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(読書ノート)英語教育論争から考える

NHKの英語講座や同時通訳者として著名な鳥飼玖美子さんの『英語教育論争から考える』は、なんとも痛快で痛烈、とてもいい本だ。まずは「はじめに」だけでも読んでみてほしい。

平成元(1989)年頃から英語教育改革が言われ、2000年代に入ってますます「抜本的改革」の頻度が多くなってきた感がある。その度に学校現場が右往左往している状況を見て、このような状態は「慢性的改革病」か「抜本的改革症候群」とでもいうべき病ではないかと思い始めた。特に不可解だと思われたのは、以前の「英語教育改革」の総括や検証などが行われた様子もないまま、「抜本的改革」案が打ち出されることである。(p.1)


そこで本書は、1970年代に平泉参議院議員が提案した英語教育改革の試案が大きな論争となったとき(実は丹念に読むと、世間が認識したような「実用か、教養か」という論点がぴったり当てはまるわけではなかったわけだが・・・)を振り返り、その多くの議論が、約40年経過した現在でも繰り返されていると指摘する。

平泉試案の問題提起として、現在も同じような議論となっているところは、たとえば、次のものである。

○日本人の多くは学校で英語を勉強しているのに、活用できる領域に達していない。英語教育はたいへん効率がわるい。

○日本で過ごすかぎり、英語を使わなくても不便しないので、英語学習の意欲はわきにくい。

○(それにもかかわらず)受験英語のレベルは高すぎる。学習意欲をますます減退させている。

○義務教育段階では、「世界の言語と文化」というごとき教科を設けて、広く世界の言語・文化について基本的な常識を教育したほうがよいのではないか。

そして、この平泉試案以降、数度にわたって学習指導要領の改訂などを通じて、学校の英語教育は変遷したし、現在も、グローバル人材の育成などの文脈で(かなり以前の改革と似たことも含めて)さらなる改革が必要だと言われ続けている。これまでの英語教育改革について、筆者の指摘で印象的だった点をざっくり整理すると、次のとおり。

○学校の英語教育が成果をあげていない、もっとコミュニケーションできる教育が重要だ、とはよく言われる。しかし、コミュニケーションできる=会話ができることと矮小化して捉えられていることが多い。本来、コミュニケーションは、文化やコンテキストのなかでの複雑な行為であるとの理解が欠如しているのではないか。

○仮に学校の英語教育が成果をあげていないとしても、なぜそうなのか、これまでの取組を客観的に分析・反省できていない。文法・訳読中心の教育だったから、などとイメージで、政策担当者も、世間も、判断していないか。現実には、大学受験問題のうち、文法問題は1割にも満たないというデータがあるし、文法の理解なくして、読むにしろ聞くにしろ、きちんと理解できないのに、なぜ文法悪玉説がこれまで長く、また広く世に流布しているのか。

○大学受験をTOEFLや英検で代替させたり、またそれらの点数を政策目標に掲げる例があるが、
TOEFLや英検の上位では、学習指導要領で定められた語彙数をはるかに上回る学習が必要となる。仮に大学入試がそうなると、高校の学習は今よりも詰め込み教育となるだろう。学習意欲をさらに削ぐことにならないか。

○ほんとにみんなが英語勉強する必要あるの?なんで英語やるの?というのは、中高生が抱くすごく素朴でまっとうな疑問で、実際、いまも多くの生徒が疑問に思っている。筆者がある講演で中学生に伝えたのは

・英語ができなければ人生おしまいではない。
・英語と日本語はまるきり違う言語なので、日本人にとって英語は難しい。
・それでも英語を学んだほうがよいと思う。1つには、英語にかぎらないが、異文化理解に役立つ。英語はまるきり違うからこそ、おもしろい。
・もうひとつは英語は国際共通語になっているので、たとえば、サッカー選手も使う。異文化コミュニケーションのときに役立つ。


紹介しきれないが、細かな点も大変興味深い話が多い本だ。大筋をおうと、英語教育改革について警告しているわけだが、筆者の指摘の多くは、英語以外の教育改革にもかなり当てはまるように思う(典型的なのは、学力論争であり、体験重視の教育か知識習得重視かなど)。

それから、おそく教育以外の政策についても、過去からの議論が繰り返されていることや、これまでの取組や成果の振り返りがあいまいなまま、イメージや世の中の空気的なものが物事を動かしていたりすることはあるのではないか、とも思う。そうした意味では、本書は、英語教育に携わる人だけではなく、おそらく、もっと多くの人にとっても、ドキっとすることや反省することが多いはずだ。

最後に、少し注文というか、さらにという点で蛇足かもしれないことをメモする。本書は丹念に平泉試案以降の英語教育をおっているが、学校現場側の反応や学校教育の実態についての客観的な分析は少ない。つまり、本当に学校は英語教育改革に振り回されてきたのか、したたかな学校や教員もいたのではないか、英語教育の成果はどうだったのか?などについてである。本書をきっかけに、様々な証言やデータの蓄積が進むと、英語教育論争がもっと地に足のついたものになると確信する。


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