妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

熱心に情熱もってやってるんだったら、長時間労働でもいいじゃないか説を疑おう

はや金曜日、みなさん今週もよく頑張りましたね(週末もお仕事の人は、あとひと踏ん張りでしょうか)。

さて、最近、学校の多忙化や教職員の負担軽減の関係で、取材を受けたり、講演依頼をいただいたりすることが増えています。そういうこともあり、いくつか熱心そうな教育委員会や学校の取組を多少は存じていますが、心配なことがあります。

ファイティングポーズだけは事態はよくならない

それは、次のような症状が見え隠れしている、ということです。

  1. とりあえず、研修やっとけ症候群
  2. 教育委員会からの調査依頼の精選、部活動の休養日設定、教員の勤務実態の把握など、ファイティングポーズはとってるぞ病
  3. 最後は校長のリーダーシップ次第という、力量ある校長依存症

1~3を全否定するつもりはありません。できることからやる、というのは、とても大事なことですし、研修や調査依頼、部活休養日、勤務実態把握、校長の役割なども必要だとは思います。

しかし、大きなギモンは、Why?(なんでそれすんの?)とSo what?(それでどうなるん?)の議論が抜けているのではないか、ということです。

So what?とは、つまり、上記のアイデアをちゃんと実行できたとしても、どの程度多忙化の改善・解消に影響するだろうか、というギモンです。校長依存の場合は、力量のない校長の学校は放置しておいてよいと言うのでしょうか?

しかも、「ちゃんと実行できたとしても」と先ほど書きましたが、部活の休養日さえ、なかなか現場では抜け道を探したりして、守ろうとしない人もいるのです(長野県などの先行例がそのことを示唆します)。

焼石の水とは申しませんが、多忙化の本質的な問題や課題を十分吟味したと言えるでしょうか?

なにかやっているポーズをとらないと、議会や教職員組合、メディア等から突き上げが来てもいけないし、という発想で動いている、ということはないですか?

たとえば、多忙化の問題が注目されると、多くの教育委員会等でやろうとするのが、タイムマネジメント研修、ワークライフバランスの啓発講話、労働時間の実態調査です。そうしたこともしたらよいとは思いますが、その程度で事態が好転するなら、とっくの昔に、多くの地域で問題は解消されているはずです。

 

多忙化の問題の根深さはどこから来るのか?

ぼくは、もっと問題の根深いところにメスを入れていかないと、なかなか事態はよくならないと思います。

そのうちのひとつが、教職員のなかには、長時間労働であっても、熱心に前向きに取り組んでいるのであれば、いいじゃないか、という意識が強い人も、けっこういることです。つまり、多忙化が大きな問題だと、いくら校長や、行政や、世間が騒いでも、当の本人はイマイチ納得していないので、本気で変えようとしないのです。こんな感じです。

※けっこう熱血なX先生の意見

  • 多忙化の問題は、結局は多忙「感」の問題なんですよ。
  • つまり、子どものためになると感じられることなら、多くの教師は進んで多少の長時間でもやりますよ。たとえば、部活や教材研究などはそうです。それで長時間労働でも、多忙「感」はあまりないんです。意味のあることをやっているから。
  • 問題は、書類事務とか、何に使われるかよくわからない調査依頼への対応だとか、必要以上にしつこい保護者への対応とか、疲労感、多忙感を増すものも多いことですよ。
  • ”学校はブラックだ”とか大きな概念で批判して、情熱をもって教育に取り組んでいる人の頑張りを否定してはいけませんよ(プンプン)!

みなさんはどう思いますか?みなさん自身あるいは周りには、X先生の考えに近いという人も多いかもしれませんね。

ぼくもX先生の見方に賛成の部分もあります。たしかに多忙感を募らせることの解消も図っていくべきだと思いますし、教師の情熱も大切だと思います。

しかし、「熱心に情熱もってやってるんだったら、長時間労働でもいいじゃないか」説にはギモン、違和感もあります。

生徒思いの熱心さや情熱という美しい概念で、長時間労働の負の影響を過小評価していると感じるのです。

多くの人は見たいと欲する現実しか見ていない

ぼくは研修などの際に、こんな話をしています。↓

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ひとつは、大著『ローマ人の物語』で塩野七生さんがもっとも好きだと書いていたカエサルの言葉です。「見たいと欲する現実しか見ていない」という言葉は痛烈です。ぼく自身にもそういうところはもちろんあると感じますが、学校や教育行政でもどうでしょうか?

先ほど述べたように、熱心さ、熱血教師、献身性という光にばかり見て、その影を見ようとはしていないのではないでしょうか?

その影のひとつとして、長時間労働の負の側面ということで少なくとも3点指摘できると思います。

長文になってきたので、詳しくはまた今度にしますが、最後の3つ目も大きなポイントです。熱心だから、前向きだからといって、長時間労働を続けさせていたら、その人の経験の幅が狭くなり、「子どものため」と思って熱心なのに、結果的には「子どものためにならない」ことにもなっていくということです。

この点について、少し前の記事ではもっと具体的に解説していますので、あわせてお読みください。

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長時間労働のままだと何がまずいのか、その点についての納得感が高まらないと、いくら研修をやろうが、実態調査をやろうが、アドバイザー等を派遣しようが、先生たちの本気度はそう上がりませんし、学校は変わっていきません。ぼくはそこをなんとか、こじ開けていきたいと思っています。

 

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シュフ目線で見た本気の家庭支援とは?

遅くまで働いていたサラリーマンのときよりは、ちょっとは家事育児を増やしている妹尾です。自称”シュフシェフ”です(あっ、また肩書が増えた~)。長男のお弁当を今日も作りました。エラすぎ!

※ブリの煮つけは昨夜のうちに。黒豆は出来合いものを入れただけ。アスパラをゆでた湯で、そのままウィンナーをゆでる。卵焼きは小5の長女作。

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ところで、国会では、いま、「家庭教育支援法案」というのが検討されているそうな!?次の記事が、その問題点等についてわかりやすく解説してくれています。

headlines.yahoo.co.jp

一部引用します。

核家族化が進む昨今、国や地域ぐるみで家庭教育を支援することが緊要な課題だという問題意識の上に立ち、自民党を中心に議員立法で法案が作成され、現在は国会提出を待つばかりの状態にある。・・・

広田照幸・日本大学教授は、そもそも法案が前提としている「核家族化が進み、家庭内での親子関係が希薄になっている」などといった現象はまったく事実に反したもので、「思い込みで今の家庭や子供たちを決めつけて、そのうえで法律を改正しようというのが、現状認識で非常に大きな問題」だと指摘する。 

なるほど。昔はよかった系の思い込みって、よくありますよね。たぶん、このイメージの刷り込みにNHKのドラマなども相当加担していると思いますけど。(今回の朝ドラ、楽しみに観てますよ!)

