妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

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信長の最後の言葉? ”是非に及ばず”の真意

さすがに深夜の連投は眠いけど・・・手短に。

マンガ「ドリフターズ」の最新刊(3巻)がついに出ました!

1年以上かかってやっと出たんです。このマンガ、古今東西、歴史上のオーススター全員集合的なマンガでして、信長(戦国時代のヒト)と那須与一源平合戦のヒト)が組んでます。たとえば、3巻ではジャンヌダルクと島津豊久が戦っています(豊久とはマニアックなところを主人公にしています)。

迫力やうんちくが満載で、相当面白いマンガです。 

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さて、この3巻で興味深かったのは、「本能寺の変のとき、まずわしは息子(信忠)を疑った」という信長のセリフ。

たしかに今までその可能性を考えたことなかったんですが、当時、わずかな手勢の信長のすぐそばに軍勢を控え、もっとも信長を狙えたのは、信忠(のぶただ)でした。親子、兄弟が騙し合い、殺し合っていた時代です。武田信玄も親父を追いだしていますし、信長は弟を謀殺しています。信忠が父親のすごすぎるカリスマ性と神格化はじめていたのに、おそれをなして、やってしまえという発想はなくはない。

史実では、信忠は信長を助けに行こうとするものの、家臣にとめられて、二条御所に籠城、その後明智軍に攻められ自刃するという筋書きであると言われますが、本当にそうだったのか。黒幕説を考えだすとキリがないし、日本人はそういうの大好き過ぎるのもどうかなと思いますが、本能寺の変の原因としては、光秀の突発的な行動との見方や長宗我部(織田軍に攻められる直前だった四国の雄)との関係を考える説が有力である一方、秀吉黒幕説や足利義昭、朝廷、はてはポルトガルイスパニアの企てという説もあるそうです。。。

さて、光秀の謀反を知った信長は、「是非に及ばず」と言ったと、これは当時の一級史料の信長公記にあります。
 「是れは謀叛か、如何なる者の企てぞと、御諚(おおせ)のところに、森乱(森乱丸)申す様に、明智が者と見え申し候と、言上候へば、是非に及ばずと、上意候。透(すき)をあらせず、御殿へ乗り入れ、・・・」

この意味は、「もうジタバタしても仕方がない」という意味との解釈、「本当がどうかは別として」という意味など、説がわかれるそうです。
次の記事が参考となります。

http://blog.goo.ne.jp/akechikenzaburotekisekai/e/0c5a03c48076cb0db742a117dc86a29e

たしかに、信長はその後弓をもって戦ったと言いますから、仕方ないと諦めたと解釈するのは問題がありそうな気がします。仕方ないと解釈したとしても、「なぜ光秀が謀反なんかしたのか、あれこれ詮索しても今となっては仕方がない。ともかく時間を稼げるだけ稼いでみようぞ。近くの信忠が助けに来るやもしれぬ。」といった文脈だったのかしれません。

さて、しかし、同時に考えると、当時の光秀は畿内というもっとも重要な地域ブロックを任されていた、言わば、一番エースな営業本部長とか、執行役員(信長を社長とすれば)なわけで、軍勢も強いし指揮命令がよく通ったことは、当の信長が一番知っていたはず。すると、わずかな手勢の信長が勝てる見込みがないのはすぐ察知したのではないか、とも思います。

「もう勝ち目はねえけど、最後に花咲かしてから散るぞ」といった意味だったかもしれません。しかし、当時の信長から見ると、信忠と光秀が組んでいたらという可能性が一番絶望的だっただろうと思います。さて、真相はいかに?