国語のテストで、苦い思い出がある人は多いのではないでしょうか?
「○○とはどういうことか答えよ。」、「○○の心情は次のうちどれがもっとも近いか。」といった設問を出されても、「そんな、作者でもないし、知らんよ」、「そんなこと意識しないで読んだほうが楽しんじゃないか」って、ツッコミたくなっていませんでした?
僕は、高校3までは国語はそれほど好きではなかったのですが、高3のときの授業がとても面白くて、気持ちがかわったのを覚えています。きかっけは、数学などと同じように、文章を読むのも、理屈である程度考えられる、と教えてもらったことだと思います。たとえば、「○○と考えるのが一般的だ。だが、・・・・」のような文章の場合、「だが」や「しかし」の後に、筆者の言いたいことが詰まっています。「したがって、・・・」などの後も要注意。また、大事なことは繰り返し表現や視点を変えて述べていたり、比喩を使ってイメージしやすくしたりしていることも、考えながら読むとわかります。テストも、たいていの設問が、文章をなるべく誤解なく、理解しているかチェックするものです。
要するに、「文章の理解で必要なのはセンスではない(理屈だ)」ということです。文章を書くのはセンスも必要なのでしょうけれど。小説は、論説文よりも構造を捉えるのがやや難しいときもありますが、基本は同じです。考えてみれば、国語の教科書や入試問題で出るような文章は、よく練られてあって、作者の独りよがりなものではなく、文章中にヒントはあります。ああここの比喩は、ここの場所をヒントにすると、こういうことを言いたいんだな、とかわかるようになると、かなり楽しくなります。
「学校の勉強なんて社会に出て役に立たない。」
と言う人は世の中にけっこういますが、それは役立てられなかった人が愚痴っているだけです。僕は、仕事柄そうなのかもしれませんが、国語の勉強がもっとも役立っているかもしれない、と最近よく思います。多くの資料を読み込んで、必要な情報を仕入れたり、要点をまとめて報告したりするときに、あまりにも自分勝手に読んでしまってはいけません。趣味で読書するときは自分勝手でもよいかもしれませんが、仕事のときに他人の文章で大きな誤解をしてしまうのは、あまりよいとは言えません(書いたやつが悪いというところもありますが)。また、僕の場合、趣味で本を読むときも、上記のような文章を理解する基本テクニックはよく使っています。
こんなことを考えたのは、図書館で平野啓一郎さんの『本の読み方 スロー・リーディングの実践』を再読したからです。この本に書かれてあるテクニックのうち、一部は、高校のときに学んだことと一致していて、一流の作家も同じようなことを考えているのかあ、と勝手に共感しました。この本については、詳しくは後ほどメモします。