妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

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戦国時代の強い女たち

こんにちは。先ほどTVで「女信長」というドラマをやってました。昨日もあったようなのですが、見逃しまして今日の後編だけ見ました。

信長が女だったという設定で進み、光秀と恋仲になるなど、フィクションとしてはありがち的な設定ではありますが、まあまあ楽しめました。主演の天海祐希さんはさすが元宝塚スターだけあって、信長の男装役と女役の両方を好演していました。(でも、オスカル役のほうがよいよな、と思ったのはわたしだけ???)

この物語では、女は男の道具だったのか、というテーマが随所に流れていて、戦国時代好きな自分としてはかなり以前から考えてきた問いです。たいへん面白い歴史小説が多い永井路子さんもたしか関連することをよくおっしゃっていました。永井さんによると、言われているほど女は従順一方だったわけではなく、生き生きしていたという話でしたが、詳しくは忘れてしまいました。

僕としては、現代の女性を見ていると、周りには並みの男よりずっと強い方々ばかりなので、とうてい戦国時代も女は弱かったなんて思えません。。。変化が激しく、先の見通しがつかない時代だったからこそ、きっと女性なりの視点や考えが生きた部分も多かったのではないでしょうか。

また、戦国の世のようにストレスいっぱいの世界で戦国大名として成功した人物の裏には、きっと奥様も強烈だったんだろうなと推察します(永井さんの小説では毛利元就の奥様を描いた山霧なんてすごく面白い)。

だいたい夫婦がうまくいかず、なにが天下ですか!!!さきにそっちを統一しろって感じですよ。戦場や政治の場で緊張が絶えない(親兄弟が殺し合うコワイ時代です)なか、家のなかでくつろげないとなると、きっと人間つぶれます。今と違って、自由な娯楽は少ないですし、茶の湯だって、半分ネゴシエーションの場ですし。家康は正室とは大変だったようですが、のちにたくさん側室もってきっとハッピーだったんじゃないかな。そうじゃないと長生きできないでしょう。でもなかなかこうした話は、文書に残るものではないので、検証しようがありませんが。

ひとつ例をあげます。戦場に女は行かないは常識ですよね。戦国のずいぶん後のほうではいわゆる遊女が来る例は出始めたようですが、それはそれとして。でも、理屈的に考えると、鉄砲は重かったでしょうけど、だれでも高い殺傷力があるので、女性でも訓練次第では扱えたのではないでしょうか。ちなみに鉄砲の前の時代(戦国の前半)、一番使われていた武器は弓矢です。こちらこそ女性も扱いやすい(鉄砲が普及した後も弓は残ります)。でも一部の籠城戦をのぞいて女性が戦場に出ることはほとんどなかった。

僕の仮説としては、命の危険のある戦場に男を駆り出し、コントロールしていたしたたかさが、当時の女性にはあったのではないかと思っています。城攻めされても、女性は助けてもらえる例も多かったようですし。命のやりとりは男のしごとと、男に思わせ続けていたのは、えらいなあと。野戦1回で何千人が死んでいたこともある時代にですよ(当時は人口もっと少ないし)。単に女性を婚姻で男の政治の道具として使われていたとだけ見るのは、狭い考え方なのでじゃないかなと思っています。

政治の世界ではどうだったのでしょうか。ひとつ、これは特異なケースかもしれませんが、戦国大名と言われるのは、寿桂尼という今川義元の母ちゃんです。彼女は夫の死後10年以上だっけ、今川家の政治を支え続けたうえに、息子の義元が桶狭間で横死した後も今川家の存続に尽力しました。公式な文書に彼女のサインが残っているようで、名実ともに女戦国大名です。ちなみに、当時の今川家は全国でも有数の繁栄を誇っていましたそうで、この経済力を支え発展させた功績の多くは寿桂尼にあると言えると思います。

僕は、タイムスリップできるとしたら、と言われると迷わず戦国時代と言いますが、ほんとは当時の強い女たちをみてみたい気持ちもあるんです。