妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

【忙しい学校 どうする?】教師に真に必要なのは、子どもと向き合う時間ではない!?

きょうはある中学校で、地域とともにある学校づくりとキャリア教育についての校内研修・ワークショップをしてきました。なぜ、地域連携する必要があると思いますか?ぶっちゃけ面倒だなと思うことも多いでしょう。でも、やるとしたら、なぜ?上から言われたからですか?どんな子どもに育ってほしいからですか?

そもそも論を振り返り、議論しました。こうしないと、なかなか本気度が高まらないからです。

地域協働、キャリア教育、教職員の負担軽減という3つの円を描いて、この3つって重なるところあるでしょ?なぜそれを進めるか、根っこを考えると見えてくると思います、という話もしました。みなさん、どう思いますか?

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「もっと子どもと向きあう時間を」は、もっともなように見えるが

研修がおわったあとも有志の先生方や事務職員の方とお話してきました。そのなかで、やはり、学校の多忙化の問題は関心が高い話題で、いくつか話し込みました。

そこで、帰りの新幹線のなかでもあれこれ考えていたのですが、教職員の負担軽減が必要だというときに、多くの人はキーワードとしてこう言うんです。

「子どもと向き合う時間の確保のために(あるいは向き合う時間を増やすために)」

文科省の方もそうですし、教育委員会の文書などの多くも(国を倣ってかは知りませんが)そう書いています。参考までに、文科省の「学校現場における業務の適正化に向けて」という通知は、都道府県・政令市の教育長あてに出されたものですが(要するに、これは大事だから各地方でしっかり意識して取り組んでちょうだいという文書)、次の一文が最初のほうにあります。

学習指導要領の改訂の動向等を踏まえた授業改善に取り組む時間や,教員が子供と向き合う時間を確保し,教員一人一人が持っている力を高め,発揮できる環境を整えていく必要があります。

このキーワードがたびたび登場するのは、以下のような考え方が下敷きにあるからです。

最近、学校ではあれこれやらないといけないことが増えて、教師の本来の仕事である子どもと向かう時間が減っていると思うよ。たとえば、文書作業や調査ものもけっこうあるし、保護者対応で時間をとられることもある。だから、負担感を感じて疲れてしまう教員が多いんだ。
それに、調査によると、忙しすぎて授業準備の時間が足りない、と回答する教師は多い。もっと教材研究をしたり、子どもの悩みの相談にのったり、直接子どものためになる時間を確保していくことが必要だよ。

上記はぼくが勝手に作った文書ですが、国等もおおよそこういう内容のことを書いているか、前提としていると思います。

で、「子どもと向き合う時間の確保がもっと必要」というのは、しごくごもっとも、と一見思ってしまうのですが、本当にそうでしょうか?という点が今日のクエスチョンです。ちょっと立ち止まって考えてみませんか?

2つのギモン、論点を提案したいと思います。

①子どもと向き合おうとするから、多忙になる。

多忙になる原因、あるいは多忙化が長年改善してこなかった背景のひとつは、教師の側が、進んでやっている仕事が多いからです。子どものため、と思って、善意で。

たとえば、宿題の丸付けやコメント書き。丁寧なほうが心がこもって、児童のためになるよね、という先生(とくに小学校)は多い。だから、自宅残業までしても働く。部活動もそうです。子どものためになる、あるいは子どもと向き合って指導しているのが生き甲斐だ、という先生は、長時間労働になりがちです。

そういう人に、これ以上「もっと子どもと向かう時間を」というメッセージを送っても、ぼくはどうかなと思います。むしろ、もっと苦しめてしまう可能性だってありませんか?そういう人はよそから言われなくても、子どものためを思っている先生なのですし。

で、こういう教師は、熱意で、善意で多忙になっているので、自分では修正がききにくいです。自分のカラダを顧みずに、ついつい睡眠時間を削ったりします。それで、突然倒れたり、最悪、過労死になってしまうのです。

②教師に必要なのは3人称でなく、1人称?

日本の教師はまじめな人が多いです。子どものため、学校のため、同僚のため、保護者の期待のためと、一生懸命働いている方が実に多い。それはそれでリスペクトしていますが、ひとつ問題があります。自分のことがどんどん後回しになっていることです。3人称ばかりで、1人称で考えることが少ないのです。

これは、価値観、人生観の問題でもあるので、一概にどっちがよい悪いの世界ではありませんが、ぜひ考えてほしいことがあります。わかりやすく、たとえ話をしましょう。両方とも年は同じくらいの、小学校の女性の先生としましょう。

A先生:教師になって10年。児童からも、同僚からも熱心な先生という評判である。毎週手書きで心のこもった学級通信を出していて、保護者もけっこう読んでくれているようだ。宿題や児童の日誌へのコメント書きも丁寧で、休み時間や放課後だけでは終わらないので、21時すぎにいったん帰宅した後、自宅で残りをこなすことも多い。独身ということもあり、アパートは平日はほとんど寝るだけで、とても読書なんてする気力はない。週末はたまに友人とおしゃべりをしたり、ショッピングに行ったりもするが、授業準備にも土日とも数時間とる。週明けは、どうも疲れが残ってしまうときもある。まだ若いうちだし、まあいいかなと思っている。

 

B先生:さすがに毎日とはいかないが、週3はほぼ定時帰宅。仕事のあとはヨガか読書の時間だ。学級通信は毎週出しているが、30分でできるまでと自分で決めている。写真を使うとそのくらいの時間でもできるようになった。宿題のコメントは、いいね!、すばらしい!、もっとがんばろうね!など一言、二言にしている。そうしないと、残業が増えてしまうからだし、子どもにも「1人5分だと3時間、8分だと5時間以上かかっちゃうんだ。だからコメントは簡単だけど、ちゃんとみんな読んでいるからね」と最初に言っておいた。

教師の仕事は好きだが、趣味の時間も好きだ。大学のときに落研に入っていたこともあり、最近は毎月のように寄席に通っている。最初からそう意識したわけではないが、落語家の話術は、授業でも参考になることが多い。たまにだが、週末は外部の勉強会に出ることもある。熱心な友人が全国に増えてきて、最近楽しくなってきた。

 

どうでしょうか?AさんもBさんも、子どものために頑張っていますが、時間の使い方はかなりちがっていますね。

おそらく、Bさんのような時間の使い方のほうが、たぶん教師としての幅は広がるし、子どもや同僚に話せる引き出しは増えるような気がします。

やり方や工夫のちがいは確かにありますが、そこを言いたいわけではありません。AさんとBさんの最大のちがいは、人生で大事にしたいものや、好きなものがあるかどうかだと思います。

ぼくはこう最近思うようになりました。教師に真に必要なのは、子どもともっと向き合う時間ではなく、もっと自分に向き合う時間ではないか?

★きょうはここまで。感想などは気軽にどうぞ!

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