妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

”チーム学校”のなかでの”多様性”の意味

この7月の最終週は、学校の教職員の方向けの研修続きでした。滋賀、三重、徳島と、各地でアツい方とお話し、また出会いもあり、とてもいい時間になりました。運営の方、参加者の方々、お礼申し上げます。写真は徳島の実家のスイカです~

f:id:senoom:20160731045448j:plain

各地で主催者は違っていましたが、共通していた中身は、”チーム学校”をどう具体化するかというテーマでした。”チーム学校”はなにを指すのかも、微妙に言う人によって違っているし、国の答申を読んでも多義的に使われている部分があるように思います。なので、注意して議論する必要はありますが、国の答申ではいちおう、次のとおりとなっています。

校長のリーダーシップの下,カリキュラム,日々の教育活動,学校の資源が 一体的にマネジメントされ,教職員や学校内の多様な人材が,それぞれの専門 性を生かして能力を発揮し,子供たちに必要な資質・能力を確実に身に付けさせることができる学校

中教審「チームとしての学校の在り方と今後の改善方策について」(平成27年12月21日))※下線は引用者

 僕はアンダーラインのところに特に注目しています。「多様な人材が」とあるのは、そもそも”チーム学校”の理念が、「これまで学校の先生たちはよく頑張ってきたけれども、先生だけの頑張りに期待するのでは限界もある、いろいろなスタッフが協力して、チームとなって取り組みましょう」という話ですから。具体的には、教員だけではなく、事務職員や用務員などの従来からいるスタッフ、それから、スクールカウンセラーやスクールソーシャルワーカー、場合によっては部活動支援員などの新しいスタッフと協働していくという話です。

この、いろんな人と協力してチームワーク発揮しましょうね、一見誰も反対しないことなのですが、学校現場では、話はそう単純ではない、と思います。というのは、各クラス担任など、教員がこれまで相当頑張ってきた中で大きな問題は起きていない学校の場合、わざわざ誰かと協力したり、分担したりするのは、それはそれで手間がかかるし、気を遣うことでもあります。

たとえば、カウンセラーらも派遣されているとはいえ、週1回来るか来ないかという例も多い状況です。スポット的に保護者の相談にのってもらったり、定期的に教員のメンタルヘルスのために話を聞いてもらえたりすることはあるでしょう。ところが、不登校対策など週1回だけやってたんじゃとても足りない、重たい内容も学校は抱えているわけですから、これを協業なり分業しようとするのは難易度は高い。心理や福祉の専門性を活かすといっても、限界があるかもしれないし、協業するうえでのコミュニケーションコストもばかにならない。

しかも、保護者の側は、担任の先生がしっかり対応してくれないと不安と思うことも多いかもしれません。となると、結局カウンセラーらと担任は同席することになり、教員の負担軽減にもたいしてならない、ということもあるでしょう。

なので、”多様性”のあるチームで取り組むことの意味は、専門性の発揮や負担軽減といった文脈とはちょっと違うところに置いたほうがよいのではないか、と僕は思うようになりました。

それは、専門性や負担軽減といった、どちらかと言うと、プロダクトアウトの発想、提供型の論理ではなくて、顧客目線です。むずかしい話ではなくて、生徒(あるいは保護者)から見ると、いろんな背景をもつ複数人で対応してもらえたほうが、話しやすい人と会える確率が高まる、というものです。

 

先日、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーの方向けの研修会をしました。そのときにワークショップとして、その人のライフヒストリーを振り返るというのをしました。相互理解にもなるし、自分の強みを振り返ることにもなりますから。そこで分かったのは、カウンセラーらは、自分が小中学生や高校生だったとき、いい思い出がない方も多いということでした。

これは、僕はすごい強み、よさだと感じました。たとえば、いじめにあった経験がある方は、そうした生徒の気持ちに寄り添いやすいかもしれない。勉強がきらいだったキャリアカウンセラーは、勉強する意味がわからず高校なんて中退したらいいと思っている子に共感しやすいかもしれない。もっとも、そうした個人的な体験がバイアスとなって、逆に支援をしにくくすることもあるかもしれないので、注意は必要なのですが。

で、おそらく(今後要検証ですが)、学校の先生のほうは、自分の小中高校時代はそこそこよかった、少なくとも、自分が教えている教科の勉強は人並み以上できて嫌いではなかった、という人が多いのではないかと推察します。

どっちがいい、という話ではありません。学校好き・嫌い、勉強好き・嫌い、複雑な背景を抱える子に対するとき、いろんなバックグラウンドをもつ人が聞く側、支援者にいたほうがよくないですか?という話です。

そのあたりのシンプルなところから、”チーム学校”や学校の中の”多様性”について捉えてみたらどうかと思います。そして、多様な人材がいればいるほど、バラバラ、好き勝手ということも起こりやすいわけでして、マネジメントは同質性が高い組織よりも、(通常は)難しくなります。答申にも「一体的に」という文言と、「多様な」という言葉、一見相反するベクトルのものがいっしょに入っていることは、偶然ではないのかもしれません。

◎関連記事

senoom.hateblo.jp

senoom.hateblo.jp