妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

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”3月10日まではいい日だったね”で終わらせない

今日で東日本大震災から丸2年が経ちました。フェイスブックなどを見ていると、多くの方が被災地のことを考えていたり、自分のできることを行動していたりすることが分かります。被災された方にはどういう言葉をかけたらよいのか、また原発事故をはじめとして、ある意味福島や東北だけが被災地ではなく日本全体が大きな課題に直面する中、どうしたらよいのか十分わかりませんが、少し感じたことをメモしたいと思います。

まず、1万5千人を超える多くの方の命がなくなったことについて。そのひとつひとつの重みを改めて、少しでも感じてみたいと思います。今日の東京新聞のコラム欄には、岩手の小学3年生の女の子の作文が紹介されていました。

「お母さんがいたら、いろんなことができたね。ケーキとかつくったりできたよね。保育園から帰ると、お母さんが作ったおやつを食べさせてくれたね。3月10日まではいい日だったね」

子どもたちと一緒にご飯やおやつをつくるのが楽しい僕としては、よけいじんとくる話です。

東京新聞のコラム

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2013031102000155.html


少し関連して考えたこと。僕は、しごと柄、自治体のお手伝いや国の調査などを手掛けていますが、そういうときはあまり、ひとりひとりのストーリーや想いにはせることはしてきませんでした。たとえば、震災でこれだけ多くの方が住宅やしごとに困っていることなどについて、数字を追ったり、様々な活動の取り組み事例を分析することはあっても、ひとりひとりの個別の人生やその背景、文脈は、ジェネラルな政策論の際には、後ろにやってしまうことが多かったように思います。個人、個人のことを考えすぎると、限られた時間と予算の中で政策をつくり、実行するのは難しいと思ったからでもあり、客観性のあるしごとをしないと説得力に乏しいことがあるためです(政策の効果は広く及ぶので)。

昨日のNHK原発事故の検証の番組をみていても、政府の事故調査委員会としては、もっと被災者の目線に立ったことを述べたかったが、十分できなかった、といった元委員の話が紹介されていました。おそらく、事故の原因究明というミッションを最優先にしていたので、限られた時間と予算、スタッフで、そこまではやりきれなかったということだと思います。

しかし、あまり論理的にうまく説明できませんが、自分のこれからの原動力としては、もっと一人ひとりの生き方や想いにも思いをはせながら、しごと(職業という意味だけではなくボランティアも含めて)をしてもよいのかなと思っています。客観的にみるところや距離を置いて考えるべきところはそうしつつも、被害を直接・間接に受けたり、政策の影響が及び方(もちろん自分や家族、友人の顔も含めて)を考えながら。

というのも、復興はここ1、2年の話というわけではなく、長期にわたって考え、行動しなけばならないと思うからです。たとえば、この作文の女の子のような被災者への心のケアや学習支援もしかり、震災前から元気がなくなっていた地域の産業やコミュニティが震災後さらにダメージを受けた中でどうするかという問題しかり、除染除染の後の廃棄物処理しかりです。中長期に、自分のなかでの原動力を保ち、あるいは高めるためにも、なるべく個別個別の背景や人々のことも、もっと考えみたいと思いました。

もうひとつ考えたのは、この作文の女の子と、たとえば、学校や公園で会ったとき、自分はどんな言葉をかけられるだろうかということ。「3月10日まではいい日だったね」にどうこたえるか。

やはり多くの方は、「今日から、明日からもいい日になるといいね、いい日にしていこうね」ということを伝えたいのではないかと思います。過去はタイムスリップでもない限り、変えられません。唯一忘れるという人間の特性は、ある意味過去を変えられる手段ではありますが、この子にとって、3.11は一生忘れられないことでしょう。

でも、未来は可変です。そのために自分はどうしていくか、改めて考えていきたいなと思った3.11の今日でした。

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