妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

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世論の変化、学校は大丈夫か?

福井の池田中の生徒の自殺は本当に悔やまれますが、これで学校教育への世論が大きく変わりつつあるように思います。

それは教師批判、あるいは、学校は大丈夫かという疑問が増幅している、ということ。
少し前までは、学校の多忙化を大きな問題とするときに、「先生たち、朝早くから夜遅くまで頑張ってくれているね」といった雰囲気が保護者や世論にも少しずつ増えてきていると思いました。

このことは、調査データの類いで確認できているわけではないので、慎重に検証する必要はありますが、PTA役員会でもそう感じたし(まあ、PTA役員は熱心な親なのでバイアスはかかっているけれども)、あちこち講演してまわって全国いろんな教職員の声から肌感覚で感じました。
しかし、これが今、大きく変わりつつあります。

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池田中について調査委員会報告書(概要版)では、

本生徒は、担任、副担任の双方から厳しい指導叱責を受けるという逃げ場のない状況に置かれ、追い詰められた。
・・・
担任、副担任の厳しい指導叱責に晒され続けた本生徒は、孤立感、絶望感を深め、遂に自死するに至った。

と明記されています。教師による”指導”(ぼくはこれを指導と呼ぶことには反対ですが)が生徒の死につながったということです。また、この生徒の母親の手記ではこう書かれています(福井新聞2017年10月18日)

子供を教える立場にありながら、自らが犯した、重大な責任に気付かず、悪いとも思わず、反省もせず…。今だに、子供達を教える立場にいる人達に、怒りと悲しみを感じています。

教員と生徒の間の為、叱責という言葉で表現されてはいるものの、私達遺族は、叱責ではなく「教員による陰険なイジメであった」と理解しています。叱責だけではなく、○○を罵倒するような発言、人権を侵害するような発言も、多々あった、と聞いています。

この母親の気持ちに共感する人は、ぼくを含めて多いと思います。

加えて、先日もいじめが増加していることが報じられました。いじめはある時点で定義が拡大したし、どこまでをいじめとするか難しい問題がつきまとうので、単純に過去とは比較しにくい統計のひとつなのですが、そうとばかりは言っていられず、深刻な問題が続いているのは事実です。

www3.nhk.or.jp

こうした報道に接していると、先生たち、少々夜遅くまで仕事している人が多くても、子どものいじめや人権を守れないで、何しているの?
といった反応をする人がいても、不思議ではないと思います。
もちろん、池田中の担任、副担任のような態度をとる先生が全国に多くいるわけでないでしょう。しかし、本当に「学校は大丈夫か?」という疑念がいま増幅しているように感じます。

そんなことを感じていていた折に、昨日はこんな報道がありました。

www.asahi.com引用します。

生徒の母親は2015年4月の入学時、生徒の髪が生まれつき茶色いことを学校側に説明。黒染めを強要しないよう求めた。しかし教諭らは、染色や脱色を禁じる「生徒心得」を理由に、黒く染めるよう指導した。「生来的に金髪の外国人留学生でも、規則では黒染めをさせることになる」とも述べたという。

生徒は黒染めに応じていたが、色が戻るたびに染め直すよう指示され、2年次の16年9月には黒染めが不十分だとして授業への出席を禁じられた。翌10月の修学旅行への参加も認められず、現在も不登校が続いているという。

これを読むと、明らかに行き過ぎた”指導”であると多くの人が感じるでしょう。

そもそも、頭髪”指導”の必要性と合理性はどこまであるのか疑問です。

おそらく、頭髪”指導”が行われているのは、次のような考え方があるためと推察します。

髪染めてる子

⇒学習や生活習慣の乱れのあらわれ

⇒放置しておくと他の生徒にも伝染する

⇒早めになおさせる

ほんまでっか?的なロジックです。髪を染めている子がみんな勉強をないがしろにしたり、他の生徒に迷惑をかけたりしているわけではないでしょう。また、学習や生活習慣の乱れを問題視するのであれば、それは、頭髪”指導”では解決できず、授業についていけるように支援することが本筋なはずです(このあたりの話は拙著にも書いています)。

さらに、本件ではもともと地毛の話なので、この論法では正当化できません。つまり、目的の合理性から言って、かなりあやしい”指導”です。

ひとつ必要性がまだ正当化されうるのは、大学進学や就職の面接のときに茶髪だとイメージ悪いから、高校生活のときから黒髪にしとく、という話です。外国にゆかりのある人もこれだけ増えているわけで、社会の見方も今後変わっていく必要があるのは確かです。また、仮にこの理由があるとしても、個々人の選択制にしたらよいのではないか、という疑問も残ります。

加えて、修学旅行に行かせない、不登校にさせるほど”指導”するというのは、手段の合理性から言ってもおかしい話です。そこまでしなくても、と常識的には思いますよね?

それで、こういう事例も見ていると、やはり、「学校は大丈夫か?」と思ってしまいます。

  • なんのための学校教育なのか?
  • なんのために教師をしているのか?
  • 学校のローカルルールの必要性や合理性をちゃんと考えないで押しつけて、それで本当に思考力や判断力を養う教育ができるのか?

こうした疑問に真剣に向き合ってほしいと思います。

ぼくは、全国各地で多くの先生たちがまじめに、一生懸命に仕事をしているのをよく知っています。子どもへのケアもすごく丁寧で、それがゆえに多忙になっている現実を知っています。しかし、同時に、今のままで大丈夫か、もっとよく考えよう、もっと同僚と協力しながら”○○指導”について見つめ直してみよう、とも感じています。

先生たちが頼りない、という世論が強くなれば、教員免許更新制が導入されたときと同様に、さらなる負担が学校や教育委員会に課されるのでは、と心配します。すでにコンプライアンス研修などを強化しようする動きはあります。

国や教育委員会が見直すべきことも多いですが、各学校でも自浄といいますか、自分たちの教育をしっかり見つめ直してほしいと思います。

池田中のこと、いじめ増加の報道、大阪の頭髪指導のこと。教職員の方や教育委員会の方は、よそで起きたことと脇に置くのではなく、真剣にとらえてほしいと思います。今、どうするか考えて動いておかないと、世論はどんどん学校に冷たくなるのでは、と心配します。

 

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※参加申し込みはウェブまたはメールで。

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多くの方にお読みいただき、ありがとうございます。

 

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