妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

みんなの学校、大空小学校をちょっと訪問(1)

映画「みんなの学校」ってご存知でしょうか?大阪市立大空小学校の1年をおったドキュメンタリーです。発達障がいや厳しい家庭環境、不登校経験など、さまざまな背景をもった子たちが、ときには衝突しながらも、互いに学び合いながら、元気に成長していく姿が描かれています。映画の紹介に書かれているとおり、「ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みんな同じ教室で学びます。」

”みんなの学校”の意味

子ども同士で学ぶ、子どもは大人(教職員や保護者、住民ボランティア等)から学ぶ、大人も子どもから学ぶ、大人同士でも学ぶ、そんな学校をみんなでつくっていく。だから「みんなの学校」なわけです。この大空小学校を先週訪問しました。

 

(体育館に大きく張られた卒業制作)

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 大人の多い教室

訪問してまず気づいたのが教室に大人が多いことでした。大空小学校はなにも特別な制度や仕組みのある学校ではありませんが、学級担任が授業を進めるかたわらで、特別支援担当の教員もサポートしますし、空いている先生や地域の方や保護者の方が入ることも多々あります。なので、1クラスに3、4人大人がいるときもあります。

落ち着いて勉強するのが難しい子や文字を読んだり書いたりするのが苦手な子、廊下に出てしまう子など、いわゆる手のかかる子に寄り添うことに時間はかかりますが、大事なのは、そういう子たちだけでなく、いろんな子に大人たちは声をかけているように見えました。

大空小学校の資料にはこんな一節があります。

「授業」はいつでも開いています。時間があれば「インターホン」を鳴らし、学校に入ってください。そして、授業の中に入っていただき、子どもと学び合ってください。
大人が学ぶ姿を子どもが見ることは、子どもの大きな力になります。「いつでもできるときにできる人が無理なく楽しく」子どもにかかわってください。

このオープンさと、できることを各自がやるという姿勢に共感できます。がっちり決めない、ゆるやかな連帯です。実際、ある保護者のサポーターの方のお話をうかがうと、「自分の子のクラスも見るけど、他のクラスを見ることも多いですね。とくにどこが担当とかは決まっていないです。好きなときに来て、できることをしています。」ということでした。

僕も、「ゲストティーチャー」という名札をいただき、教室で子どもたちに交じりました(なので、大空小学校では”視察”というものはありません)。

早々にある子には「あっち行っといて」と言われ、ちょっとひるみましたが、めげずにちょっとずつ関わっていきました。ほとんどの子はこうしたゲストにはもう慣れっ子で、人懐っこい。「名前なに~?」「どっから来たん?」など話しかけてくれました。自分の娘と同じ年くらいの何人か女の子には休み時間に「ちょっと、いっしょに来て~」と言われ、図書室に案内してもらい、占い本を読んだり、けん玉で遊んだりしました。大空小学校に来ると、ちょっとモテた気分になります。

学校の意味を見つめなおす

国語の音読のときには、文字を読むのが苦手な子らといっしょに音読しました。担任の先生からは「小学校の先生ですか?よくサポートくださって助かりました」と、(僕は学校の先生ではないですけど)ちょっと褒めてもらえたのがよかったです。

下の写真はたしか3年生だったと思います、ある女の子が授業中にちょっと退屈していて、「字を書いてほしい、あたしも書くから」ということでメモしたものです。僕は特別支援の知識や専門性はほとんど持ち合わせていないので、ちゃんとはわかりませんが、言語障がいも少しある子で、字もきれいに書けるわけではありません。でも、ひたむきで、純粋で、とてもいい子でした。

”学校”の意味を見つめなおしたいとき、読み返したいと思います。

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次の写真のように、廊下のあるスペースには畳があって、くつろぎやすい場所もつくっています。

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大空小学校の理念は、次の写真のとおり、シンプルですが、深いものです。いろんな背景や個性をもつ子が、安心して、学び合うことができる学校をみんなでつくる、そんな理念を感じます。

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 多様な人がいる魅力

1日いただけではまだまだ一端しか見ていませんが、大空小学校では、いろんな子が通常学級で過ごします。教室ではアクティブラーニング、学び合いも非常に活発です。勉強がしんどい子には、大人もサポートしますが、子ども同士でもサポートします。ある子は、自分で手をあげて指名されましたが、発言できませんでした。そういうときも周りの子がサポートしたり、代打に出たりします。

子ども同士も、子どもと大人の間も関わり合いが頻繁で、あたたかい。なので、大空小学校では、不登校経験だった子もここでは登校できる、という例がかなりあるそうです。開校以来、10年ずっと不登校はいません。(いないことがよいこととも、限りませんが。)

調査でも自己肯定感が高い子が多いそうですし、学力もとくに思考力等がためされるB問題が高いそうです。自分のことを認め、褒めてくれる機会や自分なりに考える機会が多いからだと思います。

ここは大事なポイントです。手のかかる子が多い学校では、いわゆるできる子にとって、よくないのではないか、というイメージをもたれる方もいると思います。 しかし、実際は、勉強が得意な子も苦手な子も、それぞれが時には教える側、別のときには教えられる側になります。「あー、この子はこういう気持ちなんだ」や「アイツにはこういうすごいところがあるな」と感じることは、共感力や協働する力を高めているとも思います。

多様性は、公立小中学校の強みである、と何人かの識者は言っていますし、僕も強くそう感じます。子どもはどんな子も個性や光るものがありますが、受験を経て一定のスクリーニングを経た学校よりも、公立小中学校のほうがバリエーションの幅が広くなる傾向があります。家庭についてもそうです。この点で、小中学校は、高校や大学よりもよっぽど多様性に富む空間です。

子どもも大人も多様な人がいるなかで、協力してなにを進められる、これは21世紀スキルとかむずかしい概念を持ち出すまでもなく、人としても、大事な力を育てているような気がします。

 

けんかも、もちろん子ども同士ですし、頻繁に起きます。映画でも描かれていたとおり、大空小学校にはあれこれむずかしい校則はなく、1つだけ約束があります。それは「自分がされていやなことは人にしない、言わない」です。

