妹尾昌俊アイデアノート

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(読書ノート)関ヶ原合戦と大坂の陣

今年・来年は、大坂の陣から400年。これにあやかって、いくつか大坂の陣についての本を手にとってみた。といっても、それに先立つ関ヶ原の戦いについても、あまり勉強したことがなかったので情報収集中。思いのほか、面白そうだ。

こちらの笠谷和比古さんの『関ヶ原合戦大坂の陣』は約10年前の本だけれど、たいへん目から鱗的な話が盛り込まれている。つくづく、自分の歴史認識なんてものは、ずいぶんステレオタイプなイメージでこり固まっていたんだなあ、と改めて反省する。そのいくつかをかいつまんで紹介したい(詳しくは本書を読んでほしい)。

1.関ヶ原の戦い徳川氏の優位が決定づけられたわけではない。
関ヶ原は天下分け目の戦いと言われるように、これをもって、徳川氏の影響力が支配的になったと捉える見解が世間の常識だろう。

しかし、本書の立場では、関ヶ原を契機に、ただちに豊臣氏の影響力が下がって、徳川方ががぜん優勢となったと捉えるのは、正しくない。
だいたい、関ヶ原の戦いで活躍したのは、徳川直臣ではなく、家康にとっては外様であり、豊臣恩顧の大名だちだった。これはよく言われるとおり。また、その恩賞を反映してか、現に、戦後の領土だって、京都より西は豊臣恩顧の大名で占められている。

大坂の陣まで15年もかかっているのは、家康が豊臣氏を滅ぼしたくないと思っていたのではなく、滅ぼすのに十分な基盤、政治力が徳川になかったためだ。

2.関ヶ原の戦いは、東軍が圧勝したのではない。家康は相当危なかった。
徳川主力部隊は秀忠のほうに付いていた。実際、ゲームやマンガでも有名な本多忠勝も、家康のそばにはいたけれど、家来は秀忠のほうに出払っていたのだから、活躍できない。なのに、なぜ家康は開戦に踏み切ったのか?

それは、家康の予想外に、東軍の豊臣恩顧の武将たちの活躍が目覚ましかったからだ。難攻不落の岐阜城だって、実質半日で落としてしまった。放っておいたら、石田三成を徳川抜きでやっつけてしまうのではないか、そう家康は危惧したのではないか。(家康の思惑については史料で確かめられるものではなく、推測である。)

もう一つの理由。それは、大坂城に入っていた毛利が参戦するのを避けたかったからだ。秀頼はさすがに来ないだろうけれど、毛利輝元が秀頼の命を受けて駆けつけたりしたら、東軍の豊臣恩顧の武将たちはひるむだろう。だから、家康は急いだ。

それで、主力部隊抜きで家康は関ヶ原にのぞんだわけだけど、小早川は裏切ると約束していたし、先に述べたように、東軍は絶好調だったわけだから、家康は勝ちを確信していたのだろう。そうじゃないと、鶴翼の陣(=三成方)の懐に飛び込んでいくような真似はしなかったはずだ。

しかし、歴史の面白いところで、家康や大方の東軍の予想に反して、西軍は強かったのだ。とくに三成の軍は最後のほうまで崩れなかったし、宇喜多なども健闘していた。そのために、小早川はどっちかつかずを続けていたのだ。

家康は相当あせっていたはずだ。家康は「せがれにはかられた」とつぶやき、右手の指をしきりに噛む仕草をした、というのは記録に残っているらしい。(これはてっきり、マンガ影武者家康のフィクションだと僕は思い込んでいた。)ちなみに、ここでの”せがれ”とは、秀忠のことと理解する見解もあるようだけど、本書では、小早川秀秋を指すとしている。家康は、小早川が日和見を決め込んで、勝敗が明らかとなるまで静観するつもりなのでは、と思ったのだ。

ここにきて、家康は旗幟鮮明を求める鉄砲を小早川に撃ちかけたというのは有名な話だけれど、これはすごくリスキーな選択だった。本書では、”常軌を逸した行為”と言わざるを得ない、と評している。小早川に逆切れされて、東軍に攻め込んでこられたら、家康のほうが負けていたのだから。

それなのに、なぜ家康はそんな危険なことをしたのか?

家康が、そのようなリスクを犯してもなお小早川隊に向けて挑発の鉄砲射撃を敢行したということは、それを実行しなければ、それ以上のリスクが到来するという状況認識を抜きにしては理解できないということである。百戦錬磨の戦場の経験をもつ家康の脳裏には、南宮山方面の西軍(=引用者注:家康軍の背後にあたる西軍、吉川氏の内応により西軍は攻められないでいた)が下山攻撃してきて東軍が挟撃包囲されるという悪夢のシナリオが明確に像を結んでいたはずである。(p.140-141)

この指摘は、史料で検証するのは困難だけれど、理屈はすごく通る。いくら吉川が内応していたからといって、いつまでも、西軍を制止しておけるわけではない。古代ローマハンニバルの戦術をみてもそうだけれど、包囲殲滅というのは、もっとも相手を徹底的にたたく方法である。本書の指摘のように、家康はもう少しで包囲殲滅されかねない状況にいたのだ。

大坂の陣の話もメモしようと思ったけど、長くなったし、今日はここまで。本書は、関ヶ原の合戦をめぐる思惑や駆け引きについて、まるで小説を読むかのような躍動感で語る。史料的な裏付けがところどころ弱いのは今後の課題だろうけれど、理詰めをしていくと筆者のいう推論になるだろうな、と確かに思う。

同時に、本書をよむと、家康は関ヶ原でそうとう運がよかった、という感想をもつ。歴史はちょっとしたことで、まったく違うのほうに変わっていたのだ、ということを感じさせる。


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