妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

学校の先生はだれが、なにに忙しいのか

前回の記事に続いて、学校の多忙化の実態について、観察した結果をお知らせします。

労働時間が週50時間未満の人は小学校、中学校にいない!?

ちょうどこの記事を書こうとしていていたら、昨日ヤフーニュース(元は朝日新聞記事)で次の調査結果が出ていました。

週に60時間以上働く小中学校の先生の割合が70~80%に上ることが、全国の公立小中学校の教諭約4500人を対象にした連合のシンクタンク「連合総研」の調査でわかった。・・・(中略)・・・・
調査は2015年12月、労働組合に入っているかに関係なく、公立小学校教諭2835人、中学校教諭の1700人を対象に実施。小学校1903人(回収率67%)、中学校1094人(同64%)が回答した。
調査では、週あたりの労働時間を20時間未満から60時間以上まで5段階に分けた。小学校教諭で週60時間以上働いている割合は73%、中学校は87%。小中とも50時間未満の教諭はいなかった。

headlines.yahoo.co.jp

まず、週50時間未満の人が小学校にも中学校にもいない、というのが大きなことです。これは2つの可能性があると僕は解釈しています。

ひとつは、ほぼ毎日定時で帰ると週40時間くらいになるはず(※)なので、事実上、定時で帰れる人はいない、ということを意味している可能性です。
(※)ちゃんと取れない人も非常に多い休憩時間をどうカウントするかにもよる。

もうひとつは、調査対象に偏りがある可能性。この点は、調査の詳細を見ないとなんともコメントできません。

週60時間超で過労死ライン超えが常態化しているのは、ほかの調査でも明らか

前回の記事でも書いたように、OECD国際教員指導環境調査(TALIS)2013の日本のデータを週30時間以上働いている常勤の教師を対象に集計すると、週30時間以上40時間未満の人が4.0%、40時間以上60時間未満の人が41.5%、60時間以上75時間未満の人が42.0%、75時間以上が12.5%でした。

はじめに引用した連合総研の調査が2015年ですし、ちがいはありますが、結果としてはTALISとも似ています。むしろ事態は2013年から2015年の間に悪化している、と解釈できるかもしれません。

週60時間以上というのは、月残業時間が80時間を超えますから、過労死ラインとされている水準を超えています。両方の調査を見て、このラインを超える人がたくさんいることは、学校では半ば当たり前、状態化していることが示唆されます。

TALISは中学校の先生だけなのですが、連合総研の調査では小学校の先生も忙しいことがよくわかりました。たいへん貴重なデータです。

だれが忙しいのか

そして、ここからが今日の記事の本番(TALISを使うので中学校についてのみ)。では、どんな人が、なにに忙しくなっているのでしょうか?前回の記事でデータをもとにこう特徴を分析しました。

過労死ラインを超えるくらいの長時間労働をしている教師は、部活も、授業準備も、校務分掌も熱心にやっており、もっと時間があればもっと授業準備や自己研鑽もしたいと思っている傾向が強い

そして、次の2つの可能性があるのでは、と仮説を述べました。

  • 若手に重めの部活顧問や慣れない分掌の仕事がおりてきていること
  • 中堅・ベテランでできる人に仕事が集中して、その人がすんごく多忙になっていること

そこで、もう少しデータを細かくクロス集計してみました。

長時間労働はとくに34歳までの若手に多い。ただし、中堅・ベテラン層にも広くいる。

下の表は、週の総労働時間を4つのグループに分けたうえで、年齢構成を見てみたものです。とくに週60時間以上と働き過ぎな2つのグループをよく見てください。

(注)表の下のほう、%は、4つのグループごとに、どの年齢層にどのくらいの割合で分布しているか示します。「計」の欄は年齢別に集計した合計です。各年齢のところの計の%(4.9%,13.2%など)よりも、高く出ている場合は、より出現率が高いことを示します。

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ここからわかることは主に2点です。

ひとつは、22歳~34歳までの世代(どこまで”若手”と言ってよいのかわかりませんが、教員になっておおむね10年未満の教師たち)の中には、週60時間以上75時間未満や75時間以上働いている人がかなりの割合でいる、ということです。とくに25~29歳の人の75時間以上という人は相当高い出現率です。

もうひとつわかることは、忙しいのは若手だけではない、ということです。週60~75時間や75時間以上の人は、各年齢層で1割前後分布しています。それだけ広くどの世代でも忙しい人はいるということを意味しています。

なんのせいで忙しいのか?

次にちょっと細かい表ですが、次のものは、週40時間以上働いている人を対象に、総労働時間の先ほどのグループと年齢層別に、どんなことにどのくらい時間を使っているかを整理したものです。

(注1)いくつか回答数が少ないところでは、おひとりの回答の影響が強く出ていしまいます。 

(注2)目安として、日本全体の教師の平均的な時間の使い方から2時間以上たくさん使っているものには色付けしてあります。

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ここから、次のことがわかります。

第1に、多くの時間を取られる傾向があるのは、授業の計画・準備、課題の採点・添削、学校運営と一般事務、課外活動です。

よくモンスターペアレントなど、保護者対応が大変だと言われていますが、保護者対応はそれほどの時間を示していません。もちろん、個々の学校や状況によってちがうでしょうけど、平均するとそうである、ということです。

生徒相談は、75時間以上グループのいくつかの年齢層でより多くの時間を使っている傾向にあります。しかし、週5時間前後であり、ほかの業務よりはウェイトが高いわけではありません。もっとも、保護者対応や生徒相談は精神力を使うので、よりきつい(つまり負担感やストレスは強い)という可能性はあります。

第2に、忙しくするウェイトの高いものとして、やはり、課外活動、多くは部活動の負担がある、ということです。

週60時間以上75時間未満のグループと75時間以上のグループを見ましょう。課外活動に多くの年齢層が10時間前後、特に若手では約15時間使っている人も多くいます(平均値なので、個別にはこれより少ない人ももっと多い人もいます)。この時間量は、授業の計画・準備と同じか多いくらいであり、学校運営+一般事務に関する時間よりも多いです。

部活動が生徒にとってさまざまな良さや意義はあるとは思いますが、これを見る限り、過労死ラインを超えてまで、週10時間や15時間もやる必要が本当にあるのか、僕は強く疑問に感じます。

学校の先生の中には、部活指導は好きでやっているから負担に思わないという人もいますが、そうではない人、イヤイヤ顧問にさせられている人もいます。また、書類作成や会議がムダが多い、できるならやりたくない、と多くの教師は言いますが、そうした時間よりも多くの時間を部活では使っているのです。

第3に、週75時間以上の45~54歳くらいの年齢層では、授業準備や課題の採点・添削にもかなり多くの時間を使っています。いくつか可能性があります。

  • 1人あたり多くの生徒を相手にしており、評価や成績処理などにも非常に時間がかかっている。これは家庭科など、その人しか教えられないのだが、1人や2人しかいないというケースでよく起こります。
  • 研究主任や教務主任となったり、新しい研究課題などにも精力的に取り組んでおり、手間がかかっている。

などがあるかもしれません。そうした人は元気そうでも、バーンアウトになる可能性もあり、注意が必要だと思います。

第4に、世代間ギャップと言いますか、年齢層によるちがいが明白です。75時間以上のひとに注目しましょう。若手は授業準備にも時間を使っていますが、圧倒的に部活動など課外活動の負担が重いことがわかります。重めの部の顧問にさせられている可能性が高いと思います。

35歳以降の世代では、一般事務の時間もかなり増えていきます。つまり、中堅・ベテランには分掌の主任や主幹、あるいは教頭職となり、学校運営や事務に時間がとられることも多いということを示唆します。ここが、前回の記事で述べた、「できるやつに仕事が集中する」傾向となっている可能性もあると思います。

 

では、どうするか!?

