妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

ツレがうつになりまして。

ツレがうつになりまして。」(略して”ツレうつ”)は、うつ病になった夫との実生活をつづる細川てんてんさんのマンガ付エッセー。宮崎あおいさんと堺雅人さんの主演の映画もすごく心あったまるいい作品です。

僕は映画を出張中の飛行機の中でみたのですが、かなり泣けてきて、ちょっと隣に気恥ずかしかったのが、2年くらい前の話。そして、ここ1年近くは、うちの家でも”ツレうつ”な生活が続いています。と言っても、しんどいのは妻のほうで、躁鬱(なんてむずかしい漢字なんだ)のため、気分のよいときが大半なのですが、たまに、ずっと寝ていたり、死にたいと言ったりするときがあります。本人に聞くと、違うかもしれませんが、昨年の5月の連休はもっともしんどい時期で、ツレはほとんど寝ておりまして、僕は僕でせっかくの休みなのにひたすら家事・育児でなんじゃあ~と怒り、そんな態度が事態をさらに悪化させておりました。おそらく子どもにとってもあまり楽しい連休ではなかったでしょう。

まあ、子どもはかわいいし、子育ては楽しくもありますが(そうじゃなきゃ4人も産まないよ)、それだけではないのも確かでして、僕は平日仕事で逃げ道があるのですが(もちろん仕事もタイヘンですが)、主婦は逃げ道が少ないですよね。うちは、お互いの実家も遠いし、しんどいときは、友達やファミリーサポートセンターのヘルプを頼むことも考えましたが、頼んだり調整したりすること自体がおっくうと言いますか、負担になるので、なかなか事態はよくなりません。

(夫)仕事は忙しい、平日は家では寝るだけ的に
→(妻)孤独感や負担累積。なんとかしてと言う
→(夫)こっちも忙しいじゃいと返す
→(妻)よけい気分悪くなる
と悪循環にはまりやすいです。また、妻の場合は、放射性物質の子どもへの影響をすごく心配しているので、それも心の負担になっています。一方、僕のほうは、仮にちょっとリスクが上がるとしてもどうなんだ、車にのっても死ぬリスクはちょっと高まるけど便利だから使っているじゃないか的な話をすると、もう大変で、理解、共感は進みません。

また、これはうつ病に限りませんが、妻(女性と言い換えてもよい)は解決策を求めていない、聞いてほしいだけなのに、夫(男と言い換えてもよい)は解決策を言ってカッコ付けたがりますから、そのへんの話し方、聞く態度などもギャップがありますよね。

今になってみて、以上のようにコンサル的に分析するのは簡単なのですが、当人たちはタイヘンでした。

ツレうつでも描いているのですが、うつは誰もがなる病気らしいです。本や映画の中では”宇宙かぜ”って言ってましたね。風邪のように誰もがかかる可能性はあるんだけど、どこからともなくやってきて、やっかいな病、といったくらいの意味です。うまく言い当てていると思います。

僕は知識は乏しいのですが、とはいえ、うつはなりやすい人となりにくい人がいるようにも思います。妻に言わせると、僕はなりにくいタイプ。あっけらかんとした性格で、好きな言葉は”天と地がひっくり返るわけでもなし”です。ちなみにこれは、戦国大名毛利元就の妻を描いた永井路子さんの小説(「山霧」)でよく出てくる言葉。この小説もすばらしいです。話があちこち飛びますが。

とはいえ、僕も就職した1年目はほんと仕事ができなかったので(今も仕事のできるやつではありませんが)、ウツまでではなかったけど、帰りの電車とか、ちょっとやばかったです。

まあ、こっちとしては宇宙かぜにうつりにくいのはよいのですが、性格の違いと言いましょうか、共感力、心の繊細さが違うために、妻をよけい傷つけることも多く、いや、なんとも難しいものです。ぶっちゃけ、うちの夫婦は相当仲の良いほうだと思いますが(そうじゃなきゃ4人も産まないよね、とまた言ってみる)、危機的なときも何度かありました。
フェイスブックとかではたいがい明るい話題を発信しているのですが、舞台裏はいろいろあるのです。

今は、一時期より妻の調子はかなりよいです(と言っても、躁鬱なので油断できないのですが)。また職場にも相談したところ、しんどいときは早く帰れるように調整してもらえるときも出てきました、ほんとありがたいことです。



一方で、うちは付き合い始めたのが19歳のときからなので、もう15年くらいになるわけ(結婚しても10年近くか~)ですが、僕の鈍感力のせいか、妻がうつになったために、やっと多少は考えるようになったことや、実感できるようになったことも多いです。だって、妻から「あたしは(あなたに)言いたいことの1割も言えてないねん」とか言われても、僕からすると、「そんなの思ったときはよ言え」って感じで、異文化コミュニケーション的ですけれど、まあ、そういうギャップの背景が多少は見えてきたというか。きっと妻からみるとまだまだでしょうけどね。

今日はいつもに増して、まとまりのない日記を書いてしまいましたが、この1年はタイヘンだったねって、言えるときも来るだろう(=楽観的です)から、書き留めておきました。きっと子どもたちが大きくなって、この記事を読むことがもしあったら(アメリカの図書館が保存してくれているのかな?)、興味深いでしょうね。