妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

忙しいなら、形骸化した授業研究会はやめちゃえば?

昨日は子どもより早く20時ごろに寝てしまい、今日は3時起き。真っ暗ななかチャリを飛ばしてファミレスに行って、早朝からハンバーグとカキフライ定食。カロリー高っ。

さて、昨日読んだある学校の先生の記事に、”目標は「血まみれを避けること」?”というタイトルで授業研究について書かれていて、とても興味深かった。次の一節は共感する方も多いのではないだろうか?

公開授業は教員にとって非常に緊張する場面のひとつ。「今日はいつも通りの授業をします」とは言うものの、わざわざ言う時点ですでにいつも通りではない。事後の研究協議会では、どんなことを言われるか緊張している。なんとかそこで叩かれ斬られ、血まみれになるのは避けたい…。そんな気持ちで協議会の時間を過ごしている人も少なくないのではないだろうか。

askoma.info

授業研究のスゴさとフシギさ

日本の授業研究はlesson studyと呼ばれ、海外からも注目されている。日本の子どもたちの学力が世界でトップクラスを続けているということもあり、教員が孤立せず、教え合っているという姿が興味深く見られているようだ。このあたりは、日本の強みとして、日本の行政も教師自身ももっと自信をもってよいと思う。

しかしだ。先ほどの記事や引用されている記事などにあるように、授業研究にはいろいろな課題がある。形骸化しているという声も、実際学校の先生たちから何度も聞いたことがある。

僕のような教師ではない立場から、少しキョリをおいて見ると、授業研究会はフシギなことが多い世界だ。今日は3つの点に整理する。

※写真はあまり関係ないですが、葉山の海です

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①公開授業当日と事前準備でエネルギーが尽きてしまうこと。

指導案の作成などに大変時間がかかる例もあると聞く。丁寧な指導案を書くことでより緻密に計画でき、また自身の考えが深まることもあるだろうとは思う。神は細部に宿る、という格言もある。指導案の検討が一概に悪いとは言えない。

しかし、多くの教師がこの事前準備と大変緊張する当日で、もうエネルギーを使い果たしてしまう。つまり、事前と当日が丁寧な割には、事後のフォローアップが脆弱なのだ。事後研などと呼ばれる、授業の進め方やあり方を検討するのは、授業の当日(授業の後の研究会という意味)であって、その後のことは授業者任せだ。

指導案をちゃんと作れるようになりたい、というのが授業研究の目的であれば、事前準備傾倒でもよいかもしれないし、当日細かい指導が入るということでもよいだろう。しかし、多くの場合、授業研究は授業改善のため、または授業への気づきをお互いに得るために行っている。この目的、そもそも論がいつの間にやら、うすれてしまっている。

この目的に照らすなら、本来は、授業研究の後、授業がどう変わっていったか、そしてそれは子どもたちにどのような変容となったかなどを話し合うフォローアップもあってしかるべきだろう。しかし、そこは忙しいからできないのだろうか?

たしかに、中高のように同じ教科の同じ単元を別のクラスで実践できる場合と異なり、小学校の場合は、次この単元をやれるのは何年後かわからない。そのころには自分の教育観も、学習指導要領も、教科書も変わっているかもしれない。だが、なにもその単元だけのノウハウを交換するのが授業研究ではないと思う。ちがう単元や教科でも、今日、明日から活きることを情報交換することと思う。

②もっといろんな方法が試されていい。

紹介した記事にあるように、伝統的な方法では一部の人の意見しか集まらないことが多いようだ。それに声の大きい人の批判や評論ばかりでは、本人も職場も元気は出ない。

他方で、ワークショップ型も悪くないけれど、発散型が多くて、深まらないこともあるように見える。なんでもかんでも、KJ法やワールドカフェがいいとは限らない。薬と同じで、使用方法と効用をよく見ることが肝心だ。

ワークショップ型では、先日参加した横浜の永田台小学校の授業研究が興味深かった。指導案は1枚だけで簡略化。授業者は悩んでいることや挑戦したいことを事前に宣言しておき、そこを中心にアイデアを交換する(モヤモヤとチャレンジ)。
※詳しくは下記に書いたので、御覧ください。

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もうひとつの例は、『「つながり」で創る学校経営』という本に紹介されていたある小学校の事例。

  • それぞれの学級で低学力に停滞しがちな子どもを「伸びてほしい子」として2、3人設定。
  • 「伸びてほしい子」を中心に、①各学年と子どもの実態(学力の状況など)、②教員の実践と成果と課題、③今後の実践の方向性の3点に関するレポートを作成。この3点は必ず含むとして、その他の内容や体裁などは自由。
  • 各教員が作成するレポートをもとに、教員間で情報・知識を共有する「場」を研修時に設定。低・中・高の学年ブロックでの研修と、全教職員の研修の2つの機会を活用。
  • 校内に「学校改善検討委員会」を設置し、その委員会が、レポート検討会で出された情報や意見を集約し、学校として共通に考えるべき課題や改善点等を教員にフィードバック。

手間はかかるけれど、レポートを書く過程で考えが深まるし、特定の人だけではなく、教師がみんなで取り組む点も興味深い。レポートを材料に職場で助言し合う関係づくりも進む。

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これらは一例で、一長一短はあろうかと思う。ただ、伝統的な方法、あるいは単純なKJ法のワークショップだけではない、いろいろな方法や場がもっと試されていいと思う。


③校内研修会といえば、なぜか授業研究ばかりなこと。

授業改善が大事なことには異論ないけど、みんなで知恵出すのはそこだけじゃないんじゃないか、と思う。忙しくて時間ないなら、なおさら、貴重な時間の使いかたはよく練らないといけない。

