妹尾昌俊アイデアノート

妹尾昌俊アイデアノート~ステキな学校、地域、そして人たち

元気な学校づくりと地域づくりのヒントをお届けします!

ぼくが中学生だったころ

みなさん、こんにちは。うちは4人の子育て中なのですが、ついに、一番上の子が昨日中学生になりました!

長かったような、あっと言う間だったような。入学式をおえて、昨夜はお祝いに長男のリクエストにより、焼き肉食べ放題に行ってきました。今朝もまだおなかが重いです。

※写真は中学校の風景。地元の公立です。30年前のバブリーな時期に建てられたせいなのか、概観はとてもオシャレです。

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最初の学活で担任の先生が、「中学の頃は一番こころが伸びると思う」とおっしゃっていたのが、とてもこころに残りました。また、校長先生は入学式で、「学校は安全に失敗ができるところ」ということを強調されていました。とても大事な視点だと思います。

うちの子にかぎらず、みんな、いろんな体験をして、ときには恋もして、失敗や試行錯誤しながら大きくなってほしいです。

ぼく自身は、中学の頃はとてもいい思い出も、恥ずかしい思い出も、たくさんあります。部活も、教員の負担という意味ではもっと持続可能なかたちにしたいという思いはすごく強いですが、同時に、自分の体験としては、すごく成長させてもらった感謝でいっぱいです(ちなみに、ソフトテニス部と音楽部を兼部するという、ちょっと変わった中学生でした)。

以下は、拙著『変わる学校、変わらない学校』のあとがきに書いたことを載せておきます。

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

 学校教育については、実に多くの方が、自身の経験や思い入れから語ります。それは、大変エネルギッシュで、社会を動かす力になることもありますが、ときとして、主観的で、根拠が危ういものになるケースもあります。一方で、現状を客観的にうまく説明できたとしても、そのメッセージは児童・生徒を目の前にして一生懸命毎日を送っている教職員にとっては、言われる前から自明のことであったり、「ではどうしたらよいのだ?」と問いたくなるケースもあったりします。

 そこで本書では、なるべく学校現場からは“付かず離れず”の立場で、優れた取組を展開する学校と停滞する学校、つまり「変わる学校、変わらない学校」の違いから得られたヒントを、なるべく理解しやすく、行動しやすいよう“翻訳”してきました。

 とはいっても、私自身本書を書き続けられたのも、教育問題に取り組もうと思ったのも、ある思い入れがあるからです。それは、中学生のときの原体験から来ています。徳島の人口1万人少しの町のたったひとつの中学校(現在は合併して1校ではありませんが、阿波市立市場中学校)は、当時、県内でもワースト5に入るという、かなり荒れた学校でした。生徒が吸ったタバコの吸い殻はあちこちに落ちているし、夜に窓ガラスが割れるし(尾崎豊の曲みたいですね)、女子生徒が女子を入院させる暴力事件もありました。

※写真は息子の中学校に飾ってあった詩の一節

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 これはなんとかしなければということで、当時県内でエース級の熱意と生徒指導や学級運営に実績のある先生が集まって編成されたのが、私がいた学年でした。中学生だった自分にはマネジメントや組織運営についてわかるはずもありませんが、この学年は、教員個々の力量以上に、学年チームとして目標を共有し、まとまっていたという肌感覚があります。今思えば、ずいぶん多忙化した職場だったと思いますが、勉強に付いていけない生徒には細かく放課後に勉強を見ている先生も複数いましたし、生徒指導は担任や分掌にかかわらず、学年全体や学校全体で取り組んでいました。

 「学校は変われる」―そう確信したのは、この中学校のときの体験からです。大人になって多くの学校を訪問調査したときは、「素晴らしい取組をしている学校や熱心な教職員は市場中だけじゃない、うれしい」と感じたものでした。

 本書は、「そんな優れた取組をもっと広げられないだろうか?」、「熱心な教職員が異動した後も継続して発展するようにできないだろうか?」と問い続けた結果をまとめたものです。すでに何度も繰り返していますが、「到達目標の共有」、「プロセスの設計」、「チーム・ネットワークづくり」という3点と、それらをつなぐ戦略をもって実践することが、「変わる学校と変わらない学校」の分岐点にあることを具体的に見てきました。さらには、学校の組織力を高めていくことが、地域づくりにもつながり、両者には相乗効果があることについても触れました。

