妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

【忙しい学校 どうする?】掃除の時間は本当に必要?

学校は忙しいからと言って、なんでもかんでも、やめろ、省力化がいいとは思わないのですが、さすがに過労死ラインを超えて働く人が多い小中高の実態を見ると、
①やめる
②減らす
③くっつける(既存のものを統合する、
あるいは新しいものを純粋に追加するのではなく、既存のものと一緒にする)
という3つのことがもっと必要な気がしています。

うちのオンラインサロン(元気な学校づくりゼミ)では、学校の”当たり前”を見なそうをテーマに、アイデアを募って、ブラッシュアップしていきたいと考えています。実際学校現場のゼミ生もいますし、ぼくは教育委員会や学校向けの研修やアドバイザー支援をしているので、考える、言うだけでなく、よいアイデアはぜひ実践したいとも思っています。※ゼミ生は随時募集中です~

synapse.am

学校での掃除は”当たり前”なことではない

さて、きょうは、モヤモヤのアイデア段階ですが、ひとつの問題提起。タイトルのとおり、学校で掃除は必要なの?について。

実は、これは古くて新しいテーマかも。以前2011年にも中学生がツイッターでつぶやき、大きな論争となったそうです。

中学生ブロガー(以下GkEc君)が発した「学校の掃除は必要か?」という問いがネット上で議論を呼んでいる。
・・・GkEc君の論点を要約すると、以下のようになるだろう。

1. なぜ学校の(男子)トイレというものはこんなにも汚いのだろうか。清潔好きの自分としては嫌でたまらない。
2. 学校の掃除は業者に頼む便益が費用を上回るなら、業者に頼むべきだ。生徒がやるよりその方がずっと綺麗になる。
3. 学校教育は生徒へ投資して生産性を高めるための場であり、掃除(および勉強以外のその他すべて)の時間を勉強に充てるなど生徒の生産性向上に振り向ける方が最終的効用は大きい。

それに対する「大人」側の反論はおおよそ下記のものに代表されるだろう。
1. 学校で掃除の仕方を学習するのが目的 (学校しつけ論)
2. 掃除もできないような人間は社会で使えない (社会人基礎力論、社畜養成論)
3. 税金で学んであるのだから自分たちで掃除して当たり前 (社会奉仕論)
4. 公共施設で自分で使ったところは自分で片付けるべき (公共心涵養論)
5. 現実問題として学校が業者を雇う金はない (財源論)

 出所)

http://blog.goo.ne.jp/hiroccha_/e/b10366073805c520c6388da1771ffe28

 

おもしろい議論ですね。両者、なるほどと思う点も、ちょとどうかなと思う点もありますよね?それにしても、中学生とは思えない、スマートな論理武装ですね。

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学校清掃がある国もあるようなのですが、ヨーロッパなどではその伝統はなく、日本の風景はかなり奇異にうつるそうです。最近もこんな記事がありました。

日本の学校清掃について、「素晴らしい取り組みと賞賛する人、児童労働・虐待になりかねないと懸念する人、学校は掃除よりも勉強の場所であると主張する人」など外国からの反応はさまざまだそうです。

blogos.com

次の記事も興味深いです。

2016年2月25日、シンガポールの教育省は国民の度肝をぬく政策をぶちあげました。公立の小学校・中学校・高等学校の生徒に、学校での毎日の清掃を義務付けたのです。
・・・
シンガポール教育省MOEはマスコミからの取材で「生徒の学校清掃は日本や台湾からヒントを得た」と公言しています。

www.huffingtonpost.jp

学習指導要領でも掃除をやれとは書いていない

いまの学習指導要領で、清掃についての記述は、小学校では一か所のみだと思います(ざっと検索したかぎりですが)。特別活動のところで、学級活動として「清掃などの当番活動等の役割と働くことの意義の理解」との記述があります。ちなみに中学校の学習指導要領では清掃は出てこないと思います。

