(いつも理屈っぽく、長たらしいブログを読んでくださり、ありがとうございます。)

学校が”ブラック”だとか、長時間労働の問題について、自分なりに繰り返し発信したり、管理職研修等をしたりしてますが、それはなぜか。

いま頑張っている先生たち(事務職員や教育員会スタッフなども含め)が、やはり人間らしく、働きがいをもって生きてほしいからで、まあ、そういう方と楽しく飲みに行ったりしたいなあと思うわけで、教員になるな、早く辞めちまえ、いまの管理職はダメダメすぎるとか、言いたいわけではないです。世論的に多忙化に関心が高まることで、結果的に、教職や管理職になるのを敬遠する方も増えるもしれませんが。

また、自分の中では、多忙化は解消や緩和が目的としていません。

それは手段だからです。

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これは述べ出すと、また長くそうなので、なるべく簡潔に。2つのゴールがあります。1つ目は、先ほど述べたとおり、先生たちのなかにも、人生楽しむやつが増えるといいなあと思うから。そのほうがいいでしょ?

もうひとつは、クリエイティブな教育とか、子どもたちが生き生きした目をする学校にもっとなってほしいからです。そのためのキーとなるプロセスのひとつとして、多忙化をなんとかしないと、余力やエネルギーが生まれないよね、という問題意識です。

先日、掃除機のダイソン財団が協力した、横浜市立中川西中学校の授業を観ました。ダイソン氏は、掃除機を開発するのに、3千回だったかの失敗をしています。そういう話をしてくれる。そのあと、生徒たちは、試行錯誤でいいから、日常生活でこの不便を変えたいとか、アイデアを絵にかいて、あるいは試作品をつくって、発表しようという授業。技術家庭をメインに、国語や理科も兼ねています。

その子どもたちの表情がすごくステキだった。年中こういう授業ばかりはできないだろうけど、こんなことも増やせる学校を増やしたい。だから多忙化の問題にも取り組む必要がある、と思っています。

では、また。ボンボヤージュ!

 

★お知らせ 5月28日@横浜で勉強会をします!

元気な学校づくりゼミ ~学校の”当たり前”を見つめなそう♯2 ~
日時:2017年5月28日(日)13:30~16:45 
場所:横浜情報文化センター 小会議室
***
課題図書を読みながら、学校教育のいまとこれからを考える場です。
今回は、学校が、教師が”よかれ”、”当たり前”と思って続けてきたことについて、捉えなおします。
具体的には、ある程度(たとえば平均点以上に)多方面にできる力をつけようという学校のビジョン、指導観について。詳細は下記。

www.kokuchpro.com

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