 本書ではさらに分析や検証が必要な点もあろうかと思いますが、日本中の学校と地域がよりよくなるきっかけと継続に、少しでも貢献できれば、幸いです。ご感想やご意見、うちの学校はこんな取組をしているよという情報は、ぜひ本書の交流用のfacebookグループページ(本書名で検索してください)または筆者までお寄せいただけると、とてもうれしいです。

 ここに来て、つくづくアインシュタインの次の言葉を思い出します。

 

「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望を持つ。大切なことは、何も疑問を持たない状態に陥らないことである。

Learn from yesterday, live for today, hope for tomorrow. The important thing is not to stop questioning.」

 

「教育とは、学校で習ったことをすべて忘れた後に残っているものである。

Education is what remains after one has forgotten everything he learned in school.」

 

本書を市場中学校の恩師の三橋先生、尾崎先生、西山先生らにささげます。

 

★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★★

きょうはこれから朝ごはんと弁当をつくるので、このへんで。

シュフ・シェフですから(笑)

ひとつお知らせです。文科省の学校業務改善アドバイザー派遣事業というのが今年度スタートします。ぼくもアドバイザーのひとりとなっています。少しでもお役に立てればうれしいです!

※日経新聞2017年4月5日朝刊 社会面に名前が出たのははじめてだわ。。。

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※こちらの文科省ウェブページにも関連情報があります。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/uneishien/detail/1384196.htm

変わる学校、変わらない学校―学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道

変わる学校、変わらない学校―学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道

 
★ちょっとお知らせ~
4月15日に学校の多忙化をテーマに、「元気な学校づくりゼミ ~”部活のこれまでとこれから”から考えよう~」の勉強会を開催するよ。参加者募集中です。

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スイミーに感動ばかりもしていられない。同調圧力と戦う。

新年度が始まって2日。みなさん、いかがお過ごしでしょうか?

どの学校でも、いまの時期は校務分掌といって、さまざまな分担が決まっている時期だろうと思う。部活の分担も重要なテーマのひとつだと思う。

学習指導要領を読むと、現行も次期も、部活動は「生徒の自主的,自発的な参加により行われる」ものであり、教育課程外(=正規の授業の外)という位置づけとなっている。

言い換えれば、各学校で部活はやってもいいが、やらなくてもいい活動というわけ。

このため、部活動の顧問は、生徒の自主的な活動に付き合っている、教職員の自発的な活動、というのが通常のタテマエだ。まだ勤務時間中であれば、校長が職務命令で指導に当たるように要請できるかもしれないが、多くの中高がそうであるように、勤務時間外まで顧問の仕事を押し付けるのは、筋が通らない。(法令上も、超勤が認められる要件として部活は入っていない。)本当は、「やるなら、好きな人だけでやってくれ」というほうが正論なのだ。

しかし、以上はタテマエであって、現実はそうはなっていないのは周知のとおり。平成28年度全国体力・運動能力等調査によると、中学校では部活動の顧問は「全員が当たることを原則としている」学校が87.5%と大多数であり、「希望する教員が当たることを原則としている」は5.3%に過ぎない。つまり、全員顧問のほうがほとんどの中学校の常識というわけだ。

おそらく、職員室で、「全員顧問なんておかしい」、「顧問やるかは選択制でいいんじゃないですか」と発言したとしても(そもそも、そうした声を出しづらいという人も多いと思うが)、「みんなで少しずつ分担するしかない」とか「顧問のなり手は他にはいない」とか、「やる気のある生徒のことを思え。休部を急に決めるわけけにはいかないんだよ」ということで、なかなか通らないか、かき消されてしまうと推察する。

でも、「子どものためになるから、みんなで当たるべきだ(多少の教員の犠牲はやむを得ない)」という発想は、一見まともに見えるが、本当は、危ういと思う。

そんなことを言い出すと、キリがないからだ。たとえば、将来はオーケストラで活躍できるのが夢だ、中学時代はそれに向かって放課後もいっぱい練習したい、という生徒がいたとしても(それも複数人)、オーケストラ部をつくらない学校のほうがほとんどだろう。日本の伝統文化も大事にしたいのなら、オーケストラ部を津軽三味線部に代えて考えてもよい(笑)

これまでも、限られた人と時間と予算のなかで、学校が面倒を見るべきことは選択しているのだ。仮に、バレーボールをやりたいという子がいる。でも顧問のなりてが、やりたくないと主張するA先生以外はどうしても見つからない、外部指導者も確保できない。となれば、生徒の自主サークルでやってくれ、とするしかないではないか?