たとえば、先日文科省の学校マネジメントフォーラムで僕が講演したときに、業務改善したいと思うことのアイデアを参加者に出してもらった。わずか5分や10分の間にたくさんのアイデアが出た。そして、そういうアイデアを出す場はほとんど学校ではこれまでなかった、という人も多いというのだ。

別の例では、友人の川口市の事務職員の栁澤靖明さんの実践がある。彼は校内研修の一部を事務職員枠として確保してもらう。そして、学校の財務状況や子どもの貧困問題について解説したり、情報交換したりする。

ところで、ある先生は「学校では一生懸命やることが美徳」と言っていた。これはいい意味でもあるし、だから多忙になるという悪い意味も含んだ言葉だ。教職員のエネルギーと時間は限られている。その使いどころと、使い道はもっと考えられてよい。

もし、いまの授業研究が時間の割には効果はうすい、という問題意識があるなら、別の実施方法や、別のテーマとしてしまうことも考えてはどうだろう?

 

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日本の学力は世界トップクラスだけど、報道や専門家の言うことは疑おう

昨日、2015年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が公表されました。このテストでは、小学校は50か国・地域(約27万人)、中学校は40か国・地域(約25万人)が参加したとても大規模なものです。日本でも148校の小学校4年生約4400人、147校の中学校2年生約4700人が参加したのですから、信ぴょう性は高いとみてよいでしょう。

日本は小中の全教科で平均得点が過去最高を更新したこと、小学生の理科が3位、中学区制の理科が2位となるなど、順位も上がりつつあることなどが報道されています。

しかし、報道されている内容や引用されている専門家のコメントには、かなりあやしい部分もあります。ほんまでっか?っていっぱいツッコミたくなります。

www3.nhk.or.jp

www.jiji.com

①注目するべきは低学力層の子どもが減少傾向にあること。

まず、多くの報道が平均点が上がったと喜んでいることです。統計の初歩ですが、平均だけを見ていると見誤ることはよくあります。よく言われているように、日本の小中学生は「ふたこぶラクダ化現象」が起きています。つまり、学力の上位層と下位層の二極化です。仮に上位層だけが上がっていて平均点を押し上げたのであれば、下位層は心配ですよね。中学生や高校生でも九九ができない、分数が分からないという子もたくさんいます。

この点、今回の結果はグッドニュースとみてよいと思います。次のグラフは日本の子どもたちの算数・数学の点数別の結果の推移です。

<算数・数学の結果>

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文科省が述べるとおり、今回、550点未満の層は減少したことが分かります。

同時に、625点以上の高学力層も増えています。これらのことから下位層は減って、上位層は増えているので、平均点は上がっている。ただし、依然として、下位層も約3割いることには注目です。

おととい、効果のある学校づくりなどが専門の鳴門教育大学の久我直人先生と、横浜でコミュニティスクールを12年間なさっている竹原和泉さんとお話していたのですが、次の点で意気投合していました。

  • 学力・学習状況調査の結果などで、学校は平均点に注目しすぎる。県平均や全国平均よりよかったとか、前回と比べて上がっているとか。しかし、もっと意識してほしいのは、平均点に満たない子たちがどうなっているか、その子たちをどうしていきたいかだ。
  • 平均点を大事にする教育は、平均点以下の子を大事にしない教育。

 

※細かい点ですが、なぜこの点数区分なのかは疑問です。500点がこの調査の基準点なのに、500点では区切っていません。また、日本の平均点は、たとえば数学であれば毎回570~580点のあたりで推移していますから、そのへんで区切ったほうが平均点より下の子、上の子と見えやすいと思います。

※データの詳細はこちらにあります。

国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の調査結果:文部科学省

 

②脱ゆとり教育のせいで学力アップした、は本当か?

専門家のコメントや文科省の分析として、脱ゆとりで教える内容を増やした成果ではないか、と引用されています。これは、本当なのでしょうか?

次の表は日本の子どもたちの平均点の推移です。

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今回は中学2年生について見ましょう。2003年に数学が少し下がりますが、おおむね、1995年~2011年までの間、数学は570点前後で、理科は550点前後で横ばい傾向であったことが分かります。

実は「ゆとり教育」をどこからどこまでの期間を指すのかは論者によって異なることもあるので、やっかいなのですが、中学生の授業の時間数(コマ数)を見ると(1コマは50分)、

平成5(1993)年度~ 3150コマ

平成14(2002)年度~ 2940コマ

平成24(2012)年度~ 3045コマ

です。2002年度から授業時数はかなり減りました(教える内容も)から、これをゆとり教育とか、ゆとり世代という人がかなりいます。

※ややこしいことに、2012年度からの学習指導要領で理数科目は2009年度から前倒しで実施された点は注意。

つまり、TIMSSの2003年や2007年の結果は、授業時数が少なかったときの結果です。数学がちょっと下がったとはいえ、大きな低下は見てとれません。また、仮に脱ゆとりが功を奏しているのであれば、前倒しで学習内容を増やしていた2011年の結果も上がっていないといけませんが、そうではありません。

加えて、先ほどの点数別の推移を見ても、数学の下位層の割合は、2003、2007、2011年とほぼ横ばいで推移しています。理科はこの期間、下位層はやや減少傾向です。

ゆとり教育を呼んでも呼ばなくてもよいですが、あまり明確に学習指導要領改訂の影響は見えないのではないでしょうか?