この約束に反すると、「やり直し」といって、校長先生の前で反省会があります(校長でなくても構いません)。実際、僕が訪問した日もある男子3人が突っつき合いのけんかになったようで、やり直しをしていました。

そこで、校長はだれだれが悪い、なになにはしたらあかん、などと指導しません。「そのときどういう気持ちやった?」、「それ自分がやられたら、どんな気持ちになると思う?〇〇君はどう感じたと思う?」と問いかけます。コーチングに近いです。子どもたちは、しゃべるのがうまいとは限りませんが、必死に自分の頭と体で考えて、表現します。

このように、自分でしっかり考える子を育てているのも大空小学校の特徴だと思いました。映画で描かれていることや、木村前校長が著書で書かれていることは、一部を切り取って大きく出しているところがあるのかな、と訪問する前は推測していましたが、この予想は裏切られました。映画や木村さんの本のメッセージにあった、大空で大事にしていることは、しっかり今も引き継がれ、発展していると感じました。

※ほかもレポートしたいことはありますが、長くなったので、今日はこのへんで。

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2020年の大学入試改革で本当に大きく変わるのか?

2020年に大学入試センター試験が廃止され、新しい共通テストに切り替わる。これは学習塾や予備校の存続にかかわる大きな改革だ、受験生を控える子をもつ親や高校生も普通の塾通いのままでよいのか考えておくべきだ、という論調もたびたび目にするようになった。

しかし、本当に言われるほど、大きな変化になるのだろうか?

僕は大学入試や選抜試験の専門家ではないけれども、こうした煽り、あるいは期待には、かなり疑問がある。そのことについて今日は少し書いてみたい。

なぜセンター試験は廃止になるのか?

まずは、なぜ大学入試改革なのか。文科省の審議会の座長をした安西先生に聞くのが一番だろう。以下の毎日新聞のインタビュー記事がけっこう詳細だ。

http://mainichi.jp/articles/20160316/ddm/004/070/005000c

一部引用する。

現在のセンター試験のような多肢選択式のテストの場合、問題の解き方は与えられた選択肢 の中から正解を一つ見つける、という方法にな りがちです。すると、勉強の仕方もそれに合わせた形になってしまいます。・・・
これから労働生産性が低迷し、グローバル化が進むなど厳しい時代を生きていくために は、主体性を持って問題に取り組み、文章を書いたり図を描いたりして自ら答えを見つける 総合力が求められる。そうした力は「大学の個別入試でみればいい」という指摘もあるが、 国の共通テストでやることに意味があります。

 

つまり、いまのセンター試験のように、知識を〇×式で試すだけではこれからの時代を生きる力として不十分だという認識があるようだ。そこで、新しい共通テストでは思考力・判断力・表現力をより求めるようにしようという発想で、一部に記述式を導入する。ただし、記述式といっても、当面導入される予定なのは、国語と数学だけという点は覚えておいてほしい。

もう少し、安西先生の記事から引用する。

記述式問題なら思考力や表現力を評価できます。すでに公表された問題イメー ジを見てほしいが、例えば、あるテーマに関する1400字程度の新聞記事を読んで自分の 考えをまとめる、というような問題です。
国の新テストで記述式問題を導入すれば、高校教育が変わることが期待できます。入試だけの改革ではなく、教育改革なのです。

と大きな期待が読み取れる。

しかし、いくつか素朴な疑問が浮かぶのは、僕だけだろうか?

思考力・判断力・表現力が重要なのは今もでしょ?

ひとつ目の素朴な疑問は「なにを悠長な」ということだ。2020年に一部の識者がいうような大きな変革が起きたとしても、いまの高校生は救われないではないか?2020年のテストの対象となるのは、今の中2の子たちなのだから。

そもそも、思考力・判断力・表現力について、次期学習指導要領のキーワードのように一部で言われているが、大きなウソである。現行の学習指導要領にも大きく出ているので、ちらっと読んでほしい。

学校の教育活動を進めるに当たっては,各学校において,生徒に生きる力をはぐくむことを目指し,創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する中で,基礎的・基本的な知識及び技能を確実に習得させ,これらを活用して課題を解決するために必要な思考力,判断力,表現力その他の能力をはぐくむとともに,主体的に学習に取り組む態度を養い,個性を生かす教育の充実に努めなければならない。

この一節は、高校の指導要領の第1章総則の最初のところにある。つまり、これまでも思考力・判断力・表現力は大事だとされてきた。それが十分できていないとすれば、本当にセンター試験だけのせいなのか?あるいは、大学入試の関係者がもっと思考力や表現力を試す試験がしたいと思っているのに、できていないとすれば、それはなぜなのか?

そのあたりの検証がかなり甘いのではないか?

現状で思考力等を試す試験ができていないとすれば、それはなぜなのか、この疑問の答えとして、次のことが考えられる。

  1. 思考力・判断力・表現力を試すのは手間がかかり過ぎるので、やりたいけど、なかなかできないでいる。
  2. 思考力・判断力・表現力を試す必要がそれほどない。うちの大学ではそれほど高尚なことはやるつもりはないのでというパターン。あるいは、ある程度基礎学力を測れば、その人の思考力もある程度は相関するので、わざわざ手間のかかることをやる必要なしというパターン。

 

記述式は採点が大変過ぎて、結局は大したものはできないかも

先ほどの仮説1(手間がかかり過ぎる)については、さすがに国も大学もよく認識しているようだ。センター試験に代わる新テストの時期や内容をめぐって、最近大いに議論がなされいる。ちょうど今日もこんなニュースが飛んでいる。

www.nikkei.com

あるいは東京新聞に掲載の表がうまく要約してくれている。

写真

www.tokyo-np.co.jp

大学の採点等の負担が少ないのは、80文字以下程度の設問にするという案だ。とはいえ、80文字以上だとしても、いずれにしても、国語で1問ずつの出題予定だという。ないよりは大きいと思うけど、これで大改革と本当に呼べるのだろうか?