無理やり、やりたくないA先生を顧問に据えてまで、部を存続させる理由は、どこにあるのだろうか?バレーボールの場合とオーケストラの場合のちがいはどこにあるのだろうか?合理的に説明できるのだろうか?

「前からやっていたんだし、頑張っている子たちもいるんだから、部をやめたり、縮小したりはしたくない」という気持ちはわかる。でも、だからと言って、学校はなんでも面倒を見ないといけないわけではないはずだ。

また、A先生がやらないなら、生徒がかわいそうだし、仕方ないからB先生が2つの部の顧問をやります、というのも、ムリがあると思う。B先生は部活専属ではないのだし、ほかのことにしわ寄せはこないのだろうか?

それに、こうなってくると、いかにもB先生は生徒思いのよい人で、A先生は自分のことばかり言う人みたいに職場の空気がなるのも、怖い。A先生もB先生も、本来勝負するべきは、授業や生徒指導や、ほかの学校運営であって、部活ではないでしょう?

本来は、有志の教員だけで顧問がまわらないくらい規模が拡大し、持続可能性の低い運営になってしまっている、部活の現状を見直し、教員で面倒をみる部活数を縮小するというのが正攻法ではないか?そこの議論から逃げている学校(教育委員会も)があまりにも多いと思う。

これを「今の4月に言っても、遅いですよ!」と怒る人もいるかもしれないが、顧問を決める今の時期だからこそ、少し立ち止まってよく考えておいてほしいと思う。

少なくとも、学校の先生たちに考えてほしいのは、A先生は勝手なやつで、B先生はいい人みたいな職場にして本当にいいですか?というクエスチョンだ。

 

部活にかぎらないが、「みんなで渡れば怖くない」的な発想は、そろそろ卒業するべきではないか?仮にも、思考力を鍛えることや、多様な価値観や生き方を考えるのが学校の重要な使命のひとつであるならば、集団思考や同調圧力に屈しない人材を育てることも、大事にしなければならない。子どもたちに求める前に、まずは先生やオトナたちから。

 https://i.vimeocdn.com/video/576110263_1280x960.jpg

小学2年生で習うスイミー、もう40年近くも、ある教科書には載っているらしい。スイミーの話はほんと感動するね、という気持ちを、ぼくは否定しない。しかし、このストーリーは、本来は、もっとクリティカルにとらえられてもよいと思う。

だって、スイミーが目になって、ほかの魚と協力して大きな魚に見せたって、食べられてしまうリスクもあったわけだ。みんなで協力するのは素晴らしいね、と美談にするよりは、「オレはそんな危ない橋は渡らないぜ、スイミーに同調したいやつだけでやれ」とそっぽを向く赤い魚がいても、よいではないか?むしろ、そのほうが魚たちの生存確率を高めることになるかもしれないのだ。

あなたのなかにも、あるいは近くの同僚にも、そんな赤い魚はいないだろうか?

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「ちょっと教えて」が言える学校に

新年度がスタートしましたね。新小3の次女が昨日までは一緒の布団でしたが、今日から二階建てベッドに行くということで、成長を感じるやら、少しさみしい感じもしています。

いまさらだけど・・・4月5日スタートでよかったのかな?

さて、学校がはじまるのは、5日か6日くらいでしょうか?うちの子どもたちの小学校、中学校は5日スタートです。どなたかのFacebookでも指摘されていましたが、営業日としては2、3日しかありません。そんな準備期間のなか、新任教員であっても、すぐ教壇に立つということですから、非常にハードな職場だなあと思います。というよりも、教育委員会の判断で、今回のようなカレンダーの場合、例年通りとせず、もっと始業式を遅らせる判断をしたほうがよかったのではないか、とさえ思います。

※保育園に慣れっこな保護者の視点からは、学校が1日でも早いほうが助かる気持ちはよくわかるのですけど。。。

新人は各校に1人か2人で、大ベテランから学ぶ

少し大きな企業であれば、はじめの最低1週間、あるいは1か月くらいは現場配属の前の研修ですよね(ぼくがシンクタンクにいたときは、2か月近く研修だったかな)。先生の場合、新任の研修は制度化されていますが、授業などをしつつ、並行してです。

文科省のサイトには「初任者研修実施状況(平成27年度)調査結果」というのが公表されています。

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kenshu/1383446.htm

これをざっと読むと、次のような事実がわかります。

  • 初任者研修の対象者のうち、新卒者は全体の38%、常勤講師等経験者は44%、その他が17%。常勤講師等経験者であれば、新卒とはいえ経験があるが、新卒者は、実習やボランティアのときを除き、現場は初めての人がほとんど。
  • 新任教員は1人配置が59%、2人配置が31%。
  • 学級担任を受け持つのは全体の69%。ただし、小学校にかぎると、ほとんどが学級担任をもつ。
  • 指導教員は、21年目~30年目が20%、31年目以上が72%とほとんどを占め、ベテランが指導者となっている。

学校は、新人をケアできているのだろうか?

