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(読書ノート)職業としての小説家(3)学校について

村上春樹さんのエッセイ『職業としての小説家』。今回取り上げる章は「学校について」。学校関係の方はもちろん、保護者の方にも一読おススメしたい章です。

自身は学校の勉強があまり得意ではなく、むしろ嫌いなことも多かったと回想する村上さん。次のように述べます。

即効性と非即効性の違いは、たとえて言うなら、小さいやかんと大きなやかんの違いです。小さなやかんはすぐにお湯が沸くので便利ですが、すぐに冷めてしまいます。一方大きなやかんはお湯が沸くまでに時間がかかるけれど、いったん湧いたお湯はなかなか冷めません。どちらがより優れているというのではなく、それぞれに用途と持ち味があるということです。(p195)


即効性、小さなやかんが指しているのは、受験やテストのための勉強です。一方、非即効性、大きなやかんは、村上さんの場合は好きな本から得たことなど、時間が経っても消えずに心に残っているものを指します。

みなさんの場合はいかがでしょうか?学校の勉強は暗記とかばかりでつまらなかった、という人が多いのは、小さなやかんばかりだった、ということかもしれません。

僕の場合も、そういう思いも多々ありますが、一方で、学校で大きなやかんだったのかな、という思い出もいくつかはあります。中学校のとき、石ノ森章太郎の日本の歴史のマンガシリーズを読んだのはよかったですね(当時の社会の先生が貸してくれた)。それから、高校のときの現代文の授業がうまく表現できませんが、深いなあと思う解説がいくつもあったこと、これのおかげで、速読だけでは味わえないよさもあるなあ、と実感できた記憶は強く残っています。

本書の最初の章
「小説家は寛容な人種なのか」で、村上さんは、小説というものは、作成するのに手間がかかって、とても非効率だ、伝えたいことがあるならもっと別の手っ取り早い手段がたくさんある、しかし、小説を通じて真に伝わるものもある、ということを書いているわけですが、それとも重なる話だと思いました。つまり、効率最重視、あるいは一辺倒の社会でよいのか、という問題意識です。さらに引用します。


ほとんどすべての学科において、この国の教育システムは基本的に、個人の資質を柔軟に伸ばすことをあまり考慮していないんじゃないかと思えてなりません。いまだにマニュアル通りに知識を詰め込み、受験技術を教えることに汲々としているよう見えます。そしてどこの大学に何人合格したというようなことに、教師も父兄も真剣に一喜一憂している。これはいささか情けないことですよね。(p198-199)

もし人間を「犬的人格」と「猫的人格」に分類するなら、僕はほぼ完全に猫的人格になると思います。「右を向け」と言われたら、つい左を向いてしまう傾向があります。・・・(中略)・・・日本の教育システムは、僕の目には、共同体の役に立つ「犬的人格」をつくることを、ときにはそれを超えて、団体丸ごと目的地まで導かれる「羊的人格」をつくることを目的としているようにさえ見えました。(p200)

「みんなで船団を組んで、目的地に向かってただまっすぐ進んでいこうぜ」的な社会システムは、その役割を既に終えてしまっています。なぜなら僕らのこれからの行き先はもう、単一の視野では捉えきれないものになってしまっているからです。(p201)


このあたりも、今の時代は、正解のある問題にすばやく正確に答えを出す力よりも、正解のない問題に立ち向かえる力が大事だ、なんてよく言われますけれど。ただ、村上さんが言おうとしているのは、効率重視の社会でよいのか、小説家として考え抜いてきたところからの、もっと深いことかもしれません。

アクティブラーニングは最近の教育界のキーワード、流行語のひとつだと思いますが、アクティブラーニングはこうあるべし的な正解を求める発想では、たぶんうまく展開・浸透しきれない部分もありそうです。アクティブラーニングは、本来的には、村上さんの指摘と重なるところもきっと多くて、単一の視野でとらえにくいことを主体性をもって向き合っていく学習というところがあると思っています。

ところで、さすが稀代の作家だけあって、喩え話がうまいし、面白いですよね。日本の教育って、羊的人格を育てることに熱心だったんじゃないですか?という指摘は、ある意味、ゾッと、ドキッとする方も多いのではないでしょうか?岡田斗司夫さんも、日本社会がどんどん「イワシ化」しているんじゃないか、つまり、なにか一定の方向になびく(自分ではちゃんと考えることなしに)傾向が強まっていると指摘していますが、その比喩とも近い話だなと思いました。

学校というところが、一定の方向付けを強制してしまうような危険性がある、というのは、僕の本の「変わる学校、変わらない学校」でも、多少触れていますが、すごく悩ましい問題なんです。一方で、学校というところは、教職員の思いは様々で、組織として重視したいことのベクトルが合いにくい職場でもある。ベクトルを合わせることは、少ない資源を活用するという意味では有効なのですが、危ういところも同時にもっているわけです。これも正解がある話ではありませんが、村上さんのエッセイを読んでいて、そんなことも改めて考えました。

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