昨日は子どもより早く20時ごろに寝てしまい、今日は3時起き。真っ暗ななかチャリを飛ばしてファミレスに行って、早朝からハンバーグとカキフライ定食。カロリー高っ。
さて、昨日読んだある学校の先生の記事に、”目標は「血まみれを避けること」?”というタイトルで授業研究について書かれていて、とても興味深かった。次の一節は共感する方も多いのではないだろうか?
公開授業は教員にとって非常に緊張する場面のひとつ。「今日はいつも通りの授業をします」とは言うものの、わざわざ言う時点ですでにいつも通りではない。事後の研究協議会では、どんなことを言われるか緊張している。なんとかそこで叩かれ斬られ、血まみれになるのは避けたい…。そんな気持ちで協議会の時間を過ごしている人も少なくないのではないだろうか。
授業研究のスゴさとフシギさ
日本の授業研究はlesson studyと呼ばれ、海外からも注目されている。日本の子どもたちの学力が世界でトップクラスを続けているということもあり、教員が孤立せず、教え合っているという姿が興味深く見られているようだ。このあたりは、日本の強みとして、日本の行政も教師自身ももっと自信をもってよいと思う。
しかしだ。先ほどの記事や引用されている記事などにあるように、授業研究にはいろいろな課題がある。形骸化しているという声も、実際学校の先生たちから何度も聞いたことがある。
僕のような教師ではない立場から、少しキョリをおいて見ると、授業研究会はフシギなことが多い世界だ。今日は3つの点に整理する。
※写真はあまり関係ないですが、葉山の海です
①公開授業当日と事前準備でエネルギーが尽きてしまうこと。
指導案の作成などに大変時間がかかる例もあると聞く。丁寧な指導案を書くことでより緻密に計画でき、また自身の考えが深まることもあるだろうとは思う。神は細部に宿る、という格言もある。指導案の検討が一概に悪いとは言えない。
しかし、多くの教師がこの事前準備と大変緊張する当日で、もうエネルギーを使い果たしてしまう。つまり、事前と当日が丁寧な割には、事後のフォローアップが脆弱なのだ。事後研などと呼ばれる、授業の進め方やあり方を検討するのは、授業の当日(授業の後の研究会という意味)であって、その後のことは授業者任せだ。
指導案をちゃんと作れるようになりたい、というのが授業研究の目的であれば、事前準備傾倒でもよいかもしれないし、当日細かい指導が入るということでもよいだろう。しかし、多くの場合、授業研究は授業改善のため、または授業への気づきをお互いに得るために行っている。この目的、そもそも論がいつの間にやら、うすれてしまっている。
この目的に照らすなら、本来は、授業研究の後、授業がどう変わっていったか、そしてそれは子どもたちにどのような変容となったかなどを話し合うフォローアップもあってしかるべきだろう。しかし、そこは忙しいからできないのだろうか?
たしかに、中高のように同じ教科の同じ単元を別のクラスで実践できる場合と異なり、小学校の場合は、次この単元をやれるのは何年後かわからない。そのころには自分の教育観も、学習指導要領も、教科書も変わっているかもしれない。だが、なにもその単元だけのノウハウを交換するのが授業研究ではないと思う。ちがう単元や教科でも、今日、明日から活きることを情報交換することと思う。
②もっといろんな方法が試されていい。
紹介した記事にあるように、伝統的な方法では一部の人の意見しか集まらないことが多いようだ。それに声の大きい人の批判や評論ばかりでは、本人も職場も元気は出ない。
他方で、ワークショップ型も悪くないけれど、発散型が多くて、深まらないこともあるように見える。なんでもかんでも、KJ法やワールドカフェがいいとは限らない。薬と同じで、使用方法と効用をよく見ることが肝心だ。
ワークショップ型では、先日参加した横浜の永田台小学校の授業研究が興味深かった。指導案は1枚だけで簡略化。授業者は悩んでいることや挑戦したいことを事前に宣言しておき、そこを中心にアイデアを交換する(モヤモヤとチャレンジ)。
※詳しくは下記に書いたので、御覧ください。
もうひとつの例は、『「つながり」で創る学校経営』という本に紹介されていたある小学校の事例。
- それぞれの学級で低学力に停滞しがちな子どもを「伸びてほしい子」として2、3人設定。
- 「伸びてほしい子」を中心に、①各学年と子どもの実態(学力の状況など)、②教員の実践と成果と課題、③今後の実践の方向性の3点に関するレポートを作成。この3点は必ず含むとして、その他の内容や体裁などは自由。
- 各教員が作成するレポートをもとに、教員間で情報・知識を共有する「場」を研修時に設定。低・中・高の学年ブロックでの研修と、全教職員の研修の2つの機会を活用。
- 校内に「学校改善検討委員会」を設置し、その委員会が、レポート検討会で出された情報や意見を集約し、学校として共通に考えるべき課題や改善点等を教員にフィードバック。
手間はかかるけれど、レポートを書く過程で考えが深まるし、特定の人だけではなく、教師がみんなで取り組む点も興味深い。レポートを材料に職場で助言し合う関係づくりも進む。
これらは一例で、一長一短はあろうかと思う。ただ、伝統的な方法、あるいは単純なKJ法のワークショップだけではない、いろいろな方法や場がもっと試されていいと思う。
③校内研修会といえば、なぜか授業研究ばかりなこと。
授業改善が大事なことには異論ないけど、みんなで知恵出すのはそこだけじゃないんじゃないか、と思う。忙しくて時間ないなら、なおさら、貴重な時間の使いかたはよく練らないといけない。
たとえば、先日文科省の学校マネジメントフォーラムで僕が講演したときに、業務改善したいと思うことのアイデアを参加者に出してもらった。わずか5分や10分の間にたくさんのアイデアが出た。そして、そういうアイデアを出す場はほとんど学校ではこれまでなかった、という人も多いというのだ。
別の例では、友人の川口市の事務職員の栁澤靖明さんの実践がある。彼は校内研修の一部を事務職員枠として確保してもらう。そして、学校の財務状況や子どもの貧困問題について解説したり、情報交換したりする。
ところで、ある先生は「学校では一生懸命やることが美徳」と言っていた。これはいい意味でもあるし、だから多忙になるという悪い意味も含んだ言葉だ。教職員のエネルギーと時間は限られている。その使いどころと、使い道はもっと考えられてよい。
もし、いまの授業研究が時間の割には効果はうすい、という問題意識があるなら、別の実施方法や、別のテーマとしてしまうことも考えてはどうだろう?
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