広田先生の指摘についても検証は必要でしょうが、専門家の研究成果等にわたしたちはもっと耳を傾けておくべきでしょう。この件にかぎらず、事実認識があやふやなまま、思い込みで走ってしまう政策というのは少なくありません(ゆとり教育批判とかもね)。

常識的に考えても、いまでさえ、家事は相当の労働です。昔は、洗濯機も、乾燥機も、お風呂沸かすのも、炊飯器も、電子レンジも、掃除機やルンバもなかったのですから、なおさら家事負担は重く、親が子どもをしっかり見れていたなんて思えません。農業が主体で、その分、家に親がいる家庭は多かったのかもしれませんが、家にいる=子どもの教育がしっかりできる、とは限りませんよね、これは今も同じですけど。はい、自分への反省を込めて書いています。

政治家の先生はあまり家事しなくて、このあたりの情景を想像できないのかなあ???

家庭支援や家族のことへの介入に公権力は慎重であるべき、との主張にも賛成です。ぶっちゃけ、放っといてくれって感じもしまうよね。

でも、家庭支援を本気でやるなら、次の4点を検討、議論したほうがよほど生産的だと思います。財源が問題ですが。。。みなさんは、どう思いますか?


1)保育園を増やすことと保育士の待遇改善

要するに、親と子どもを密着させようとするよりは、むしろ一定の時間は離すことを重視する考え方です。育児していると実感できると思いますが、小さい子にずっと付きっきりは、多くの場合、疲れます。一定の時間は子どもから離れたほうが親の精神上よいと思います。子ども同士での学びもできますし。

また、保育士になりたい、続けたいという方を増やすための施策も必要です。

 

2)家事支援やベビーシッターの資格化や利用への経済的な支援

誰にでも子どもを預けられる、留守の家を任せられるわけではありません。やはりそこは信頼関係ですが、なにかしら、公的な機関がこの人は一定の研修などを受けてしっかりしていると保証してくれたほうがよいのでは、と思います。うつぶせ寝での乳幼児の死亡などもありますし。

うちは友人に週3、家事支援をお願いしています。ほんと助かっています。

 

3)給食を夏休み・冬休み等でも提供する

ただし、教員の負担にするのは反対です。財源が問題ですが、通常期より高くしてもニーズはありそうな気がします(いまの給食費は材料費だけで人件費等は市町村負担です)。家計が苦しい家庭には無償にするなど別途支援をすればよい。調理員さんも非常勤職員の方で、夏休み等で収入がなくなるより、いいのでは?

 

4)長時間労働の是正

言わずもがなですが、家庭でとくにお母さんがしんどい思いをしている背景のひとつが、夫の家事・育児が少なすぎるからです。はい、これも自分への反省を込めて書いています。

一番の家庭支援は、精神論や地域で家庭を支えようなどという発想ではなく、17時や18時でしごとを終えて家に帰れる人を増やすことかもしれません。

 

今日はこのへんで。ステキな一日を!

★ちょっとお知らせ~
4月15日に学校の多忙化をテーマに、「元気な学校づくりゼミ ~”部活のこれまでとこれから”から考えよう~」の勉強会を開催するよ。参加者募集中です。

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★国の学校業務改善アドバイザーになりました★

みなさん、こんにちは。この4月から文科省の事業で学校業務改善アドバイザーの派遣事業というのが始まりました。5月15日まで希望を募って、その後(6月頃から)活動開始です。ぼくも21人いるアドバイザーの一人となりました。ぜひこの事業、ご活用ください! ※21人の一覧などは下記のリンク先にあります。

平成29年度学校業務改善アドバイザー派遣事業:文部科学省


→都道府県・政令市の担当課
→(政令市以外の)市区町村の担当課
→必要に応じて学校

という流れで文書がいくと思います(ほかの文科省の通知なども、通常はこのルートのはず。実は国の文書の多くはダイレクトに市町村教委にはいきません。なんかこれもフシギなんですけどね。。。)

うちの学校に来てほしい!という方は教育委員会に聞いてみてくださいね。

ただ、業務改善や多忙化対策は、最近改めて注目が高まっているとはいえ、教育委員会のなかには、担当課がはっきりしないところもあります(横断的なテーマなので、行政としては苦手な部分もありますね)。みなさんのところは、ちゃんと文書届きましたか??

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学校業務改善アドバイザーを使うなら、賢くね!

アドバイザーと言っても、それぞれ得意、不得意、強み、コミットできる程度などはちがっています。その学校や地域の課題やビジョンに合わせて、活用できるところをしたらよいと思います。

具体的な話でいえば、一例として、部活動の負担の見直しをしたい場合でも、

  • 外部指導者の効果的な活用策などを一緒にねっていきたい
    →外部指導者活用の実績のある教育委員会所属のアドバイザーが得意
  • 教員側の意識改革を図りたい。校長からも話をしているが、エライ人の話のほうが聞いてもらいやすい
    →大学の先生でこのテーマにもちゃんと言えるアドバイザーがよい
  • 休養日を設定するにせよ、部活数を縮小するにせよ、保護者への説得を含めて、コミュニケーションをよくしていきたい
    →すごく得意という人は多くなさそうだけど、たぶん教員出身の方でこのテーマに大変苦労・工夫されたアドバイザーがよい

など、問題意識や課題によって、活用方法や人は変わってきます。当然ですけど。

ほんとは何度も熱心に足を運べるといいかもしれませんが、ひとつの教育委員会あたり年間3回程度が基本となっているので、そうたいした頻度ではいけませんし、できることも限られます(教育委員会の独自施策や校長会の研修などと合わせ技にすると、もっと頻度は高められたり、工夫はできますけどね)。

そうであれば、なおさら、外部人材を使うなら、学校側の都合のよいように、賢く使うべきです。多忙化対策のためのものが、かえって多忙にしてしまってはもちろんいけませんし。また、複数の関心・課題があるなら、できれば複数のアドバイザーがチームとなって支援したほうが効果的だと思います(時間等が許せば)。

学校に必要なのは、アイデアを出し合う場と行動を決めること

逆にいうと、課題認識がいまひとつはっきりしない、という場合は、まずはよく学校のなかなどで検討してほしいと思いますが、そこに外部の人間を入れて、研修やファシリテートをしてもらうといった手はあります。

しかしながら、多くの場合、教員の側にもいろいろ改善したい問題意識やアイデアはあるものです。また、一般の教員以外の目線、たとえば、事務職員や養護教諭、学校支援ボランティアの方などに聞いても、たくさんアイデアは出てくると思います。まずはそんな場づくりを、ぜひ考えてみてください。

ただし、アイデア出しして満足でもいけません。行動、実践してなんぼの世界です。これは企業等でも同じですが、「話して満足」、「会議して満足」症候群が実に多くあります。注意、注意。

オーソドックスでシンプルな方法は、出てきたアイデアのうち、いっぺんにあれこれはできないから(多忙が多忙を呼びますよ)、いくつかに絞ったうえで、

  • 担当者(あるいは担当チーム)
  • ねらい(目標)※手段が目的化しないように注意
  • 具体的な行動内容
  • 期日
  • フォローアップの方法 ※やりっぱなし、決めっぱなしはいけない

の5点は、ラフでもよいで、大方決めておかねば、みんな暇な人はいないわけですから、どんどん後回しになっちゃいますよ。

アイデアを絞る方法はいろいろあります。簡単なのはみんなで投票してしまうことです。それから、多忙化への影響(要するに実現できると時間削減効果が高いもの)を優先するなどの基準を決めて選ぶのもよいと思います。