おそらくいまの受験勉強の延長のようなところはある程度は続く、と考えておいたほうが安全だと感じる。

 

記述式には大変な手間がかかる。次の資料は、文科省の高大接続システム改革会議「最終報告」の参考資料にある。この資料の読み方はとてもわかりにくいのだが、解答文字数が200~300字の長文と80字以内の短文を組み合わせ て計6問出題すると、最長で約2カ月かかるという試算らしい。それも1日に800人が採点して2か月なのである。

 

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 本当に50万人相手に考えることなのか?

200、300文字の記述式試験を一部に入れた場合(試験の全部じゃないよ、ほんの一部に)、800人が採点して2か月もかかりかねないのは、受験者がいまのセンター試験では多いからだ。この試算でも53万人が受験すると仮定している。

そうすると、先ほど述べた2つ目の仮説が頭をよぎる。つまり、思考力等をしっかり試したい大学と、そこまで見る必要がない大学とは、分かれるのではないか?

みんながみんなに試験しようとするから、スケジュール上の無理や大きなコスト(税金なり家庭の負担)がかかるのである。大学入試の目的は思考力の養成ではない。入学希望者の選抜であるのに、どうも、欲張った改革をしようとしているようにも見える。

大学の対応は5種類に分かれる?

関連するのは、先に引用した今日のニュースだ。国語の記述式問題を難易度が高いのと中程度で分けるという案である。仮にこの案が通った場合、交通整理すると、大学は少なくとも5タイプに分かれる。

①大学の個別試験でも記述式を課して、新共通テストでも長いほうの記述式を課す。

②大学の個別試験では記述式はやらないが、新共通テストでは長いほうの記述式を課す。

③大学の個別試験で記述式はやらないが、新共通テストでは短いほうの記述式を課す。

④大学の個別試験でも記述式を課して、新共通テストでも短いほうの記述式を課す。

⑤新共通テストを導入しないで、大学の個別試験のみでいく。

 

①は、共通テストと個別入試の両方で思考力等を試そうとする、かなり気合に入った大学ということだ。センター試験がかわる効果は少しはあるだろうが、こういう大学は今でもしっかり個別試験でむずかしい入試問題をやっているだろうから、受験生にとって今とすごく変わるかと言えば、疑問が残る。

③の場合は、ちょっとは記述式で試すことができるが、効果は限定的だろう。

となると、大学入試改革で比較的影響が大きいのは②の場合だろうと思う。このタイプがどのくらいになるのか、ひとつ注目だろう。

興味深いのは④だ。この案は共通テストで短い記述式しか課さないのに、個別試験で記述式をやるというのは、一見矛盾しているように見える。しかし、仮に僕が東大や京大のような難関大学の入試担当者だったとしたら、④を採用すると思う。なぜなら、①だと共通テストの記述式を自分たちで採点する手間がかかってやっかいだ。どうせ自分たちの個別試験で思考力等はしっかり試すので、足キリのために共通テストは使う、だから手間のかかりにくい④を選ぶ。

この④の場合は、現行とそれほど変わらない、だから2020年の大改革にはならない。

 

以上、ごじゃごじゃ書いてきたけれど、やはり採点の手間や大学側の予想される反応を考えると、現行からどれほどの改革となるのかは疑問が残る。もちろん入試が変われば高校教育が変わるという側面は否定できないけれど、もっとほかの方法も併せて考えていかないといけない気が一層した。

◎関連記事 こちらの本も参考に

bookfort.hatenablog.com

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”〇〇は参考にならない”は自分のなかで禁句にしたい

最近いろんな研修や講演の場で、事例の紹介をしたり、あるいは事例発表から学ばせていただく機会が多い。「神は細部に宿る」と言うが、やはり具体的なところを聞くことで、より明確に重要なポイントを考えられ、なるほどと思えることは多い。

一方で、「いい話は聞けたけれど、自分にとってはあまり参考にならなかった」という反応をする人もいる。

学校などでも、同じ研修を受けても、

Aさんは「ここが勉強になった。自分の学校に当てはめると、こういうことかなと思いました。」

という人と

Bさんは「あそことうちではいろいろ事情がちがうし、あまり参考になりませんでした。」

という人に分かれる。きっとあなたの職場でもAさん、Bさん両方いると思う。

Bさんが言うことももっともなところは多い。たしかに、それぞれの学校でのこれまでの経緯や伝統、職場の風土・文化、あるいは管理職の姿勢や予算などが揃わないと、実現できないことは多いからだ。

しかし、Bさんのようなこと言うと、なんでもそうなりかねない。小中高校は全国で4万弱あるが、4万弱通りの事情がある。

 

関連して、先日フェイスブックで、部活動が中学校の新人教員にとって負担となっているという記事をシェアしたところ、ある方(Cさんとしよう)は、「解決策が書いていないので、参考にならない」というコメントだった。

たしかに、現場で一生懸命なCさんにとって、せっかく問題提起するなら、解決先まで言えよ、それが専門家だろという意見を言たくなるのも理解できる。

しかしながら、そんなに簡単にためになる解決策(=魔法の杖)があるのなら、とっくの昔にだれかがやっているはずだとも思う。なぜこれまでできなかったかをよく考えて、対策は考えるべきだ。

中途半端な言い方かもしれないが、びしっとはまる解決先など、そうそうない。とはいえ、多くの事例や実践にある程度当てはまることや共通して留意するべきことはある。たとえると、絶対ホームランが打てるというバッティングのしかたはないが(教えられないが)、打率がある程度高まる方法はある。イチローだって4割はいかないように、4割以上の確率で解決策がジャストミートするなんて、現実の複雑な世界ではないのだろうう。

経営学の世界もおそらくそうで、たとえば、戦略論の本は今まで何百冊と出ているが、それは優れた戦略としてコピぺなどできるものはないからだ(簡単にコピペできるなら、差別化できず、よい戦略にならないし)。ある程度共通して留意するべきことなどは言えるが、あなたの会社にとって優れた戦略はなんですか?と言われれば、ケースバイケースである。

ましてや、企業経営以上に、学校づくりは、いろんな価値判断があるし、長期でないと見えないこともあり、よしあしを決めにくい、難儀な業界である。

話を戻す。一見もっともらしい理由をたてて、「〇〇は参考にならない」というのは、いかがなものだろうか?この下の写真のように、すぐにそっぽを向いてよいものか?

