アメリカ大統領選をみて―怒りと寛容
きょうはちょっと雑感。
アメリカの政治や社会についてはよく知らないけれど、昨日テレビで、トランプの過激な志向が嫌いという人がトランプ人形を殴りつけていた映像が流れていて、これにはちょっとひいた。
融和とかloveとか言っていたであろう人が、時としては攻撃的になっていたのかもしれない。これは矛盾しているようにも見えるが、たぶんどちらの顔もその人の素なのかもしれない。
みんないろんな事情がありそうだが、先日、映画「怒り」を観たものだから、それとも重なって、複雑な気持ちだった(いい映画ですよ、かなり重いけど)。
アメリカの話だけでもない。怒りが充満し、ぶつけどろこを探しているのは、日本や僕たちの周りにも当てはまることかもしれない。ネット炎上などは、たぶんフェイスツーフェイスのコミュニケーションではあそこまで攻撃的にならない人がほとんどだろうが、凄まじい。
あまり我慢せず、ちゃんと自分の気持ちに素直になろうとするのは、いいこととも思う。論理はやや飛躍するが、自分自身に怒ってばかりで攻めていたら、鬱や自殺になってしまうのかもしれない。
怒りの反対語はなにか、しばらく考えてみた。許すこと、寛容という言葉が思い浮かんだ。これを体現した人と言えば、人類史上もっとも偉大な政治家のひとり、古代ローマのユリウス・カエサルだろう。またローマ人の物語を読み返してみたい。
カエサルの言葉に、たしかこんな一節がある。
わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。
ローマ人の物語〈12〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(中) (新潮文庫)
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