妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

【忙しい学校 どうする?】教師に真に必要なのは、子どもと向き合う時間ではない!?

きょうはある中学校で、地域とともにある学校づくりとキャリア教育についての校内研修・ワークショップをしてきました。なぜ、地域連携する必要があると思いますか?ぶっちゃけ面倒だなと思うことも多いでしょう。でも、やるとしたら、なぜ?上から言われたからですか?どんな子どもに育ってほしいからですか?

そもそも論を振り返り、議論しました。こうしないと、なかなか本気度が高まらないからです。

地域協働、キャリア教育、教職員の負担軽減という3つの円を描いて、この3つって重なるところあるでしょ?なぜそれを進めるか、根っこを考えると見えてくると思います、という話もしました。みなさん、どう思いますか?

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「もっと子どもと向きあう時間を」は、もっともなように見えるが

研修がおわったあとも有志の先生方や事務職員の方とお話してきました。そのなかで、やはり、学校の多忙化の問題は関心が高い話題で、いくつか話し込みました。

そこで、帰りの新幹線のなかでもあれこれ考えていたのですが、教職員の負担軽減が必要だというときに、多くの人はキーワードとしてこう言うんです。

「子どもと向き合う時間の確保のために(あるいは向き合う時間を増やすために)」

文科省の方もそうですし、教育委員会の文書などの多くも(国を倣ってかは知りませんが)そう書いています。参考までに、文科省の「学校現場における業務の適正化に向けて」という通知は、都道府県・政令市の教育長あてに出されたものですが(要するに、これは大事だから各地方でしっかり意識して取り組んでちょうだいという文書)、次の一文が最初のほうにあります。

学習指導要領の改訂の動向等を踏まえた授業改善に取り組む時間や,教員が子供と向き合う時間を確保し,教員一人一人が持っている力を高め,発揮できる環境を整えていく必要があります。

このキーワードがたびたび登場するのは、以下のような考え方が下敷きにあるからです。

最近、学校ではあれこれやらないといけないことが増えて、教師の本来の仕事である子どもと向かう時間が減っていると思うよ。たとえば、文書作業や調査ものもけっこうあるし、保護者対応で時間をとられることもある。だから、負担感を感じて疲れてしまう教員が多いんだ。
それに、調査によると、忙しすぎて授業準備の時間が足りない、と回答する教師は多い。もっと教材研究をしたり、子どもの悩みの相談にのったり、直接子どものためになる時間を確保していくことが必要だよ。

上記はぼくが勝手に作った文書ですが、国等もおおよそこういう内容のことを書いているか、前提としていると思います。

で、「子どもと向き合う時間の確保がもっと必要」というのは、しごくごもっとも、と一見思ってしまうのですが、本当にそうでしょうか?という点が今日のクエスチョンです。ちょっと立ち止まって考えてみませんか?

2つのギモン、論点を提案したいと思います。

①子どもと向き合おうとするから、多忙になる。

多忙になる原因、あるいは多忙化が長年改善してこなかった背景のひとつは、教師の側が、進んでやっている仕事が多いからです。子どものため、と思って、善意で。

たとえば、宿題の丸付けやコメント書き。丁寧なほうが心がこもって、児童のためになるよね、という先生(とくに小学校)は多い。だから、自宅残業までしても働く。部活動もそうです。子どものためになる、あるいは子どもと向き合って指導しているのが生き甲斐だ、という先生は、長時間労働になりがちです。

そういう人に、これ以上「もっと子どもと向かう時間を」というメッセージを送っても、ぼくはどうかなと思います。むしろ、もっと苦しめてしまう可能性だってありませんか?そういう人はよそから言われなくても、子どものためを思っている先生なのですし。

で、こういう教師は、熱意で、善意で多忙になっているので、自分では修正がききにくいです。自分のカラダを顧みずに、ついつい睡眠時間を削ったりします。それで、突然倒れたり、最悪、過労死になってしまうのです。

②教師に必要なのは3人称でなく、1人称?

日本の教師はまじめな人が多いです。子どものため、学校のため、同僚のため、保護者の期待のためと、一生懸命働いている方が実に多い。それはそれでリスペクトしていますが、ひとつ問題があります。自分のことがどんどん後回しになっていることです。3人称ばかりで、1人称で考えることが少ないのです。

これは、価値観、人生観の問題でもあるので、一概にどっちがよい悪いの世界ではありませんが、ぜひ考えてほしいことがあります。わかりやすく、たとえ話をしましょう。両方とも年は同じくらいの、小学校の女性の先生としましょう。

A先生:教師になって10年。児童からも、同僚からも熱心な先生という評判である。毎週手書きで心のこもった学級通信を出していて、保護者もけっこう読んでくれているようだ。宿題や児童の日誌へのコメント書きも丁寧で、休み時間や放課後だけでは終わらないので、21時すぎにいったん帰宅した後、自宅で残りをこなすことも多い。独身ということもあり、アパートは平日はほとんど寝るだけで、とても読書なんてする気力はない。週末はたまに友人とおしゃべりをしたり、ショッピングに行ったりもするが、授業準備にも土日とも数時間とる。週明けは、どうも疲れが残ってしまうときもある。まだ若いうちだし、まあいいかなと思っている。

 

B先生:さすがに毎日とはいかないが、週3はほぼ定時帰宅。仕事のあとはヨガか読書の時間だ。学級通信は毎週出しているが、30分でできるまでと自分で決めている。写真を使うとそのくらいの時間でもできるようになった。宿題のコメントは、いいね!、すばらしい!、もっとがんばろうね!など一言、二言にしている。そうしないと、残業が増えてしまうからだし、子どもにも「1人5分だと3時間、8分だと5時間以上かかっちゃうんだ。だからコメントは簡単だけど、ちゃんとみんな読んでいるからね」と最初に言っておいた。

教師の仕事は好きだが、趣味の時間も好きだ。大学のときに落研に入っていたこともあり、最近は毎月のように寄席に通っている。最初からそう意識したわけではないが、落語家の話術は、授業でも参考になることが多い。たまにだが、週末は外部の勉強会に出ることもある。熱心な友人が全国に増えてきて、最近楽しくなってきた。

 

どうでしょうか?AさんもBさんも、子どものために頑張っていますが、時間の使い方はかなりちがっていますね。

おそらく、Bさんのような時間の使い方のほうが、たぶん教師としての幅は広がるし、子どもや同僚に話せる引き出しは増えるような気がします。

やり方や工夫のちがいは確かにありますが、そこを言いたいわけではありません。AさんとBさんの最大のちがいは、人生で大事にしたいものや、好きなものがあるかどうかだと思います。

ぼくはこう最近思うようになりました。教師に真に必要なのは、子どもともっと向き合う時間ではなく、もっと自分に向き合う時間ではないか?