研修をするだけではダメ。行動を決めて動き出さないと多忙感は増える。

研修講師をしているぼくが言うのもなんですけど、忙しい学校をどうするかという問題について、ふつーの研修だけではダメだと思っています。

この手の派遣事業や教育委員会等の施策では、よく研修をまずやろうとするんです。やれタイムマネジメント研修だ、組織マネジメント研修だ、業務改善講習会だ・・・。

知識や情報は、あったほうが断然よいです。たしかに、学校の管理職は教科指導や学級運営は得意かもしれませんが、マネジメントなどのトレーニング経験は弱いです。

しかし、本当の問題は、一般的な知識や情報の不足にあるのではない、と思います。

行動できていないことが問題であり、その背景のひとつには、何を優先度高くやったらよいかがわかっていないこと、あるいは、決められないことです。

研修や意識啓発系の事業を組むなら、そのへんもよく考慮しておきたいものです。ぼくがやるなら、上記の行動プランをつくらせるところまでやりたいですし、理想的には、校長がトップダウンだけで号令をかけるのではなく、教職員のアイデアを出したうえで、入念にコミュニケーションして実践したいです。

そうしないと、納得感高く、優先度高くやろうと、先生たちは思わないので。学校のむずかしいところは、トップがやれと決めるだけでもダメというところ。個々の教員の実践にならないと、学校は変わりません。

ぼくが研修講師をつとめたある中学校では、1つでいいからと、各先生にアクション(行動案)を書いてもらって、シェアしました。それを事務職員の方が印刷機の前にずら~と掲示してくれました(コピーするついでに目にとまって意識させようとしたわけです)。

データと志とアクション(行動)を大切にしたい

学校業務改善アドバイザーの自己紹介として、ぼくが書いたことは次の点です。

  • 野村総合研究所にて全国各地の学校づくりのグッドプラクティスを調査・分析(組織マネジメント、学校評価、地域とともにある学校づくり等)。2016年から独立しフリーに。
  • 文部科学省(学校マネジメントフォーラム)、教員研修センター、地方公共団体(東京都ほか多数)、校長会・教頭会、事務職員研修会等で講演・研修を行うほか、全国各地の小中高を訪問、取材・コンサルテーション・校内研修のファシリテーション等を実施(テーマ:学校マネジメント、業務改善・学校改善、チーム学校、地域連携、カリキュラムマネジメント等)。
  • 「教職研修」「高校教育」「学校事務」「日本教育新聞」等の教育関連誌への掲載多数。主な著書「変わる学校、変わらない学校―学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道」(2015年)。現在、多忙化問題・学校改善に関する本も執筆中。
  • 学校文化や学校運営のむずかしさをよく理解しながらも、教員にはない視点から、その学校のよいところを見つけること、重点課題を分析することを得意としている。
  • 業務改善について、テクニカルな方法論だけではなく、教職員の理解と納得を得ていくこと、教職員が自分の生き方や教師像・事務職員像を振り返り、改善しようとする意欲を生み出すことを重視。データと志とアクション(行動)の3つを大切にしながら、組織マネジメントと業務改善を一体的に進めるよう支援したい。

 

そうそう、関連して、先日文科省に挨拶に行ったところ、

文科省のKさん:妹尾さん、ちょうどいいところに。で、聞いてます?
妹尾:え~と、なんの件でしたっけ?今日はたまたま近くに来たので、寄ったんですけど。みなさん、異動もあったし。
Kさん:いえね、ちょうど業務改善アドバイザーの委嘱状をお渡ししようと思っていたら、今日ちょうど、テレビの取材が入ってて、渡すところ、撮りたいって言うんですよ。
妹尾:ん~、どこまで信じたらよいのかな・・・(たまに冗談を言う方なので)
Kさん:ドッキリじゃありませんよ~。
妹尾:え~、だったら、もっとちゃんとした格好で来たのに~

という出来事がありました。うつるかどうかわかりませんが、どうも多忙化をテーマに特集番組を作っているとのことです。放送されたら、みんな、観てくださいね(笑)

 

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【忙しい学校 どうする?】入学式・始業式の日はもっと後ろにしたら?

入学式シーズンですね。サクラはちょうどよい感じでしょうか?

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今日は、タイトルのとおりで、入学式・始業式の日はもっと後ろにしたら?について。

今年のようなカレンダーの場合、入学式までわずか2、3日しかなかった学校も多かったのではないでしょうか?通常の年でも、この時期に入学式をすると、年度明けの準備は1週間もとれません。

これはかなりしんどいのでないか、と思います。大きな理由は3つです。

①新人教員をはじめ、経験の浅い教員が増えるなかで、授業準備や学級運営が追い付かないのでは?

なんどかこのブログでも書いていますが、学校での新人教員の扱いは、かなり危なかっしいところがあると感じています。2、3日後に、すぐに教壇に立つのです。事前の研修などをしている教育委員会もありますけれど。すぐに授業や学級担任というのは、かなり無茶振りなところがあると思います。

それよりも、たとえば2週間程度、準備期間があり、模擬授業をしたり、同じ学年集団の同僚とよく話し合ったり、教材の共有化を進めたりしたうえで、子どもを迎えるほうがよい授業ができるのではないでしょうか?

 

②部活の顧問をバタバタのなかで決める弊害

これも何度か書いていますが、部活にたいへん熱意のある先生も多い一方で、やりたくない人やもっと軽く運営したい人もいます。在校生の練習の面倒もありますが、やはり、新年度はじまるバタバタの時期に、顧問を決めるとなると、十分にこうした多様な意見や思いを引き出せないと思います。ともかくみんなで頑張ろう、やるっきゃないといった精神論、同調圧力にならないか、心配です。

 

③各種計画を入念に検討せずにつくるから、よけい形骸化

学校の目標や経営計画、年間指導案などをこの時期に決めていくと思います。しかし、このバタバタの時期にやるから、カタチだけの魂のこもったものにならない、のではないですか?

もちろん、必ずしも、時間をかけたらよいというものでもありません。しかし、少なくとも、新年度の新しい教職員体制のなって、アイデアをいろいろ出して、なるべく多くの人の本気度や納得感の高い計画等にしたほうがよいと思います。

 

以上3点を考えると、入学式、始業式を4月5日~7日前後に早々にやることのメリットよりも、デメリットのほうが大きいのではないか、と感じています。みなさん、どう思いますか?たとえば、4月中旬にずらすのはダメですか?

想定されるギモン、反論へのぼくのアイデアは次のとおりです。

 

Q:保護者としては早く学校始めてほしいよね。

A:そのとおりです。ぼくも4人の親なので、痛いほどわかります。しかし、学校は保育園ではありません。学童などを活用される方もいるでしょう。家庭事情で始業時期を決める必要性は低いと思います。

 

Q:授業時数が足りなくなります。

A:アホですか?あっ、失礼。。。じゃあ、なんで夏休みはあんなにあるんですか?夏休みを短くするなど、対応はできるでしょう。ぼくは入学・始業を1週間でも後ろにして、夏休みもずらす、のほうがメリットは大きいと思いますが、いかがでしょうか?