むしろ、別の国際調査で明らかなように、日本の教師は世界一、長時間労働です。限られた授業時間と忙しい毎日の中で、下位層への底上げを含めて、学校はかなり奮闘している、と分析したほうが事実に近いと思います。

③学力は高くても、なぜか劣等感は高い特異な国、ニッポン

実は学力以上に気になるデータがこの調査からは明らかとなっています。

次のグラフは算数・数学は楽しい、得意だと肯定的に回答した子どもたちの割合の推移です。国際的な平均とも比較しています。

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肯定的な回答は増加傾向にあるといえ、日本の子どもたちは、世界トップクラスの学力なのに、楽しい、得意だという子は少ないのです。中学生の数学では6割にも苦手意識をもっているのですから。

これをどう見るか?

”謙虚な国民性の表れ”などと悠長なことは言っていられません。推測されるのは、学校の中や塾、あるいは家庭で、子どもたちはたびたび比べられて生きています。仮に国際的に見て高学力層の子であっても、クラスメイトと比べて、あるいは親には兄弟と比べられて、劣等感をもっている子もいるのかもしれません。

また、テストの点はそこそこ取れても、テストや入試でよい成績をとることが目的化していて、学習することの楽しさや好奇心を育めていない、という学校教育や家庭教育の課題が見え隠れするデータとも解釈できます。

コーチングやアクティブラーニングで著名な本間正人教授は次のように述べています。

私は、社会人としての成功の鍵は「最終学歴」ではなく、「最新学習歴の更新」にあると考えています。 

 「最新学習歴」。つまり、大人になっても興味をもって学び続けているかどうかが大事だというのです。この点、小学生や中学生のころから、数学に限らず、勉強があまり楽しくないな、嫌いだなという子を増やしてしまっては、もったいないですよね。

※本間先生の話は次の本からの引用です。

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まとめます。3つの点で、日本の理数の平均点が上がってよかったね~では安心できない、ということを述べました。

①注目するべきは低学力層の子どもが減少傾向にあること。

②脱ゆとり教育のせいで学力アップした、は本当か?

③学力は高くても、なぜか劣等感は高い特異な国、ニッポン

では、今後どうするか。

いろんな方がさまざまなことを言っていますが(これからも言われていくでしょうが)、今回のデータから示唆されるように、楽しい、得意、あるいは、やればできる、という自己効力感をもつ子を増やしていくように、学校や家庭でしっかり声をかけていくことはひとつの大切な方向性だと思います。

あまり学力テストの結果に一喜一憂せずに、「よくがんばったね、次はこういうのもできるようになるといいね」と、子どもたちを相対評価ではなく、個々に見ていくことだと思います。先日読んだ『GRITやり抜く力』にも似た話が出てきます。育むべきこととして学力以前のことがあるのではないか?ましてや学力テスト結果の平均点を上げることは、ひとつの目安だとしても、ゴールではないだろう。そこをまずしっかり確認したいと思います。

 

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「変わる学校、変わらない学校」の読書会セミナーやります~

『変わる学校、変わらない学校』は出して1年ちょっとになりますが、ありがたいことに、手に取ってくださる方がいまも多くいます。講演や研修に出ても、本読みましたとか感想をおっしゃっていただける方もいて、うれしいです。

そこで、先日読書会をやりたい人いますか?とブログで書いたところ、やりたいという学校の先生がいらっしゃいました。そこで、こんど読書会セミナーを開催します~。

師走の日曜にお金払って誰が来るんだろう?というところはなくはないのですが、ありがたいことに管理職の方や一般の教員の方、民間の立場から学校支援されている方などが参加してくださる予定で楽しみです。ピピっと来た方はぜひお越しください。

メリットとしてたとえば次の点があります。

  • 著者が背景情報や執筆後しいれた情報も含めて、解説するので、本を一読するより理解が広く深くなる。
  • 参加者の方の学校づくりを考え直す話題提供や悩みをぶつけるワークを用意しているので、自分事として考え、行動につなげられる。
  • わざわざ日曜に来るくらい熱心な同志とつながることができる。

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本を読んでいなくても、関心があれば参加OKです。好評であれば、本の内容はこの時間だけでは語りつくせないし、どこかでもやります。また、うちの地域 or 学校でも読書会セミナーをしたい、という奇特な方がいらっしゃいましたら、なるべくお伺いできればと思いますので、コンタクトください。

希望の方は終わったあと、遅めのランチ会します。料金は店次第で、未定です。

※お申込みはコチラです

www.kokuchpro.com

ちょうど数日前にある中学校の先生からは次の言葉をいただきました。

今勤務校では、学校改革に取り組んでいるところなので、このタイミングでこの一冊と出会えたのはとてもラッキーだった。

学校教育について語る書籍のなかで、残念な印象を与える二つのパターンがある。
1 大学の偉い先生が高邁なご理論や、舶来のご理論をご紹介たまわるもの。
2 現場あがりの著者(校長先生など)が自分の経験談(という名の武勇伝??)をご紹介たまわるもの。
どちらも、立派すぎて気の小さい私には気が引けてしまう。
その点、『変わる学校、変わらない学校』は上記の2パターンのどちらにも当てはまらない、とても不思議な印象を与える一冊だ。
というのは、著者のスタンスがとってもユニーク。
学校の「中」の人間ではない。かといって、舶来のご理論をのたまうというスタンスでもない。著者自ら「翻訳者」と言っているのが言い得て妙だ。


常々感じているんだけど、学校には学校の中でしか通用しないような暗黙の常識がある。そして学校は社会の常識をなかなか理解したり適用しようとしない。そこに両者の信念対立があるし、風通しの悪さが存在する。
部活問題にしても、体育の組体操にしても、教師の多忙化にしても、いまいち「学校の外の人とは感覚が違うんだよなあ」というもどかしい思いがある。
筆者は「翻訳者」として、社会と学校との架け橋になろうとしている。その姿勢が、学校の中でも外でもない「どっち付かず」の絶妙な距離感となって筆致から伝わってくる。
つまり、「あ、この人なら、学校のことわかってくれそう!」「教師の思いを外部に伝えてくれそう」という思いになってくる。
相当いろいろな現場に足を運んで、いろいろな先生方の声を拾ってきたからだろう。

