妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

祖母との思いで

昨夜、祖母が亡くなったという知らせを受けた。85歳で、ここ2、3年は病院で寝たきりだったから、ついに来たかという感触だった。ぼくは今日は午前中仙台市の学校事務職員さん向けの研修会だったので、その講演を終えて、いまは徳島に向かっている。

実は週明けの月曜は徳島の東みよし町の研修会に呼ばれていたので、徳島にはもともと帰るつもりだった。いつもはあちこち出かけている妻も今週末は大きな予定はなかった。ばあちゃんはそのへんも計算に入れていたのかも、と思うようなタイミングだ。聞けば、苦しまず、安らかに眠ったようだ。

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僕は根っからのじいちゃん、ばあちゃん子だった。小さいころ、ばあちゃんのふとんで寝ることが多かったように思う(母は弟と)。よく腕枕をしてくれたのを覚えているし、寒い日は足をさすってもくれた。

僕にすこしやさしいところがあるとすれば、それは祖母の影響が大きいと思う。

料理好きも祖母から。実家の近くには四国88か所の10番札所の切幡寺があって、春分の日と秋分の日は縁日だ。この日やなにかお祝いごとの日には、祖母はよく、きな粉のぼた餅や巻き寿司をつくってくれた。それなりに、日本中の、あるいは世界三大料理も食べたことはあるが、やはり、ばあちゃんのつくったぼた餅が一番うまいとずっと思っている。

僕の得意料理の多くは祖母または母ゆずりである。

祖母に怒られた記憶はない。祖父はかなり厳しいところもあったが。祖母はいつも孫のことをうん、うんと聞いていたように思う。妻に言わせると、僕は自己肯定感が高い(正確にはあまり人のことは気にせず、自分軸がある)そうなのだが、だとすれば、これも多分に、ばあちゃんの影響だ。僕の場合、つい自分の子どもには、あれしろ、これしろと言ってしまうが、たまには、うん、うんといなければ、と思う。

戦前の女性の多くがそうであるように、祖母はとても我慢強く、早くから足をわるくしていたのだが、元気なうちは農業も家事もよくしていた。病院で寝たきりになったときは、食べ物が入らず、チューブで栄養剤を入れる日々となった。うちは裕福ではなかったし、祖母はたいてい自分のことは後回しだったので、贅沢なものは生涯食べないままだったかもしれない。

僕は高校を卒業した後は徳島を離れたままだったので、いっしょに過ごせる時間は多くはなかった。ちゃんと覚えてはいないのだが、帰省したときは何度かは僕も手料理をふるまったことはあったと思う。なにかいい思いも多く旅たってくれただろうか?

 

月曜は空から祖母が見ているかなという思いで、徳島で話をしていきたい。