特効薬はありません。急に教員数が大幅に増えるのほど国家や都道府県の財政に余裕はないでしょうし。しかし、データからいくつか示唆されるとおり、メスを入れるところは見えてきます。

1つ目は、やはり部活動です。この負担が重過ぎるのではないか、ということは再三申し上げました。休養日はもちろんですが、部活の数を減らすことを含めてやっていくべきです。

2つ目は、授業準備や採点・添削にも相当の時間がかかっている事実。これは、急激に減らすことは難しいし、学力向上やアクティブラーニングなどでは、もっと必要という部分もあるかもしれません。しかし、教材や研究について、先人や隣人の蓄積を活用させてもらうということ、単元・教科書に軽重つけるところはないのかよく検討することなども必要かと思います。

また、業務アシスタントの活用はひとつの軽減策です。印刷やちょっとした採点などは、教員でなくてもできることは任せるという道です。

3つ目は、学校運営や一般事務です。これは、そもそも教員間での分担関係の見直し(できるやつに頼り過ぎていないか?)、事務職員と教員の分担関係の見直し、業務アシスタントの活用、会議の仕方の工夫など、いろいろ改善の余地はありそうな領域です。

今回、高校について扱いませんでしたが、おそらく中学校と似た部分も多いと思いますし、中学校以上に教員間の業務負担のバラつきが大きい(仕事が集中する人に集中する)はあると推察します。

小学校については、部活以外の部分はかなり当てはまる部分もあると思います。また、小学校ではやはり学級担任が抱え込むということをどうするか、という点もよく見なければなりません。

以上、長くなりましたが、だれが、なにに忙しいのか、みなさんの学校ではどうでしょうか?まずはよく現実を見て、本当にそれほどの時間をかけるべきなのか、あるいは無理を強いていないか、確認することだと思います。

◎前回の記事はこちら

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部活の休養日は大事だが、それだけでは解決しない

みなさん、正月は多少はゆっくりできましたでしょうか?今日から学校が始まったところも多いと思います。また忙しい日々だという方も多いと思います。

「学校の先生たちの多忙化をどうするか」は、最近も大きな話題となっています。

新人教員が自殺

NHKの取材によると、ここ10年の間に少なくとも新人教員の20人が自殺したことが、先日報道されました。

精神疾患などにかかる公⽴学校の 新⼈教員が急増し続ける中、この 10年間で、少なくとも20⼈の 新⼈教員が⾃殺していたことが NHKの取材でわかりました。教員は新⼈でも担任をもったり、保護者に対応したりする必要があ り、専門家は「新⼈教員は即戦⼒ として扱われ、過度なプレッシャーを受ける。国は⾃殺の現状を把握して、改善を図るべきだ」と指摘しています。
学校の教員は採⽤されたばかりの新⼈でもクラス担任や部活動の顧問を任されたり、 保護者に対応したりと、ベテランと同じ役割が求められています。
⽂部科学省によりますと、昨年度、精神疾患などの病気を理由に退職した新⼈教員は 92⼈で、平成15年度の10⼈と⽐べて、急激に増えています。
さらにNHKで、昨年度までの10年間に死亡した新⼈教員、合わせて46⼈の死因 について、取材した結果、少なくとも20⼈が⾃殺だったことがわかりました。
NHK 2016年12月23日

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161223/k10010817981000.html※今はリンク切れ

この報道について、SNS上で学校関係の知人からは、新人に無理をさせていている問題も深刻だが、しんどいのは新人だけではない、という話も出ていました。すべてが過重労働との関係とは限りませんが、1人でもこのような悲しいことを起きないようにするには、どうするか、僕も悶々としていて、今日は多忙化について書きたいと思います。

年明け早々には、文部科学大臣が学校の業務改善に取り組むことを語っており、通知も出ました。

文科省は来年度から教員の多忙化解消に乗り出す。各学校の課題を踏まえ、業務改善に向けた重点モデル地域を指定するほか、学校や教委に「業務改善アドバイザー」を派遣する体制を整える。運動部活動については、適切な練習時間など定めるガイドラインを策定する。さらに1月6日付で、中学校の運動部活に対して休養日を設定するよう都道府県教委に向けて通知を発出した。

教員の多忙化解消へ 業務適正化で重点モデル地域指定 | 教育新聞 電子版

 

「部活に休養日を」は浸透するのか?

「部活に休養日を」というのは、いまに始まった議論ではありません。

休養日の設定は旧文部省が1997年にも「中学校は週2日以上」「高校は週1日以上」と目安を示したが現場に浸透しなかった経緯があり、どこまで実効性を持たせるかが課題になる。 (毎日新聞2016年6月13日)

今回もどうでしょうか?国や教育委員会がどう言おうが、

  • 学校間で競争している以上、練習はやりたい、あるいは、やらざるをえない
  • 一部の熱心な保護者からの声でやらざるをえない
  • 部活命という熱血教師もいて、その人を納得させることはすごくむずかしい

などなど、現場からは冷ややかな声も聞こえてきそうです。

 過労死ラインを越えて勤務する人が半分近く

どうなるかの予測は難しいですが、実態を踏まえた話をするため、今日はすこしデータを確認したいと思います。OECD国際教員指導環境調査(TALIS)2013を活用します。中学校の常勤の先生についてのみです。日本についてローデータをもとにクロス集計しました(明らかな特異値は集計外)。

TALISでは、何時間くらい、なにに費やしたかをアンケートで回答しています。この調査方法ですと、きちんと毎日記録したものではなく、教師の主観と記憶に依存しますので、多少あやふやなところはありますが、傾向を知ることはできます。

次の表は、1週間の総労働時間別の結果です。

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まず最初にわかったのは、週60時間を超える人が多い、ということでした。週60時間労働と言うと、残業時間は週20時間超、過労死ラインといって労基署が過労死認定するときの参照基準が月80時間なので、これを超えています。

いろんな勤務形態が学校にはありますから、一概に比較することは難しいのですが、週30時間以上働いている常勤の教師を対象に集計すると、週30時間以上40時間未満の人、(つまり、ほぼ定時前後で帰れている人)が4.0%、40時間以上60時間未満の人が41.5%、60時間以上75時間未満の人が42.0%、75時間以上が12.5%でした。つまり、30時間以上働いている人の半数以上は過労死ラインを超えており、75時間以上という超過重労働の人も1割強います。

率直な感想としては、先生たちは大丈夫だろうか、心配になる結果です。

長時間労働している教師ほど課外活動(部活等)の時間も長い

また、長時間労働グループの教師ほど、課外活動の時間も長いということがわかりました。もっている授業時間や保護者対応などはそう大きな差はありません。比較的差が大きいのは、色付けした、課外活動、授業の計画や準備、一般的事務業務の3つです。

課外活動には部活動以外も入ってきますが、日本の中学校ではほぼ部活が占めると考えて間違いはないでしょう。週60時間以上75時間未満の人は授業準備に匹敵するくらいの時間を、週75時間以上の人は授業準備より多くの時間を部活に割いていることがわかります。