それから、行事を精選している学校もけっこうあると思いますが、行事を見直すと授業にあてられる時間も増えるかもしれませんよ。

 

Q:早く学校を始めないと、子どもがちゃんとしません。遊んでばかりで心配です。

A:そういう子どももいるしょう(うちもそうかな)。でも、先ほどの回答とほぼ同じです。夏休みと春休みの長さを調整すればよいと思いますけど。

 

ほかにギモンやいまのほうがよい理由、あるいはもっといいアイデアがあれば、ぜひお寄せください!

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ぼくが中学生だったころ

みなさん、こんにちは。うちは4人の子育て中なのですが、ついに、一番上の子が昨日中学生になりました!

長かったような、あっと言う間だったような。入学式をおえて、昨夜はお祝いに長男のリクエストにより、焼き肉食べ放題に行ってきました。今朝もまだおなかが重いです。

※写真は中学校の風景。地元の公立です。30年前のバブリーな時期に建てられたせいなのか、概観はとてもオシャレです。

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最初の学活で担任の先生が、「中学の頃は一番こころが伸びると思う」とおっしゃっていたのが、とてもこころに残りました。また、校長先生は入学式で、「学校は安全に失敗ができるところ」ということを強調されていました。とても大事な視点だと思います。

うちの子にかぎらず、みんな、いろんな体験をして、ときには恋もして、失敗や試行錯誤しながら大きくなってほしいです。

ぼく自身は、中学の頃はとてもいい思い出も、恥ずかしい思い出も、たくさんあります。部活も、教員の負担という意味ではもっと持続可能なかたちにしたいという思いはすごく強いですが、同時に、自分の体験としては、すごく成長させてもらった感謝でいっぱいです(ちなみに、ソフトテニス部と音楽部を兼部するという、ちょっと変わった中学生でした)。

以下は、拙著『変わる学校、変わらない学校』のあとがきに書いたことを載せておきます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 学校教育については、実に多くの方が、自身の経験や思い入れから語ります。それは、大変エネルギッシュで、社会を動かす力になることもありますが、ときとして、主観的で、根拠が危ういものになるケースもあります。一方で、現状を客観的にうまく説明できたとしても、そのメッセージは児童・生徒を目の前にして一生懸命毎日を送っている教職員にとっては、言われる前から自明のことであったり、「ではどうしたらよいのだ?」と問いたくなるケースもあったりします。

 そこで本書では、なるべく学校現場からは“付かず離れず”の立場で、優れた取組を展開する学校と停滞する学校、つまり「変わる学校、変わらない学校」の違いから得られたヒントを、なるべく理解しやすく、行動しやすいよう“翻訳”してきました。

 とはいっても、私自身本書を書き続けられたのも、教育問題に取り組もうと思ったのも、ある思い入れがあるからです。それは、中学生のときの原体験から来ています。徳島の人口1万人少しの町のたったひとつの中学校(現在は合併して1校ではありませんが、阿波市立市場中学校)は、当時、県内でもワースト5に入るという、かなり荒れた学校でした。生徒が吸ったタバコの吸い殻はあちこちに落ちているし、夜に窓ガラスが割れるし(尾崎豊の曲みたいですね)、女子生徒が女子を入院させる暴力事件もありました。

※写真は息子の中学校に飾ってあった詩の一節

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 これはなんとかしなければということで、当時県内でエース級の熱意と生徒指導や学級運営に実績のある先生が集まって編成されたのが、私がいた学年でした。中学生だった自分にはマネジメントや組織運営についてわかるはずもありませんが、この学年は、教員個々の力量以上に、学年チームとして目標を共有し、まとまっていたという肌感覚があります。今思えば、ずいぶん多忙化した職場だったと思いますが、勉強に付いていけない生徒には細かく放課後に勉強を見ている先生も複数いましたし、生徒指導は担任や分掌にかかわらず、学年全体や学校全体で取り組んでいました。

 「学校は変われる」―そう確信したのは、この中学校のときの体験からです。大人になって多くの学校を訪問調査したときは、「素晴らしい取組をしている学校や熱心な教職員は市場中だけじゃない、うれしい」と感じたものでした。

 本書は、「そんな優れた取組をもっと広げられないだろうか?」、「熱心な教職員が異動した後も継続して発展するようにできないだろうか?」と問い続けた結果をまとめたものです。すでに何度も繰り返していますが、「到達目標の共有」、「プロセスの設計」、「チーム・ネットワークづくり」という3点と、それらをつなぐ戦略をもって実践することが、「変わる学校と変わらない学校」の分岐点にあることを具体的に見てきました。さらには、学校の組織力を高めていくことが、地域づくりにもつながり、両者には相乗効果があることについても触れました。

 本書ではさらに分析や検証が必要な点もあろうかと思いますが、日本中の学校と地域がよりよくなるきっかけと継続に、少しでも貢献できれば、幸いです。ご感想やご意見、うちの学校はこんな取組をしているよという情報は、ぜひ本書の交流用のfacebookグループページ(本書名で検索してください)または筆者までお寄せいただけると、とてもうれしいです。

 ここに来て、つくづくアインシュタインの次の言葉を思い出します。

 

「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望を持つ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。

Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow. The important thing is not to stop questioning.」

 

「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである。

Education is what remains after one has forgotten everything he learned in school.」

 

本書を市場中学校の恩師の三橋先生、尾崎先生、西山先生らにささげます。

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

きょうはこれから朝ごはんと弁当をつくるので、このへんで。

シュフ・シェフですから(笑)

ひとつお知らせです。文科省の学校業務改善アドバイザー派遣事業というのが今年度スタートします。ぼくもアドバイザーのひとりとなっています。少しでもお役に立てればうれしいです!

※日経新聞2017年4月5日朝刊 社会面に名前が出たのははじめてだわ。。。

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※こちらの文科省ウェブページにも関連情報があります。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/uneishien/detail/1384196.htm

変わる学校、変わらない学校―学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道

変わる学校、変わらない学校―学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道

 
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スイミーに感動ばかりもしていられない。同調圧力と戦う。

新年度が始まって2日。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

どの学校でも、いまの時期は校務分掌といって、さまざまな分担が決まっている時期だろうと思う。部活の分担も重要なテーマのひとつだと思う。

学習指導要領を読むと、現行も次期も、部活動は「生徒の自主的,自発的な参加により行われる」ものであり、教育課程外(=正規の授業の外)という位置づけとなっている。

言い換えれば、各学校で部活はやってもいいが、やらなくてもいい活動というわけ。

このため、部活動の顧問は、生徒の自主的な活動に付き合っている、教職員の自発的な活動、というのが通常のタテマエだ。まだ勤務時間中であれば、校長が職務命令で指導に当たるように要請できるかもしれないが、多くの中高がそうであるように、勤務時間外まで顧問の仕事を押し付けるのは、筋が通らない。(法令上も、超勤が認められる要件として部活は入っていない。)本当は、「やるなら、好きな人だけでやってくれ」というほうが正論なのだ。

しかし、以上はタテマエであって、現実はそうはなっていないのは周知のとおり。平成28年度全国体力・運動能力等調査によると、中学校では部活動の顧問は「全員が当たることを原則としている」学校が87.5%と大多数であり、「希望する教員が当たることを原則としている」は5.3%に過ぎない。つまり、全員顧問のほうがほとんどの中学校の常識というわけだ。