★きょうはここまで。感想などは気軽にどうぞ!

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【学校のフシギ】校長室の写真は要らない

3月といえば、企業でも、役所でも、学校でも、人事異動が気になる時期ですね。校長先生が異動される学校も、全国あちこちにあることでしょう。そして、おそらく多くの学校では、校長室の歴代校長の写真がまたひとつ、追加されていくのだろうと思います。

しかし、おそらく誰もが感じたことがあると思いますが、なぜ校長室に校長先生の写真を飾っておく必要があるのでしょうか?ナゾです。

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たとえば、ヤフー知恵袋では、次のような質問と回答が載っています。

校長室には歴代の校長の写真を残しますが、理由がわかりません。どなたかお願いします。  

代々、学校に尽力されたことの証ですかね。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1256944297

 

たしかに校長の多くは、学校に尽力された方でありましょう。さすがに銅像や彫刻を残すほどではないと思ったのか、写真くらいならということなのでしょうか?

まあ、たいしたことではない、たかが写真なのかもしれませんけれど、3点ほどギモンを投げかけたいと思います。これも「隠れたカリキュラム」(知らず知らずのうちに教えていること)のひとつとも言えなくはないし。

ひとつは、ストレートに申し上げますが、あれは自己満足以上の効果はあるのでしょうか?

歴代校長を拝んで、まさか現職校長が日々気を引き締めるなんてことはありますまい。歴代校長をリスペクトする気持ちは、ぼくは否定しませんし、勝手にどうぞなさってください、と思いますが、別にそれは、写真がなくてもできるでしょう?

ぼくの場合、校長にインタビューをしていて、たまに、「先々代の〇〇校長の頃から始めたことが今も活きているんです」といった話は聞きます。そんなとき、写真をみて、「あ~、あの方ですね」といった会話になることはあります。しかし、それ以上のものはないし、別に写真がなくたって、大して困りません。

リスペクトするなら、教育委員会で表彰でもしたらと思います。子どもの卒業証書みたいに。

むしろ、校長室の写真には、マイナス影響もあると思います。ある子どもは、「遺影みたいで怖い」という反応をしたそうです。オトナであっても、校長室に入ったときに、あの写真に囲まれては、どうも居心地がよくないという体験をされた方もいると思います。不登校ぎみの子を校長室でみるという学校もあります。そんなときも写真が並んでないほうがいいんじゃないかなあ?(実際、ぼくの経験上は少数ですが、写真を飾っていない校長室もあります。)

ふたつ目は、学校に尽力したのは校長だけじゃないやろ?というギモン

たしかに校長の役割、影響、責任は学校づくりで大きいと思います。しかし、同時に、校長だけが旗をふっても、学校というところはほとんど機能しないのも事実です。「笛吹けども踊らず」ということわざは、学校によく当てはまると思います。

個々の子どもたちに接しているのは、教職員なので、彼らの動きにならないとダメです。「チーム学校」といったコンセプトを持ち出すまでもありませんが、なにか学校がうまくいっているなら、校長だけの功績ではないのは、当たり前です。おそらく校長自身がそれに気づいていると思います。

であれば、どうしても写真を飾りたいなら、教職員一同の写真のほうがよいと思いませんか?そのほうが和気あいあいって感じがするだろうし。卒業アルバムのとき撮るし。

3つめ、前例・伝統に無批判であることのあらわれではないか?

推察ですが、おそらくこれが一番大きいと思います。なぜ校長の写真を飾ってあるか?「それはずっと前からやってきたことなので、わたしの代ではやめにくいんですよ」 という答えです。

学校のなかには歴史があるところも多い。校長は地元の名士、という時代もかつてはありましたし、いまでも田舎ではその部分はちょっと残っているかもしれませんね。だから、銅像まではいかないけど、写真くらいはね、という感じで飾ったのでしょう。

でも、いまも本当に必要ですか?

学校というところは、すべてがそうとは言いませんが、前例、伝統、先例が大好きです。そして、なかなかやめよう、減らそうという発想になりにくい。なので、多忙がさらに多忙になるというところはあります。

たかが写真ですが、ここにもその”伝統”や思考の”癖”があらわれていると思います。前から続いているから、ということで思考停止してしまうのです。これでは、子どもの考える力を育てる以前の問題かも、と言うと言い過ぎでしょうか?

よい伝統は守っていったらよいと思います。でも、写真はやっぱりなくてよいと思います。みなさんはどう思いますか?

 

★先日から、オンラインコミュニティの『元気な学校づくりゼミ』も始めました。参加者募集中です!

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学校事務という雑誌でいろいろ紹介いただきました!

きょうは、とても嬉しいことがありました。

学校の事務職員さん向けの月刊誌『学校事務』の4月号で、いろいろ取り上げていただいたのです。

1つ目は、「学校事務”プロフェッショナル”な仕事術」という連載をひとつスタートさせたことです。冒頭にはこう書きました。

 みなさんお待ちかね、「学校事務“プロフェッショナル”の仕事術」の連載をスタートする。この連載では、とってもワクワクする学校事務を進めている方にインタビューし、彼らの仕事の哲学や手法を取材した結果をお届けする。

 単なる事例紹介や人物伝ではなく、官民さまざまな組織のコンサルティングや事務職員向け研修を多数行ってきた筆者の経験を活かして、“プロフェッショナル”ゆえの秘訣、仕事術を分析してみたいとも考えている。

 平たく言えば、面白いことに挑戦している事務職員から“盗める”ことはなにかを紹介し、解説するというわけだ。

インタビューした記事は次号からです。4月号では、着眼点を解説。自分としてはかなり面白い記事になると思います。出演者募集中です。

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2つ目は、名古屋市の土井裕子さんが「やってみました!学校事務ビブリオバトル」という本を紹介するゲームの体験記で、拙著『変わる学校、変わらない学校』を紹介いただいたことです。友人の栁澤さんの本『本当の学校事務の話をしよう』も隣に!(ちなみにこの2冊はアマゾンでもおススメのセットでよく出てきます。)