これまで文科省調査をはじめ、研修などでも全国あちこちの学校を訪問して悩みを聞いてきました。がんばっている方のよいところを翻訳して、より発展させたり、広げたりする手伝いができればと思います。

 

この本では学校マネジメントを語るときに、まずカルロス・ゴーン氏の次の言葉が引用されている

経営の問題点として
・会議で使われる用語の定義が統一されていない
・販売不振の原因を究明しようとしない
・目的と手段が混同されている
・目的が抽象的で具体性を欠く
・命令系統の指示が「営業はもっとガンバレ」など、具体性を欠き精神主義的
・将来のことを語るときに予測と希望が混同されている

あー。これだ、学校も。
思い当たることが多すぎる!
学校マネジメントは、こういった曖昧なことばや願いをチームで共有可能な言語にしていくことをまずスタートとする。そして「到達目標の設定」「プロセスの設計」「チーム・ネットワークづくり」という三つのポイントを着実に実践していくことが基本だと述べる。

ほかにも、「うん、そうそう」と膝を打ったことばが多かった。
例えば……
学校は商店街で個人店を食べ歩きするような場所。
マネジメントは単なる「やりくり」ではない。
典型的なまずい例は、子どもの姿しか目標設定していないこと。
極度の相互不干渉がある職場
個業化の背景は「授業第一主義」
「重要度は高いが緊急度は低い」ことの優先順位を低く見積もりすぎる
学校の先生は弱みを見せづらい職業
長時間労働のもたらしている最大の弊害とは、能力開発の機会損失である。
数値だけを追っていたのでは十分ではなく、人とのコミュニケーションから得られる情報が大事
「重点化」といったときに、ほとんどの人は取り組みないし施策の重点化をイメージしますが、それをやるためには課題が重点化されていなければならない

などなど。
詳しくは本書を読んでみてください。
具体的な現場の事例が沢山載っていたり、いろいろな本からの理論の紹介があるのも大きな特徴。この一冊をきっかけに、いろいろな学校を視察したり、ほかの本にあたってみようという気になってくる。
管理職や行政の方はもちろん、これから学校づくりを担っていく中堅の先生には強くすすめたい一冊だ。

とてもうれしい感想をいただきました。

読みたくなりましたか?セミナーにも気軽にお越しになってください。

 

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大河ドラマ真田丸から学ぶ会議の技術

先日の真田丸「反撃」は、大坂冬の陣の後の和平交渉が描かれていた。前もブログに書いたように、今回の大河ドラマはやはり、会議のシーンがとても面白い。僕は合戦の派手なシーンよりも、好きだ。さすが会議好きの三谷幸喜さんらしい気がする。

しかも、史実上でもそうだったらしいが、双方女性たちが和平交渉をした。

「真田丸 反撃」の画像検索結果

和平会議にもっとも影響したのは牢人問題

大坂冬の陣の後、大坂城の堀(外堀、内堀)をすべて埋めてしまうというのは、かつては、狡猾な家康が豊臣方をだましたものだと信じられてきた。しかし、最近の研究では、豊臣方も同意した結果であったという説も有力になっている。今回の大河では、その有力説を踏まえた展開となっていた。

大事なのは、ドラマで描かれていたとおり、大坂城に詰め寄せた牢人たちをどうするかであった。豊臣方としては、彼らのおかげで冬の陣は戦えたのだが、牢人たちをそのまま雇用するほどの経済力はない。

経済力は重要な背景情報で、このときの豊臣方の領地はかつてのものとは違う。秀吉の時代~大坂の陣以前は、各地に散らばっていた御料地という直轄領があったのだが、大坂の陣のときには御料地を徳川方に抑えられていたので、大幅に収入減であったのだ。おそらく金山・銀山もだろう。

だから、豊臣方としては牢人たちは早く立ち去ってほしい。一方の徳川方も、牢人たちが居座ったままでは、いつまた反抗してくるかわかったもんじゃない。

この双方の利害が一致した結果、大坂城が丸裸になれば、さすがに牢人たちも反抗するのをあきらめるだろう、という和平合意であった、という説だ。ドラマでも大筋その点が描かれていた。

ところで、歴史うんちくはこのへんとして、ここまでの下りで、会議の作法、技術として学ぶべきことがあると思う。3つに絞って少し説明しよう。

①結果の文書だけ見ても一部しかわからない。

今回の和平の合意文書には、この堀の埋め立てについては明記されていない。つまり、口約束であったわけだ。文書だけ見ていたのでは、認識を誤る。

本当に大事なことは、文書に表れないこともある。これはよくご存じのとおり、現在も同じだ。オフレコの情報にその人や組織の本音が隠れていたりもして、そこを踏まえないと、なかなかうまく事が進まないということもある。

公的な会議でさえ、ここは会議録には書かないでほしい、ここだけの話ですよ、などとと発言する委員もいる。

ちょっと飛躍するが、セブンイレブンには2週に1回、全国店舗指導員(FC会議というがあって、何十億単位の交通費をかけていることで有名だ。これも、文書だけでなく、直接語り、伝えることの重要性を認識しているからだろう。

ましてや、戦国時代は生きるか、死ぬか、明日をも知れぬ世の中。本当に大事なことは口頭でということは多々あった。実際、この時代の手紙を読むと「仔細は取次役の○○が伝えますから、よろしゅう」といった文言がたびたび入る。だから、史料は大事なのだが、史料だけをみていて安心できない。