この意味はなにかと言うと、学習指導要領解説では、次の記述があります。

「勤労観」を養う観点から,「清掃などの当番活動等の役割と働くことの意義の理解」を加えた。

 なんと~。学校を綺麗にすることではなく、勤労観を養うに主眼があったことを今日知りました。みなさんはご存じでしたか??解説には次の記述もあります。

日々の学級や学校の生活を維持するため,児童に清掃をはじめ当番活動に取り組ませている学校が多い。その際,与えられた役割を果たすというだけの消極的な活動ではなく,当番活動の役割や働くことの意義などが十分に理解できるようにするとともに,学級や学校に貢献していることが実感できるように指導することが大切である。

これらの指導は,学級活動の授業時数を充てない朝や帰りの時間,児童が当番活動を行っている時間などに行うことが中心となるが,学級活動においても適切に取り上げ,計画的に指導する必要がある。その際,清掃のほかにも,給食,日直,飼育,栽培などの当番活動や学校内外でのボランティア活動などの活動を具体的に取り上げた多様な指導方法を工夫することが大切である。

清掃は、学級活動としても取り上げたほうがよいですよ、と言っています。毎日、昼休みのあとにやりなさい、とかは書いていません。

つまり、特活の時間にやるなら教育課程のなかですが、ほとんどの小中学校が設けている掃除の時間というのは、任意のもの、教育課程外の学校の裁量、自主性でやっている”ザ伝統”です。別に廃止したとしても、学習指導要領違反には、おそらくならないでしょう。この解釈はちょっと文科省の方にも聞いてみたいところですが。

 

次の新学習指導要領が3月末に発表されましたよね。そこではどうなっているか。やはり小学校では、特別活動の学級活動のなかで登場します。

(3) 一人一人のキャリア形成と自己実現
イ 社会参画意識の醸成や働くことの意義の理解

清掃などの当番活動や係活動等の自己の役割を自覚して協働することの意義を理解し,社会の一員として役割を果たすために必要となることについて主体的に考えて行動すること。

ここでは、現行と文言はかわっていますが、やはり、協働や働くことの意識を付ける活動のひとつとして清掃が捉えられています。

掃除をしたら、ほんとに働く意識の向上になるの?

ここで素朴なギモンが。現行でいう勤労観、次期でいう協働することの意義を感じ取らせることに、清掃はどこまで貢献するのでしょうか?

次期なんて「一人一人のキャリア形成と自己実現」のなかに清掃がありますが、掃除をキャリア形成や自己実現とつなげるには、相当論理の飛躍があると思います。言うまでもありませんが、文科省が言いたいことは、清掃員になりたい子のための教育活動ではもちろんありません。人のためになることをしたり、人と協力して働くことが、キャリア意識向上にもなるでしょう、という意味です、たぶん。

そういう意味なら、なんとなく分かりますが、やはり、因果関係は遠いなあと感じます。みなさん、どうですか?

それで、仮に、その目的と目標なら、次のギモンも浮かびます。別に清掃じゃなくて、ええやん。

指導要領では現行も次期も、「清掃などの当番活動等」と書いているように、清掃はワンオブゼムなのです。別にほかの活動や体験で、協働意識等は高められるでしょう。たとえば、給食当番でもいいじゃないですか?

清掃が生活指導・生徒指導上効果があるという説

以上みたように、仮に清掃をやめても、教室等が汚いという以外に、そう大きなダメージが学校にはあるのでしょうか?

現実問題としては、学校に外部の清掃サービス等を活用する財源がないので、子どもにやらせているだけ、それを勤労観とか協働とか、もっともらしいロジックを変につけているだけ、と意地悪くとらえることもできます。

しかし、ここで大きな反論があることを承知しています。清掃は、児童生徒の心を落ち着かせるんだ、という話が必ず出ます。部活動にも似たロジックです。清掃も、生活指導や生徒指導上、有効であると。

それで、無言清掃とか自問清掃というのを採り入れている学校もあります。

たしかに、そういう効果もあるかもしれません(データ等で確認はとれていませんが)。しかし、これも、掃除じゃないとダメなの?と言いたい。

道徳の時間も、いろんな集団での活動の時間も、学校にはたくさんあるわけです。別に掃除に頼らなくたって・・・と思うのは、生徒指導を知らない、素人の視点でしょうか??