ぜんぜん聞いてなかったので、びっくりでした。ありがとうございます。

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3つ目はその栁澤さんの奥さんの清香さんの「事務職員ライフ 私の一日」のなかで、10月に私が主催した読書会のことを書いてくださったことです。学校事務便りに役立ったようで、嬉しいです。それ以上に、清香さんは、育休明け以来、残業は年間数時間しかしないスタイルで通しているとのこと。すごい、これはまた取材をしなければと思いました。

というわけで、同じ雑誌に3度も登場する珍しい回でした。みなさん、よかったら手に取ってください。松田さんはじめ、地域とともにある学校づくりの連載も楽しみです。

※こちらのサイトで目次など見れます。

http://www.gakuji.co.jp/magazine/gakkojimu/

もうひとつ、ふたつお知らせです。

『月刊プリンシパル』という校長向けの雑誌にも4月から連載をスタートしました。題して、「企業に学ぶ学校マネジメント」です。たとえば、5月号はセブンイレブンにする予定ですが、企業の苦労や優れた実践から学校はなにを学ぶことができるのか、解説します。これは、両方の世界をある程度知る自分の強みかなと思っています。

それから、『教職研修』という管理職向け雑誌の4月号にも書いています。これは連載ではないので、不定期です。多忙化の問題、業務改善に教育委員会はどんな役割があるかについてです。

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きょうはお知らせばかりになりましたが、こんな感じです。

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★オンラインゼミ「元気な学校づくりゼミ」を始めたよ

今日はちょっとお知らせです。今回、オンラインゼミを始めることにチャレンジしたいと思います。

オンラインゼミってなに?と思われる方がほとんどだと思います。

基本的にはフェイスブックグループなどの延長なのですが、インターネット上で、あるテーマを決めて、情報交換、意見交換する場です。会員だけのクローズドな場です。
ファンクラブなんかにたぶん近いですが、僕の場合は、学校教育に熱意のある方向けの私塾をオンライン上でやってみよう、というものです。

 

元気な学校づくりゼミの紹介は次のページです。

Synapse(シナプス) - 今日も頑張っている先生のための元気な学校づくりゼミ

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ここにも書きましたように、学校づくりについて、参加者自身が実践できる具体的な内容やヒントを得られるようになることをねらって、運営します。

対象は教職員の方はもちろん、学校を応援・支援したい方にも役立つと思います。なぜなら、僕自身が教員ではなく、支援者の立場だからです。

おもな活動

  • ケーススタディ
    学校づくりの失敗例・困った例(複数の実例から組み合わせたリアルなもの等)をもとに、どのような教訓があるか、なにがまずかったのか、どうすればよかったのか、自分の学校に照らすとどうかなどについて、ディスカッションします。

  • ソーシャル・ブックリーディング
    月1冊、課題図書を決めて、感想や学校づくりに向けたアクション(行動案)について、ディスカッションします。
    読書して読みっぱなしにしない、ちょっとしたことからでも、行動につなげるというところがミソです。

  • オフライン勉強会(リアルゼミ)
    上記ケーススタディ、ブックリーディングなどをネタにフェイスツーフェイツーで対話・ディスカッションする場です。

 

テーマはいろいろ考えています。

教職員の多忙化問題・働き方改革、学校の組織マネジメント、カリキュラムマネジメント、リーダーシップ などなど

 

基本、双方向な場にしたいので、参加者からの提案、アイデアを受けて、いろいろ工夫していきたいと思っています。全国の熱心な方が集まる場になるといいな~と考えています。

岩瀬直樹さんをはじめ、この人に意見を聞きたいという方をアドバイザーやゲストとしてお呼びしたいとも考えています。幸い、教育業界で優れた実践家のお友達は増えました。僕自身が楽しみです。

かなり迷いましたが、参加費は月3000円にしました。

これ、かなり高いと思われた方が多いと思いますが、やはり無料や低料金だと、どうしも自分の時間の使い方として優先順位が落ちてしまいます。そうすると、双方にとってよくないので、お互い緊張感がもてるくらいの金額で、でも、一回の飲み会や子どものスイミングスクール代よりは安い水準にしました。

教職員の方は研修というと無料が当たり前の世界(これはかなり企業人にとっては驚きです)。このあたりも含めて、チャレンジです。

入退会は自由ですし、なにもオブリゲーションはありません。ぜひよかったら、のぞいてみてください。

”主体的・対話的で深い学び”をみずから実践する、アクティブラーナーたちよ、集え!

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◎『変わる学校、変わらない学校』引き続きよろしくお願いします~

 

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【学校のフシギ】新米教師の1年間は条件付き採用というのは理屈に合わない

日ごろ教職員向けの研修などをしていて、教育業界の方とはよく接しているつもりでも、まだまだ知らないことは多いし、フシギだなと思うこともけっこうある。

最近は、多忙化の問題や職場改善、教師の成長について、いくつか提案・実践している。そのなかで、先日の記事でも紹介したが、ある新任教員の自殺について調べていた。

2006年に、⻄東京市の市⽴⼩学校に勤務していた新任女性教員(25歳)が、採用されて半年後の10月に自殺を図り、意識を取り戻さないままその2か月後に亡くなったことについてだ。

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自殺の背景には、いじめ対応など学級運営でのつまずきや、保護者対応が非常に精神的に負担であったことなどが大きいのだが、もうひとつ、ひっかかることがあった。西東京市教育委員会の初任者研修のときに、条件付き採用が1年であることを紹介するときに、市教委の幹部が「休職する人は給与泥棒」、「1年間はクビにできる」とはっきり言ったのだそうだ。

今から10年以上前の話。さすがに、今ではこういう教育委員会はいないであってほしいが、どうだろうか?こうした乱暴な脅しも影響してか、この女性教師は無理をしてでもなるべく休まず、勤務を続けようとしていたふしがある。

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条件付き採用とは、企業でいう試用期間のことで、先生の場合は、身分保障に関する地方公務員法の一部規定が適用されないので、法律で定める事由によらなくとも、任命権者はその職員の降任または免職を行うことができる期間という意味。なので、「1年間はクビにできる」というのは、間違いではないのだろうが、パワハラととられても不思議ではないだろう。

それで、僕は知らなかったのだが、公立小中高の先生の場合、この条件付き採用は、次の法律で決まっている。

  • 地方公務員第22条
    臨時的任用又は非常勤職員の任用の場合を除き、職員の採用は、全て条件付のものとし、その職員がその職において六月を勤務し、その間その職務を良好な成績で遂行したときに正式採用になるものとする。
  • 教育公務員特例法第12条
    公立の小学校、中学校、義務教育学校、高等学校、中等教育学校、特別支援学校、幼稚園及び幼保連携型認定こども園の教諭、助教諭、保育教諭、助保育教諭及び講師に係る地方公務員法第二十二条第一項 に規定する採用については、同項 中「六月」とあるのは「一年」として同項 の規定を適用する。

つまり、普通の地方公務員は6か月だが、教員は1年が試用期間というわけだ。これは法律で決まっている。

でも、なぜそうなんだろう?