②何が決まらなかったかも重要。

ドラマでも描かれていたとおり、今回の和平では、大坂城に立てこもる牢人たちは罰しない、ということは決まった。しかし、だれも雇い入れるとか面倒を見るとは書いていないし、言ってもいない。

ここが重要だ。つまり、牢人問題は豊臣方の問題であり、勝手にしろ(どうせそこまで経済力がないのだから、さっさと手放せ)と家康は言っているのである。

③次の一手、二手が大事。

会議はやった後こそ大事だ。将棋ほどではないけれど、合意した後の次の一手、二手の想像力が欠かせない。次の事態がシミュレーションできる。

★ケース1:大坂方が牢人たちを放出した場合

反対を押し切って牢人たちを正式に解雇
⇒行き場を失った者たちが大坂方に反抗
⇒豊臣氏の軍事力では抑えきれない
⇒統治できないということで、豊臣氏を処罰

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★ケース2:大坂方が牢人たちをとどめた場合

大坂城に牢人たちがたむろしたまま
⇒徳川幕府にまた反抗しようとしている。和平合意を踏みにじっている
⇒豊臣氏を処罰

このように、豊臣秀頼にとっては、どちらの場合も、窮地であった。ただし、史実を追う限り、家康は最後の最後まで秀頼たちを殺す気ではなかった風もある。歴史でIFは禁物というけれど、ケース1を選択して、大坂から立ち退き、どこかへ領地替えに応じていたら、豊臣氏は生き残った可能性はあるだろうと思う。

 

以上3点に整理してみた。現実のわたしたちの会議はどうだろうか?

「結果だけを見て、あれこれ論じる。決まらなかったことを見落としてしまう。会議して満足してしまい、次の一手に無関心。」なんてことにはなっていないだろうか?

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映画『聖の青春』とドラマ『校閲ガール』の共通点

録画しておいた今週の「地味にスゴイ!校閲ガール・河野悦子」を娘たちと一緒に観た。毎回、純粋に楽しんでいるんだけど、どこかでぐっとくるシーンもあり、いつも、「仕事で大事なことってなんでしたっけ?」と考えさせられる。

www.ntv.co.jp

ちょうど、昨日観た映画『聖の青春』とも重なるところもあった。『聖の青春』は下記のまとめサイトがわかりやすいと思うけど、29歳の若さで亡くなった棋士、村山聖(さとし)さんを主人公にしたノンフィクション的な映画だ。1990年代後半の話、羽生善治さんが七冠を達成した時期とも重なる。その超全盛期の羽生さん(そこから20年を経た今も羽生さんは強いことは驚異的だが)に勝ったこともあるのが村山さんだ。

matome.naver.jp

公式サイトには、羽生さんらトップ棋士の応援コメントも載っている。

satoshi-movie.jp

校閲ガールにも聖の青春にも共通するメッセージがある。それは、「その仕事に命を懸けるほどの情熱をお前はもっているか?」、「そんな情熱はあっても、困難がたくさん降りかかっても、その情熱をもち続けられるか?」だ。まさに村山聖さんは幼少期からの難病を抱え命を削りながら、長い対局を闘った。校閲ガールでは校閲という目立たない仕事で、希望した部署でもないのだが、主人公が全力で向き合っているシーンが描かれる(とくに今週は相手方の小説家が命をかけて執筆にかける姿もあった)。

何が、彼を、彼女をそこまでさせるのか?

「命を懸けられるか」なんてことを言うと、すぐブラック企業と叩かれるご時勢である。たしかに、命を懸けろと経営者や管理職が言うのは、どうかなと僕も思う。そんなこと強制されるのはご免だし、強制されても長続きしない。

しかし、どんな仕事であれ、自分にとってめっぽう打ち込めるものだとしたら、それはすばらしいことではないか?

※次の写真は次女の学校での作品

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僕がここにビンビン感じのは、大きな会社を辞めて、ひとり立ちしようとしているから(まだまだビジネスには遠くて試行錯誤中だ)というのも大きいと思う。

僕としては、自分の仕事は、学校づくり(あるいはもう少し広く、地域づくり)で、がんばっている人の優れた実践を翻訳して(自分なりによく理解し、解説や価値を加えて)、その発展と広がりをつくる手助けをすることだと思っている(少なくとも今のところは)。

まったく青臭いと言われそうだが、自分としては大真面目なのだから、いいかなと思う。それで、数日前の記事でも書いたように、学校現場の方や支援している教育委員会の方らの話を聞くのはとても楽しいし、自分の吸収したことを(スポンジのようにうまく吸収できているかどうかはわからないけれど)、自分の考えたことも加えながら、記事にしたり、本にしたり、研修などで伝えたりするのも好きなことだ。

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聖の青春では「なぜ将棋を指すのか」というテーマがたびたびのシーンで問われている。村山さんと羽生さんが2人きりで、あまり饒舌ではなく語り合うシーンは特に印象的だ。別に何か答えが映画の中にあるというわけではないのだが、考えるシーンだ。

また、映画の中で村山さんが「将棋は生きるか死ぬかの真剣勝負」と言うセリフも心に残る。これは病弱だった村山さんのセリフだから余計真に迫るものがあるが、多くの棋士にとっても一局一局は勝つか負けるかは分からない世界なのだろう。

村山さんや羽生さんよりずっと若い世代だが、羽生さんと互角の実力の渡辺明竜王は著書『勝負心』の中でこう書いている。

プロ棋士にとって最も精神的に厳しいことは何か?