部活の生徒への効果は大きいことは僕もよくわかります。生徒指導上の効果に加えて、挑戦することや厳しい練習を継続することで、生徒は人間的にも成長します。『GRITやり抜く力』という本にも書かれているとおり、課外活動は、学校を卒業した後も大事になる力を育む効果があります。

しかし、学校の、教師の本来業務とは何か、と考えたとき、やはり、主客逆転しかねない、部活の行き過ぎの実態が示唆されます。

参考までに、表の下のほうには、総労働時間のグループ別に、なにの業務にどのくらいの割合の時間を割いているかも示しました。

 長時間労働している教師は部活命だけではない。授業準備も熱心。

もうひとつ重要なことがあります。このデータを見る前、僕は自分の中学生のときの体験から、「部活熱血なのは保健体育の教師に多くて、体育はほかの教科に比べると教材準備・研究も少ないだろうし」と思い込んでいましたが、どうも現実はちがうようです。

というのは、週60時間以上働いている教師の多くは、授業準備にもほかの教師と比べて多くの時間を割いている傾向があるからです。

長時間労働な教師はもっと自己研鑽したいと考えている

次のグラフは同じTALISで職能開発、つまり、研修などの自己研鑽の必要性について聞いた質問をもとに作成しました。担当教科等の知識と理解について、また担当教科等の指導法についてともに、職能開発の必要性が「高い」と回答する割合は、週60時間以上働く教師グループでは高いことがわかります。

 

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 また、「職能開発の日程が自分の仕事のスケジュールと合わない」という質問について、「非常に妨げになる」と回答する割合は、長時間労働のグループほど高く、週60時間以上75時間未満の人の42.6%、週75時間以上の51.4%が「非常に妨げになる」と回答しています。

長時間労働の教師は、部活の負担に加えて、授業準備や自己研鑽にも熱心で、学校の事務もよく担っている。できる人には仕事が集中?

加えて、週60時間以上の人には、事務業務の時間も相当あります。学校運営のカテゴリーと微妙ですが、おそらく校務分掌の業務などが含まれていると思われます。

以上のことから示唆されるのは、「過労死ラインを超えるくらいの長時間労働をしている教師は、部活も、授業準備も、校務分掌も熱心にやっており、もっと時間があればもっと授業準備や自己研鑽もしたいと思っている傾向が強い」ということです。

「できる人には仕事が集中する」というのは、企業でも役所でも、どこの組織でもありがちな話ですが、中学校でもその可能性があります。

あるいは反対に、部活も、授業準備も、校務分掌もなかなか効率的にできない人が長時間労働になっている、という可能性もあります。

おそらく、多くの学校で、現実には両方の現象が起きているのでないかと思います。(これは解釈なので十分に検証できていませんけれど)。

そう解釈する根拠のひとつは、増加する若手教員です。シニア世代が大量退職し、いまでは多くの中学校で若手が増えています。もちろん、若手だから必ずしも非効率に仕事しているとは限りませんが、負荷の重い部活の顧問にさせられたり、慣れない校務分掌に苦戦したり、同時に自己研鑽をもっとしたいと思っている若手は多いのかもしれません。実際、TALISを年齢別に集計すると、若い年齢層ほど労働時間は長い傾向を示します。

また、これにも関わりますが、「できる人には仕事が集中する」も起きているのでしょう。若手にはどうしても任せられない仕事がある(たとえば教務主任)、それは数の少ない、できるやつにやってもらうしかないといった現象です。

 

話をもともとに戻すと、こうした実態を踏まえると、部活の休養日を設けることは重要でしょうが(部活の負担が重いことは確かなので)、教師の過重労働の問題の一部分でしかありません。仮に部活の時間が多少減ったとしても、分掌の仕事や授業準備のほうの時間が増え、総労働時間は大して変わらない、という事態も考えられます。

長くなったので、今日はこのへんで。

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ニュースサイトで読む: http://mainichi.jp/articles/20160614/k00/00m/040/082000c#csidx55098f9becb9e1ebf01528874975fcb
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なぜ、先生は忙しいのか?改善しないのか?

今日から子どもたちは冬休みです。学校の先生方も、ひとまず今年の授業が終わって、ほっとしている頃でしょうか。子どもの休み中も先生は出勤日というときも多いでしょうし、部活をやっていると休みはちょっとしか取れないという方もいるかもしれませんね。

 

休みといえば、宿題です(苦笑)。忙しい毎日からちょっと立ち止まって、いくつか考えを深めたり、視野を広げることもやっていきたいものですね。僕はもう会社勤めではないので、休みもあるようなないような状態なのですが、この年末年始のミッション(宿題)のひとつは、「”先生が忙しすぎる”を解きほぐす」ということにしたいと思います。つまり、

  • なぜ忙しいのだろうか?どうして改善しないのだろうか?
  • どうしていけばよいか?

について、アイデアをあらためて整理して、ブラッシュアップしておきたいと思っています。

今年はブラック企業の批判も強く、学校現場のブラックさにも以前にもまして注目が集まってきた年でもありましたし、学校現場を訪問していてもひしひしと感じるテーマです。文科省さんの先日のフォーラムでも業務改善や多忙化対策が大きなテーマでした。

 

学校の多忙化は以前から言われてきたことです。しかし、改善しないどころか、悪化しているふうもあります。なぜ忙しい状態が続いているのでしょうか?

文科省の説明資料を読むと、不登校の子や発達障がいが増えたこと、家庭の厳しい環境の子が増えたことなど、子どもをめぐる状況が多様化かつ複雑化しているから、ということです。これももちろんあるでしょう。

また、ベテラン教員が年齢的に多く退職しており、若手が多くなる職場の中で、なかなか仕事の分担や効率化が難しくなっている部分もあるかもしれません。

それらの学校内外の状況、環境要因はあるとしても、もっと問題は複雑な気がします。

手書きの走り書きですが、いま考えていることは次のことです。

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つまり、学校をめぐる状況として、次の5点が多忙化解消の大きな足かせ、言い換えれば、先生を忙しくさせる促進剤になってしまっているのです。

  1. 前からやっていることだから(伝統、前例の重み)
  2. 保護者の期待があるから(保護者からのプレッシャー)
  3. 子どもたちのためになるから(学校にあふれる善意)
  4. 教職員はみんな(長時間一生懸命)やっているから
    (グループシンキング、集団思考)
  5. けっきょく、私ががんばればよいから(個業化を背景とする学習の狭さ)

 

今日はひとつひとつについて詳しくは解説しませんが、ひとつひとつになぜそうなりやすいのか、もっともな理由・背景もあります。

このあたりを踏まえて、多忙化対策を考えないと、小手先では改善しない気がします。

もちろん、小手先といいますか、小さなことからでも前進していくことも同時に重要ではありますが、より根本的には、上記の5つの足かせをどう軽くするかを考えてみたいと思っています。

しかも、この5つは、子どものめぐる状況などと異なり、学校の権限のなかで取り組むことが可能なテーマです。この5つの神話を実は見直すことが大いにできるのだ、ということを示していく必要であると思っています。

 

みなさんはどう思いますか?

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≪変わる学校ゼミ≫開講しました!