別に教師だけが1年雇ってみないと資質・能力が分からない、というものでもなかろう。だいたい、子どもを評価することが日常の学校なのに。かなり、おかしくないか?と思う。

文科省の審議会の報告によると、次の趣旨らしい。

児童・生徒の教育に直接携わる小学校、中学校、高等学校及び盲学校、聾学校及び養護学校の教諭、助教諭及び講師については、その職務の専門性から6か月間での能力の実証では不十分として、条件附採用期間が1年とされており 
(教育職員養成審議会 「養成と採用・研修との連携の円滑化について」 平成11年12月10日)

ちなみに、直近のデータでは、平成27年度に採用された教員のうち、条件付き採用の後、正式採用とならなかった人は、全国で316人、新採全体の1.03%であるから、99%の人はそのまま正式採用されている(平成25、26年度の数字でもこの割合は約1%)。

※関心のある方は、以下の資料に都道府県、政令市別の結果がある。

http://www.mext.go.jp/component/a_menu/education/detail/__icsFiles/afieldfile/2016/12/21/1380740_06.pdf

 

児童・生徒に直接関わるから、とか、職務の専門性という理屈は、かなりあやしいと個人的には思う。たとえば、公立病院の医師や看護師、薬剤師などは、人の命に係わる仕事だ。変な人がいたのではたまったものじゃないが、試用期間は1年などという特別の規定はなさそうだ(さっと調べただけなので誤解があるかもしれないが)。

だいたい、教師は子どもに多大な影響を与える重要な職だから、じっくり、慎重に、能力等を見極めねばならない、というならば、1年と言わず、さっさと半年以内にやめさせるべき人は退出願いたい。そうでないと、子どもの貴重な1年はどうするというのだろう?

初任者研修が1年間だから、条件付き採用も1年間としている、という説もあるらしい。これも、研修の趣旨と条件付き採用の趣旨はちがうし、一致させねばならない理屈が通っているとは思えない。

 

このことから示唆されるのは、どうも学校教育という世界は、あちらこちらで、タテマエを使い分けているふしがある、ということだ。

仮に、児童・生徒に多大な影響を与える重責を教師は担っている。だから、初任者研修は1年間充実したものをやらないといけない。という理屈ならば、なぜ、その研修中の、正式採用前の教員に、学級担任という影響力がばかでかい仕事を任せるのか???

保護者等の前では、4月当初から、「大丈夫です、この先生は若いけれど、難関な教員採用試験を突破され、学生や講師のときにも学校現場で経験を積まれている方です」みたいなことを言い、その片方では、「1年間はあなた方のこと、ぶっちゃけ、ちょっと不安なのよ」という制度のうえにいる。

たしかに、学級担任等の重責を新採に任せることと、条件付き採用で不適格な人を早めに退職願う制度とは矛盾するわけではない。しかし、バランスが悪いというか、両者の前提とする教師像がちがいする気がする。

むしろ、この1年間の条件付き採用というのは、マイナス効果のほうが大きいのではないか、という気さえしてくる。さすがに冒頭で紹介したようなパワハラ教育委員会はそうはいないかもしれないが、学校のなかでも、新任教員は辞めさせやすいということで、校長が変に強気にでる(ひどい場合はいじめる)ことも出てくるかもしれない。あるいは、新任教員のほうは遠慮して、校長等に意見を言いづらくなる、という委縮効果もあるのではないか?

同じような問題は、非常勤講師などの雇用が安定しない、非正規雇用の教員についても当てはまる話だ。

 

さて、どうしたものか。2つの道があるように思う。

1つ目は、法律改正まではハードルが高すぎるというのであれば、あるいは、現行法の趣旨には賛同するという立場であるならば、お試し期間なのだから、新任教員は副担任にとどめておくなど、きっちりケア・支援をすることだ。担任などの配置は校長裁量でなんとでもなるが、人がいないとなんともできないのだから、教育委員会の人事上の配慮が不可欠だ。

2つ目は、教育公務員特例法第12条はやめてしまう。(ただし、これでも半年は条件付き採用なのだから、4月からいきなり担任でよいのか、という問題は残る。)

 

みなさん、とくに新任教員の方やそれを乗り越えてきた方、教育行政の方はどう思うだろうか?

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【忙しい学校 どうする?】続:指導要録、通知表も変えられないか?

おととい、指導要録と通知表作成の負担をもっと軽減できないものか、とつぶやきに近い投稿をしたところ、思いのほかコメントやいいね!(150以上)をいただいた。ちょうど3月でタイムリーに先生方は苦労している頃だと思う。成績を付けるのは、すごく丁寧にやって当たり前の世界だと思われてきたと思うが、本当にそこまで丁寧にやるべきなのか、費用対効果はあるものなのか、すこし疑問を投げかけたい。

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指導要録は文科省のほうで参考様式を提示している。データは見つかっていないが、おそらく多くの教育委員会・学校がこれに習っていると推察する。が、参考なので、変更は不可というわけではない。

http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/nc/attach/1293808.htm

 

安易に簡略化することがよいとは思わないのだが、学習指導要領改訂も見据えて、ここ2、3年が見直すなら、チャンスだと思う。

海外と比べると、日本の指導要録や通知表は、すでに非常に簡素だというコメントもいただいた。

一方で、やはり現場の負担になっているという話もある。教育社会学者の久冨義之一橋大学名誉教授は次のように指摘している。

学習評価は教育の重要な仕事であるが、そもそも「観点別」に評価しなければならない必然性はない。その4観点、たとえば「関心・意欲・態度」「知識・理解」「技能・表現」「思考・判断」(科目や学年段階によって観点の名称が変わるものもある)は、もともと人間の「もののわかり方」として相互に重なり合っており、別々ではあり得ない。・・・(中略)・・・「無用に煩雑な作業量」を押し付けるものである。

日本の教師、その12章―困難から希望への途を求めて

日本の教師、その12章―困難から希望への途を求めて

 

 

