妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

大河ドラマを楽しむときに読む(戦国時代はトンデモナイ社会)

日本の戦国時代が大好きなため、嫁からは前世で何かあったんじゃない?とか言われますが、あの時代に生まれていたら、ほんとタイヘンだったろうなと強く思います。比較的明るい人間ドラマを描くことのほうが多い大河ドラマや、華やかに敵をぶったおす歴史ゲームとは違って、リアル北斗の拳とも言える世界がそこにあります。

気象研究の成果によると、戦国時代は小氷河期にあたっていました。つまり、天候的に主食の米が打撃を受けやすく、飢餓が起こりやすかった時代。(このような情報からも、歴史と地理のお勉強は本来は一体的なものだと感じますね。)しかも、その収穫の少ない土地や食料をめぐって、争いが続く日々。

因果関係としては、おそらくこう。
冷害などで不作 → 食料がない → 合戦して奪い取る(または略奪する) → 土地が荒れてさらに不作 かつ 合戦で耕作民が減って生産力ダウン → 食料がない ループ続く

宗教勢力だって武装していた時代(例:僧兵。ちなみに信長にとって最も強敵だったのは武田でも上杉でもなく、本願寺)。中央政権(室町幕府)は弱体化していました(なにぶん将軍が暗殺される始末)。当時の民衆は、強いリーダーを望んでいたのでしょうか、あるいは諦観していたのでしょうか、興味はつきませんが、当時の民衆の声を知る手段はなかなかありませんね。

はるか異国のポルトガルやスペインからやってきた宣教師は、当時の日本の社会について、数々のショックを受けますが、そのうちの一つが堕胎(当然いまのような医療はないので、無理な堕胎で母親もよく死んでいた)や口減らしのための間引きが頻繁に行われていたこと。

なかなか、ドラマなどでは描かれない厳しさが当時はもっともっとあったのだと思います。しかも、世界史的にみると、大航海時代、かつ鉄砲や大砲などの火力が戦争を変えていく転換点でもあります。そんなかな、内戦を続けていると外国からの侵略の心配もあった時代でした(極東の日本でそれがどこまで現実的だったか、また信長や秀吉ら為政者がその脅威をどこまで感じ取っていたかは分かりませんが)。

ドラマやゲームで英雄をつくるのは悪いことじゃないし、タイヘンな時代だったからこそ、実際、すごい人たちも多かったのだと思います。しかし、英雄も上記のような時代の荒波や環境に翻弄される存在でもあったことは踏まえておいたほうがよいと思います。

ただ、残念ながら、そうした点を中学校や高校の日本史ではほとんど習いません。出てきても、信長の楽市・楽座や秀吉の太閤検地、江戸時代の鎖国の開始など。なぜそうした施策を行ったのかは、当時の社会状況を理解しておかないと解けないと思います。たとえば、信長は当時としては誰よりも商業や交易の重要性に気づいていた大名だったのでしょう。農業の生産力をあげるのが難しければ、流通など他を底上げしていくというのは、ひとつの戦略であり、そのなかの取組として楽市・楽座という関所撤廃や既得権益の撤廃などの構造改革があったわけです。

また、茶の湯が盛んになった(よい茶器は城に匹敵したと言います)理由も少し分かる気がします。いつ飢えるか、いつ死ぬか見えない時代にあって、一時の茶や一期一会の価値はどんなだったでしょう。

今の日本が失われた20年とか、グローバリゼーションでタイヘンな時代だから強いリーダーを待望する世相があって、信長が人気なのだといった分析をよく聞きますが、今の日本は相当経済成長した上での悩みなわけで、たぶん、戦国時代は他の時代と比べても、とんでもなくハイパーな百数十年だったのだと思います。やはりそんななかで、当時のリーダーや民衆がどう一生懸命生きたのかはすごく気になります。