ここから、どのようなシーンが想像できますか?あるいは、みなさんの学校では、新人さんの様子はどうでしょうか?

※写真は保育園に送るとちゅうの風景 記事は下に続きます

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ひとつは、ポジティブなイメージです。各校に1、2人ということですから、いくら学校は多忙化しているとはいえ、比較的ケアはしやすいのではないでしょうか?それに、21年目以上の大ベテランが師匠役です。

と書いたものの・・・この仮定には、いくつか非現実的だな、と思われる学校も少なくないと思います。

学校でケアしないといけないのは、この新人だけではないことが多いからです。

産休・育休の代替などで非常勤講師の方なども増えています。つまり、経験が必ずしも豊富ではない教員は新人以外もいます(非常勤の方にはベテランという場合もありますが、教員採用試験を受けつつ、講師をやる若手も多い)。また、経験年数に関係なく、学級経営や授業がうまくない人もいます。学校は新人だけに手を焼けるわけではないのです。

直接的な証拠ではありませんが、傍証は同じ調査データのなかにあります。平成27年度、小学校に配属された新任教員のうち、学級担任をもつ人は13,199人、担任をもたない人は505人です。新人でも、小学校の場合は配属されてわずか数日後に(今年の場合は3日後に)96%が自分の学級をもって、一人前の教師としてやっていかないといけない、という事実は、ほかに人材がいない、ということを象徴しているようにも見えます。

 「そんなの前からそうですよ、何をいまさら!」

という声が聞こえてきそうです。

ふむふむ。。。しかし、この「前からそうだった」というロジックは、この例にかぎらず、学校運営にあふれていますが、多くが疑ってかかる必要があるとぼくは思っています。だいたい、文科省が財務省相手に教員定数の改善を要望するときの決まり文句や、中教審答申で最初のほうで必ず語られることをご存じですか?

「最近は、学校の抱える課題が複雑化・高度化している」ということでしょう?これもどこまで事実かは要検証でしょうけれど、障がいなどでケアが必要な子や日本語に不慣れな子が増えているのは、事実です。仮にこの文科省の言葉が事実だとすれば、「前からそうだった」とか、「オレの時も厳しかったけど、なんとかやれた」といった理屈では通用しない現実があるということです。

新人は孤立していないか?

もうひとつ心配なのは、同僚の新人が同じ学校にはいないというケースが6割ということ(いても同期は1人だけ)。しかも、20年以上年上が指導者役です。これでは、悩みを聞いてもらいにくい、共有しにくいという学校も出てくることが容易に想像できます。

学校はKKD(経験と勘と度胸)がまだまだ幅をきかせています。「わたしのときは少々つらくても頑張ったわよ」、「現場はそんなものよ。この1年は修行と思って頑張りなさい」的な発言をされてしまう可能性もあると思います。

実際、いくつか新人教員の過労や自殺の裁判例を見ていると、新人が学校のなかで孤立していたことが推測されるケースに出会います。

あなたの学校では、大丈夫でしょうか?

弱みを見せづらい職場でも、”ちょっと教えて”なら言える

教師は、その職業の特性上、ひとに弱みを見せづらいと思います。子どもや保護者に、自信がありそうにふるまわないといけないシーンが多いからです。職員室や同僚との関係ではどうでしょうか?