僕自身の立場はといえば、正直、迷っている。いくつか論点別にすこし整理したい。

 

①通知表や指導要録には、本当のところ、どんな効果があるのか

次期学習指導要領改訂に関する中教審答申(「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の 学習指導要領等の改善及び必要な方策等について 」)の中から引用しよう。

「子供たちにどういった力が身に付いたか」という学習の成果を的確に捉え、教員が指導の改善を図るとともに、子供たち自身が自らの学びを振り返って次の学びに向かうことができるようにするためには、この学習評価の在り方が極めて重要

なるほど。指導の改善を図ることと、子どもにとっての振り返りとなるわけだ。後者については、たしかに通知表の機能もそんな気もする。

指導の改善という点では、負担軽減も大事だとしても、指導要録・通知表を今より簡素にすると、教師たちは、きめ細かく子どものことを見て、振り返る機会が減ってしまう、という見方がありそうだ。

しかし、一方で、子どものことをきめ細かく見たり、改善を図ったりするのは、日常の授業等でやっているのであって、指導要録等があるからではない、という反論もありそうだ。実際、とくに小学校の先生等は、子どもの宿題やノートなどを細かく見てコメントを返しているような例もある。そんな一生懸命な先生なら、指導要録があろうがなかろうが、子どものことはある程度はわかっているはずだし、日常のなかで学習評価はしっかりやっているとも考えられる。

なので、この論点をもう少し分解すると、指導要録や通知表があるおかげで、どのくらい指導の改善や子どもの振り返り効果が高まっているか、ということだろう。

この点について、本音ベースの議論がどれだけできているのだろうか、疑問だ。指導要録なんて形骸化しているという現場の声はたびたび耳にする。指導改善への効果があるなら、形骸化とは言わない。

 

②仮に簡素にするとすれば、どの点ができるのか

ひとつは、先ほどの4つの観点別評価をどうするかという点にあると思う。ただ、次期学習指導要領のもとでは、3つに整理されるようだ。先ほどの中教審答申から再び引用する。

小・中・高等学校の各教科を通じて 、「知識・技能」「思考・判断・表現」「主体的に学習に取り組む態度」の3観点に整理することとし、指導要録の様式を改善することが必要である。

ふむふむ。ちょっとは簡略になりそうだ。この点を見越して、来年度から指導要録を整理しなおしてもよいかもしれない。

ただ、まだモヤモヤするのは、教科や学年によっては、「知識・技能」と「思考・判断・表現」は一緒でもいいんじゃないかな、とも感じる。2分割するのは、知識と活用力という頭の整理だと思うが、知識なしで活用だけできるというのも少ないだろうし。このへんは僕は詳しくないので、専門家や現場の声としては、いろんな考え方があると思うのだが、どうだろうか???

もうひとつは、5段階などの評価のところではなく、文章記述のところだ。これは指導要録については情報開示請求がくることもあるので、大変気をつかって書いていると思う。かけている時間、負担と効果との見合いで考えると、もっと簡略でもいいんじゃない?という意見も出てきそうだ。どうだろうか?

 

③ちょっとした点で負担を減らす工夫はできないか

Facebookでコメントをくださったある中学校では、来年度から、通知表は普通紙でプリントし、クリアファイルに入れて渡す方式にするそうだ。1年間一枚の通知表に印刷するのは、位置合わせなどけっこう神経を使う作業。ちょっとした気づきと改善だと思うが、いいアイデアだと思う。

 

とくに結論はでていないが、以上3点について、現状のままのやり方が必ずしもいいとはかぎらない。ぜひいろんな知恵、アイデアを出せたらと思う。

 

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【忙しい学校 どうする?】指導要録、通知表も変えられないか?

なんでも簡略化すればよいという話ではないのけど、指導要録と通知表をなんとかできないか、もやもや考えている。
通知表は、みんなもらったことがあると思う。
指導要録というのは、通知表に似ているけれど、学校が保管する書類で、児童・生徒の氏名、住所、出席状況や健康状態、学習の状況・結果などを記したもの。
 
最近まで僕はちゃんと知らなかったのだが、指導要録は、学校教育法施行規則において、作成が義務付けられているので、なくすことは(法改正がない限り)できない。通知表は法的根拠は実はなにもないものなので、作成する、しない含めて自由、校長の裁量である。ただし、通知表だけやめたとしても、どうせ指導要録を作らないといけないなら、そう教員の負担は減らないと思うし、通知表なしでは、保護者等へのコミュニケーションもむずかしくなるかもしれない。
 
いくつか調査を見ていると、通知表をつけたり、指導要録を書いたりする成績処理が先生の負担となっている。
文部科学省「教員勤務実態調査」(2006年7月分)によると、小学校の先生は成績処理(この調査では成績処理に関わる事務、試験問題作成、採点、提出物の確認、コメント記入等を含む)に1日平均1時間40分(中学校の先生の場合、1時間14分)使っている(持ち帰りも含む)。
休日残業も中学校の先生が多くを部活動に使っているのに対して、小学校では約2時間成績処理に費やしている。
 
また、文部科学省が2014年に全国の公立小中学校451校、小学校教諭3,364人、中学校教諭3,393人に調査したところ、50%以上の教員が従事する業務のうち、負担に思う人の割合が高いものは、「国や教育委員会からの調査やアンケートへの対応」、「児童・生徒、保護者アンケートの実施・集計」、「研究会等のレポート作成」、「保護者・地域からの要望・苦情等への対応」、「通知表、指導要録の作成」など。
 
実際の教員の声としても、学校で音楽(または美術、技術家庭など)担当は自分だけみたいなケースだと、膨大な生徒数の成績を付けなければならないと聞く。
指導要録は、文科省の通知で様式例が示されているが、「学校や設置者においては,学習評価の妥当性,信頼性等を高めるとともに,教師の負担感の軽減を図るため,国等が示す評価に関する資料を参考にしつつ,評価規準や評価方法の一層の共有や教師の力量の向上等を図」りなさいとある。つまり、学校や教育委員会で一定のカスタマイズはしてもよいものなのだ。
 
僕が知らないだけかもしれないが、指導要録については、多少でも簡略化したという例はほとんど聞いたことがない。むしろよく聞くのは形骸化しているという話だ。
  • 本人や家族から情報開示請求がくることもあるので、指導のなかで気になったことがあっても、ネガティブ情報は書きづらい。
  • 通知表があるのに、なぜ指導要録まで必要なのかよくわからない。
    ※校務支援システムなどのITで両者の作成・連携をしている学校も多いと思うが。
  • 各教科、観点別に細かく記載しなければならないので、手間が膨大である

きめ細かく学習評価をすることで、日々の授業に活かすということや、担任が変わってもある程度の情報はちゃんと引き継がれることなどは必要だと思う。だから、指導要録がまったくムダだとは思わない。しかし、もし、本来のそうした目的や機能が、実際はあまり機能していないとすれば、何のために膨大な時間が使われているのかということになる。

この問題は、まだあまり実態把握できていないので、安易にそう結論づけたりはしないが、実際のところどうなのだろうか???