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優れた学習者ならば、どこかしらで参考になる点を見つけていけるのではないか?

僕がこれまでお会いした校長や教職員の方で、この人いいなとすごく思った方は、ほぼ間違いなく、情報のアンテナが高い。業界や背景事情は異なっても、よそから学べることを見つようとしている。

つまり、言い過ぎかもしれないが、「〇〇は参考にならない」と言ってしまうのは、「私は考えるのがめんどうなので、参考になることを見つけることができませんでした。降参です。」と言っているのとそう違わないのではないか?

僕もそうそう偉そうなことを言えるわけではないが、自分としては、「〇〇は参考にならない」は禁句にしょうと思う。

 

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大河ドラマ真田丸から会議の仕方をまなぶ

昨日の大河ドラマ真田丸は、合戦などの派手なシーンはまったくなかったが、これまででもっとも見ごたえのある回のひとつだった。大坂冬の陣の直前の軍議、作戦会議を描いたもの。脚本の三谷幸喜さんは、清須会議で小説と映画を出してしまうほどの会議好き。その真骨頂が出た回だった。

「真田丸 軍議 画像」の画像検索結果

www.nhk.or.jp

ドラマはドラマなので、史実はどうだったかは分からないところも多いが、今回のシーンには、あらゆる組織での会議の作法として勉強になるところがあった。

①目標のベクトルを合わせること

この軍議では、5人衆と言われる大坂方の牢人衆のリーダー格が、豊臣秀頼(秀吉の息子)ならびにその側近と話し合う。家康を相手に、籠城するべきか、はたまた討って出るべきか。

詳細はドラマを見てのお楽しみだが、5人衆の意見は分かれる。「なぜ籠城戦にこだわるのか」、「そもそも、あなたはなんのために大坂に来たのか(=負ける可能性の高いほうにわざわざついたのか)」と真田信繁(幸村)がほかの4人に詰め寄るシーンが印象的だ。

そうすると、もともと烏合の衆と思われていた牢人たちだが、それぞれの思いがやはりバラバラであることが判明する。

  • ある者はとにかく武功をあげたい、自分を試したいために来た(毛利勝永)
  • ある者は家康のキリスト教禁止が許せないから大坂方に来た(明石全登)
  • ある者は一国の大名に返り咲きたい再チャレンジのために来た(長宗我部盛親)

そこで、信繁のシビれるシーンがある。「みんな思いはそれぞれだが、ひとつ共通している点がある。生きなければ、勝たなければ、叶わないということだ」。

このあたり、学校などでもそうだが、みんなが各々のこだわり、思い、教育観をもっている。そのベクトルを少しずつ合わせていくことにもヒントがあった。
※拙著『変わる学校、変わらない学校』にも関連する箇所はある。

共通点は何なのか、それも、共通して成しとけなければ、みなの思いが実現しないことは何なのかと探していくのである。大事なのはベクトルを完全に一致させようとすることではない。少しずつ方向を合わせていき、和をとれるところを見つけることだ。

 

②ジョーカーになる

籠城か討って出るか。最初の軍議では、まず秀頼側近の大野治長(※ほかのドラマや小説と違って、今回はヘボい役には描かれていないことにも注目)らが籠城を主張、また5人衆のうち4人までもが籠城と主張して、場の空気は一気に籠城となった。
最後に口を開いた信繁が「不承知」と一言。徳川本隊が到着していない今のうちに、家康のいる京都に攻め上るべきと主張した。

これは、信繁がいわば「ジョーカー」となったのだ。会社などの会議でもみんながそうだ、そうだといって場の空気(日本人はこれが好きだと言われる)が決まりかけたとしても、そこに疑問や批判を差し込む者がいなければ、よりよいアイデアにはならない。

映画「12人の怒れる男たち」という名作をご存じの方は思い出してほしい(見ていない方はたぶんネットにもあるから、必見。ちなみに三谷幸喜さんはこの映画が大好きと言っていた)。ひとりの疑問が大事なことは多々ある。

あなたの組織には、ときにジョーカー役となってくれる人はいるだろうか?

③根拠なき楽観論

ドラマで信繁が述べていたとおり、籠城戦というのは、こもっている間に他の場所から援軍が来て、そいつと敵を挟み撃ちにできるから効果的だとされている。大坂の陣では援軍が来る見込みはないのに、なぜ籠城戦がよいと思うのか、信繁が周囲に問いかけた。
織田有楽斎のセリフだったと思うが(記憶がややあいまい。東京の有楽町は彼が住んでいたことから)、「1年2年籠城していていれば、そのうち家康が死ぬ」。
実際、史実として家康は大坂夏の陣の翌年、安心したかのように天寿をまっとうする。しかし、それは後でわかること、この時点では不確かである。

 こういうのを根拠なき楽観論という。戦前の日本軍部はこれが支配していたと言われている。小池都知事が座右の書としてあげた『失敗の本質』という太平洋戦争での日本軍部の失敗の要因をたいへん意欲的に分析した作品がある。これにも楽観論や空気の支配という論点は出てきたと思う(ずいぶん前に読んだきりだから、また再読しないと)。

失敗の本質―日本軍の組織論的研究 (中公文庫)

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 根拠なき楽観論は会社でも、行政でも、学校でも、あらゆる組織で起こりうる。

  • 新興国の景気がよいので、進出すればうちの商品は買ってくれるはずだ。
  • わが社の技術力をあげた開発したこの新機能は、きっと消費者に受け入れられるはずだ。
  • 大きな予算をかけて、みんなで話し合って進めたこのプロジェクトはうまくいくはずだ

などはいずれもプロダクトアウトの発想で、顧客や競合を見ているとは言い難い。他社も同じように考えて進出してきたら、なぜうちの商品・事業は勝てるのか、根拠は薄い。

学校でも

  • いまは荒れているところもあるが、この3年生が卒業すれば落ち着いてくるはずだ。
  • 学校評価のアンケート結果が去年よりよくなかったのは、よそで〇〇の事件があった影響もあるだろう。

などは、根拠なきと言えば、やや言い過ぎだけれども、楽観論で本当の原因や課題を分析しようとしていない、思考停止になっているかもしれない典型例である。

この根拠なき楽観論が場の空気として支配しかけるときに、②で述べたジョーカー役が大事になる。

 もっとも、今回のドラマでは信繁の作戦も相当楽観論ではあった。たしかに徳川本隊がいないうちに京都を攻める、家康は大坂方は籠城すると思っているだろうから油断しているだろうと。兵数は大坂のほうが少ない(半分)、しかも牢人の集まりなのだから、本当に勝てる見込みはあったのか?