新人とはいえ、責任のある仕事(学級担任や教科指導、あるいは校務分掌など)を任されています。右も左もわからないことはだれでもあることと思いますが、先生は「できない自分」を見せるのが、おそらく他の職業よりも苦手な傾向にあります。

よく「ヘルプサインを出そう」ということが言われます。これは、過労防止の場合でも、メンタルヘルスの場合でもその通りでしょうし、学級崩壊になる前にもっと共有できていれば早期に解決できたのに、ということ等もよくあります。しかし、上記のように、なかなか「助けて」と言えない人もいるし、周りに多少の余裕と理解(KKDだけでない人)がなければ、声を出したとしても、ちゃんと受け止めてもらえないかもしれません。

そこで、ぼくの今日の提案は、「ちょっと教えて」が言える学校にしよう、ということです。低い目標かもしれませんけど、大事なことだと思います。

もちろん、自分でたいして考えたり、調べたりもしないまま、なんでも聞けと言いたいのではありません。しかし、先ほど述べたようないきなり学級担任をやらされるようなハードな職場です。分からないことや不安なことは、指導者役にかぎらず、深く悩まないで、周りに聞いたほうがよいと思います。

あるNPOの友人が言っていたことですが、学校の先生は「先生、教えてください」という言葉に弱い傾向があります。職業柄、そう言われると「かわいいやつだ」と思う人が多いというわけ。

それに新人のほうも「助けてください」はやや大仰ですけど、「先生、ちょっと教えてください」なら気軽だと思います。

理想は互いにそう言える関係の職場です。たとえば、新人のほうが最近のネット事情や子どもの共通の話題には付いていっている可能性がありますし、大学等でなかなか興味深い情報を仕入れているかもしれません。ベテランも若手から学べることは多いはずです。

ぼくが仮に校長なら、学校の経営計画として「教員評価アンケートで9割の人がうんぬん」といった目標は書きません。「誰もが”ちょっと教えて”と言える職場にして、気持ちよく過ごす」と書きます。

きょうはこのへんで。

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モモの読書感想文 灰色の男たちの手口からぼくらが学ぶべきこと

先日、小中学校の先生らの有志の読書会に参加してきました。毎回、各自のおススメ本を紹介するのと、共通の課題図書の感想をシェアします。ぼくは初参加でしたが、各自のいろんな感想、読み方にふれることができて、とても楽しかったです。

たまたま、今回の課題図書は『モモ』。とっても有名な児童書ですが、ぼくは子どもの頃ほとんど読書しなかったこともあり、初めて読みました。

ちなみに、今回は新小6の子も参加。「私は、モモは大人が子供に読ませるのではなく、子どもが大人に読ませる本だと思いました」と感想をもらいましたが、おっしゃるとおり!!!

モモ (岩波少年文庫(127))

モモ (岩波少年文庫(127))

 

灰色の男たちの世界征服の手口が実にうまい

この物語は、10歳前後の身寄りのない、ちいさな女の子、モモが、時間どろぼうの灰色の男たちとたたかっていく様子が後半描かれています。ぼくがもっとも率直に感じた感想のひとつは、この時間どろぼうの手口がうまいな、ということです。

人間に、あなたはこれほど時間を浪費している。もっと節約したほうがあなたの人生のためですよ、と灰色の男たちは詰め寄ります。その説得の仕方が実にうまくて、何秒なにに使ったか、たとえば、睡眠に、仕事に、食事に、母の世話に、インコの世話になどなど、逐一すべて見える化するのです。

そして、灰色の男たちは、人間たちが節約した時間を時間貯蓄銀行にためておける(しかも、時間の利子もつく)とウソをつき、その節約された時間をエネルギーにして増殖していくというわけです。こう話します。

これからさき二十年も、あなたがおなじように一日2時間の倹約をなさったとすると、なんと1億512万秒というすばらしい額になる計算です。そうなると、あなたは62歳にたっしたあかつきには、この大資本が自由に使えるわけです。(大判p86)

こんなふうに言われると、だれもが、たしかにこのままじゃヤバいかも、時間の使た方を見直そう、貯蓄できるならしときたいな、と思ってしまいます。

それも、この説得工作をほとんどだれにも見られない、証拠も残さないかたちで遂行していきます。まったく、仮面ライダーのショッカーやスーパー戦隊ものの悪役たちなどと比べても、ダントツに頭が切れる連中だなと思いました。

同じ方法がタイムマネジメントやコスト意識を高める際に使える

この灰色の男たちがやった同じ方法が、毎日忙しい、灰色の男たちに支配されつつある、みなさんにも使えます!

