妹尾昌俊アイデアノート

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妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

場の空気をよむことについて

今日はおバカにもコンビニで傘を2回も買ってしまうことになりまして、我が国と中国の景気に多少なりとも貢献した気分です。あたしゃ、人間関係や場の空気をよむのも苦手なのに、おてんとさまの機嫌をうかがうのも苦手なようです。まあ、実家が農家な僕にとっては、雨というのは喜ばしいことでもあるということを身に染みているところもありまして、作物が育つことに比べたら、傘を余分に買うことくらい、たいしたことではないです。

で、場の空気をよむというのは、ほんと日本人が大事にしていることだなあと度々感心します(なかなか自分はまねできないので)。たとえば、職場などでもそうですけれど、ほかの場面でも。子連れで公園に行っても、お母さん方は周りにほんと気をつかっているふうです。ちょっと子どもが別の子どものスコップとっただけで、すぐ親が謝ります。まあ、”それくらいええんちゃう”って思う人(とくに父親かつ関西文化の人)はけっこういるとも思いますが、ママ友の間ではお互いをびびっとアンテナはってる雰囲気がありますね。公園デビューなんて言葉が一時期言われましたけれど、たしかにお母さん方は気を使うのはタイヘンだろうなと思います。

ビジネスやしごとの世界では、本音、腹に思っていることを出さずにいるケースがありますよね。いわゆる本音と建て前でしょうか。そんなとき、場の空気をよんだり、行間といいましょうか、言葉の背後にあるところを推察するのが得意な方は、それはそれで、よいスキルだと思いますし、よく他人に配慮できる方なんだあと思います。一方で、可視化せずにあいまいなまま合意しているがごとく進めていると、実は誤解があったなんてケースもありますから、油断できません。

以前ある人に経営コンサルタントは場の空気をよくよめないといけない、というお話をうかがったことがあり、日本企業やその組織改革などを手掛ける場合は、そうかもしれないな(したがって、僕はあまり向いていないのかな)と思ったものです。コンサルの場合、クライアントやクライアントのユーザーが言葉に出したことを額面通りに受け取ると、誤った現状認識になってしまうことなどもあるので。

一方で、経営者って、あんま空気をよむタイプじゃない人も多い気がします。これは僕は少ない経験のなかでの偏見かもしれませんが。要は自分の軸がしっかりしていて、周りに反対されようがどう思われようが、やってみるタイプも多いのではないかと。空気をよまない→自分本位→周りに気使わない、はイコールではないですが、相関関係はあるような気がします。経営学者の楠木先生@一ツ橋も経営者は、ほんとぶれないって書いてたような。ほんとの組織改革を進めるとき、あるいは周囲が一見やめとけと思うような新事業を始めるといったときに、空気をよむことがはたして役に立つのでしょうか?

なんか、いつもに増してとりとめのない投稿になっていますが、日本人って、空気をよむことを重視するわりには、変なところで空気をよまないふりをする傾向もあるような気がします。たとえば、電車で小さな子どもが泣いている、親はああ困ったなあというときに、周りは声をかけますか?都会だと、特に満員電車などだと、迷惑がられはしますが、”たいへんね”とかってなかなか言ってもらえないのではないかな?別に助けてほしいわけじゃないんですよ。迷惑なのはわかる気するけど、でも冷たい視線はやめてくれって僕は思います。(これって、そこそこ空気読んでいるのかな?あたし?)

あと、オウム事件などを鋭く分析している森達也さんが書いていましたが、マスコミの影響か、世論的にこいつは悪だとレッテルと貼ったら、けっこう安易にそれに流されやすいところがありますよね。これは僕自身の反省もこめてです。それって、周りの空気をよんでいるようで、本当の意味では、周りを見ていないと思うんですよ。悪いやつだと言われている人や組織や事件のことをちゃんと知らないまま、なんとなく俺もそいつは悪いと思うっていう意見になっているわけですから。

僕が好きな歴史を振り返っても、歴史上の人物にもいろいろいますね。信長や謙信は空気よむタイプには見えませんが、秀吉は反対でしょう。軍師官兵衛は空気よむのうまかったから、外交や調略に活躍したのでしょうね。まあ、歴史の示唆としては、両方のタイプがうまく役割分担、連携すると大きな仕事ができやすい、ってことかもしれませんが。