実は、秀吉と家康は信長に学んだことが多かったが、そのうちのひとつが油断しないことである。信長が本能寺の変で死んだのは、まさか攻めてくるやつはいないとふんで、京都の防御体制が脆弱だったからだ。この反省から、秀吉、家康は伏見城を重視した。

ところで『失敗の本質』でも十分分析されていたかどうかわからないが、根拠なき楽観論は、勝者となる側にもおこりうる。この大坂冬の陣、そのあとの夏の陣の時点では、おそらく、徳川方のほうが勝ち間違いなしとして安心していたはずだ。この点が、真田信繁の名を後世に残すひとつの背景となったのだと推察するが、これは大河ドラマの終盤でおそらく描かれることになるだろう。

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(先生方へ)たまには1人称で考えてみる

昨日は文科省の学校マネジメントフォーラムがありました。テーマは学校の多忙化にどう向かうかや業務改善です。行政説明から実践発表まで、会場からの熱意と参加意欲も高く、とても盛り上がりました。

僕のほうからも「学校における業務改善の要諦―なんのため、だれが、どうやって進めるか」という題で講演しました。後日資料と映像もアップされるそうですが(😅and😊)、ここではお伝えしたかったことのひとつを大幅に加筆しながら、レポートします。(なので講演聞いた方も楽しめる記事になっているはずです!)

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※写真は友人からいただきました。

探求的な生活が、人生への糧になり、授業の糧になる

はじめに、以前このブログでも紹介したフィンランドのある小学校教師の話をしました。日本と同じように、やっとこさ一息入れられるのは昼過ぎてからといった多忙感、週末も授業準備のときもあるという日常。しかし、日本との大きなちがいは、夏休みが2か月半もあり、学校にこなくてよいというんです。

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それである方がこの様子を見て、次のように書いています。

この長期の休みには、教師は有料の「自己啓発セミナー」や海外の成人学校、語学学校などに出かけ、自己研修を行う。というより、自ら人生を楽しむ。家族と外国旅行に出かけたり、ヨットで湖やバルト海をめぐったりする。そのような探求的な生活が、人生への糧になり、授業の糧になる。

(福田誠治『フィンランドは教師の育て方がすごい』)

 

「探求的な生活が、人生への糧になり、授業の糧になる」という箇所が好きです。

 

業務改善は世のため、人のためか?

僕の講演のテーマは業務改善だったわけですが、はじめに問いかけたかったのは、業務改善、あるいは残業削減って何のため?ということ。

よく言われるのは、次の理屈。

先生は忙しすぎて、子どもと向き合う時間が減っている。授業準備の時間も減っている。それではいかん!

だから、ほかの人やITに任せられるものは任せたり、仕事のやり方を見直したり、管理職のマネジメントをもっとしっかりやることなどが大事だ。

このロジックに、僕は半分賛成ですが、半分ちょっと違和感もあります(とまでは当日の講演では言わなかったけど、やや角が立つし)。

というのは、「子どものため」という思い、善意が多忙化の原因ともなっているからです。子どものためにと言っていくと、授業はもちろん大切ですが、なるべく1日の時間軸に沿っていうと、

  • 家庭が大変などの理由で朝起きれない子のことは放っておけないな
  • 交通安全は大丈夫だろうか
  • あいさつや身だしなみのチェックもしないと
  • 給食の時間も休憩じゃないよー食育にもなるし、アレルギーもちの子とか孤立している子のことも気になるし
  • 防災教育、キャリア教育、コミュニケーション教育、ICT教育、地域学習、その他〇〇教育・〇〇学習でしっかり子どもたちの力を高めないと
  • あー、受験を控える子には塾だけに任せるわけにも当然いかないし
  • 学力の低い子へは放課後のフォローも
  • 部活は生徒の成功体験にもなるし、人間力も高まるし、やっぱ大事
  • 地域の懇談会?交通安全や生徒指導で日ごろお世話になってるから、出ないわけにはいかないか
  • そういえば、そろそろ合唱コンクールの準備しなくちゃ

などなど、いっぱい広がります。企業ではそれって儲かるの?投資する意味あるの?といった観点、行政では予算ついてるの?予算とれるの?十分市民に説明できる?などの観点で、ある程度は広がり過ぎず取捨選択できる部分はあるのですが(といっても企業も行政もいろいろやりますけど)、教師というのは、子どものためという錦の御旗のもと、どんどん仕事が増えます。

だから、僕は、「子どものため」という意味づけ、理由付けでは広すぎるし、あまり効果がないのではないか?と思っています。

そこで考えたいことは2つです。ひとつは、子どものためと言っても、具体的にどんな力を伸ばしたいの?どんな子になってほしいの?そのためにトップ3の課題は何なの?などと「子どものため」をどんどん因数分解していくこと、解きほぐしていくことです。

そして、今日はもうひとつについて、中心にお話しましょう。

アンパンマンかドキンちゃんか

子どものため、保護者が期待しているから(or やめると保護者からクレームが来るから)、管理職が気にしてるから、国が県教委がしろっていうしなどなど、3人称が学校の先生には多いのではないでしょうか?

商売柄そうなるのよ、というのはよく理解しているつもりですが、にしても、誰かのためは強いですよね。”アンパンマン発想”とでも呼べましょうか。

講演でお話したのは、たまには1人称、自分を主語にしてみては?ということです。フィンランドの話のように、自分の人生を楽しむ、自分の好きなことをやる。その結果の一部として、授業などのよさにも跳ね返ってくるという流れのほうが楽しいのではないでしょうか?

