妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

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ローマ街道を歩くと、きっといろいろ勉強になる

塩野七生さんの「ローマ人の物語」はどの巻もすごく読み応えがあるのですが、第10巻(文庫本の27・28巻)は、古代ローマ時代の道路や橋、水道などインフラ特集という別巻で、その名も「すべての道はローマに通ず」。この巻は、歴史好きじゃなくても、行政関係の方は必見です。

冒頭の箇所から少し引用します。

 紀元前3世紀とは、偶然にしろ、地球の東と西で大規模な土木事業がはじまった時代でもある。
 東方では、
万里の長城―前三世紀の秦の始皇帝時代に建設された長城だけでなく、一六世紀の明の時代の建設の長城まで加えると、その全長は5千キロにおよぶ。
 西方では、ローマ街道網―前三世紀から紀元二世紀までの五百年間にローマ人が敷設した道の全長は、幹線だけでも八万キロ、視線まで加えれば十五万キロに達した。
 なぜ、支那とローマは、国家規模の土木事業をはじめるに際し、一方は長城の建設を、他の一方は街道の建設を選択したのであろうか。もちろん、古代の
支那に街道がなかったわけではなく、同時代のローマに防壁がなかったわけではない。重点が置かれていたのは長城か街道か、の相違である。(文庫本上p68)

ちなみに、始皇帝も統一後は各地を巡業していきました(その途中で、暗殺されかけたこともある)から、それにあわせて街道も相当整備されたはずです。しかし、ウィキペディア情報によると、秦の時代の街道は1.2万キロだそうで、ローマは桁が違います。こちらのサイト(金子 景さんの記事)に街道網の図が引用されていますが、それを見ても、いまのヨーロッパ中と中東・アフリカの一部を毛細血管のように街道が走っていたことがわかると思います。

ローマの街道は一義的には軍用道路(軍隊をすばやく駆けつけさせるためのもの)だったのですが、もちろん、軍隊以外も活用しました。標準的には4m強の車道の両側には3mの歩道がそれぞれ置かれていたと言いますし、ほぼ一定距離ごとに宿や馬交換所があったと言います。郵便の仕組みもありました。2千年前の話とは思えないようなスケールと質の高さを感じます。

つくりも大変丈夫なものだったそうで、数百年たっても、道路として十分機能していたと言います。橋にいたっては、300を超えるものが2千年後の今でも使われているのだそうです。同時に、古代ローマ人は、メンテナンス(日ごろの維持管理)を重視した民族でもあった、ということが塩野さんの本では強調されています。いまの日本は、高度成長期に整備した道路や橋、下水道などインフラのメンテナンスや更新問題を国も地方も抱えていますから、大変勉強になります。

古代ローマ帝国があれほどの広域をカバーし、またそれが続いた理由として、征服した国・地域には、自治を保障しつつ、街道や水道などのインフラの整備を進めることで、経済的なメリットを与えるという方法が本の中でも強調されています。貿易や交流が盛んになり、経済的な相互依存性が高まると、戦争しなくなる(戦争することによってダメージを受ける経済的な損失が大きくなるので)という理論は昔から言われていることですが、まさにパスクロマーナ(ローマによる平和)はそれを実証しています。

規模はまったく比較になりませんが、日本の戦国時代でも似た話があります。小和田哲男さんの本に載っていたことで、ふつうの戦国大名は、敵の侵入を防ぐため、曲がりくねった細い道にしたそうですが、信長は広い街道整備に尽力しました。楽市楽座は教科書に載っていて有名ですけど、街道の整備とあわせた物流・人流の促進施策だったわけです。

なにかの大事業をやる、そして続けるうえでは意図や戦略があるわけで、ローマと秦との比較、また日本の戦国時代をみるのもいいなあと思います。ぜひ歩いてみたいです。

ローマ人の物語〈27〉すべての道はローマに通ず〈上〉 (新潮文庫)/新潮社
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