こんにちは。拙著『変わる学校、変わらない学校』の読書会セミナー(ニックネームは「変わる学校ゼミ」にします)を昨日、東京で開催しました。

年末の日曜の午前中にもかかわらず、30人近い参加がありました。

お茶の水女子大学附属中学校の図書室をおかりしました。おススメの本の並びなどレイアウトも工夫されたステキな空間でした。

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もともとは、『変わる学校、変わらない学校』の内容を著者が解説します、参加者ももっと知りたい、聞きたい点をどんどん聞いてください、という場だったのですが、かなり脇道といいますか、関連する話題、本には掲載できていない事例なども加えながら、ポイント解説できたかなと思います。

参加者の方からも、学校づくりやチームとしての学校での悩みやモヤモヤを出してもらい、グループワークのなかで関連する情報提供や助言をしてもらいました。参加者は公立学校(小、中、高)の先生、私立学校の先生、学校の管理職、事務職員、民間で学校をサポートする方、企業で管理職やリーダーを経験された方など、多彩な顔触れでしたので、学び合いになったと思います。

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僕からはこんな話をしました。

  • 学校を組織あるいはチームとして見たとき、どんな点に注意したほうがよいか
  • 変わる学校と変わらない学校のちがいはどこにあるか
  • 変わることが目的ではない、ひとつの過程にすぎないが、いろいろ空回りしたり、限られた人(時間も)、モノ、カネという資源を有効い活用できていないのではもったいない
  • どのようなことから情報共有や目標共有を進めていくか
  • なぜこれを目指すのか、なぜこの子ども像なのか、日々の授業などに何にどうつながるかなどをよく説明できるビジョン、目標になっているだろうか
  • あなたは自分の仕事の意味をどう定義づけているだろうか?
    できれば、わくわくすること、心が踊った経験を伸ばせることをしたいね

参加者みんなでのディスカッション・対話の時間では、下記のホワイドボードにメモしたような意見も出ました。やはり、みなさん、教職員は個々ではまじめで一生懸命なんだけど、それが学校全体の動きになっていない、学校全体やチームを意識して行動するためにもどうコミュニケーションしていけばよいかなどが関心が強いようです。

また、後半では、よいビジョンってどんなの?どうつくっていくの?というのもテーマになりました。これも、特段魔法の杖がある世界ではありませんが、いくつかヒントになるアイデアは出たと思います。

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終了後は、近くのイタリアンでランチ会をしましたが、通常の懇親会とのちがいは、おススメ本を紹介する会にしたことです。自己紹介をしながら、学校づくりにこういうのが参考になったと話してもらいます。別に読書好きじゃなくてもいいんですけどね(映画やドラマでもOK)。ちょうど年末年始にまた積読がたまりそうな予感がする、興味深い本の紹介がいくつもありました。

 

もちろん、もっと深められる話題や内容もあったと思いますが、限られた時間でかなり濃厚だったのでは、と思います。こんどはさらにテーマ、論点を絞りながら、開催したいなとも思っています。

また、地方を含め、うちでも読書会といいますか、解説付きの研修会やワークショップ研修をしたい、という声があれば、ぜひ開催したいと思いますので、お気軽にご連絡ください。今回の研修では校内研修でできることのアイデアや例もいくつかお話できたし、いろいろ活動が広がるといいなあ。今月27日はふるさと徳島で開催しますし、2月4日(土)には新潟でもやります。どこかで教職大学院の学生の方ともやる予定です。

研修の最後には、この頃僕の研修会ではいつもやっていますが、今後の行動やビジョンを書いて話すというワークをしました。とてもうれしかったのは、ある先生が早速今日、同僚の先生にこんな話をしてくださったことです。

みんなが学び合えるようなコミュニケーションが実現できるよう、

  1. 自分からこどもの成長に関する具体的な姿の話題を持ち出し、話のタネをつくる
  2. 先生たちの輝いていた姿や言動を、積極的に発信する

この2つをやっていきたい、と。

次の言葉を思い出します。

すばらしい計画やコンセプトより、行動がまさる。
『なぜ、わかっていても実行できないのか』より

 

~お知らせです~

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国語の教科書はダメなのか?【子どもにアクティブなんとか言う前にオトナがね】

先日PISAの結果が出ましたが、産経新聞にちょっと興味深いコメントが載っていたので、紹介します。今日はこれを題材にちょっと考えてみたいと思います。

www.sankei.com

共感するところもあるし、ほんまかなという疑問も出てきます。インタビューに答えている三木教授、国語の専門家ではなく、情報工学の先生に読解力の解説をさせてもどうかという気はしますが、そこはおいておきます。

教員労働がブラックに近いと思われれば、教員志望者は減少し、PISAの成績を維持することは難しくなるだろう。

生徒の読解力向上とICTの活用のためにも、意欲ある人材が創意工夫した授業を展開できるよう教員の労働時間の改善は喫緊の課題である。

しかし、新聞って「喫緊の課題」って言うの好きだなあ。まあそれはおいておいて。

ここは一見そうかなと思いました。労働時間が超長い中では、なかなかいろんな道具を使ったり、工夫したりする余裕がないのは、多くの人にとって確かでしょう。しかし、読解力向上に資するような授業をするためには、労働時間改善が一番の鍵かと言われれば、本当にそうかなあ、とも思います。みなさんはどう思いますか?

 

もっと気になったのは次の箇所です。

日本の国語教育の問題は教材にある。文芸教材が多すぎ、契約文章、公的書類、広告、電子メール、規則集やマニュアルなどの教材が少ない。PISAの読解力では、文学的テキストは個人の興味を満たすものであり、「私的」に分類され、社会的内容を含む公的文書、知識を伝える教育的文書、および手順書などの職業的文書を含めた全テキストの30%の重みである。日本の国語教育内容は、人が社会生活を営む上で必要となるテキストの内容理解、利用、熟考に資するものに変えるのがよい。

ここは賛否あると思います。ディベートやディスカッションの材料にもってこいです。子どもたちにそういう活動をさせる前に、教師や大人たちがしっかり実践したいものです。

重要な指摘だとも思いますが、この箇所を読んで僕は2つギモンに感じました。

第1に、そもそも国語の教科書は文芸偏重なのか?文芸がなにを意味するのかはっきりしませんが、辞書的には「詩歌・小説・戯曲などの作品。文学」ですから、そうとらえておきます。

試しに光村図書の中学2年生の教科書の目次を確認してみました。目次だけではわからない点も多々ありますが、枕草子、走れメロス、短歌を味わう、漢詩などなどは文芸でしょう。

一方、「生物が記録する科学 ──バイオロギングの可能性」、「メディアと上手に付き合うために」、「モアイは語る ―地球の未来」など論説文や社会に関するエッセイもけっこうありそうです。これは文芸ではないですよね?

www.mitsumura-tosho.co.jp

第2に、「契約文章、公的書類、広告、電子メール、規則集やマニュアルなど」の教材をもっと増やしたほうがよいのか、どうか。この点に関連して、僕など素朴に感じることを5点付け加えます。みなさんはどう思いますか?

