妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

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妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

(先生方へ)たまには1人称で考えてみる

学校づくり おススメ

昨日は文科省の学校マネジメントフォーラムがありました。テーマは学校の多忙化にどう向かうかや業務改善です。行政説明から実践発表まで、会場からの熱意と参加意欲も高く、とても盛り上がりました。

僕のほうからも「学校における業務改善の要諦―なんのため、だれが、どうやって進めるか」という題で講演しました。後日資料と映像もアップされるそうですが(😅and😊)、ここではお伝えしたかったことのひとつを大幅に加筆しながら、レポートします。(なので講演聞いた方も楽しめる記事になっているはずです!)

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※写真は友人からいただきました。

探求的な生活が、人生への糧になり、授業の糧になる

はじめに、以前このブログでも紹介したフィンランドのある小学校教師の話をしました。日本と同じように、やっとこさ一息入れられるのは昼過ぎてからといった多忙感、週末も授業準備のときもあるという日常。しかし、日本との大きなちがいは、夏休みが2か月半もあり、学校にこなくてよいというんです。

senoom.hateblo.jp

それである方がこの様子を見て、次のように書いています。

この長期の休みには、教師は有料の「自己啓発セミナー」や海外の成人学校、語学学校などに出かけ、自己研修を行う。というより、自ら人生を楽しむ。家族と外国旅行に出かけたり、ヨットで湖やバルト海をめぐったりする。そのような探求的な生活が、人生への糧になり、授業の糧になる。

(福田誠治『フィンランドは教師の育て方がすごい』)

 

「探求的な生活が、人生への糧になり、授業の糧になる」という箇所が好きです。

 

業務改善は世のため、人のためか?

僕の講演のテーマは業務改善だったわけですが、はじめに問いかけたかったのは、業務改善、あるいは残業削減って何のため?ということ。

よく言われるのは、次の理屈。

先生は忙しすぎて、子どもと向き合う時間が減っている。授業準備の時間も減っている。それではいかん!

だから、ほかの人やITに任せられるものは任せたり、仕事のやり方を見直したり、管理職のマネジメントをもっとしっかりやることなどが大事だ。

このロジックに、僕は半分賛成ですが、半分ちょっと違和感もあります(とまでは当日の講演では言わなかったけど、やや角が立つし)。

というのは、「子どものため」という思い、善意が多忙化の原因ともなっているからです。子どものためにと言っていくと、授業はもちろん大切ですが、なるべく1日の時間軸に沿っていうと、

  • 家庭が大変などの理由で朝起きれない子のことは放っておけないな
  • 交通安全は大丈夫だろうか
  • あいさつや身だしなみのチェックもしないと
  • 給食の時間も休憩じゃないよー食育にもなるし、アレルギーもちの子とか孤立している子のことも気になるし
  • 防災教育、キャリア教育、コミュニケーション教育、ICT教育、地域学習、その他〇〇教育・〇〇学習でしっかり子どもたちの力を高めないと
  • あー、受験を控える子には塾だけに任せるわけにも当然いかないし
  • 学力の低い子へは放課後のフォローも
  • 部活は生徒の成功体験にもなるし、人間力も高まるし、やっぱ大事
  • 地域の懇談会?交通安全や生徒指導で日ごろお世話になってるから、出ないわけにはいかないか
  • そういえば、そろそろ合唱コンクールの準備しなくちゃ

などなど、いっぱい広がります。企業ではそれって儲かるの?投資する意味あるの?といった観点、行政では予算ついてるの?予算とれるの?十分市民に説明できる?などの観点で、ある程度は広がり過ぎず取捨選択できる部分はあるのですが(といっても企業も行政もいろいろやりますけど)、教師というのは、子どものためという錦の御旗のもと、どんどん仕事が増えます。

だから、僕は、「子どものため」という意味づけ、理由付けでは広すぎるし、あまり効果がないのではないか?と思っています。

そこで考えたいことは2つです。ひとつは、子どものためと言っても、具体的にどんな力を伸ばしたいの?どんな子になってほしいの?そのためにトップ3の課題は何なの?などと「子どものため」をどんどん因数分解していくこと、解きほぐしていくことです。

そして、今日はもうひとつについて、中心にお話しましょう。

アンパンマンかドキンちゃんか

子どものため、保護者が期待しているから(or やめると保護者からクレームが来るから)、管理職が気にしてるから、国が県教委がしろっていうしなどなど、3人称が学校の先生には多いのではないでしょうか?

商売柄そうなるのよ、というのはよく理解しているつもりですが、にしても、誰かのためは強いですよね。”アンパンマン発想”とでも呼べましょうか。

講演でお話したのは、たまには1人称、自分を主語にしてみては?ということです。フィンランドの話のように、自分の人生を楽しむ、自分の好きなことをやる。その結果の一部として、授業などのよさにも跳ね返ってくるという流れのほうが楽しいのではないでしょうか?

アンパンマンのたとえでいうと、ドキンちゃんはこれですよね。自分の好きなことしか基本やらない。

たとえば、どうしても観に行きたい映画がある or おいしいもの食べながら話したい人がいる、だから仕事を早めに終わらせるという発想。たまに1人称にしても、それは子どもたちのことをないがしろにすることとは違うと思います。

ある校長は、学校では元気な子どもに育てたいと言うのなら、まず先生が元気にならないと、と言ってました。

学校にかぎらず、メンタルを病んだり、最悪の場合過労自殺などが起こる背景には、1人称、自分を大事にできなくなってくることがあります。会社のためにこれはやらなくちゃ、家族のためにこれはやめられないなどなど、3人称ばかりになると、自分が何をしたいとか、何が好きで生きているかが見えづらくなってきます。

もちろん、発想、マインドセットを変えるだけでは解決しないこと、学校にはいろいろなむずかしいことも多いのも事実だと思います。ただ、ぜひ一度見直してほしいなと思うことのひとつです。せっかくなら楽しくやろうぜ。

 

◎『変わる学校、変わらない学校』引き続きよろしくお願いします~

※今回のフォーラムでプレゼンしたこともあり、アマゾンランキングで1位(学校運営and 教育行政・法律)になりました。

買っていただいた方、ありがとうございました。

いま品切れになっていますが、そうかからず入荷されると思いますし、出版社さんからでも1、2日で届けてくれます。学事出版TEL:03-3255-0194

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◎妹尾について→自己紹介やお手伝いできることなどはコチラです↓

senoom.hateblo.jp