「負けても次の対局に向けて勉強しないといけないこと」ではないか、と私は思う。(p.146)

 

私は、幼い頃から将棋が好きだった。「才能がある」とも言われた。

では、才能とは何か。

熱意こそ、才能である。

将棋で言えば、将棋の研究に時間をかけられる熱意こそ、才能である。

・・・(中略)・・・

しかし、熱意を持ち続けることは、そう簡単なことではない。

基本的に棋士は、日々、一人で研究を行う。

一人で気楽だ、ということはある。しかし、一人で研究を続けるのは、かなり苦痛な作業だ。さぼろうと思えばいくらでもさぼれるからである。まさに自分との戦いだ。(p.155,156)

勝負心 (文春新書 950)

勝負心 (文春新書 950)

 

 

渡辺さんの「熱意を持ち続けることは、そう簡単なことではない」という言葉は響いた。重病をおして生き抜いた村山さんもそうだ。病気なのだからとあきらめることはいつでもできたのかもしれない。しかし、最後まで続けた。これはすごいことだと思う。

ちょうど、『GRITやり抜く力』の書評を書いたこともあり、この熱意を持ち続けることについては、強く振り返った数日だった。

 

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◎『変わる学校、変わらない学校』引き続きよろしくお願いします~

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20160423103552

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学校マネジメントフォーラムでの資料アップ!

先月、大いに盛り上がった文科省の学校マネジメントフォーラム。講演資料をアップしていただきました。3市の実践事例発表の資料もありますし、関心ある方はぜひご覧ください。
僕のプレゼンは、リクエストがあればどこでもお話しますが(最近は鑑定団のように、「全国どこでも出張します!」って言いふらしてます)、おもなポイントは次の点かなと思います(写真の資料を補足しますね)。

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①業務改善って、なんのため?
多忙化対策や業務改善は何のためか?
子どもと向き合う時間の確保とよく言われる。それはそうなのだが、そう思い過ぎるよりも、自分の人生を楽しむためと捉えてはどうか。自分を大切にして、趣味でもなんでも楽しむ。その結果として、授業の種が増えて、子どものためにもなる。たまには1人称で。
 
②アイデアは思いつく。なぜ行動にできないか
「あなたの学校では業務改善として、どのようなことをターゲット(対象)ですか?」と会場に問いかけて、隣近所の方と話し合ってもらった。
わずか5分強の間にたくさんのアイデアが出た。僕が申し上げたいのは、少しの時間でもアイデアは出てくるということ。もうひとつは、なぜそう簡単に思いつくことが、実行できていないのか、ということ。
後者の反省をしっかりしないと、こうした研修も上滑りしてしまう。
(関連して、多忙化の背景について、個業化など妹尾が分析したことを説明しました。)
 
③だれが、何から、どうやって進めるか
アイデアを出したように、多忙化対策や業務改善のヒントは、実は教職員の頭のなかや、身近なところにある。半径3mを見渡そう。
これはなんためかなと、そもそも論も大事にしてほしい。目的や目標から見ることで、やりべきことや改善点は変わってくる。
たとえば、挨拶運動はなんのためにやっているのか?例年この時期は強化月間でやっているから?あるいは挨拶の習慣づけ?あるいは気になる子の様子を朝一で確認するため?目的を見ると、必ずしも朝校門に立つことばかりが本当に重要なのか、見直せると思う。
 
まずは、情報の共有がないと、思いの共有にもアクションにもいかない。学校のなかは思っている以上に情報の共有ができていない。様々な事例からは、情報の共有の重要性がよくわかる。
 
④なんのために、どんなことから始めたいか
 今回の講演、それからあとの事例発表で、あなたの学校でやりたいことが1つ、2つ見つかると思う。ぜひ話を聞いて終わりではなく、何か始めてみてほしい。そのときに、何をやるか以上に、なんのためかを再度振り返ってほしい。
 
◎第2回のマネジメントフォーラムが今月25日(金)にあります。僕は参加者のひとりとして参ります。懇親会もたぶん出れると思うので、前後で見かけた方はどうぞお声がけください~
 
◎関連する話はまたブログでもアップしていきますが、下記の記事もぜひご覧ください。
 
 

◎『変わる学校、変わらない学校』引き続きよろしくお願いします~

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買っていただいた方、ありがとうございました。

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打てば響く

先週、先々週はたまたま学校教育かんけいの出張、外出が重なりましたが、いずれの地でも問題意識が合い、意気投合する方と出会えました。

都市でも田舎でも、本当に人材はいるものだ、とは前職のときにも感じていましたが、最近も改めて実感しました。

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こういう言い方をすると、偉そうに聞こえてもいけないですし、僕としては全国各地の学校の一応援団であり、偉ぶるつもりはまったくないのですが、”打てば響く”ということを感じます。こちらがモヤモヤ考えていたり、もっとこうしたらよいのになあと感じていたアイデアをお話すると、かなり話がはずんだり、その方が実践されているお話を伺ったりします。また、先方がある程度実践されて壁にぶち当たっているとき、僕のほうからも多少かもしれませんが、ヒントを申し上げることもあります。

  • 悩んでいるのは、少しわかる気がします。この問題は企業や行政でもうまくいかないことが多いようです。学校ではなおさらチャレンジングですよね。
  • 関連して、こういう実践がほかにはあります。こういう働きかけはすでになさいましたか?
  • 壁や弱みと思っていることが、角度変えるとそうじゃないんじゃないですか?

