妹尾昌俊アイデアノート

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大河ドラマ真田丸を楽しむために~関ヶ原の戦いの深層

大河ドラマ真田丸が面白い。主役も、敵方も、脇役も、愛されキャラがそろっている。みんな、時には悩み、失敗し、騙したり騙されたり。たいへん人間味ある描き方が、エンターテイメントでありながら、当時の人は案外、今の人とそう変わらないのかなという共感、リアリティを感じるのかもしれない。

ところで、直近の回は、関ヶ原の戦いだった。ドラマでは忍者の佐助からの報告のみの紹介、その高速で終わったことがネット等でも話題にあがっているそうだ。

headlines.yahoo.co.jp

ドラマでも描かれていたように、真田昌幸も、上杉氏も、多くの人は、まさか大軍勢での戦いが、わずか1日(正確には1日もない数時間)で終わるなんて、予想していなかった。黒田官兵衛でさえそうだし、そしておそらく当人の石田三成もそうだったかもしれない。

というのは、人間は、直近で起こったことの対比で考えるからだ。関ヶ原の戦いの前、大軍勢同士の合戦と言えば、それは小牧・長久手であろう。秀吉と家康が唯一ぶつかった戦いで、約8か月かかって決着がつかず、講和となった。

その前の大きな合戦と言えば、賤ケ岳(秀吉VS柴田勝家)で、1か月かかった。

漫画のセンゴクなどでもうまく描かれているが、この戦国時代の末、長期戦になりやすかったのは、野戦とはいえ、両者とも陣地・砦を堅牢にしており、攻城戦に近い様相となることが多かったためだ。

こう野戦のやり方を大きく変えたのは、織田信長が武田氏を打ち破った、長篠・設楽原の戦いと言われている。三段撃ちがあったかどうかは分からないが、鉄砲の大量活用の威力が十二分に示され、その後の合戦は、鉄砲対策をばっちりやることが常識となったのだ。鉄砲怖いんだから、そりゃ、陣地を堅牢にするよね。しかも、戦国末期は大筒という小さな大砲みたいのもあったようだし。

関ヶ原の戦いがすぐに終わってしまったのは、推測だが、陣地の防御対策が十分ではない中で、見切り発車したのかもしれない。三成方は直前まで大垣城にいたのだから、関ヶ原を必ずしも強固にしておく必要性はなかったのだろうか?あるいは家康がそこまで急いでしかけたのか(同時に徳川方の防御もそう固くはなかったのでは)?

家康としては、避けたいシナリオ、逆に三成としては引き寄せたいシナリオがあった。西軍の毛利本隊が大阪城から出馬することである。あるいは、そこまで待たなくても、九州最強と言われた立花宗茂が大津にいたのだから、合流できればというところだった(ほんと、宗茂は大河の主人公にしてほしい)。

なので、状況証拠としては、家康のほうが開戦を焦っていた、と見ることができそうである。秀忠軍が来ていないにしても。

 

一方で、当時の近い史料から、関ヶ原の戦いはドラマで描かれているような展開ではなかった、従来の通説は嘘っぱち、と述べている研究もある。この本はかなり面白かった。

senoom.hateblo.jp

要約すると、小早川らが開戦間もなく裏切って、合戦はあさっさり決着がついた、という説。しかし、僕自身としては↑のブログに書いたとおり、いろいろ疑問な点も残った。だって、そんな三成方は、そこまでアホだったのか?と思うでしょ、ふつー。

真相(深層というべきか)や、いかに???

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