アンパンマンのたとえでいうと、ドキンちゃんはこれですよね。自分の好きなことしか基本やらない。

たとえば、どうしても観に行きたい映画がある or おいしいもの食べながら話したい人がいる、だから仕事を早めに終わらせるという発想。たまに1人称にしても、それは子どもたちのことをないがしろにすることとは違うと思います。

ある校長は、学校では元気な子どもに育てたいと言うのなら、まず先生が元気にならないと、と言ってました。

学校にかぎらず、メンタルを病んだり、最悪の場合過労自殺などが起こる背景には、1人称、自分を大事にできなくなってくることがあります。会社のためにこれはやらなくちゃ、家族のためにこれはやめられないなどなど、3人称ばかりになると、自分が何をしたいとか、何が好きで生きているかが見えづらくなってきます。

もちろん、発想、マインドセットを変えるだけでは解決しないこと、学校にはいろいろなむずかしいことも多いのも事実だと思います。ただ、ぜひ一度見直してほしいなと思うことのひとつです。せっかくなら楽しくやろうぜ。

 

◎『変わる学校、変わらない学校』引き続きよろしくお願いします~

※今回のフォーラムでプレゼンしたこともあり、アマゾンランキングで1位(学校運営and 教育行政・法律)になりました。

買っていただいた方、ありがとうございました。

いま品切れになっていますが、そうかからず入荷されると思いますし、出版社さんからでも1、2日で届けてくれます。学事出版TEL:03-3255-0194

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『変わる学校、変わらない学校』の読書会(自主ゼミ)やりたい人~!?

こんにちは。今日もこの後、保育園を迎え行って、夜ご飯をつくりますが、最近はまっているのはチンジャオロース。今日はちゃんと家を出る前に、豚肉をたれに付け込んできましたので(たれは僕の場合、醤油とみりんがメインで、ソースや中華スープは炒めた後から入れる)、準備万端です。

学生の頃、中国を列車でひとり旅した(24時間以上揺られて敦煌まで)ときも、チンジャオロースだけは、中国語も日本語に近くそう読むので(たしか中国語だと、ロース―⤴って、スーがちょっと高くなる)、中国語がからっきしダメな僕でもちゃんとオーダーできました。あのごみごみした列車の中でのチンジャオ弁当のうまさは、たぶん一生忘れない一品です。逗子の近所においしい中華やさんがあるので、そこでたいてい外食していたのですが、最近はチンジャオなら自分でもけっこうなものを作れることを発見しました。

 

さて、本題に関係ないごはんの話がつい長くなりましたが、先日、立て続けに学校の校長や教頭の方から、拙著『変わる学校、変わらない学校-学校マネジメントの成功と失敗と分かれ道』を読んだ感想をいただきました。そのおひとりは、今週の文科省の学校マネジメントフォーラムにもその勢いで申し込んでくださったそうです。お会いできそうで、とても楽しみです。ひょんなことからつながりができますね。

いただいたメールを一部引用させていただきます。

私は、校長、行政、校長と経験する中で、校長のマネジメント力の必要性を痛感し、管理職の能力を高める必要があると思っていました。そんな時に、妹尾様の「変わる学校と変わらない学校」と出会い、内容が自分が求めているものが書いてあり、整理されていたためとても興味深く読ませていただきました。そして、校長の学校経営のバイブルとして活用していきたいと思い、要所を自分なりにまとめ活用させていただいているところです。

ちょっと褒め過ぎかもしれませんが、問題意識のある方に合う部分があったとすれば、とてもよかったです。僕としてもさらに内容を発展させたいと思っています。

それで、この話を妻にしたところ

せっかく読んでくださる方がいるんだったら、本の読書会をやるといいよ。みんな本なんて、1回さっと読んでも、そう理解できるものじゃないじゃない。書いた人が解説してくれると喜ばれると思うよ。

 というまことに的確なアドバイスでしたので、拙著をもとにした読書会、自主ゼミをやりたい方がいれば、開催したいと思います。

東京近辺の方は、都内で平日の夜でも、土日でもご相談ください。地方の方は、何かの研修などのついでにできるといいですが(そうすると僕の交通費が賄えるので)、関心あればひとまずご相談ください。

オーダーメイドで対応できますが、きほん次の予定です。

  • 本を読んでいなくても、これから読む気が多少あるなら、参加歓迎です。参加費はご相談ですが、場所代や交通費もかかるので、少しいただくことになると思います。
  • 都内などで何度か来れる会が開催できる場合は、1~2章まとめた単位で進めます。地方の場合は、重点テーマを決めて開催します(例えば、学校の現状診断について、地域との連携・協働についてとか)。
  • 読書会・ゼミでは、僕のほうから書いている内容のエッセンスをお伝えするとともに、書ききれていない情報やその後の情報などを加えて解説します。
  • 参加者のみなさんは、ご自身の学校のことなどを引き寄せて、疑問点やもっと深めたい点をおもちくださると、一番ですが、そこはオブリゲーションではありません。質疑応答や意見交換、情報交換もします。
  • 僕の本だけではなく、ついでにいくつか関連本の紹介もしたいです。

☆連絡はメールにてお願いします。

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学校をよりよくしたい人たちのための書評サイト、Books for Teachers

こんにちは。先日、学校をよりよくしたい人たちのための書評サイト、Books for Teachersを始めました。ビジョンとしては、先生や学校教育に関心のある方たちのために、本の紹介や情報交換を通じて、学びのきっかけにしたいという思いがあります。

新聞・雑誌やネット上にはすでに様々な書評がありますが、その多くは広く一般の方を対象としていて、自分事に引きつけて考えにくいところもあります。Books for Teachersでは、学校教育に参考になるポイントはどこにあるのかを含めて伝えたいと思います。・・・