おそらく、職員室で、「全員顧問なんておかしい」、「顧問やるかは選択制でいいんじゃないですか」と発言したとしても(そもそも、そうした声を出しづらいという人も多いと思うが)、「みんなで少しずつ分担するしかない」とか「顧問のなり手は他にはいない」とか、「やる気のある生徒のことを思え。休部を急に決めるわけけにはいかないんだよ」ということで、なかなか通らないか、かき消されてしまうと推察する。

でも、「子どものためになるから、みんなで当たるべきだ(多少の教員の犠牲はやむを得ない)」という発想は、一見まともに見えるが、本当は、危ういと思う。

そんなことを言い出すと、キリがないからだ。たとえば、将来はオーケストラで活躍できるのが夢だ、中学時代はそれに向かって放課後もいっぱい練習したい、という生徒がいたとしても(それも複数人)、オーケストラ部をつくらない学校のほうがほとんどだろう。日本の伝統文化も大事にしたいのなら、オーケストラ部を津軽三味線部に代えて考えてもよい(笑)

これまでも、限られた人と時間と予算のなかで、学校が面倒を見るべきことは選択しているのだ。仮に、バレーボールをやりたいという子がいる。でも顧問のなりてが、やりたくないと主張するA先生以外はどうしても見つからない、外部指導者も確保できない。となれば、生徒の自主サークルでやってくれ、とするしかないではないか?

無理やり、やりたくないA先生を顧問に据えてまで、部を存続させる理由は、どこにあるのだろうか?バレーボールの場合とオーケストラの場合のちがいはどこにあるのだろうか?合理的に説明できるのだろうか?

「前からやっていたんだし、頑張っている子たちもいるんだから、部をやめたり、縮小したりはしたくない」という気持ちはわかる。でも、だからと言って、学校はなんでも面倒を見ないといけないわけではないはずだ。

また、A先生がやらないなら、生徒がかわいそうだし、仕方ないからB先生が2つの部の顧問をやります、というのも、ムリがあると思う。B先生は部活専属ではないのだし、ほかのことにしわ寄せはこないのだろうか?

それに、こうなってくると、いかにもB先生は生徒思いのよい人で、A先生は自分のことばかり言う人みたいに職場の空気がなるのも、怖い。A先生もB先生も、本来勝負するべきは、授業や生徒指導や、ほかの学校運営であって、部活ではないでしょう?

本来は、有志の教員だけで顧問がまわらないくらい規模が拡大し、持続可能性の低い運営になってしまっている、部活の現状を見直し、教員で面倒をみる部活数を縮小するというのが正攻法ではないか?そこの議論から逃げている学校(教育委員会も)があまりにも多いと思う。

これを「今の4月に言っても、遅いですよ!」と怒る人もいるかもしれないが、顧問を決める今の時期だからこそ、少し立ち止まってよく考えておいてほしいと思う。

少なくとも、学校の先生たちに考えてほしいのは、A先生は勝手なやつで、B先生はいい人みたいな職場にして本当にいいですか?というクエスチョンだ。

 

部活にかぎらないが、「みんなで渡れば怖くない」的な発想は、そろそろ卒業するべきではないか?仮にも、思考力を鍛えることや、多様な価値観や生き方を考えるのが学校の重要な使命のひとつであるならば、集団思考や同調圧力に屈しない人材を育てることも、大事にしなければならない。子どもたちに求める前に、まずは先生やオトナたちから。

 https://i.vimeocdn.com/video/576110263_1280x960.jpg

小学2年生で習うスイミー、もう40年近くも、ある教科書には載っているらしい。スイミーの話はほんと感動するね、という気持ちを、ぼくは否定しない。しかし、このストーリーは、本来は、もっとクリティカルにとらえられてもよいと思う。

だって、スイミーが目になって、ほかの魚と協力して大きな魚に見せたって、食べられてしまうリスクもあったわけだ。みんなで協力するのは素晴らしいね、と美談にするよりは、「オレはそんな危ない橋は渡らないぜ、スイミーに同調したいやつだけでやれ」とそっぽを向く赤い魚がいても、よいではないか?むしろ、そのほうが魚たちの生存確率を高めることになるかもしれないのだ。

あなたのなかにも、あるいは近くの同僚にも、そんな赤い魚はいないだろうか?

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「ちょっと教えて」が言える学校に

新年度がスタートしましたね。新小3の次女が昨日までは一緒の布団でしたが、今日から二階建てベッドに行くということで、成長を感じるやら、少しさみしい感じもしています。

いまさらだけど・・・4月5日スタートでよかったのかな?

さて、学校がはじまるのは、5日か6日くらいでしょうか?うちの子どもたちの小学校、中学校は5日スタートです。どなたかのFacebookでも指摘されていましたが、営業日としては2、3日しかありません。そんな準備期間のなか、新任教員であっても、すぐ教壇に立つということですから、非常にハードな職場だなあと思います。というよりも、教育委員会の判断で、今回のようなカレンダーの場合、例年通りとせず、もっと始業式を遅らせる判断をしたほうがよかったのではないか、とさえ思います。

※保育園に慣れっこな保護者の視点からは、学校が1日でも早いほうが助かる気持ちはよくわかるのですけど。。。

新人は各校に1人か2人で、大ベテランから学ぶ

少し大きな企業であれば、はじめの最低1週間、あるいは1か月くらいは現場配属の前の研修ですよね(ぼくがシンクタンクにいたときは、2か月近く研修だったかな)。先生の場合、新任の研修は制度化されていますが、授業などをしつつ、並行してです。

文科省のサイトには「初任者研修実施状況(平成27年度)調査結果」というのが公表されています。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kenshu/1383446.htm

これをざっと読むと、次のような事実がわかります。

  • 初任者研修の対象者のうち、新卒者は全体の38%、常勤講師等経験者は44%、その他が17%。常勤講師等経験者であれば、新卒とはいえ経験があるが、新卒者は、実習やボランティアのときを除き、現場は初めての人がほとんど。
  • 新任教員は1人配置が59%、2人配置が31%。
  • 学級担任を受け持つのは全体の69%。ただし、小学校にかぎると、ほとんどが学級担任をもつ。
  • 指導教員は、21年目~30年目が20%、31年目以上が72%とほとんどを占め、ベテランが指導者となっている。

学校は、新人をケアできているのだろうか?

ここから、どのようなシーンが想像できますか?あるいは、みなさんの学校では、新人さんの様子はどうでしょうか?