ぼくがたびたび研修や講演をしている、学校向けの多忙化対策や業務改善についても同じです。先生たちに、1週間でもよいから、おおよそ、なににどのくらいの時間を使ったか、記録してもらうとよいのです。たとえば、

・睡眠

・食事、風呂、トイレなどの日常生活

・趣味、娯楽

・家族や友人と過ごす

(以下は大きくは仕事だが、細かく分解できるとなおよい)

・授業

・授業の準備、教材研究

・宿題等の採点、チェック

・会議

・事務作業

・児童・生徒との相談、生徒指導

・部活 

などといった具合です。

こういうので見える化して、ほかの人とも比べてみても興味深い発見があると思います。

かなりの働き者と働き過ぎの人とのちがい

それで、試しに簡易な方法でシミュレーションしてみたのが、次の表です。

1日に、なにに何時間くらいかけているか、書きます。平日と休日ではちがうので別にします。

仕事はもっと細かく書いてもよいですが、今回は簡略に。平日は、通勤時間も仕事時間のうち1時間程度含むとしました。

趣味・レジャーは、ぼくの場合はゲームをしたり、純粋に好きな本を読んだり、サップに行ったりする時間です。家族や友人はぼくの場合は多くが育児と家事、たまに飲み会です。

それで、1日あたりのものをもとに、年間何時間くらいで、どれにどのくらいの割合を使っているか、計算したのが下のほうの表です。

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とりあえず、学校の先生たちにもありがちな、2パターン考えてみました。

(1)はけっこうな働き者です。平日10時間くらい働いていますし、土日も1時間くらいは仕事のことをしていますから(土日のどちらか2時間と捉えてもよいです)。計算すると、月残業時間でいうと、60時間くらいで、過労死ラインは80~100時間以上なので、これよりは下回ります。

このくらい働く人であれば、年間にして、仕事の時間は2,815時間(10,134,000 秒)になります。だいたい、睡眠などを含めた人生トータル時間の32%を仕事に使っていることになりますね。ん~、けっこう多い気もしますが、そんなものか、という気もします。年間で計算すると、そう睡眠時間と大きな差はありませんしね。(1)の場合は、けっきょく、仕事以上の時間を、食って、好きな人といて、好きなことをしている時間にもあてているのです。

(2)は学校の先生に、かなりありがちなパターンです。朝8時前には来て、夜は21時すぎに出るイメージで、土日も丸付けやら授業準備やら、部活の面倒などで1日3時間くらい使っています。過労死水準で働き者と書きましたが、月だいたい140時間残業であり、過労死ラインを大きく超える過重労働です。

この(2)の人になると、仕事は年間3,790時間(13,644,000秒)であり、(1)の人よりも千時間ちかく多いですね。仕事の割合は43%です。

これをどう評価するかは、各自の価値観にもよるとは思います。ぼくはというと、やはり人生の4~5割近くも仕事に使うのがいいか、3割くらいにしておくかと言えば、後者のほうがいいかなとは思います(が、いまは自営だし、いつでも作業ができるぶん、たまに休日もないときもありますけど)。

まあ、こういう発想自体が、灰色の男たちに毒されているのかもしれませんけれど、一度見つめなおすにはいいワークだと思いますよ。みなさんもかんたんな表ですから、いちどやってみては?

灰色の男たちは、手法は巧妙だが、あとのビジョンはない

ところで、このモモのストーリーを読んで、思い出したのは、『「世界征服」は可能か』という面白い本です。

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

「世界征服」は可能か? (ちくまプリマー新書)

 

少しうろ覚えですが、この本では、マンガやアニメなどで世界征服を企む悪役たちの手法の妥当性を詳細に分析しています。また、岡田さんが指摘していて、とくに面白かったのは、多くの悪役たちは、世界征服そのものが目的化してしまっており、その後のビジョンがない、というツッコミでした。

このことは、モモのストーリーにも当てはまります。

灰色の男たちは何のために人間たちの時間を奪っているのでしょうか?

奪った後、人間たちを思い通りに動かしていても、灰色の男たち自身は自由を謳歌しているようには見えません。彼らとて時間にはとてもシビアに生きていて、アクセクしていますから。それに、最終的に人間たちの時間をすべて奪ってしまっては、彼らはおそらくその先の餌がなく、生きていけません。

つまり、支配や増殖という目的はあるかもしれませんが、それらが達成されたあとの世界のことがまるで頭にないように見えました。

あまり理屈ぽいことばかり並べてもどうかなとは思いますが、先ほどの時間を見える化するワークでも、考えたいのは、なんのために、なにに時間を使うのかということです。効率化や時短だけそのものが目的ではありません。言い換えると、なにに人生の楽しさ、おもしろさを考えるかということかもしれませんね。

みなさんは、どうでしょうか?