Books for Teachersでは、本を通じて教職員の自己研鑽を応援し、職場の中でのちょっとした会話や行動を始めていくきっかけになれば、と考えています。

bookfort.hatenablog.com

Books for Teachersでは、僕のお友達の学校の先生や事務職員さん、PTAの方らからもレビューを書いてもらいます。レビューアーになりたい方やウェブのお手伝いをしてくださる方は、絶賛募集中です、コンタクトください。

いままで、このブログでもときどき本の紹介はしていましたが、学校向けのものはBooks for Teachersのほうで発信していきます(このアイデアノートでも随時シェアします)。書評ではない僕の学校教育へのアイデアや学校向け以外の本の紹介などは引き続き、こちらのアイデアノートで発信したいと思います。どうぞ引き続き、よろしくお願いします。

 

★Books for Teachersのフェイスブックページをつくりました。更新情報や関連情報をお届けします。ぜひ「いいね!」をお願いします。

https://www.facebook.com/booksfort1/

 

今週はすでに2つの新しいレビューを書きました。両方ともかなり考えさせられるよい本だったので、感想を書くのにかなり時間がかかりました。。。

bookfort.hatenablog.com

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※写真はあまり関係ないですが、昨日葉山の海をながめながらの写真。富士山も見えましたよ~

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学校の連携パートナーとしての青年会議所

少し時間がたってしまいましたが、先月末に北海道釧路に行ってきました。涼しいし、秋鮭の時期。やはり、北海道はおいしかったです。意外にも釧路はそば文化だそうで(ラーメンは札幌のほうですね)、市内に何件もお蕎麦屋さんがあります。写真の2枚目は蘭切りそばといって、卵をつかっていて、ちょっとラーメンに似ていて食べやすいです。むかし昭和天皇もお代わりしたほどだそうですよ(そんなエピソードを地元の方に聞きながら食べるのはまた楽しい)。

竹老園 東家総本店|公式ホームページ

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ついつい、ごはんの話になってしまいましたが、訪問したミッションは、釧路青年会議所の会議で地域と学校との連携について講演することでした。

青年会議所(JC)は全国各地にありますが、あまりなじみのない方もいると思います(とくに学校関係の方には)。地域の若者(多くは事業をしていて、起業家も多い)がさまざまなボランティア活動や研修などをしています。青年というだけあって、20~40歳までの年齢制限があります。

公益社団法人日本青年会議所本会 | 日本青年会議所とは

僕は、今回はじめてJCの方と一緒に活動しました。大変エネルギッシュで、地域のこと、社会のことをよくしたいと、自分なりに考えて行動している方が多い印象をうけました。全国的には、JCの経験を経て政治家になる方もいるそうですが、たしかに地域のネットワークも広がりますし、さまざまな経験ができますし、なるほどと思いました。

 

釧路青年会議所では、地元の商業高校と組んだ事業をこの1年やってきています。たとえば、「もしも私が市長だったら」というテーマで高校生と地域の大人たちが議論しながら、政策を考えていく場をつくりったり、「高校生が考えるそばをつかったスイーツ」開発をしたり。青年会議所のメンバーの中には、地域の企業人も多いですし、蕎麦屋さんや観光関係、行政に知り合いも多い、そんな強みを生かした面白い教育活動です。

商業高校の担任の先生にもインタビューしましたが、これはまさにアクティブ・ラーニングだということで意気投合。以前は自分の意見なんて言ってもどう思われるかが不安だった(それで言えなかった)という子が変わっていったと言います。

教職員もがんばっていますが、やはり、外部と組んだほうがより特色のあることをじっくりできる部分はあると思います(授業や生徒指導だけでも先生は忙しいのですから)。

そして、何より重要なのは、20代、30代のちょっと上の世代の大人と高校生が交流することで、親にも教師にもない、考え方や生き方に触れるということの価値です。JCと組んでも、学力うんぬんにはあまり影響しないと思いますが、高校生が自分の生活や将来を考える場にはすごくなると思います。

学校支援のボランティアというと、小中学校でのシニア世代が読み聞かせをしたり、花壇整備をしたりというのは全国各地にあります。それはそれで価値があることですが、やはり、若者が学校に入っていくよさもありますね。

今回、JCは学校のパートナーとなりえるなと初めて感じました(これまで不勉強でした)。それに、子どもがいなくても地域の学校に関われる、って若者側にとっても魅力的だと思います。

地域活性化や地方創生の観点からも興味深い取組です。一部の進学校を除けば、高校生の多くは地元に残る、あるいは仕事があれば残りたいという子は多いだろうと思います。そんなとき、たとえば、「釧路ってなんもねーな、つまらない」と思って住むのか、「地元にいいやつもけっこういるし、なかなかいい場所もあるし」と思って住むのかでは、違うでしょう。東京などに出たとしてもそうです。僕のふるさとの徳島出身者も「なんもないよ」という人と「ここがすごいよ、素敵だよ」という人にわかれますね。その分かれ目は、地元でいい人材にどれだけ出会えたかで決まる部分もあると思います。

そんな話も講演では少ししました。今後の釧路の活動も楽しみですし、全国でもいろいろなチャレンジがあることでしょう。面白くなってきそうな気がします。

さいごに写真は神秘的な絶景、摩周湖です。映画「君の名は。」の舞台は別のところだけど、あそこで描かれている風景にすごく似ていました。必見。

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10/28の学校マネジメントフォーラムとその前後

前にもお知らせしましたが、文部科学省で学校マネジメントフォーラムというのがあります。2回あって、第1回は10月28日(金)の午後です。妹尾もプレゼンしたり、いらした方の相談になるべくのったり(シンポジウムの終了後もしばらくホワイエで歓談できそうです)、精一杯おもてなし(?)いたします。どうぞいらしてください~。

第1回学校マネジメントフォーラムの開催について:文部科学省

いま文科省の方や有志の方とアイデアを出していて、来場者が自分事として考えられる、行動のヒントになるように、いろいろ工夫を考えています。よくありがちな、聞いておしまいって感じにはしないようにしたいです!