※写真は保育園に送るとちゅうの風景 記事は下に続きます

f:id:senoom:20170403212739j:plain

ひとつは、ポジティブなイメージです。各校に1、2人ということですから、いくら学校は多忙化しているとはいえ、比較的ケアはしやすいのではないでしょうか?それに、21年目以上の大ベテランが師匠役です。

と書いたものの・・・この仮定には、いくつか非現実的だな、と思われる学校も少なくないと思います。

学校でケアしないといけないのは、この新人だけではないことが多いからです。

産休・育休の代替などで非常勤講師の方なども増えています。つまり、経験が必ずしも豊富ではない教員は新人以外もいます(非常勤の方にはベテランという場合もありますが、教員採用試験を受けつつ、講師をやる若手も多い)。また、経験年数に関係なく、学級経営や授業がうまくない人もいます。学校は新人だけに手を焼けるわけではないのです。

直接的な証拠ではありませんが、傍証は同じ調査データのなかにあります。平成27年度、小学校に配属された新任教員のうち、学級担任をもつ人は13,199人、担任をもたない人は505人です。新人でも、小学校の場合は配属されてわずか数日後に(今年の場合は3日後に)96%が自分の学級をもって、一人前の教師としてやっていかないといけない、という事実は、ほかに人材がいない、ということを象徴しているようにも見えます。

 「そんなの前からそうですよ、何をいまさら!」

という声が聞こえてきそうです。

ふむふむ。。。しかし、この「前からそうだった」というロジックは、この例にかぎらず、学校運営にあふれていますが、多くが疑ってかかる必要があるとぼくは思っています。だいたい、文科省が財務省相手に教員定数の改善を要望するときの決まり文句や、中教審答申で最初のほうで必ず語られることをご存じですか?

「最近は、学校の抱える課題が複雑化・高度化している」ということでしょう?これもどこまで事実かは要検証でしょうけれど、障がいなどでケアが必要な子や日本語に不慣れな子が増えているのは、事実です。仮にこの文科省の言葉が事実だとすれば、「前からそうだった」とか、「オレの時も厳しかったけど、なんとかやれた」といった理屈では通用しない現実があるということです。

新人は孤立していないか?

もうひとつ心配なのは、同僚の新人が同じ学校にはいないというケースが6割ということ(いても同期は1人だけ)。しかも、20年以上年上が指導者役です。これでは、悩みを聞いてもらいにくい、共有しにくいという学校も出てくることが容易に想像できます。

学校はKKD(経験と勘と度胸)がまだまだ幅をきかせています。「わたしのときは少々つらくても頑張ったわよ」、「現場はそんなものよ。この1年は修行と思って頑張りなさい」的な発言をされてしまう可能性もあると思います。

実際、いくつか新人教員の過労や自殺の裁判例を見ていると、新人が学校のなかで孤立していたことが推測されるケースに出会います。

あなたの学校では、大丈夫でしょうか?

弱みを見せづらい職場でも、”ちょっと教えて”なら言える

教師は、その職業の特性上、ひとに弱みを見せづらいと思います。子どもや保護者に、自信がありそうにふるまわないといけないシーンが多いからです。職員室や同僚との関係ではどうでしょうか?

新人とはいえ、責任のある仕事(学級担任や教科指導、あるいは校務分掌など)を任されています。右も左もわからないことはだれでもあることと思いますが、先生は「できない自分」を見せるのが、おそらく他の職業よりも苦手な傾向にあります。

よく「ヘルプサインを出そう」ということが言われます。これは、過労防止の場合でも、メンタルヘルスの場合でもその通りでしょうし、学級崩壊になる前にもっと共有できていれば早期に解決できたのに、ということ等もよくあります。しかし、上記のように、なかなか「助けて」と言えない人もいるし、周りに多少の余裕と理解(KKDだけでない人)がなければ、声を出したとしても、ちゃんと受け止めてもらえないかもしれません。

そこで、ぼくの今日の提案は、「ちょっと教えて」が言える学校にしよう、ということです。低い目標かもしれませんけど、大事なことだと思います。

もちろん、自分でたいして考えたり、調べたりもしないまま、なんでも聞けと言いたいのではありません。しかし、先ほど述べたようないきなり学級担任をやらされるようなハードな職場です。分からないことや不安なことは、指導者役にかぎらず、深く悩まないで、周りに聞いたほうがよいと思います。

あるNPOの友人が言っていたことですが、学校の先生は「先生、教えてください」という言葉に弱い傾向があります。職業柄、そう言われると「かわいいやつだ」と思う人が多いというわけ。

それに新人のほうも「助けてください」はやや大仰ですけど、「先生、ちょっと教えてください」なら気軽だと思います。

理想は互いにそう言える関係の職場です。たとえば、新人のほうが最近のネット事情や子どもの共通の話題には付いていっている可能性がありますし、大学等でなかなか興味深い情報を仕入れているかもしれません。ベテランも若手から学べることは多いはずです。

ぼくが仮に校長なら、学校の経営計画として「教員評価アンケートで9割の人がうんぬん」といった目標は書きません。「誰もが”ちょっと教えて”と言える職場にして、気持ちよく過ごす」と書きます。

きょうはこのへんで。

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モモの読書感想文 灰色の男たちの手口からぼくらが学ぶべきこと

先日、小中学校の先生らの有志の読書会に参加してきました。毎回、各自のおススメ本を紹介するのと、共通の課題図書の感想をシェアします。ぼくは初参加でしたが、各自のいろんな感想、読み方にふれることができて、とても楽しかったです。

たまたま、今回の課題図書は『モモ』。とっても有名な児童書ですが、ぼくは子どもの頃ほとんど読書しなかったこともあり、初めて読みました。

ちなみに、今回は新小6の子も参加。「私は、モモは大人が子供に読ませるのではなく、子どもが大人に読ませる本だと思いました」と感想をもらいましたが、おっしゃるとおり!!!

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

灰色の男たちの世界征服の手口が実にうまい

この物語は、10歳前後の身寄りのない、ちいさな女の子、モモが、時間どろぼうの灰色の男たちとたたかっていく様子が後半描かれています。ぼくがもっとも率直に感じた感想のひとつは、この時間どろぼうの手口がうまいな、ということです。

人間に、あなたはこれほど時間を浪費している。もっと節約したほうがあなたの人生のためですよ、と灰色の男たちは詰め寄ります。その説得の仕方が実にうまくて、何秒なにに使ったか、たとえば、睡眠に、仕事に、食事に、母の世話に、インコの世話になどなど、逐一すべて見える化するのです。

そして、灰色の男たちは、人間たちが節約した時間を時間貯蓄銀行にためておける(しかも、時間の利子もつく)とウソをつき、その節約された時間をエネルギーにして増殖していくというわけです。こう話します。

これからさき二十年も、あなたがおなじように一日2時間の倹約をなさったとすると、なんと1億512万秒というすばらしい額になる計算です。そうなると、あなたは62歳にたっしたあかつきには、この大資本が自由に使えるわけです。(大判p86)

こんなふうに言われると、だれもが、たしかにこのままじゃヤバいかも、時間の使た方を見直そう、貯蓄できるならしときたいな、と思ってしまいます。

それも、この説得工作をほとんどだれにも見られない、証拠も残さないかたちで遂行していきます。まったく、仮面ライダーのショッカーやスーパー戦隊ものの悪役たちなどと比べても、ダントツに頭が切れる連中だなと思いました。

同じ方法がタイムマネジメントやコスト意識を高める際に使える

この灰色の男たちがやった同じ方法が、毎日忙しい、灰色の男たちに支配されつつある、みなさんにも使えます!