★お知らせ 

4月15日(土)@都内で、部活動をメイントピックスにしますが、教師の時間の使い方や、学校はなぜ以前からのものをやめられないのかをテーマにした読書会と研修会を開催する予定です。どなたでも参加歓迎です。

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新学習指導要領の前文に思うこと

あら、もう年度末。退職や異動を迎えられる方などもいらっしゃると思います。新天地でもご活躍を、ボンボヤージュ!

うちは、明日はファーストデイなので、映画でもみてこようかと話してます。

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さて、この年度末に小中学校の学習指導要領が公表されたというニュースを見ました。

そのうち、文科省さんのページでも公開されると思いますが、取り急ぎは、教育新聞のサイトにあります。

www.kyobun.co.jp

学習指導要領そのものの賛否についての意見はいろいろあると思いますし、ぼくも多少思うことはありますが、そこはいったん置いておいて、前文・総則は要注目ですね。

一人一人の児童が、自分のよさや可能性を認識するとともに、あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働しながら様々な社会的変化を乗り越え、豊かな人生を切り拓ひらき、持続可能な社会の創り手となることができるようにすることが求められる。このために必要な教育の在り方を具体化するのが、各学校において教育の内容等を組織的かつ計画的に組み立てた教育課程である。

 この理念は、納得される方も多いのではないでしょうか?こんな子どもを育てたいというときのひとつのモデルとなると思います。この箇所は、先日、「まんがで知る教師の学び2」を出された前田先生も強調されていました。

ただ、よく考えたいのは、子どもの話だけではないですよね?ということ。自分の可能性を感じられること、多様な人と協働していくこと、持続可能な社会をつくることなどは、オトナにこそ必要だと思います。

ただ、こういう崇高な理念があるのに、学習指導要領の各論では次のような報道もあなされています。

小学校体育の指導要領で「異性への関心が芽生える」とした記述をめぐって、この記述をなくし、新たにLGBTなど性的少数者について盛り込むよう求める意見があったが、文科省は「LGBTを指導内容として扱うのは、保護者や国民の理解などを考慮すると難しい」としている。

朝日新聞2017年3月31日

http://www.asahi.com/articles/ASK3Z31FPK3ZUTIL005.html

 

「あらゆる他者を価値のある存在として尊重し、多様な人々と協働」(前文より)と言いながら、もう片方で、異性への関心については指導内容として扱うけれど、LGBTを扱うのは難しいと言う。

「なんや、美辞麗句だけか?」と見えるのは、性格のわるいぼくだけでしょうか???

道徳の教科書をめぐるパン屋か和菓子屋かもそうですが、このあたりに、学習指導要領のむずかしさがあります。

Aさん:
多様性をなるべく認めよう。学習指導要領は最低これは教えてねという内容であり、これを超えて扱うことは学校の裁量や工夫のなかであってよいのだから、なるべく禁欲的な(あれこれ盛り込まない)ほうがよい。

 

Bさん:
社会で活躍する人材を育てないといけないのだから、なんでも自由ってわけにはいかない。日本の文化や郷土について愛着をもった子に育っていくことも大事でしょう。そのためなら、一定の制約を指導要領で書くのはまっとう。

AさんとBさんの主張は、必ずしも二律背反ではありませんが、かなり衝突する場面はありそうです。それで、今回取り上げたように、前文の理念と各論が矛盾しているようにも見えるのです。

同じ前文に「学習指導要領とは、こうした理念の実現に向けて必要となる教育課程の基準を大綱的に定めるもの」との記述があり、現行と同様、学習指導要領の性格は大綱的であることが確認されています。しかし、「大綱」ではない、「大綱的」とはなんやねん?って感じもします。そのあたりに学習指導要領の抱えるひとつの弱さが現れているとも見えます。

そもそも、あらゆる教育には、押し付けや洗脳的な部分はつきものです。そのリスクも十分考えたうえで実践しなければなりませんし、たびたびの反省も必要です。

さて、理念をきれいごととしてスルーするか、それとも、いいなと思う理念を共有し、具体化して活気ある学校をつくるかは、かなり学校現場の教職員と、それを支援するまわり(保護者や地域等)によってくると思います。新年度を迎えるにあたって、あなたはどうしたいでしょうか?

「事件は会議室で起きてるんじゃないだ」って言うじゃない?どうせなら、新年度も楽しくやりたいものです。

 

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【忙しい学校 どうする?】そろそろ、部活のこれからを話しませんか?