聖域視されているテーマかもしれないのだが、、、文科省も様式は参考案と言っているのだし、教育委員会で見直している例は出てこないものかな???

 

★今日はここまでにします。また近いうちにアップします。

 

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【忙しい学校 どうする?】新人教員自殺の訴訟から考える、ずさんな労務管理

今日は、なにやらプレミアムフライデーだそうでして、いやはや最初聞いたときは、これはスーパーの安売りセールか、それとも特大エビ天でも出てくるのかと思いやした。

・・・と、まあ、冗談はさておき、午後3時には仕事を終えて人生楽しみましょうや、という趣向のようです。そんないいことなら月末金曜だけと言わずに、もっとやったらええがな、と思いますが。月1でも、なかなかやれる企業や役所は少ないかもしれませんね。

学校はと言いますと、おそらく今は年度末に向けて成績処理やら卒業式の準備やらで、忙しい時期ではないでしょうか?ここに地方議会の対応で質問なんて飛んでこようものなら、調査ものも出てくるかもしれません。なかなか3時に終われる先生は少ないでしょう。

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さて、昨日は忙しい学校をどうするか、考えて行動するうえで、重要な判決が出ました。朝日新聞2017年2月24日より引用します。

 東京都西東京市の市立小学校で2006年、新任の女性教諭(当時25)が自殺したことをめぐり、両親が地方公務員災害補償基金に対し、公務災害と認めなかった処分の取り消しを求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁(後藤博裁判長)は23日、一審に続いて「自殺は公務が原因」と認め、処分を取り消した。

 判決によると、女性は同年4月に着任。2年生の学級担任になったが、保護者からのクレームなどへの対応が相次ぎ、7月にうつ病と診断された。10月に自殺を図り、約2カ月後に死亡した。同基金が自殺と公務との因果関係を認めなかったため、両親が提訴した。

 判決は「上司からの手厚い指導が必要だったのに、その形跡はない」と述べ、女性への支援が不足していたことを指摘。校外の初任者研修で指導担当者が「病休・欠勤は給料泥棒」と発言したことなども認め、「業務による強いストレスがあった」とした。
両親によると、女性は小学校時代の担任らにあこがれて、教員を目指したという。判決後に会見した父親(68)は「いまも教育の場でこういう状況が起きていると聞く。次世代を育てるという教育の場が正常化されることを願っています」と話した。(朝日新聞2017年2月24日)

 

保護者対応の問題、学校側の組織的なサポートのなさ、初任者研修での指導という名のいじめなど、反省し、検討しなければならないことはたくさんあります。

自殺を図る約1週間前、母親に送ったメールが残っています。

泣きそうになる毎日だけど。。。。でも私こんな気分になるために一生懸命教師を目指したんやないんに・・・おかしいね。今日も行ってきます。

なんとも悲痛な話です。昨年12月には、NHKの取材によると、ここ10年の間に少なくとも新人教員の20人が自殺したことが報道されました。

新任教員だけの問題ではありませんし、数の問題でもありませんが、このような自殺が一人でも起きてほしくない。そのためにどうするか、自分に何ができるかを問う日々です。

 

今日は今回の訴訟からも提起される、次の問題をとくに取り上げたいと思います。

女性の死後10年以上たっても決着がついていない理由の1つに、学校の労務管理のずさんさが挙げられる。

労災・公災では、過労死ラインと呼ばれる80時間超の時間外労働などが証明できれば、認められやすい傾向がある。しかし、代理人の平本紋子弁護士によると、今回の事件では、タイムカードなど客観的な時間を示す証拠がなかったという。

「自宅での仕事もかなりあったはずで、私たちは少なくとも100時間以上の時間外労働があったと考えていますが、客観的な証拠が乏しかった。長時間労働が認められれば、早く決着がついたと思いますが、トラブルなどの負荷の部分で争わざるを得ませんでした」(平本弁護士)

それでも裁判では、最大で月75時間程度の時間外労働が認められた。

(弁護士ドットコム記事2017年2月24日)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170223-00005747-bengocom-soci

教師の過労、働き過ぎの背景として、この記事で指摘されているように、学校の労務管理が甘々であることがあります。

そもそも、教員には残業代は出ない(正確に言うと、教職調整額といって4%だけ上乗せで支給されている)ため、労務管理という意識が管理職にも、一般の教員の側にも乏しいのが多くの学校の現実です。

データを確認しましょう。

文部科学省「教員勤務実態調査」(2006年)によると、教員の毎日の退勤管理をどのように行っているかという質問に対して、小学校では「報告や点呼、目視などで管理職が確認している」(66.2%)、「とくに何も行っていない」が18.1%です。「タイムカードなどで退勤の時刻を管理している」は0.1%に過ぎません。

中学校では、「報告や点呼、目視などで管理職が確認している」(70.7%)、「とくに何も行っていない」が21.5%です。「タイムカードなどで退勤の時刻を管理している」は0.2%に過ぎません。

高校では、「報告や点呼、目視などで管理職が確認している」(58.0%)、「とくに何も行っていない」が38.7%です。「タイムカードなどで退勤の時刻を管理している」は0.0%です。

まったく笑い話のようですが、「報告や点呼、目視」と言っても、管理職がいない(早く帰った)ときはどうしているのでしょうか?