ぼくがたびたび研修や講演をしている、学校向けの多忙化対策や業務改善についても同じです。先生たちに、1週間でもよいから、おおよそ、なににどのくらいの時間を使ったか、記録してもらうとよいのです。たとえば、

・睡眠

・食事、風呂、トイレなどの日常生活

・趣味、娯楽

・家族や友人と過ごす

(以下は大きくは仕事だが、細かく分解できるとなおよい)

・授業

・授業の準備、教材研究

・宿題等の採点、チェック

・会議

・事務作業

・児童・生徒との相談、生徒指導

・部活 

などといった具合です。

こういうので見える化して、ほかの人とも比べてみても興味深い発見があると思います。

かなりの働き者と働き過ぎの人とのちがい

それで、試しに簡易な方法でシミュレーションしてみたのが、次の表です。

1日に、なにに何時間くらいかけているか、書きます。平日と休日ではちがうので別にします。

仕事はもっと細かく書いてもよいですが、今回は簡略に。平日は、通勤時間も仕事時間のうち1時間程度含むとしました。

趣味・レジャーは、ぼくの場合はゲームをしたり、純粋に好きな本を読んだり、サップに行ったりする時間です。家族や友人はぼくの場合は多くが育児と家事、たまに飲み会です。

それで、1日あたりのものをもとに、年間何時間くらいで、どれにどのくらいの割合を使っているか、計算したのが下のほうの表です。

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とりあえず、学校の先生たちにもありがちな、2パターン考えてみました。

(1)はけっこうな働き者です。平日10時間くらい働いていますし、土日も1時間くらいは仕事のことをしていますから(土日のどちらか2時間と捉えてもよいです)。計算すると、月残業時間でいうと、60時間くらいで、過労死ラインは80~100時間以上なので、これよりは下回ります。

このくらい働く人であれば、年間にして、仕事の時間は2,815時間(10,134,000 秒)になります。だいたい、睡眠などを含めた人生トータル時間の32%を仕事に使っていることになりますね。ん~、けっこう多い気もしますが、そんなものか、という気もします。年間で計算すると、そう睡眠時間と大きな差はありませんしね。(1)の場合は、けっきょく、仕事以上の時間を、食って、好きな人といて、好きなことをしている時間にもあてているのです。

(2)は学校の先生に、かなりありがちなパターンです。朝8時前には来て、夜は21時すぎに出るイメージで、土日も丸付けやら授業準備やら、部活の面倒などで1日3時間くらい使っています。過労死水準で働き者と書きましたが、月だいたい140時間残業であり、過労死ラインを大きく超える過重労働です。

この(2)の人になると、仕事は年間3,790時間(13,644,000秒)であり、(1)の人よりも千時間ちかく多いですね。仕事の割合は43%です。

これをどう評価するかは、各自の価値観にもよるとは思います。ぼくはというと、やはり人生の4~5割近くも仕事に使うのがいいか、3割くらいにしておくかと言えば、後者のほうがいいかなとは思います(が、いまは自営だし、いつでも作業ができるぶん、たまに休日もないときもありますけど)。

まあ、こういう発想自体が、灰色の男たちに毒されているのかもしれませんけれど、一度見つめなおすにはいいワークだと思いますよ。みなさんもかんたんな表ですから、いちどやってみては?

灰色の男たちは、手法は巧妙だが、あとのビジョンはない

ところで、このモモのストーリーを読んで、思い出したのは、『「世界征服」は可能か』という面白い本です。

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

 

少しうろ覚えですが、この本では、マンガやアニメなどで世界征服を企む悪役たちの手法の妥当性を詳細に分析しています。また、岡田さんが指摘していて、とくに面白かったのは、多くの悪役たちは、世界征服そのものが目的化してしまっており、その後のビジョンがない、というツッコミでした。

このことは、モモのストーリーにも当てはまります。

灰色の男たちは何のために人間たちの時間を奪っているのでしょうか?

奪った後、人間たちを思い通りに動かしていても、灰色の男たち自身は自由を謳歌しているようには見えません。彼らとて時間にはとてもシビアに生きていて、アクセクしていますから。それに、最終的に人間たちの時間をすべて奪ってしまっては、彼らはおそらくその先の餌がなく、生きていけません。

つまり、支配や増殖という目的はあるかもしれませんが、それらが達成されたあとの世界のことがまるで頭にないように見えました。

あまり理屈ぽいことばかり並べてもどうかなとは思いますが、先ほどの時間を見える化するワークでも、考えたいのは、なんのために、なにに時間を使うのかということです。効率化や時短だけそのものが目的ではありません。言い換えると、なにに人生の楽しさ、おもしろさを考えるかということかもしれませんね。

みなさんは、どうでしょうか?

★お知らせ 

4月15日(土)@都内で、部活動をメイントピックスにしますが、教師の時間の使い方や、学校はなぜ以前からのものをやめられないのかをテーマにした読書会と研修会を開催する予定です。どなたでも参加歓迎です。

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新学習指導要領の前文に思うこと

あら、もう年度末。退職や異動を迎えられる方などもいらっしゃると思います。新天地でもご活躍を、ボンボヤージュ!

うちは、明日はファーストデイなので、映画でもみてこようかと話してます。

f:id:senoom:20170331095406j:plain

さて、この年度末に小中学校の学習指導要領が公表されたというニュースを見ました。

そのうち、文科省さんのページでも公開されると思いますが、取り急ぎは、教育新聞のサイトにあります。

www.kyobun.co.jp

学習指導要領そのものの賛否についての意見はいろいろあると思いますし、ぼくも多少思うことはありますが、そこはいったん置いておいて、前文・総則は要注目ですね。

一人一人の児童が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓ひらき、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる。このために必要な教育の在り方を具体化するのが、各学校において教育の内容等を組織的かつ計画的に組み立てた教育課程である。

 この理念は、納得される方も多いのではないでしょうか?こんな子どもを育てたいというときのひとつのモデルとなると思います。この箇所は、先日、「まんがで知る教師の学び2」を出された前田先生も強調されていました。

ただ、よく考えたいのは、子どもの話だけではないですよね?ということ。自分の可能性を感じられること、多様な人と協働していくこと、持続可能な社会をつくることなどは、オトナにこそ必要だと思います。

ただ、こういう崇高な理念があるのに、学習指導要領の各論では次のような報道もあなされています。

小学校体育の指導要領で「異性への関心が芽生える」とした記述をめぐって、この記述をなくし、新たにLGBTなど性的少数者について盛り込むよう求める意見があったが、文科省は「LGBTを指導内容として扱うのは、保護者や国民の理解などを考慮すると難しい」としている。

朝日新聞2017年3月31日

http://www.asahi.com/articles/ASK3Z31FPK3ZUTIL005.html

 

「あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働」(前文より)と言いながら、もう片方で、異性への関心については指導内容として扱うけれど、LGBTを扱うのは難しいと言う。

「なんや、美辞麗句だけか?」と見えるのは、性格のわるいぼくだけでしょうか???