走れメロス

http://www.tsubasabunko.jp/special/sp1002-c.php

 

  1. 実務的な文書は社会に出たら腐るほど読むので(職業にもよりますけれど)、学校にいるうちはそんなに読まなくていいんじゃないか(つまり、社会に出てから教育される)?
  2. 反対に、詩や漢詩、古典の多くは残念ながら社会に出てからよく読む人は相当限られます。私的な興味を満たすものに過ぎないかもしれませんが、ひとつそうしたものに学校のうちで触れておくのも、いとをかしでは?
  3. 実務的な文書は慣れがものを言うところもあり、社会人になってからもある程度のスキルアップは可能です。しかし、文学などを味わうスキルや心は、その年齢ごとのよさ、強みがあるのでは?
  4. 実務的な文書を読めることも大事ですが、社会人では書くスキルも重要となります。しかし、これは読むより一定のスキルアップに時間がかかります。学校のうちにもっとトレーニングしておくなら、書くことのほうが優先順位は高いと感じます。読書感想文など限られたライティングトレーニングでは、十分ではありませんし、むしろ書くことを嫌いにさせてしまっている側面もあります。
  5. とはいえ、この専門家が指摘するように、国語の教科書や教育が今のままでいいのかはよく議論があってよいことだと思います。
    だいたい、作成する人や助言する先生たちが文学好きな方ばかりでバイアスがかかり過ぎてはいないでしょうか?むしろ自分は子どものこと小説なんか大嫌いだったという人が編集に加わったほうがよいアイデアが出るかもしれません。

いろんな意見があると思います。今日はこのへんで。

◎お知らせ!!!

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年末・年始にチーム学校を機能させる研修会をするよ

もう師走も後半ですね。先週、今週は妻がフィリピンでマーメイドダイビングをマスターするとかなんとかで(僕には詳細は謎)、出張中でして、僕のほうはけっこう逗子・葉山にいます。もう子どもたちも慣れていて、一番下の保育園児以外はそんなには寂しがっておりません。もともと週に3回、保育園迎えと掃除などの家事支援を友人にバイトで来てもらっているので、そのおかげもあり、父子家庭でもいけてます。

今日は家事支援がない日なので、これから保育園迎えと夕飯支度です。下の写真は先週つくった超力作なビーフシチュー。和牛すね肉を赤ワインで、とてもやわらく。盛り付けは下手ですが、味は一流ホテルに負けてへんで!

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さて、ご飯の話がしたいのではなかったが、つい。年末年始にちょっとした研修会をしますので、そのお知らせです。

★1月8日(日)@都内

 プロフェッショナルに学ぶ「チーム学校」時代のチームビルディング

概要はこちらです ↓

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「チーム学校」は中教審の答申でも言われて、いまは法制化まで検討されていますが、どうも学校現場ではピンとこない、しっくりこないかもしれません。

なんか当たり前のことのようにも見えるし。しかし、スクールカウンセラー(SC)やスクールソーシャルワーカー(SSW)といった新しい専門職との連携以前の問題として、教職員の集団がそんなにチームワークとれているか?と言われたら、どうでしょうか???

そんな問題意識から企画しました。コラボするのは水橋史希子さん。JALのCAを長年務められ、チームづくりの企業研修も多数。正直申し上げて、今回のは僕が受けたい研修でもあります。

水橋さんは日本の教育のゆくえ、それからフィンランドの教育にもとても関心があり、2度フィンランドの小学校を現地視察したという、(うちの妻もそうですけど)行動力がすごい。先日、日本の教育について熱く語り合っていて、今回の研修会をもつことになりました。

教員の方はもちろんのこと、チーム学校に入っていく事務職員やSC、SSWの方、学校支援や連携を行っていく保護者や住民、コミュニティスクールの関係者にも参考になると思います。

趣旨にご賛同くださったお茶ノ水女子大付属中学校の先生も感謝です。

年始の学校が始まる前後ですけど、とてもいい場になると思います。ぜひご参加ください。

★申し込みはこちらです。

www.kokuchpro.com

■12月27日(火)@とくしま
チーム学校を機能させる元気な学校づくり研修会と読書会

概要はこちら↓

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僕は徳島の実家に帰省するついでに、友人の学校関係の方とよくたらいうどんを食べに行ってます。今回はせっかくなので、ちょっと拡大して実施するかたちです。

しかも、2部構成でどっちかのみの参加もOK。1部は研修会。東京と同じチーム学校をテーマにはしていますが、徳島の回では、ワークショップですごく参加型にします。※ワークショップが初心者の方も大丈夫ですよ。

チーム学校や学校の多忙化に関係する事例をもとに、何が問題なのか、どうしたらよくなるかをどんどんアイデアを出していく場にします。なので、自分事に近づけて具体的に考えられる場になると思います。

★申し込みはこちらです。

www.kokuchpro.com

第2部は懇親会なのですが、どうせ車社会で飲めないし、うまいもんメインです。たぶん、たらいうどんと釜めしになります!(ビバ炭水化物!)

この懇親会は歓談するだけでも楽しいのですが、一工夫があり、おススメ本を紹介する読書会を兼ねてます。先日文科省のマネジメントフォーラムの前にもやりまして、大好評でした。

本好きである必要はありませんが、1冊はおススメ本をもってきて、どこが学校教育などに参考になったか、ちょっとだけでもしゃべってください。まあ、人のを聞くだけでもいいですけど、、、たぶんおススメしたほうが楽しいと思います。

bookfort.hatenablog.com

以上、お知らせでした。そうそう、直前ですが、東京では『変わる学校、変わらない学校』の読書会セミナーも18日(日曜)に開催しますよ。

この手のセミナーはリクエストと交通費の融通などがきけば、全国どこでも開催します!

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忙しいなら、形骸化した授業研究会はやめちゃえば?

昨日は子どもより早く20時ごろに寝てしまい、今日は3時起き。真っ暗ななかチャリを飛ばしてファミレスに行って、早朝からハンバーグとカキフライ定食。カロリー高っ。

さて、昨日読んだある学校の先生の記事に、”目標は「血まみれを避けること」?”というタイトルで授業研究について書かれていて、とても興味深かった。次の一節は共感する方も多いのではないだろうか?

公開授業は教員にとって非常に緊張する場面のひとつ。「今日はいつも通りの授業をします」とは言うものの、わざわざ言う時点ですでにいつも通りではない。事後の研究協議会では、どんなことを言われるか緊張している。なんとかそこで叩かれ斬られ、血まみれになるのは避けたい…。そんな気持ちで協議会の時間を過ごしている人も少なくないのではないだろうか。

askoma.info

授業研究のスゴさとフシギさ

日本の授業研究はlesson studyと呼ばれ、海外からも注目されている。日本の子どもたちの学力が世界でトップクラスを続けているということもあり、教員が孤立せず、教え合っているという姿が興味深く見られているようだ。このあたりは、日本の強みとして、日本の行政も教師自身ももっと自信をもってよいと思う。

しかしだ。先ほどの記事や引用されている記事などにあるように、授業研究にはいろいろな課題がある。形骸化しているという声も、実際学校の先生たちから何度も聞いたことがある。

僕のような教師ではない立場から、少しキョリをおいて見ると、授業研究会はフシギなことが多い世界だ。今日は3つの点に整理する。

※写真はあまり関係ないですが、葉山の海です

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①公開授業当日と事前準備でエネルギーが尽きてしまうこと。

指導案の作成などに大変時間がかかる例もあると聞く。丁寧な指導案を書くことでより緻密に計画でき、また自身の考えが深まることもあるだろうとは思う。神は細部に宿る、という格言もある。指導案の検討が一概に悪いとは言えない。

しかし、多くの教師がこの事前準備と大変緊張する当日で、もうエネルギーを使い果たしてしまう。つまり、事前と当日が丁寧な割には、事後のフォローアップが脆弱なのだ。事後研などと呼ばれる、授業の進め方やあり方を検討するのは、授業の当日(授業の後の研究会という意味)であって、その後のことは授業者任せだ。

指導案をちゃんと作れるようになりたい、というのが授業研究の目的であれば、事前準備傾倒でもよいかもしれないし、当日細かい指導が入るということでもよいだろう。しかし、多くの場合、授業研究は授業改善のため、または授業への気づきをお互いに得るために行っている。この目的、そもそも論がいつの間にやら、うすれてしまっている。

この目的に照らすなら、本来は、授業研究の後、授業がどう変わっていったか、そしてそれは子どもたちにどのような変容となったかなどを話し合うフォローアップもあってしかるべきだろう。しかし、そこは忙しいからできないのだろうか?

