妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

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信長の何がすごかったのか(1)

ここ10年、20年でしょうか、織田信長が人気です。大河ドラマなどでも、よく出ているし、いい役者さんが演じています。ここ20年近くは日本経済が低成長になった時期とも重なります。革命的な人物からヒントを得たいという人はいるでしょうし、今の日本は元気がないけど、昔にはこんな日本人もいたんだと思うと、気持ちがスカッとするところがあります。

でも、信長の何が、どこがすごかったのかについては、世間的にそう理解されているとは思えません。たいへん優れた人物や魅力的な人物が多い戦国時代の中で、なぜ信長がもっとも天下に近いところまでいったのでしょうか。武田信玄毛利元就らと信長との違いは何だったのでしょうか

いろんな考え方や解釈があると思います。このテーマはライフワークのひとつにしたい問いですが、僕は信長の天下統一に向けての「戦略」に注目しています。戦略とは、天下統一までの道筋、描いていたプロセスの束と言い換えてもよいと思います。信長の戦略は大変筋が通っていて、一貫したストーリーになっているように思うのです。

写真少し不鮮明ですが、手書きメモで図示すると次のとおり。


まず、信長が合戦の多くを勝ち続けて、領土を拡張していけたのはなぜかについて考えてみましょう。一般的な説明では、信長は他の戦国大名と異なり、兵農分離を進め、軍事の専門性のある精鋭を抱えたことが、織田軍の強さと言われています。

しかし、この点については、西股総生さんの『戦国の軍隊』という本の中で、批判的に検討されており、北条氏など他の戦国大名にも兵農分離は進んでいたことが示されています。僕は歴史学者ではないので、真偽はなかなか判断できないのですが、常識的に考えて、兵農分離がそこまで強くなる秘訣であれば、なぜ他の大名はまねをしなかったのかという疑問が残ります。鉄砲だって、お金ははるけど、信長だけではなく、多くの大名がこぞって有効性に気づき、採り入れていました。

また、姉川の戦い(織田・徳川VS浅井・朝倉)では織田軍は浅井軍にかなり押されて、徳川軍に助けられたとあります。尾張兵(織田軍)は三河(徳川)に比べてダメダメだと言われたようですが、兵農分離して織田軍は精鋭だったという説明と矛盾しているように思います(あるいは兵農分離が進んだ時期はもっと後ということかもしれませんが)。

僕は、織田軍の強さは、物量の多さにあったと思います。こう言ったら、身も蓋もない話かもしれませんが、ふつうにやったら、兵数の多いほうが勝つに決まっています。信長は桶狭間が有名過ぎて誤解されている向きもありますが、桶狭間をのぞいて、生涯ほとんど自軍のほうが少ない人数では戦っていないそうです。太平洋戦争のときの日本とアメリカ、ガンダムでの連邦とジオンを持ち出してもそうですが、物量がものをいう。

また、信長の革命的な用兵により強かったといった説も、僕は賛成しません。長篠説楽原の戦いも、鉄砲3段うちなんて不可能だし、やる意味なし(味方同士が接近していると危なくて自軍に被害が出る)と批判されています。この戦いでは信長の作戦に武田方ははめられたというところを、詳しくは藤本正行さんの『長篠の戦い』がたいへんわかりやすく説明してくれています。ただ、この戦いでも、3段うちはなかったとしても、3千丁と言われている鉄砲を確保した量の多さにもっと着目されるべきだろうと思います(本当に3千だったかは検証の余地があるそうですが)。つまり、武田方も鉄砲はもちろん装備していたけれど、数が違ったというところは大きいのではないかと推察します。

しかも、長篠説楽原の戦いもそうですが、野戦においても柵や堀のような障害物を設けるなど、戦国時代の後半にかけてどんどん、合戦は単なる衝突ではなく、土木的な要素が重要となってきたようです。だれだって死にたくはありませんから、障害物をつくって、弓や鉄砲で遠くから攻撃しようとしたのです。そのため、土木工事を可能とする物資と金が重要だったと思われます。攻城戦ではなおさらです。

藤田達生さんの『信長革命 「安土幕府」の衝撃』というタイトルからして面白い本では、中身も大変興味深いのですが、次のように述べています。
上洛を果たした後、信長の戦争はあたかも大規模な土木工事となっていった。番匠・鍛冶・鋳物師(いもじ)・金堀(かねほり)などの多様な職人集団を大量に動員する本格的な消耗戦となり、高度な軍事技術と莫大な資本を集積する上方を支配した権力のみが、天下の実権を掌握する段階に到達していたのである。(p61)

加えて、戦国時代は小氷河期にあたっていたとも言われており、食料不足、もっといえば飢餓が多発していた時代です。合戦をあちこちでやっていたので、田畑は荒廃しなおさらです。合戦、とくに長い時間がかかる攻城戦では、攻守ともに食料調達が大変重要となります。その点でも、物量が大事なのです。

では、次に、「なぜ信長はそれだけの軍事的リソース(人も米も)の調達可能とする経済力があったのか」がクエスチョンになります。長くなったので続きはまた別に。

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