といった話をするときもあります。

正直、全国にはいろんな先生や教育委員会職員がいます。かなり頭の切れる、スマートな方だなあと思う人もいますが、それよりも、現場感覚と優れた問題意識をもって試行錯誤しながらよりよくしていこうとしている方のほうに共感することが多いです。(一番いいのは頭も切れて問題意識と行動力もすごい人ですが)。

”打てば響く”方とお話するのはほんと楽しい。僕はそんなにコミュニケーション力があるわけではない(むしろ苦手なこともけっこうある)のですが、学校づくり関係はライフワークにしていて、ともかく好きで現場に入っていることもあり、問題意識や関心が共鳴するシーンが多々あります。

僕のミッションとしては、「そうした方の優れた取組をどう持続的に発展させるかを翻訳して、広げていくことだ」と再認識しました。「またこんど来てほしい、また飲みましょう」とおっしゃっていただけたのは嬉しかったです。関係者のみなさん、ありがとうございました!また再会しましょう!

 

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部活動の休養日は教育委員会が言わへんとできへんことなん?

今日はちょっと腹が立ったので、書いてみる。先ほど次のニュースを目にした。大阪府教委は多忙な教員の負担軽減のため、全府立高校と支援学校計182校で午後7時までに全校一斉に帰宅する日と、部活動をしない日を週1日設けるよう義務付けるとした

headlines.yahoo.co.jp

これについて、みなさんはどう感じただろうか?たとえば、

  • 教員の業務は別の日にしわ寄せがくるのではないか
  • 午後7時に一斉帰宅って、その時間でええんかい?(定時帰宅なら17時過ぎとかのはず)。保育園迎えに行くなら7時帰宅ならアウトやろ。
  • 結局持ち帰り残業になるのではないか
  • やっぱ部活は休みが統一されてよいのではないか
  • とくに府で統一してくれると、少なくとも部活の府大会レベルでは公平な環境になるのだから、よいと思う
  • 週1部活を休みにしたところで、ほかの日に多く練習させたら、結局は同じじゃないか

などいろいろな反応があると思う。こうした取組はやってみて、それでまたいろいろ検証したらよいと思う。

しかしだ。僕がもっと問題にしたいのは、わざわざ教育委員会が統一的にやらないと、学校の自助努力は進まないのか、という問いである。

教職員の労働環境を改善したり、職場の風土をよくしたりするのは、国から言われて、とか教育委員会に言われて、という世界の話ではないはずだ。

そんなことなら、校長はなんのためにいるんだい?って話じゃないか?(写真は部活の夕暮れの風景。あなたの学校で、置き忘れているものは、ボールだけだろうか?)

「部活が終わる夕暮れ時、置き忘れた硬球部活が終わる夕暮れ時、置き忘れた硬球」のフリー写真素材

 

そもそも部活は教育課程外なのだし、教育委員会が決めないとやめられない話ではない。各学校で休養日を設けたり、部活の数を減らしたり、いろいろ試行錯誤する(もちろん反対意見や保護者からのクレームもあるだろうけど)のが先だろうと思う。手当とか外部支援者に任せた場合の保険・保障問題などは、国や教育委員会が出てきて然るべきテーマだが、労務改善の多くは学校の裁量の中でもできることは多いはずだ。

結局、学校内外の合意形成ができずに、学校は決めたり、行動に移せたりできていないのか?決められないなら、なぜ管理職という職があるのか(管理していたらええだけとはちゃいまっせ)?

そんな学校で、正解がない、不透明な世の中をタフに、他人と協働して生きる子どもが育つのだろうか

 

僕が『変わる学校、変わらない学校』で教育委員会の取組をほとんど書かなかったのはページ数の上限の都合もあったけど、もっと大きな理由があった。国からの権限移譲とか、教育委員会の取組を待たずに、学校で工夫できることってもっとあるでしょう、と考えたからだ。

あなたの学校は、「できない、できるわけがない」と思い込んでいるだけではないだろうか?反対意見が来るからという理由で、ほかの方法や説得方法を立案しない思考停止になっていないだろうか?

このニュースを見て、僕は少し暗澹たる気分になった。”変わらない学校、変われない学校”のほうが多いということだろうか?

 

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幼保小中高連携した御前崎のスクラム教育

先日、静岡県の御前崎市を訪問しました。篠田教育長が『変わる学校、変わらない学校』をお読みいただき、そのご縁で教育委員会と校長会共催の研修会に呼んでいただいたのです。

原子力発電所と地震・津波対策の影響

御前崎には中部電力の浜岡原発が立地し、大地震が起きると5分で津波が到達する可能性も指摘されています。学校では抜き打ちなども含めて年に5回も6回も避難訓練をしています。サーフィンにも適した素晴らしい海と波があり、マリンスポーツ体験などを子どもたちにももっとしていきたいところですが、当然、地震が起こったときどうするかの対応も必要です。また、原発関連でのしごとはもちろん、宿泊・飲食店などの地元経済にも原発は影響(貢献)しています。同時に、夜の商売も多く、家庭教育で悩みのあるところもあります。

学校教育、それから家庭・地域にとって、原発の存在と地震の危険性は大きなものとしてあります。

 

幼保小中高がスクラムを組む

そのような大変難しい環境にもある御前崎、僕は訪問してすっかりファンになりました。なぜなら、ひとつはお会いした人々がとても素敵な方たちだったこと。もうひとつは、地元の幼稚園、保育園、小学校、中学校、高校(県立高校がひとつ市内にあります)がタグを組んで、御前崎の教育をよりよくしていこう、切れ目のない子育て・教育をしていこうと動いているからです。

御前崎ではこれを「スクラム教育」と呼んでいます。2つの中学校ごとに、幼保小中高校連携したコミュニティ・スクールを運営しています(スクラムスクール運営協議会と呼んでいます)。

このような幼稚園・保育園から高校まで子どもの年齢をこえた連携を縦糸とするなら、学校と家庭・地域というコミュニティの連携という横糸も加わったのが、御前崎のスクラム教育です。小中一貫教育や地域連携など、縦糸か横糸の一方のみ太い例はほかにもありますが、縦横そろえている例はそうそうありません。

 

連携をなぜ、どのように始め、広げるか

もちろん、御前崎に限らず、どこの地域でもそうですが、コミュニティ・スクールなど、場・器をつくっただけでは、顔見知りが増える以外の効果はあまり期待できません。コミュニティ・スクールの協議会を開催しても、また会議が増えたのかとイヤイヤ参加していたのでは、クリエイティブな面白いアイデアは出てこないし、実行もできないでしょう。教育委員会や行政がなんとか協働といくら言っても、「笛吹けども踊らず」の地域も少なくないのではないでしょうか?