たしかに、中高のように同じ教科の同じ単元を別のクラスで実践できる場合と異なり、小学校の場合は、次この単元をやれるのは何年後かわからない。そのころには自分の教育観も、学習指導要領も、教科書も変わっているかもしれない。だが、なにもその単元だけのノウハウを交換するのが授業研究ではないと思う。ちがう単元や教科でも、今日、明日から活きることを情報交換することと思う。

②もっといろんな方法が試されていい。

紹介した記事にあるように、伝統的な方法では一部の人の意見しか集まらないことが多いようだ。それに声の大きい人の批判や評論ばかりでは、本人も職場も元気は出ない。

他方で、ワークショップ型も悪くないけれど、発散型が多くて、深まらないこともあるように見える。なんでもかんでも、KJ法やワールドカフェがいいとは限らない。薬と同じで、使用方法と効用をよく見ることが肝心だ。

ワークショップ型では、先日参加した横浜の永田台小学校の授業研究が興味深かった。指導案は1枚だけで簡略化。授業者は悩んでいることや挑戦したいことを事前に宣言しておき、そこを中心にアイデアを交換する(モヤモヤとチャレンジ)。
※詳しくは下記に書いたので、御覧ください。

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もうひとつの例は、『「つながり」で創る学校経営』という本に紹介されていたある小学校の事例。

  • それぞれの学級で低学力に停滞しがちな子どもを「伸びてほしい子」として2、3人設定。
  • 「伸びてほしい子」を中心に、①各学年と子どもの実態(学力の状況など)、②教員の実践と成果と課題、③今後の実践の方向性の3点に関するレポートを作成。この3点は必ず含むとして、その他の内容や体裁などは自由。
  • 各教員が作成するレポートをもとに、教員間で情報・知識を共有する「場」を研修時に設定。低・中・高の学年ブロックでの研修と、全教職員の研修の2つの機会を活用。
  • 校内に「学校改善検討委員会」を設置し、その委員会が、レポート検討会で出された情報や意見を集約し、学校として共通に考えるべき課題や改善点等を教員にフィードバック。

手間はかかるけれど、レポートを書く過程で考えが深まるし、特定の人だけではなく、教師がみんなで取り組む点も興味深い。レポートを材料に職場で助言し合う関係づくりも進む。

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これらは一例で、一長一短はあろうかと思う。ただ、伝統的な方法、あるいは単純なKJ法のワークショップだけではない、いろいろな方法や場がもっと試されていいと思う。


③校内研修会といえば、なぜか授業研究ばかりなこと。

授業改善が大事なことには異論ないけど、みんなで知恵出すのはそこだけじゃないんじゃないか、と思う。忙しくて時間ないなら、なおさら、貴重な時間の使いかたはよく練らないといけない。

たとえば、先日文科省の学校マネジメントフォーラムで僕が講演したときに、業務改善したいと思うことのアイデアを参加者に出してもらった。わずか5分や10分の間にたくさんのアイデアが出た。そして、そういうアイデアを出す場はほとんど学校ではこれまでなかった、という人も多いというのだ。

別の例では、友人の川口市の事務職員の栁澤靖明さんの実践がある。彼は校内研修の一部を事務職員枠として確保してもらう。そして、学校の財務状況や子どもの貧困問題について解説したり、情報交換したりする。

ところで、ある先生は「学校では一生懸命やることが美徳」と言っていた。これはいい意味でもあるし、だから多忙になるという悪い意味も含んだ言葉だ。教職員のエネルギーと時間は限られている。その使いどころと、使い道はもっと考えられてよい。

もし、いまの授業研究が時間の割には効果はうすい、という問題意識があるなら、別の実施方法や、別のテーマとしてしまうことも考えてはどうだろう?

 

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日本の学力は世界トップクラスだけど、報道や専門家の言うことは疑おう

昨日、2015年の国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の結果が公表されました。このテストでは、小学校は50か国・地域(約27万人)、中学校は40か国・地域(約25万人)が参加したとても大規模なものです。日本でも148校の小学校4年生約4400人、147校の中学校2年生約4700人が参加したのですから、信ぴょう性は高いとみてよいでしょう。

日本は小中の全教科で平均得点が過去最高を更新したこと、小学生の理科が3位、中学区制の理科が2位となるなど、順位も上がりつつあることなどが報道されています。

しかし、報道されている内容や引用されている専門家のコメントには、かなりあやしい部分もあります。ほんまでっか?っていっぱいツッコミたくなります。

www3.nhk.or.jp

www.jiji.com

①注目するべきは低学力層の子どもが減少傾向にあること。

まず、多くの報道が平均点が上がったと喜んでいることです。統計の初歩ですが、平均だけを見ていると見誤ることはよくあります。よく言われているように、日本の小中学生は「ふたこぶラクダ化現象」が起きています。つまり、学力の上位層と下位層の二極化です。仮に上位層だけが上がっていて平均点を押し上げたのであれば、下位層は心配ですよね。中学生や高校生でも九九ができない、分数が分からないという子もたくさんいます。

この点、今回の結果はグッドニュースとみてよいと思います。次のグラフは日本の子どもたちの算数・数学の点数別の結果の推移です。

<算数・数学の結果>

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文科省が述べるとおり、今回、550点未満の層は減少したことが分かります。

同時に、625点以上の高学力層も増えています。これらのことから下位層は減って、上位層は増えているので、平均点は上がっている。ただし、依然として、下位層も約3割いることには注目です。

おととい、効果のある学校づくりなどが専門の鳴門教育大学の久我直人先生と、横浜でコミュニティスクールを12年間なさっている竹原和泉さんとお話していたのですが、次の点で意気投合していました。

  • 学力・学習状況調査の結果などで、学校は平均点に注目しすぎる。県平均や全国平均よりよかったとか、前回と比べて上がっているとか。しかし、もっと意識してほしいのは、平均点に満たない子たちがどうなっているか、その子たちをどうしていきたいかだ。
  • 平均点を大事にする教育は、平均点以下の子を大事にしない教育。

 

※細かい点ですが、なぜこの点数区分なのかは疑問です。500点がこの調査の基準点なのに、500点では区切っていません。また、日本の平均点は、たとえば数学であれば毎回570~580点のあたりで推移していますから、そのへんで区切ったほうが平均点より下の子、上の子と見えやすいと思います。

※データの詳細はこちらにあります。

国際数学・理科教育動向調査(TIMSS)の調査結果:文部科学省

 

②脱ゆとり教育のせいで学力アップした、は本当か?

専門家のコメントや文科省の分析として、脱ゆとりで教える内容を増やした成果ではないか、と引用されています。これは、本当なのでしょうか?