 

さすがに、これは10年前の調査なので、ITの進化も目覚ましい最近はもっとよくなっているかと思いましたが、どうもそうとは言えないようです。

連合総研の2015年の調査によると、「出・退勤時刻の把握は行っていない」、「出勤簿への捺印により」、「把握しているかどうかわからない」といった回答が多く、これらを合わせると、小中学校とも8割近くに上ります。

出勤簿への捺印は朝出勤したかどうかの確認にとどまっている可能性が高い(つまり退勤時間の把握にはなっていない)と思います。蛇足ですが、霞が関の中央省庁でもいまだに、捺印による出勤管理が行われているところは多くあり、企業出身者の多くはびっくりしていました。

 

つまり、2つの調査からわかるのは、タイムカード等である程度はきちんと把握している学校は1割あるかないかに過ぎない、という事実です。

ご案内のとおり、これでも総労働時間の把握ではありません。職員室を出た後の部活動指導や自宅での持ち帰り残業も多いからです。それにしても、大変お寒い事情と言わざるをえません。

学校や教育委員会にはもともと予算がそうないという事情はありますが、教職員の働く環境という点に予算配分の優先度が低すぎたという結果でもあります。

今回の訴訟だけではありません。いくつかの訴訟をみても、教員の過労といっても、労働時間の認定は困難がつきまとっているようです。それから、もうひとつの問題として、残業が管理職の指揮命令下のものではなく、教員の自主的なもの、だから管理職の責任はない、といくつかの判例では認定されてしまっています。これもなんともオカシナ話なのですが、別のところで改めて解説します。

もっとも、労働時間を把握したからといって、教員の仕事が減るわけではありませんから、多忙化解消にはつながりません。しかし、多くの場合、学校というところは、管理職も同僚も大変マジメな人が多い職場なので、現実をよく見るというのはとても大切です。一生懸命子どものために働いているのはすごいけど、さすがにヤバい量だよと、気づけるようにしておくのです。

具体的にはどのようなことから始めたらよいでしょうか?

とってもアナログな方法ですが、各教職員が帰るときにはボードか用紙に退勤時間を書き込むといったことから始めてもいいかもしれません。

もっとしっかりした方法を行うなら、京田辺市の事例が参考になります。パソコンのログオフ時刻をもとに、翌日には管理職のPC上に各教職員の退勤時刻が一覧で出てくるようになっています。深夜まで残業している人の欄は赤くなりますし、昨日はだれが大変だったのか、最近遅くまで残ることが多いのはだれなのかなどの情報がわかります。

★図はイメージアップのためのデモデータです。

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 出所)文部科学省学校マネジメントフォーラム資料(2016年10月28日)

 

繰り返しますが、出退勤の時間把握をすれば、それで長時間労働の削減になるというほど甘くはありません。しかし、確かな現状把握なしに、問題や課題を明らかにすることはできません。

★今日はここまでにします。また近いうちにアップします。

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【小難しいこと翻訳するぞ】カリキュラムマネジメントってなんなのさ?

新しい学習指導要領案、読んだ?

先日案が公開された次期学習指導要領では、小学校では英語が5年生から正式教科になり、3年生から外国語活動が始まったり、プログラミング教育が盛り込まれたり、教える内容は増える見込みです。

また、小中学校で「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニング)」を、中学校では英語の授業は原則英語で行うよう求めるなど、授業方法の改善も盛り込まれています。

現場は大変ななか、期待を寄せられているカリマネ

新聞報道等では「教員の長時間勤務が指摘される中、学校現場の負担は増すことになり、『質と量』を両立させられるかが課題になる」(朝日新聞2017年2月14日)、「心配なのは、先生の多忙を解消できるかだ。ただでさえ、授業時間が満杯なのに、英語やプログラミング教育などを押し込んで消化できるか。」(中日新聞2017年2月15日)といった指摘が目立ちます。

これに関連して中教審の学習指導要領改訂の答申を取りまとめた無藤隆教授は、次のようにコメントしています。

「これ以上学校に求められたらパンクする」という現場の声を踏まえ、ポイントとなるのが「カリキュラム・マネジメント」だ。教員が個々で取り組むのではなく、連携し、学校全体の教育力を高めるというイメージだ。学校が引き受けてきた慣例を一度整理し、地域や家庭が得意なところをお願いし、メリハリと重点化が必要だ。
(朝日新聞2017年2月15日)

んーどうでしょう?新聞の限られた文字数ですし、これだけ読んでも、いまひとつピンとこない方が多いのではないでしょうか?

写真は今回のテーマには関係ありません。今日の食べた大阪のたこ焼き!写真のあとで解説はつづく。

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ぶっちゃけ、カリキュラムマネジメントってなんなの!!??

読者のみなさんにとっては、ちょっと退屈かもしれませんが、まずは新しい学習指導要領案の該当箇所を見ましょう。小学校も中学校も文言はほとんど同じ(児童と生徒のちがいくらい)、各2か所登場します。アクティブラーニングというカタカナ語が表面上は消えたのに比べると、大きな扱いと言えるでしょう。

※引用のあとに少し僕のコメントを入れます。

各学校においては,児童や学校,地域の実態を適切に把握し,教育の目的 や目標の実現に必要な教育の内容等を教科等横断的な視点で組み立てていくこと,教育課程の実施状況を評価してその改善を図っていくこと,教育課程の実施に必要な人的又は物的な体制を確保するとともにその改善を図っていくことなどを通して,教育課程に基づき組織的かつ計画的に各学校の教育活動の質の向上を図っていくこと(以下「カリキュラム・マネジメント」という )に努めるものとする。

ふむふむ。長い文だなあ。。。。215文字!

どうも学校ではカリマネというのが必要らしいということは分かるが、抽象的な説明が続いて、わかりづらいよね。。。学習指導要領解説では懇切丁寧に解説してくれるのかなあ???そもそもこれを書いた文科省の人はほんとに腹落ちして書いているのかなあ?

 各学校においては,校長の方針の下に,校務分掌に基づき教職員が適切に役割を分担しつつ,相互に連携しながら,各学校の特色を生かしたカリキュラム・マネジメントを行うよう努めるものとする。また,各学校が行う学校評価については,教育課程の編成,実施,改善が教育活動や学校運営の中核となることを踏まえ,カリキュラム・マネジメントと関連付けながら実施するよう留意するものとする。

ほほう。学校で特色を出せと言っているらしい。特色って文科省や学校現場はほんと好きだなあ。。。そして、学校評価と関連づけよと。ん~、どういうことなのかなあ?謎は深まる。。。

なぜカリキュラムマネジメントはわかりづらいのか?

という感じでしょうか?関連する中教審答申にはもっと詳しく書いていますが、長くなるので、ここでは引用しません。

答申を読んでも、どうもこの、カリキュラムマネジメントというのは、実にわかりづらい。

なぜでしょう?

