妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

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春眠暁を覚えず

週末は冷え込みましたが、ここ数日は春の陽気が戻ってきました。まさに「春眠暁を覚えず」という季節、と言いたいところですが、うちは、子どもたちが夜8時過ぎに寝て、朝5時半頃から起き始め、6時半頃には親に乗っかってきたりしますので、春眠そう長くはできませぬ。おまけに、4月から下ふたりが保育園に通い始めまして、毎朝体温測って連絡帳に一言メモを書いたり、もっていくものをチェックしたりで、保育園行った後は楽なのですが、行く前はちょっとバタバタです。

話はかわるのですが、「
春眠暁を覚えず」で久しぶりにこの漢詩を読み返すと、さすが教科書に載っていて日本人の多くがこのワンフレーズは覚えているだけあって、後ろの句も味わい深いです。

春眠不覺暁   【春眠 暁を覚えず】
處處聞啼鳥   【処処 (しょしょ) 啼鳥 (ていちょう) を聞く】
夜来風雨聲   【夜来 (やらい) 風雨の声】
花落知多少   【花落つること 知るや多少 (いくばく、たしょう) 】

要は、春の朝は穏やかだが、夕べはそう言えば、風雨が強くて、花は散ってしまったかもしれないという詩のようです。

この詩がとくに日本人にはよくフィットするだろうと思うのは、桜の時期には、多くの日本人が、雨が降ったりすると、もう散ってしまっただろうかと気をもむ習性があるからです。

作者の孟浩然は8世紀の人、日本でいうと奈良時代あたりですが、なんだ、1300年前の中国のおっちゃんも、同じような感覚だったのか~という感想をもちます(この詩は桜のことではないでしょうけれど)。ご存じのとおり、いまの日中関係はいろいろあるわけですが、共感するところやコンテクストを共有している部分もかなりあるのかもしれませんね。

一方、この作者には小さな子どもとかウルサイ舅・姑とかはいなくて、平穏なときに読んだ詩なのかなあとも思ってしまいます。うちの場合、今の季節はウグイスの声も頻繁に響くいい環境にありますが、朝起こされるのは、「朝ごはん、まだ~!?」という声です。

漢詩なんて何の役にも立たないと思いきや、多少知っていると、昔の人とちょっと話が合ったような感覚になったりして、楽しいですね。僕は大学の頃、三国志好きが高じて、史跡をちょっと1人貧乏旅行しましたが、そのとき、劉備の最後で有名な白帝城近くの長江を船で通ったときに(また、赤壁の戦いの跡と言われているところも、ほんとにその場所かは分かっていないらしいのですが、通りました)、次の詩(李白)を読み返しておりました。現地にいくと、かなり気持ちもよくて、景色も壮観、約2千年前に戻った気分にちょっとなりました。

朝辞白帝彩雲間
千里江陵一日還
両岸猿声啼不住
軽舟已過万重山

(あした)に辞(じ)す白帝(はくてい)彩雲(さいうん)の間
千里(せんり)の江陵(こうりょう)一日(いちじつ)にして還(かえ)
両岸(りょうがん)の猿声(えんせい)(な)いて住(や)まざるに
軽舟(けいしゅう)(すで)に過(す)ぐ万重(ばんちょう)の山(やま)

朝早く、朝焼け雲のたなびく白帝城に別れを告げて、
千里先の江陵まで、一日で行く。
両岸の猿の声が、絶え間なく続くうちに、
(私の乗った)小舟は、いくえにも重なる山々を過ぎていった。