次の表は日本の子どもたちの平均点の推移です。

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今回は中学2年生について見ましょう。2003年に数学が少し下がりますが、おおむね、1995年~2011年までの間、数学は570点前後で、理科は550点前後で横ばい傾向であったことが分かります。

実は「ゆとり教育」をどこからどこまでの期間を指すのかは論者によって異なることもあるので、やっかいなのですが、中学生の授業の時間数(コマ数)を見ると(1コマは50分)、

平成5(1993)年度~ 3150コマ

平成14(2002)年度~ 2940コマ

平成24(2012)年度~ 3045コマ

です。2002年度から授業時数はかなり減りました(教える内容も)から、これをゆとり教育とか、ゆとり世代という人がかなりいます。

※ややこしいことに、2012年度からの学習指導要領で理数科目は2009年度から前倒しで実施された点は注意。

つまり、TIMSSの2003年や2007年の結果は、授業時数が少なかったときの結果です。数学がちょっと下がったとはいえ、大きな低下は見てとれません。また、仮に脱ゆとりが功を奏しているのであれば、前倒しで学習内容を増やしていた2011年の結果も上がっていないといけませんが、そうではありません。

加えて、先ほどの点数別の推移を見ても、数学の下位層の割合は、2003、2007、2011年とほぼ横ばいで推移しています。理科はこの期間、下位層はやや減少傾向です。

ゆとり教育を呼んでも呼ばなくてもよいですが、あまり明確に学習指導要領改訂の影響は見えないのではないでしょうか?

むしろ、別の国際調査で明らかなように、日本の教師は世界一、長時間労働です。限られた授業時間と忙しい毎日の中で、下位層への底上げを含めて、学校はかなり奮闘している、と分析したほうが事実に近いと思います。

③学力は高くても、なぜか劣等感は高い特異な国、ニッポン

実は学力以上に気になるデータがこの調査からは明らかとなっています。

次のグラフは算数・数学は楽しい、得意だと肯定的に回答した子どもたちの割合の推移です。国際的な平均とも比較しています。

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肯定的な回答は増加傾向にあるといえ、日本の子どもたちは、世界トップクラスの学力なのに、楽しい、得意だという子は少ないのです。中学生の数学では6割にも苦手意識をもっているのですから。

これをどう見るか?

”謙虚な国民性の表れ”などと悠長なことは言っていられません。推測されるのは、学校の中や塾、あるいは家庭で、子どもたちはたびたび比べられて生きています。仮に国際的に見て高学力層の子であっても、クラスメイトと比べて、あるいは親には兄弟と比べられて、劣等感をもっている子もいるのかもしれません。

また、テストの点はそこそこ取れても、テストや入試でよい成績をとることが目的化していて、学習することの楽しさや好奇心を育めていない、という学校教育や家庭教育の課題が見え隠れするデータとも解釈できます。

コーチングやアクティブラーニングで著名な本間正人教授は次のように述べています。

私は、社会人としての成功の鍵は「最終学歴」ではなく、「最新学習歴の更新」にあると考えています。 

 「最新学習歴」。つまり、大人になっても興味をもって学び続けているかどうかが大事だというのです。この点、小学生や中学生のころから、数学に限らず、勉強があまり楽しくないな、嫌いだなという子を増やしてしまっては、もったいないですよね。

※本間先生の話は次の本からの引用です。

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まとめます。3つの点で、日本の理数の平均点が上がってよかったね~では安心できない、ということを述べました。

①注目するべきは低学力層の子どもが減少傾向にあること。

②脱ゆとり教育のせいで学力アップした、は本当か?

③学力は高くても、なぜか劣等感は高い特異な国、ニッポン

では、今後どうするか。

いろんな方がさまざまなことを言っていますが(これからも言われていくでしょうが)、今回のデータから示唆されるように、楽しい、得意、あるいは、やればできる、という自己効力感をもつ子を増やしていくように、学校や家庭でしっかり声をかけていくことはひとつの大切な方向性だと思います。

あまり学力テストの結果に一喜一憂せずに、「よくがんばったね、次はこういうのもできるようになるといいね」と、子どもたちを相対評価ではなく、個々に見ていくことだと思います。先日読んだ『GRITやり抜く力』にも似た話が出てきます。育むべきこととして学力以前のことがあるのではないか?ましてや学力テスト結果の平均点を上げることは、ひとつの目安だとしても、ゴールではないだろう。そこをまずしっかり確認したいと思います。

 

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「変わる学校、変わらない学校」の読書会セミナーやります~

『変わる学校、変わらない学校』は出して1年ちょっとになりますが、ありがたいことに、手に取ってくださる方がいまも多くいます。講演や研修に出ても、本読みましたとか感想をおっしゃっていただける方もいて、うれしいです。

そこで、先日読書会をやりたい人いますか?とブログで書いたところ、やりたいという学校の先生がいらっしゃいました。そこで、こんど読書会セミナーを開催します~。

師走の日曜にお金払って誰が来るんだろう?というところはなくはないのですが、ありがたいことに管理職の方や一般の教員の方、民間の立場から学校支援されている方などが参加してくださる予定で楽しみです。ピピっと来た方はぜひお越しください。

メリットとしてたとえば次の点があります。

  • 著者が背景情報や執筆後しいれた情報も含めて、解説するので、本を一読するより理解が広く深くなる。
  • 参加者の方の学校づくりを考え直す話題提供や悩みをぶつけるワークを用意しているので、自分事として考え、行動につなげられる。
  • わざわざ日曜に来るくらい熱心な同志とつながることができる。

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本を読んでいなくても、関心があれば参加OKです。好評であれば、本の内容はこの時間だけでは語りつくせないし、どこかでもやります。また、うちの地域 or 学校でも読書会セミナーをしたい、という奇特な方がいらっしゃいましたら、なるべくお伺いできればと思いますので、コンタクトください。

希望の方は終わったあと、遅めのランチ会します。料金は店次第で、未定です。

※お申込みはコチラです

www.kokuchpro.com

ちょうど数日前にある中学校の先生からは次の言葉をいただきました。

今勤務校では、学校改革に取り組んでいるところなので、このタイミングでこの一冊と出会えたのはとてもラッキーだった。

学校教育について語る書籍のなかで、残念な印象を与える二つのパターンがある。
1 大学の偉い先生が高邁なご理論や、舶来のご理論をご紹介たまわるもの。
2 現場あがりの著者(校長先生など)が自分の経験談(という名の武勇伝??)をご紹介たまわるもの。
どちらも、立派すぎて気の小さい私には気が引けてしまう。
その点、『変わる学校、変わらない学校』は上記の2パターンのどちらにも当てはまらない、とても不思議な印象を与える一冊だ。
というのは、著者のスタンスがとってもユニーク。
学校の「中」の人間ではない。かといって、舶来のご理論をのたまうというスタンスでもない。著者自ら「翻訳者」と言っているのが言い得て妙だ。


常々感じているんだけど、学校には学校の中でしか通用しないような暗黙の常識がある。そして学校は社会の常識をなかなか理解したり適用しようとしない。そこに両者の信念対立があるし、風通しの悪さが存在する。
部活問題にしても、体育の組体操にしても、教師の多忙化にしても、いまいち「学校の外の人とは感覚が違うんだよなあ」というもどかしい思いがある。
筆者は「翻訳者」として、社会と学校との架け橋になろうとしている。その姿勢が、学校の中でも外でもない「どっち付かず」の絶妙な距離感となって筆致から伝わってくる。
つまり、「あ、この人なら、学校のことわかってくれそう!」「教師の思いを外部に伝えてくれそう」という思いになってくる。
相当いろいろな現場に足を運んで、いろいろな先生方の声を拾ってきたからだろう。