とここまで書いたものの、ウェブページを見ると、事務職員さんの申し込みは多数のため締め切りました、になってて、びっくり。大きな会場なんですが、そんなに申し込みがあったのかな。。。当日緊張して早口にならないようにしないとだな。

教育委員会、校長、その他教職員の方は申し込み可能とのこと。こう書かれると、その他教職員ってだれかな?とか教職員以外(民間の方とか)は大丈夫なのかな?と思ってしまいますが・・・。僕は運営側ではないので、わかりません。ともかく申し込んでみましょう!
東京まで来るのは大変ですし、申し込めなくなってしまった方は、僕の話でよければいたしますので、ご連絡ください。時間があうかぎり対応できると思います(事例発表は各発表者に問い合わせていただくのが一番ですが、僕が理解した限りではお伝えできます)。

それから、もうひとつお知らせです。この日の午前、文科省虎ノ門付近で、かるい読書会を開催します。こちらは、せっかく出張で東京までお越しいただいているので、早く到着できる方は、午前中も有効活用しよう、という趣旨です。東京観光もいいですが、それ以上の価値はあると思います、きっと。どなたでも参加可能です、ただ、場所はかなりテキトウにやりますので、その点はご理解ください。

下記のフェイスブックイベントページにて、概要はお知らせしています。

学校づくりと秋の読書会

今日は、以上お知らせでした。写真は昨日りらっくす散歩した葉山の風景です。すばらしいです!

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村上春樹『職業としての小説家』は考えさせられます

村上春樹さんの『職業としての小説家』がもう文庫になったようで、本屋で平積みになっていました。僕は単行本で読みましたが、とても印象に残った本のひとつです。村上春樹小説は好き、嫌い分かれると思うのですが、このエッセイ集は、ハルキストも嫌いな人もぜひ一読をおススメします。(ハルキストなら既に読んでいるか。ちなみに僕は、小説なら、ねじまき鳥が一番好きかな。不思議な物語なのにどこか親近感も感じます。)

職業としての小説家 (新潮文庫)

職業としての小説家 (新潮文庫)

 

 『職業としての小説家』のひとつの章に「学校について」というがあります。とても考えさせられる話が多かったです。以前ブログにも載せましたが、一部再掲しながら、少し追加します。

即効性と非即効性の違いは、たとえて言うなら、小さいやかんと大きなやかんの違いです。小さなやかんはすぐにお湯が沸くので便利ですが、すぐに冷めてしまいます。一方大きなやかんはお湯が沸くまでに時間がかかるけれど、いったん湧いたお湯はなかなか冷めません。どちらがより優れているというのではなく、それぞれに用途と持ち味があるということです。(p195)

即効性、小さなやかんが指しているのは、受験やテストのための勉強です。一方、非即効性、大きなやかんは、村上さんの場合は好きな本から得たことなど、時間が経っても消えずに心に残っているものを指します。

折しも、数日前に全国学力・学習状況調査の結果が発表されました。都道府県別結果や自分の学校が平均よりも上か下かなどは、気になる人も多いようです。実際、都道府県の教育振興計画などでは学力テストの結果を目標のひとつにしているところもかなりあるそうです。

また、学校によっては、過去問で練習しておくことも少なくありません(それ自体が必ずしも悪いものではないのでしょうけれど、その分、本来したかった授業の時間が減るというデメリットもある)。

これらの共通の背景には、保護者や世間の目として、短期的に測ることのできる、学力、または〇〇大学合格といった分かりやすい結果で安心したい、という心理があるように思います。

まさに、村上さんのいう「小さなやかん」を沸かすことに一生懸命な姿といえるかもしれません。

しかし、本当にこれでいいのだろうか?というところは、かなり多くの人が感じていることでもあります。これだけネットでいろいろ教えてもらえるようになり、またAIで小説まで書けちゃう時代になりつつある中、覚えていることをテストすることが中心では、ダメじゃないかと。そのため、アクティブラーニングやら、大学入試改革やらが言われているわけでもあります。

ただし、「大きなやかん」はなんだろうか?どう測ったらいいのだろうか(そもそもちゃんと測れるものだろうか)など、問題や疑問はたくさんあります。要するに、分かりづらいし、分かるようになるまで時間がかかりそう。だから、多くの人は待てない。そんな世の中の即効性、効率性重視の流れに、村上さんは小説家として抵抗しているのかもしれません。

僕自身の体験から思い出すのは、小6のときの社会の授業です。日本史をはじめて扱いますが、担任の先生は縄文時代が大好きで、数か月ひたすら縄文時代について学習。なぜ縄文時代は平等だったのか?など問いを探求して、道徳も兼ねる授業でした。まあ、たしかに実際の年数で縮尺をとった年表をつくれば、縄文時代はすんごく長いでしょうけれど、教科書のあとのほうは駆け足に当然なりました。

今思えば、これがあったから、僕は歴史好きになったのかな、とも思います。一生続くかもしれない知的好奇心を高めるというのは、教育の醍醐味のひとつ、「大きなやかん」と言えるでしょう。一方で、同じ授業を受けても、歴史嫌いになった子もいたかもしれませんし、ほんと「大きなやかん」を沸かすのは至難の業です。

蛇足かもしれませんが、企業の採用で「わが社の即戦力となる人材を期待します」というのは、即効性重視なのでしょう。中長期的に人を育てる経営ができているのか気になります(まあ、そこと即戦力を求めることは必ずしも二律背反ではありませんが)。

親としても、自分のこの子の「大きなやかん」は何だろう?と考えると、非常にむずかしいところがあります。ひょっとしたら、絵の才能があるのかもしれない、小さいころから大好きだし、でも美術専門で進学させたら就職厳しいかもね、と考えるのはごく自然な発想でしょうし。だいたい、親が見極められるなんて考えないほうがよい(本人の直観に任せる)のかもしれないし。

僕は、子供を見る目として、「小さなやかん」重視派と「大きなやかん」重視派のさまざまな大人が身近にいたほうがよいのではないか、と思います。「小さなやかん」で達成感を重ねていくことが「大きなやかん」にも近づくというパスもあるでしょうし、どっちかだけというのではないような気がしています。

あなたの周りの大人(学校であれば教職員、家庭であれば親やママ友ら)には、どんな人たちが多いでしょうか?自分はどっちが強いでしょうか?

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