それは、組織マネジメントという言葉もそうなんですが、むずかしい言葉がドッキングしているからです。まずカリキュラムという言葉の意味、次にマネジメント。2つともやっかいな多義的な言葉なので、それがドッキングした言葉はもっとわかりづらい。

 

とまあ、文句ばかり言ってないで解読を、進めます。

カリマネの定義は論者により少しずつ異なる点もありますが、第一人者のひとりの田村知子准教授は「カリキュラムを主たる手段として、学校の課題を解決し、教育目標を達成していく営み」と説明しています。そしてカリキュラムマネジメントの目的は、各学校の教育目標の具現化にある、としています

※田村知子(2014)『日本標準ブックレットNo.13 カリキュラムマネジメント―学力向上へのアクションプラン―』、田村知子ほか(2016)『カリキュラムマネジメントハンドブック』などを参照。

カリマネのエッセンスは何か?

なるほど、文科省や中教審よりは短い文でスッキリしてますね。

ただし、この定義では広すぎて、さまざまな要素が入ってきてしまいますから、学校現場は混乱しないでしょうか?だって、課題解決とか教育目標達成とか言ったら、なんでもそうじゃないですか?たとえば、挨拶のしっかりできる礼儀正しい子を育てるという教育目標のために挨拶運動を毎日やります、としたら、これもカリマネで改善していくの??

そして、あたかもカリキュラムマネジメントが特効薬のように期待されても、学校がよくなるとは思えません。逆に、形だけのカリキュラムマネジメント、なんとなくやったふりをするカリマネ(これをぼくは”仮マネ(仮そめのマネジメント)”と命名いたします!)が広がっても、ダメでしょう。

いろいろ僕も悩みましたが、いまは、こう捉えたほうがよいと考えています。

読者のみなさん、どうですか?ご意見、ご感想は気軽にお願いします。

⇒senoom879あっとgmail.com またはフェイスブックメッセージ

  1. カリキュラムマネジメント(カリマネ)とは、まったく新しいことではなく、いまも多かれ少なかれどこの学校でも行っていること。ただし、これまで多くの学校では、教科ごと、あるいは学年ごとに年間計画を立てた上で、そのあとのことは、各教師が授業を行い、各教師で振り返るという個業(個人プレー)であることが多かった。
  2. カリマネでは、個業にとどめず、各教科で取り組んだことと教科横断で挑戦してきたことを教科単位や学年、学校全体で振り返って、教育課程に反映し改善していくことを強めていく必要がある。
  3. たとえば、あなたの学校で「子どもの表現する力を伸ばしたい」という目標があるとする。表現力をつけるために、国語ではどうしていたか、社会や総合ではどうしてきたか、それらの関連はうまくできていたか、ゲストティーチャーを呼ぶなど教育効果を一層高める工夫はなされていたかなどを振り返って、次年度の教育課程では具体的にどの点をもっと見直せばよいか、どのような点はよい傾向にあるので継続・発展させていくかなどを検討していくこと。
  4. カリマネの主たる狙いは、教育活動を組織的に向上させること(≒学校教育目標の達成の一部)にあり、多忙化対策ではない。とはいえ、カリマネを錦の御旗にして、各学校は教育課程を編成・見直すなかで、薄くてよい単元(さっと終わらせるもの)等を明確にしていくことも、多忙化の現状に照らすと重要となる。
  5. 学校評価を通じて、教育活動や教育課程を評価し、見直すこととカリマネが重なる点は非常に多い。ただし、次の点で留意が必要である。
  • 学校評価は教育活動だけでなく、学校の組織運営も対象としている点で、カリマネの主たる関心とは少しずれる。(ただし、カリマネの定義が田村准教授のように広い場合は、学校の組織運営もカリマネの検討対象となりうる。ややこしいなあ。)
  • 少なくない学校で、学校評価というものが、教職員、生徒等へアンケートをとるなどして、その結果を眺めてちょこっとコメントする程度に終始していることもあり、教育活動や教育課程の改善にまでは本気で踏み込めていない現実がある。
  • そのため、学校によっては、学校評価を衣替えして統合・発展させたものとして、カリマネを位置付けてよいと思われる。あるいは学校評価と一体的に取り組むものとしてカリマネのことは説明する。新しいものが純増すると教職員に思われては、多忙化した今日、現場ではまず浸透しないのだから。

★今日はここまで。では近いうちに!

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【忙しい学校 どうする?】職場改善・業務改善で大切にしたいこと

今週は宮崎県教育委員会の研修で、職場改善、多忙化対策をテーマに小中学校、特別支援学校の校長先生たちにお話しました。

★だれが、どのくらい多忙なのか

★多忙化の影響はどこにくるか

★なぜ多忙化は解消してこなかったのか

★どうしていくか

の4点について提案しました。

  宮崎といえば、南国!

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校長頼りばかりでもいけませんが、やはり校長の考え方が変わると、学校は前にとても進みやすくなります。ぜひ教職員や地域のアイデアを集めて、少しずつでも多忙化に対して行動してほしいと思います。

また、先生たちは、減らす、やめるということは苦手です。そこは校長が決めなければならない点もあります。

学校は前例・伝統・慣例が大好き。もちろんよいものは続けていくべきでしょうが、そもそもの目的を確認し、必要性の薄いものはやめる、または別のものと統合・整理するといったことをしていく必要があります。

こうした研修は、10月に文科省の学校マネジメントフォーラムで基調講演したときの提案が軸となっています。このときより今はお話できるデータや事例も増えていますが、基本はこのときのものです。

先週、マネジメントフォーラムの動画がyoutubeにアップされました。

資料も公開されていますので、当日参加された方はまた気持ちを確認するために、参加されなかった方は参考になる点があれば、御覧いただけると、うれしいです。

もちろん、僕以外の講演や事例発表もたいへん勉強になります。会場にいたときの臨場感まではビデオではいまひとつ伝わりませんが、2回ともとても盛り上がりましたよ。

★妹尾のプレゼンは開会・行政説明のあと、2/6です。自分の声は聞きなれないし、ちょっと恥ずかしい。

youtu.be

資料はスライドシェアでも公開しました。

www.slideshare.net

※資料は文科省のページにもアップされています。

第1回学校マネジメントフォーラムの開催について:文部科学省

第2回学校マネジメントフォーラムの開催について:文部科学省

 

感想などはお気軽にどうぞ。

講演・研修依頼も募集中です。九州ですと、少し前には大分県で学校と地域との連携・協働をテーマにも研修しました。温泉もたくさんあるし、ご飯はうまいし、また訪れたいです。

★それでは、また近いうちに書きます。

 

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