これまで文科省調査をはじめ、研修などでも全国あちこちの学校を訪問して悩みを聞いてきました。がんばっている方のよいところを翻訳して、より発展させたり、広げたりする手伝いができればと思います。

 

この本では学校マネジメントを語るときに、まずカルロス・ゴーン氏の次の言葉が引用されている

経営の問題点として
・会議で使われる用語の定義が統一されていない
・販売不振の原因を究明しようとしない
・目的と手段が混同されている
・目的が抽象的で具体性を欠く
・命令系統の指示が「営業はもっとガンバレ」など、具体性を欠き精神主義的
・将来のことを語るときに予測と希望が混同されている

あー。これだ、学校も。
思い当たることが多すぎる!
学校マネジメントは、こういった曖昧なことばや願いをチームで共有可能な言語にしていくことをまずスタートとする。そして「到達目標の設定」「プロセスの設計」「チーム・ネットワークづくり」という三つのポイントを着実に実践していくことが基本だと述べる。

ほかにも、「うん、そうそう」と膝を打ったことばが多かった。
例えば……
学校は商店街で個人店を食べ歩きするような場所。
マネジメントは単なる「やりくり」ではない。
典型的なまずい例は、子どもの姿しか目標設定していないこと。
極度の相互不干渉がある職場
個業化の背景は「授業第一主義」
「重要度は高いが緊急度は低い」ことの優先順位を低く見積もりすぎる
学校の先生は弱みを見せづらい職業
長時間労働のもたらしている最大の弊害とは、能力開発の機会損失である。
数値だけを追っていたのでは十分ではなく、人とのコミュニケーションから得られる情報が大事
「重点化」といったときに、ほとんどの人は取り組みないし施策の重点化をイメージしますが、それをやるためには課題が重点化されていなければならない

などなど。
詳しくは本書を読んでみてください。
具体的な現場の事例が沢山載っていたり、いろいろな本からの理論の紹介があるのも大きな特徴。この一冊をきっかけに、いろいろな学校を視察したり、ほかの本にあたってみようという気になってくる。
管理職や行政の方はもちろん、これから学校づくりを担っていく中堅の先生には強くすすめたい一冊だ。

とてもうれしい感想をいただきました。

読みたくなりましたか?セミナーにも気軽にお越しになってください。

 

◎『変わる学校、変わらない学校』引き続きよろしくお願いします~

※先日文科省のフォーラムでプレゼンしたこともあり、アマゾンランキングで1位(学校運営and 教育行政・法律)になりました。

買っていただいた方、ありがとうございました。

出版社さんからでも1、2日で届けてくれます。学事出版TEL:03-3255-0194

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大河ドラマ真田丸から学ぶ会議の技術

先日の真田丸「反撃」は、大坂冬の陣の後の和平交渉が描かれていた。前もブログに書いたように、今回の大河ドラマはやはり、会議のシーンがとても面白い。僕は合戦の派手なシーンよりも、好きだ。さすが会議好きの三谷幸喜さんらしい気がする。

しかも、史実上でもそうだったらしいが、双方女性たちが和平交渉をした。

「真田丸 反撃」の画像検索結果

和平会議にもっとも影響したのは牢人問題

大坂冬の陣の後、大坂城の堀(外堀、内堀)をすべて埋めてしまうというのは、かつては、狡猾な家康が豊臣方をだましたものだと信じられてきた。しかし、最近の研究では、豊臣方も同意した結果であったという説も有力になっている。今回の大河では、その有力説を踏まえた展開となっていた。

大事なのは、ドラマで描かれていたとおり、大坂城に詰め寄せた牢人たちをどうするかであった。豊臣方としては、彼らのおかげで冬の陣は戦えたのだが、牢人たちをそのまま雇用するほどの経済力はない。

経済力は重要な背景情報で、このときの豊臣方の領地はかつてのものとは違う。秀吉の時代~大坂の陣以前は、各地に散らばっていた御料地という直轄領があったのだが、大坂の陣のときには御料地を徳川方に抑えられていたので、大幅に収入減であったのだ。おそらく金山・銀山もだろう。

だから、豊臣方としては牢人たちは早く立ち去ってほしい。一方の徳川方も、牢人たちが居座ったままでは、いつまた反抗してくるかわかったもんじゃない。

この双方の利害が一致した結果、大坂城が丸裸になれば、さすがに牢人たちも反抗するのをあきらめるだろう、という和平合意であった、という説だ。ドラマでも大筋その点が描かれていた。

ところで、歴史うんちくはこのへんとして、ここまでの下りで、会議の作法、技術として学ぶべきことがあると思う。3つに絞って少し説明しよう。

①結果の文書だけ見ても一部しかわからない。

今回の和平の合意文書には、この堀の埋め立てについては明記されていない。つまり、口約束であったわけだ。文書だけ見ていたのでは、認識を誤る。

本当に大事なことは、文書に表れないこともある。これはよくご存じのとおり、現在も同じだ。オフレコの情報にその人や組織の本音が隠れていたりもして、そこを踏まえないと、なかなかうまく事が進まないということもある。

公的な会議でさえ、ここは会議録には書かないでほしい、ここだけの話ですよ、などとと発言する委員もいる。

ちょっと飛躍するが、セブンイレブンには2週に1回、全国店舗指導員(FC会議というがあって、何十億単位の交通費をかけていることで有名だ。これも、文書だけでなく、直接語り、伝えることの重要性を認識しているからだろう。

ましてや、戦国時代は生きるか、死ぬか、明日をも知れぬ世の中。本当に大事なことは口頭でということは多々あった。実際、この時代の手紙を読むと「仔細は取次役の○○が伝えますから、よろしゅう」といった文言がたびたび入る。だから、史料は大事なのだが、史料だけをみていて安心できない。

②何が決まらなかったかも重要。

ドラマでも描かれていたとおり、今回の和平では、大坂城に立てこもる牢人たちは罰しない、ということは決まった。しかし、だれも雇い入れるとか面倒を見るとは書いていないし、言ってもいない。

ここが重要だ。つまり、牢人問題は豊臣方の問題であり、勝手にしろ(どうせそこまで経済力がないのだから、さっさと手放せ)と家康は言っているのである。

③次の一手、二手が大事。

会議はやった後こそ大事だ。将棋ほどではないけれど、合意した後の次の一手、二手の想像力が欠かせない。次の事態がシミュレーションできる。

★ケース1:大坂方が牢人たちを放出した場合

反対を押し切って牢人たちを正式に解雇
⇒行き場を失った者たちが大坂方に反抗
⇒豊臣氏の軍事力では抑えきれない
⇒統治できないということで、豊臣氏を処罰

画像検索結果

★ケース2:大坂方が牢人たちをとどめた場合

大坂城に牢人たちがたむろしたまま
⇒徳川幕府にまた反抗しようとしている。和平合意を踏みにじっている
⇒豊臣氏を処罰

このように、豊臣秀頼にとっては、どちらの場合も、窮地であった。ただし、史実を追う限り、家康は最後の最後まで秀頼たちを殺す気ではなかった風もある。歴史でIFは禁物というけれど、ケース1を選択して、大坂から立ち退き、どこかへ領地替えに応じていたら、豊臣氏は生き残った可能性はあるだろうと思う。

 

以上3点に整理してみた。現実のわたしたちの会議はどうだろうか?

「結果だけを見て、あれこれ論じる。決まらなかったことを見落としてしまう。会議して満足してしまい、次の一手に無関心。」なんてことにはなっていないだろうか?

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