アツい日が続きますが、みなさん、いかがお過ごしですか?うちは、子どもたちとアニメ観まくったりと、なかなか楽しく過ごしております。パリピ孔明にハマってましたが、先日第一クールが終わってしまいました。早く、続き出して。
さて、またまたブログの更新を1年も、サボってましたが(パスワード忘れかけてた、汗)、新しい本がもうすぐできるので、お知らせです!!!
この記事、タイトルを【新しい本が出るんじょ】にしましたが、「~じょ」は阿波弁(ふるさと徳島)です。強調構文でよく使うような。「雨ふんじょんじょ」とか(=It's rainingという意味)。
で、軽いテイストでこの文章は書いていますが、新刊の内容は、とても重たい問題についてです。タイトルは『先生を、死なせない。――教師の過労死を繰り返さないために、今、できること』(教育開発研究所、工藤祥子さんとの共著)で、きょうまさに最終校正中、もうすぐ印刷で、8月上旬には発売の予定です。
↓Amazonのリンクを貼っておきますが、出版社にお問い合わせいただいたほうが早く着くかもです。
どんな思いでこの本を書いたのかは、のちほど、お話しします。出版記念を兼ねて、盟友の内田良さん(名古屋大学教授)、森万喜子さん(公立中学校長)、工藤さんといっしょにトークセッションも開催します。8月12日の夜です。たぶん学校も休みですよね?(それに夜だし。)これ、ぼく自身が一番楽しみにしているかも。
ぼくのこれまでの本(『教師崩壊』、『「先生が忙しすぎる」をあきらめない』、『先生がつぶれる学校、先生がいきる学校』など)でも、熱心な先生が過重労働の末に亡くなったケースなどを多数取り上げていますが、今回の本は、より広く情報を収集整理し(100件近く)、分析したものになっています。「教職員の過労死等をゼロにすること」、「育児や介護があっても、学校や教育行政の現場をイキイキと働ける職場にしていくこと」は、ぼくにとってライフワークのひとつなので(弊社名も、ライフ&ワークです)。
『先生を、死なせない。』は、教師の過労死等の事案に蓋をせずに、ちゃんと教訓を引き出していこうというものですが、少し前に書いた『教師と学校の失敗学:なぜ変化に対応できないのか』(PHP新書)も、コンセプトは似ています。「失敗」と呼ぶと、抵抗感のある人も多いかもしれませんが、コロナ危機下での教育活動や学校運営の反省点を見える化することを目指しました。
来週7/21、PHPブックフォーラム(オンライン)に登壇しますので、こちらは平日の昼間で、なかなか予定は合わないかもだけど、参加いただけると、うれしいです!
『先生を、死なせない。』に込めた思いは、「はじめに」に書いています。15年前に中学校教師であったパートナーを過労死で亡くされた工藤祥子さんの思いに続いて、ぼくのほうは、以下の内容を記しました。
・・・以下、本文「はじめに」より一部抜粋・・・
本書の概要とねらい(書いた動機)についてもう少し共有させてください。三点あります。
第一に、日本の教師の過労死等の事実を明らかにすることです。実は、文部科学省も厚生労働省も、各地の教育委員会やマスコミ、大学等の研究機関も、教師の過労死等がいつどこで何件発生しているのか、その背景には何があるのか、だれもきちんと把握できていません。国の統計でも調査されていません。
私たちの調査も、「氷山の一角」と述べたとおり、全貌を明らかにできたわけではありませんが、政府の情報などよりもはるかに詳細に一人ひとりの事案に向き合い、事実に迫りました。
医師が薬を処方したり、手術をしたりするときには、適切な診断が欠かせません。それと同様に、事実確認と背景・要因を探っていくことなくして、効果的な対策や政策が打てるはずがありません。本書ではこの空白を少しでも埋めていきたいと思います。
■「失敗」から学んでいるか
第二に、いまも日本中の先生たち(教職員)や行政職員等(文科省や教育委員会の職員、文科相や教育長ら)は、一生懸命に子どもたちのために尽力いただいています。ですが、過去の過ちや「失敗」と向き合い、そこから学ぶということができていないのではないか、と私たちは捉えています。
亡くなったことを「失敗」と呼ぶのは、語弊も抵抗感もあるかもしれません。ですが、その人の命を救うことができなかったという意味で、その職場における大きな過ち、失敗であったと言えると、私たちは捉えています。
誤解のないように申し添えたいのですが、ご本人やご家族の失敗、問題と捉えているわけではありません。個人的な要因というよりは、学校等の組織的な問題が過労死等につながっているためです。
そして、もっとも問題なのは、大勢の教職員や行政関係者が、過去に起きた過労死等のことを知りもしないということです。
ある先生が過労死したとき、ほとんどの関係者はひどく悲しみ、二度と繰り返してはならないと感じます。ですが、10年も経つと、風化してしまうことも多々あります。公立学校では人事異動も頻繁にありますし(およそ3~5年ごとに転勤します)、ここ十数年は各地で世代交代が大規模に進みつつあります。かつて大量採用された世代が定年を迎え、若手の教職員が急増しています。ある自治体では教員の約半数が経験年数10年未満です。ですから、そもそも過労死等があったことも知らないし、そこからの教訓も引き継がれていないのです。
第1章、第2章で詳述しますが、ここ数年で起きた教師の過労死等の特徴(たとえば、過酷な勤務状況となった背景、校長や同僚のサポートの有無など)は、20年前、30年前の事案と酷似するケースが多くあります。
なぜ、悲劇は繰り返されてしまうのか。この点を分析し、教訓を引き出し、多くの方に伝えたい。それが本書の2点目のねらいです。
■働き方改革の形骸化、残業の「見えない化」にあらがう
第三に、ここ数年、社会全体の動きに押されるように、学校においても「働き方改革」は大きなムーブメントとなってきました。企業等からは遅れて数十年、やっとのことではありますが、公立学校や私立学校においてもタイムカード、ICカード等で出退勤時間を管理するのは当たり前になってきました。部活動についても週2日の休養日を設ける動きなどが徐々に広がっています。
「5年前までは本当に部活指導がしんどかった。いまも決してラクではないけれど、ずいぶん違ってきている」
「保育園の送り迎えをしている私はいつもすみせん、すみませんと言って退勤していたが、最近は職場の雰囲気が変わってきた」
そうおっしゃる先生たちもいます。
その一方で、現実は楽観視できないどころか、むしろ働き方「改悪」となっているのではないかと思われるところもあります。
ひとつは、働き方改革が早々に形骸化しつつある現実です(詳しくは第3章で扱います)。その最たる例が勤務時間の虚偽申告、過少申告の横行です。(中略)
・職員室ではタイムカードを押したあとも仕事をしています。
・土日、部活動や成績処理で出勤した日には誰も押していません。
・18時頃になると「とりあえず、俺の分も押しといて」と言って、仕事を続ける人もいます。
・勤務時間管理が厳しくなって、自宅への持ち帰り仕事が増えました。
こういう声も教育現場からは多く聞こえてきます。
いまの勤務実態を誰も正確に把握できていないというのは、問題を見えなくさせていますから大問題です。
すべての学校がこうだというわけでは決してありません。記録を正確に付けているところもありますし、働き方改革、業務改善を着実に進めている学校もあります。ですが、残業の「見えない化」が進んでいる職場も多いのです。
これでは、教師の過労死等はなくならないどころか、今後も増えてしまうかもしれない。この危機感が本書を送り出した理由のひとつです。
・・・引用ここまで・・・
ぜひ多くの方に手に取っていただけると、うれしいです。