道徳の教科書をめぐるパン屋か和菓子屋かもそうですが、このあたりに、学習指導要領のむずかしさがあります。

Aさん:
多様性をなるべく認めよう。学習指導要領は最低これは教えてねという内容であり、これを超えて扱うことは学校の裁量や工夫のなかであってよいのだから、なるべく禁欲的な(あれこれ盛り込まない)ほうがよい。

 

Bさん:
社会で活躍する人材を育てないといけないのだから、なんでも自由ってわけにはいかない。日本の文化や郷土について愛着をもった子に育っていくことも大事でしょう。そのためなら、一定の制約を指導要領で書くのはまっとう。

AさんとBさんの主張は、必ずしも二律背反ではありませんが、かなり衝突する場面はありそうです。それで、今回取り上げたように、前文の理念と各論が矛盾しているようにも見えるのです。

同じ前文に「学習指導要領とは、こうした理念の実現に向けて必要となる教育課程の基準を大綱的に定めるもの」との記述があり、現行と同様、学習指導要領の性格は大綱的であることが確認されています。しかし、「大綱」ではない、「大綱的」とはなんやねん?って感じもします。そのあたりに学習指導要領の抱えるひとつの弱さが現れているとも見えます。

そもそも、あらゆる教育には、押し付けや洗脳的な部分はつきものです。そのリスクも十分考えたうえで実践しなければなりませんし、たびたびの反省も必要です。

さて、理念をきれいごととしてスルーするか、それとも、いいなと思う理念を共有し、具体化して活気ある学校をつくるかは、かなり学校現場の教職員と、それを支援するまわり(保護者や地域等)によってくると思います。新年度を迎えるにあたって、あなたはどうしたいでしょうか?

「事件は会議室で起きてるんじゃないだ」って言うじゃない?どうせなら、新年度も楽しくやりたいものです。

 

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【忙しい学校 どうする?】そろそろ、部活のこれからを話しませんか?

きょうは「部活動のあり方を考え語り合う研究集会」というのに参加してきました。部活顧問制などに悩む中高の教員の方をはじめ、100名近い参加があり、外は寒い1日でしたが、とてもアツイ、シンポジウムでした。

 

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校内研修で部活をテーマに本音をぶつけてみては?

「部活顧問やってくれません?もう先生しかいないんです~」といった職場での同調圧力はまだまだ学校では強いこと、部活に熱心な先生が評価される風土があることを指摘する方もけっこういました。

昨日ぼくはブログで、校内研修が授業研究に偏っているのは、どうなの?という話をしました。中学校でも平均して年間10回校内研修に使っています。

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授業研究メインの校内研修を1回や2回つぶしたとしても、「部活は今のままで本当にいいの?」「もっと持続可能にするにはどうするよ?」って話を学校のなかでもっとしていくべきではないかと思います。

喧嘩になるからイヤだとかは言わない。こういうテーマはむしろ喧嘩してでも、本音をぶつけ合うことがないと、お互い、ムリや不信になるのではないですか?

善意と献身性でいつまで支えるの?

ぼくは部活は要らないとは思っていません。教育効果もたしかに高いし、思い出に残るすばらしい取組も多いと思います。しかし、いまのやり方ではムリがあると感じます。みなさんの学校ではどうですか?教員の善意と献身性で支えるのには、もう、限界があると思いませんか?

職場の同調圧力というのも、本当はヘンな話です。

学校の先生たちは、学習指導要領を本当に読まれているのでしょうか?いまの(おそらく次期も)学習指導要領での部活の位置づけは中途半端なのは確かにそうですが、教育課程外の、生徒の自主的な活動、と書いています。つまり、やっても、やらなくてもいい自主的な活動です。

また、驚くことに、ここまで過重労働が調査等で明らかなのに、過労死等が争われた判例では、部活指導や付き添いは、教師の自主的な活動とみなしています(つまり校長の指揮命令のもとやっている活動ではない、ということ)。

これらを考えると、校長は(少なくとも勤務時間外は)部活の顧問をやれと命じることはムリがありそうですし、「みんなで分担しないとやっていけないから、そこはまあ、お願いしますよ」という理屈も、ヘンです。全員顧問にしないとやっていけないような、持続可能性の低い運営を見直すことが本丸のはずで、そこから逃げているのだと思います。

また、学校という場所は、戦前の反省と戦後の理念を見ても明らかですが、全体主義的な発想や権力の暴走に対して、批判的に見て、立ち向かえる力を育てる機関であるはずです。その学校で、当の教職員集団が、「イヤでもみんなでやるんだよ」という考え方では、非常に貧しい。むしろ、いろんな考え方を認めつつ(部活を目いっぱいやりたい方も、全然やりたくない方も、その中間の方も)、現実問題としてどうやっていくか対話していく、アクティブラーニングが必要です。まさに問題解決能力は子どもたち以前に、教職員集団に必要だと思います。

 

休養日の設定は次善策であり、本当の課題は別

部活のこれからのあり方というと、すぐ国や教育委員会の施策としては、休養日をもっと設けましょうとなります。

休養日が現状よりもあったほうがよいことについては、反対しません。しかし、部活について重要な課題は、そこじゃないと思います。学校で面倒をみる部活を減らしていくことだと思います。顧問をやりたくない、納得いかない先生も少なくないなかで、やりたい人で無理なく、楽しく部活運営できる規模にしていくことを考えるしかありません。これには外部指導者の活用や地域スポーツに返すということも含めてです。

生徒がかわいそう、生徒が、保護者が求めているは理由にならない

こんなことを書くと、「廃部なんかにすると生徒がかわいそうじゃないか。それでいいんですか!?」、「生徒も保護者もやりたいと言ってますよ。その子たちの声にこたえてあげたいじゃないですか!」という声が必ず、出てきます、教員のほうから。

その気持ちももっともだなとも思います。しかし、だからといって、過労死ラインを超えるような過重労働を続けさせてて本当にいいんですか?

生徒がかわいそうというと、どうですか?たとえば、バイオリニストになりたいという子がいれば、それに教師は徹底的に付き合いますか?あるいは、ジャズバンドしたいけど、楽器を買うお金がないんです、と言ってきたら?そこは家庭で、となっている学校がほとんどでしょう?

要するに、ポイントは、人もカネも時間も限られているんです。無尽蔵ではありません。だから、生徒がかわいそう、生徒の希望だと言っても、すべては叶えられません、できる範囲でやっていくしかありません、という当然の話です。なのに、部活についてだけでは、顧問教員の時間が無尽蔵とまでは言わないけど、土日もつぶすくらいの多大な時間を捧げても仕方なし、と捉えられているのは、オカシイでしょう?

部活問題の重要な部分は学校で決められる

教育委員会や文科省が動いてくれないと、という意見は、気持ちとしてわからなくもないですし、大会の規定や手当の問題などでは、国・都道府県の役割も大事だと思います。しかし、教育委員会等が一斉に号令をかけないと、学校は動けない、と言うのは、キビシイ表現かもしれませんが、思考停止だと思います。さきほど申し上げた、重要な問題から目をそらしているだけでは?

繰り返しますが、部活は、学校の判断でやめたり、減らしたりはできるテーマです。この点での権限も裁量も、文科省にはなく、教育委員会にもなく、学校長にあるのですから。

きょう登壇された中澤篤史先生の『そろそろ、部活のこれからを話しませんか?』はとても分かりやすく、これまでの経緯や論点が整理されています。朝読書の時間などに先生たちもこれを読んだうえで、校内研修で「そろそろ、部活のこれからを話しませんか?」というテーマで話し合う場をもってはいかがでしょうか?

そろそろ、部活のこれからを話しませんか 未来のための部活講義

そろそろ、部活のこれからを話しませんか 未来のための部活講義

 
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