問題は、多様な人々と連携して何を目指して(なんのために)、何をしていくかです。僕のほうからは、次のタイトルで講演とワークショップをしました。

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  • なぜ多様性の高い場が重要なのか
  • 学校の教職員はがんばっている方がほとんどだが、なぜ学校だけのがんばりでは十分ではないのか
  • 学校や園が連携してやっていくべきこととは(仮想事例をもとにしたワークショップ)
  • 家庭・地域との連携と一口で言うけど、どのような層を重点ターゲットにしていくか考えているか?
  • 地域連携やチーム学校以前に、学校内の教職員の関係性は大丈夫か?(ソトに開く前にウチを開く)

 

 こんな話をしました。

浜岡中での地域連携、学校間連携の取組

訪問した浜岡中では、大変興味深い連携をすでにいくつも実施しています。かつては生徒指導困難校、県内有数の荒れた学校として有名でした。『変わる学校、変わらない学校』で言えば、確実に「変わる学校」になってきています。

一例は、次の写真のシニアスクールです。僕の本にも紹介している岡山市の岡輝中学校の取組を参考に、採り入れたものです(優れた取組を学ぶということもいいですね)。地元の50代~70代のシニアな方が学んでいます。中学生たちは、大人たちが学んでいる姿をみて、ビシビシ刺激を受けます。言葉では言わなくても、学び続けることの大切さを背中で見せているのです。

ちなみに、新野左馬之助についての講演は僕も聞きたいなあ(来年の大河ドラマ、女城主直虎のおじさんが左馬之助と地元の方に教えていただきました!)。

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次の写真は、授業研究会でのある国語の先生の指導案です。「モアイは語る」という中2の題材について学ぶときに、この生徒たちが小学校のときに習った「ありの行列」という題材を振り返ってから進めます。生徒たちは小学校の学習とのつながりを意識して、自信を高めて、授業にのぞむことができるというわけです。

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大変興味深いのは、この中学校の授業研究会に、地元の池新田高校の先生も来ていることです。わざわざ高校の授業を工夫して、午後に教員が全員参加できるかたちにしたほどの熱の入れ方です。

ぶっちゃけ申し上げると、一般的な傾向として、高校の先生は、中学校や小学校の先生よりも、教科教育については自信とプライドが高い方が多い印象を僕はもっています。専門性がやはり高いからです。それに、県立高校と市立中学校という行政のちがいもあって、中高連携といっても、それほど強いものにならないことも多いと思います。

しかし、池新田高校の校長は、こう断言していました。高校教師が中学校から学べることも実に多いと。板書の書き方、教室という場の作り方、生徒同士の学び合いの進め方などなど。

この言葉は僕は非常に勉強になりました。小中の先生は教科の内容や専門性の点で高校から学べることは多いはずで、逆に高校の先生も小中から学べることもある。互いにお得だから連携する、教員が一番重要視している授業をよりよくするためにスクラムを組む。これは非常にシンプルですが、やる気の上がる話です。

 

御前崎の教育について、もっと書きたいこともありますが、今日はこのへんで。写真はしらすソフトです!

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アメリカ大統領選をみて―怒りと寛容

きょうはちょっと雑感。

アメリカの政治や社会についてはよく知らないけれど、昨日テレビで、トランプの過激な志向が嫌いという人がトランプ人形を殴りつけていた映像が流れていて、これにはちょっとひいた。

融和とかloveとか言っていたであろう人が、時としては攻撃的になっていたのかもしれない。これは矛盾しているようにも見えるが、たぶんどちらの顔もその人の素なのかもしれない。

みんないろんな事情がありそうだが、先日、映画「怒り」を観たものだから、それとも重なって、複雑な気持ちだった(いい映画ですよ、かなり重いけど)。

www.ikari-movie.com

アメリカの話だけでもない。怒りが充満し、ぶつけどろこを探しているのは、日本や僕たちの周りにも当てはまることかもしれない。ネット炎上などは、たぶんフェイスツーフェイスのコミュニケーションではあそこまで攻撃的にならない人がほとんどだろうが、凄まじい。

あまり我慢せず、ちゃんと自分の気持ちに素直になろうとするのは、いいこととも思う。論理はやや飛躍するが、自分自身に怒ってばかりで攻めていたら、鬱や自殺になってしまうのかもしれない。

怒りの反対語はなにか、しばらく考えてみた。許すこと、寛容という言葉が思い浮かんだ。これを体現した人と言えば、人類史上もっとも偉大な政治家のひとり、古代ローマのユリウス・カエサルだろう。またローマ人の物語を読み返してみたい。

カエサルの言葉に、たしかこんな一節がある。

わたしが自由にした人々が再びわたしに剣を向けることになるとしても、そのようなことには心をわずらわせたくない。何ものにもましてわたしが自分自身に課しているのは、自らの考えに忠実に生きることである。

 

ローマ人の物語〈12〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(中) (新潮文庫)

ローマ人の物語〈12〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(中) (新潮文庫)

 

 

 

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