教育効果があるという理屈だけでは、教員の仕事は減らない

先ほど申し上げたとおり、部活の話も同じですが、「教育効果があるから、やるんだ」「子どものためになることだから、みんなで推進しましょう」というロジックは、弱いと思います。そんなこと言うと、なにもかも、学校の仕事、教師の教育活動となり、ぜんぜん手離れしません。教員数や教師の時間が潤沢なら、それでもいいです。でも、現実はそうではないのだから、なにかを我慢するとしたら、毎日の掃除の時間は、ひとつの検討だと思います。

それに、本当に教育効果がめちゃくちゃ高くて、全国でぜひともやるべきことだったら、学習指導要領に時数付きで明記していくべきです。掃除が効果的と考える先生や研究者の方は、ぜひ検証していただき、国等へも提案をお願いします。

百歩譲って、掃除が必要だとしても・・・

まあ、そういわず、掃除は教育効果もあるし、実際、きれいになって気持ちいいんだから、という意見もよく分かります。ぼくも気持ち的には、掃除くらいちょこっとやらせるくらいはいいかなとも思います。

でも、今日は、学校の”当たり前”を見直そうという点から、あえて、きつめに書きました。実際、財源があれば、別に掃除は教育活動から手離してもいいかもしれません。

加えて、しつこいようですが、次の点も検討したいです。

時間対効果の低いローテクとアマチュア掃除が幅を利かせている

ある学校でダスキンの出張授業があったそうです。そこでこんな話を投げかけられたそうです。家庭科の年間時数よりも掃除に使っている時間のほうが長いですよね。それで、子どもたちの掃除の技術は身についたんですか?

まあ、上記のように、掃除がうまくなることや躾が掃除のメイン目的ではないのですが、、、この指摘も興味深いですよね。

それから、たしかホリエモンだったと思いますが、なんで学校はいまだにホウキでやってんの?どの家庭でも今は掃除機でしょ、というツッコミ。

こうした問題提起に、ちゃんと答えられる人が学校にはいるのでしょうか?生産性を意識しない典型例が、学校掃除の風景かもしれません。

毎日やる必要はほんとにあるの?

上記との関連しますが、家庭科の時間や学活の時間を活用すること、たまに大掃除の日とかを決めて掃除はやればいいんであって、毎日15分とかとる必要はあるのでしょうか?

前からそうしてきたということで思考停止してはいないでしょうか?

昨今、新しい学習指導要領関連で一番ホットな話題は、小学校の英語の時間をどう確保するかです。多くの教育委員会や小学校の先生が、時間がない、時間がないと言っています。文科省は多忙化解消とか言いながら、学校の仕事を増やしているというお怒りも多いです。

で、ぼくはこれがベストとは思いませんが、ひとつの案として、掃除の時間をもっと減らして(たとえば、週2にすると週30~45分うき、約1コマ分になる)時間確保するという方法もなくはないです。

いや、それは邪道と言われそうだし、個人的にはそう勉強ばかりさせようとしなくても・・・とは思いますけどね。それに、これをカリキュラム・マネジメントと言われも、ちゃうやろ、って強く思いますけどね。ひとつのアイデアとしてはありえます。

なにが言いたいか。個人的には、自分の日常使う空間をちょっとはきれいにしようという子のほうがいいとは思っています。しかし、子どもも教員も、時間は有限です。なにかを①やめる、②減らす、③くっつけるとすれば、毎日の掃除の時間はもっと見直しが議論されていいと思うのです。

これが正解というものではないと思います。でも、気を付けたいのは、前からやっているから正しい、教育効果があることはぜひ続けるべきだ、という思考で止まってしまうことです。

 

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