きょうは「部活動のあり方を考え語り合う研究集会」というのに参加してきました。部活顧問制などに悩む中高の教員の方をはじめ、100名近い参加があり、外は寒い1日でしたが、とてもアツイ、シンポジウムでした。

 

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校内研修で部活をテーマに本音をぶつけてみては?

「部活顧問やってくれません?もう先生しかいないんです~」といった職場での同調圧力はまだまだ学校では強いこと、部活に熱心な先生が評価される風土があることを指摘する方もけっこういました。

昨日ぼくはブログで、校内研修が授業研究に偏っているのは、どうなの?という話をしました。中学校でも平均して年間10回校内研修に使っています。

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授業研究メインの校内研修を1回や2回つぶしたとしても、「部活は今のままで本当にいいの?」「もっと持続可能にするにはどうするよ?」って話を学校のなかでもっとしていくべきではないかと思います。

喧嘩になるからイヤだとかは言わない。こういうテーマはむしろ喧嘩してでも、本音をぶつけ合うことがないと、お互い、ムリや不信になるのではないですか?

善意と献身性でいつまで支えるの?

ぼくは部活は要らないとは思っていません。教育効果もたしかに高いし、思い出に残るすばらしい取組も多いと思います。しかし、いまのやり方ではムリがあると感じます。みなさんの学校ではどうですか?教員の善意と献身性で支えるのには、もう、限界があると思いませんか?

職場の同調圧力というのも、本当はヘンな話です。

学校の先生たちは、学習指導要領を本当に読まれているのでしょうか?いまの(おそらく次期も)学習指導要領での部活の位置づけは中途半端なのは確かにそうですが、教育課程外の、生徒の自主的な活動、と書いています。つまり、やっても、やらなくてもいい自主的な活動です。

また、驚くことに、ここまで過重労働が調査等で明らかなのに、過労死等が争われた判例では、部活指導や付き添いは、教師の自主的な活動とみなしています(つまり校長の指揮命令のもとやっている活動ではない、ということ)。

これらを考えると、校長は(少なくとも勤務時間外は)部活の顧問をやれと命じることはムリがありそうですし、「みんなで分担しないとやっていけないから、そこはまあ、お願いしますよ」という理屈も、ヘンです。全員顧問にしないとやっていけないような、持続可能性の低い運営を見直すことが本丸のはずで、そこから逃げているのだと思います。

また、学校という場所は、戦前の反省と戦後の理念を見ても明らかですが、全体主義的な発想や権力の暴走に対して、批判的に見て、立ち向かえる力を育てる機関であるはずです。その学校で、当の教職員集団が、「イヤでもみんなでやるんだよ」という考え方では、非常に貧しい。むしろ、いろんな考え方を認めつつ(部活を目いっぱいやりたい方も、全然やりたくない方も、その中間の方も)、現実問題としてどうやっていくか対話していく、アクティブラーニングが必要です。まさに問題解決能力は子どもたち以前に、教職員集団に必要だと思います。

 

休養日の設定は次善策であり、本当の課題は別

部活のこれからのあり方というと、すぐ国や教育委員会の施策としては、休養日をもっと設けましょうとなります。

休養日が現状よりもあったほうがよいことについては、反対しません。しかし、部活について重要な課題は、そこじゃないと思います。学校で面倒をみる部活を減らしていくことだと思います。顧問をやりたくない、納得いかない先生も少なくないなかで、やりたい人で無理なく、楽しく部活運営できる規模にしていくことを考えるしかありません。これには外部指導者の活用や地域スポーツに返すということも含めてです。

生徒がかわいそう、生徒が、保護者が求めているは理由にならない

こんなことを書くと、「廃部なんかにすると生徒がかわいそうじゃないか。それでいいんですか!?」、「生徒も保護者もやりたいと言ってますよ。その子たちの声にこたえてあげたいじゃないですか!」という声が必ず、出てきます、教員のほうから。

その気持ちももっともだなとも思います。しかし、だからといって、過労死ラインを超えるような過重労働を続けさせてて本当にいいんですか?

生徒がかわいそうというと、どうですか?たとえば、バイオリニストになりたいという子がいれば、それに教師は徹底的に付き合いますか?あるいは、ジャズバンドしたいけど、楽器を買うお金がないんです、と言ってきたら?そこは家庭で、となっている学校がほとんどでしょう?

要するに、ポイントは、人もカネも時間も限られているんです。無尽蔵ではありません。だから、生徒がかわいそう、生徒の希望だと言っても、すべては叶えられません、できる範囲でやっていくしかありません、という当然の話です。なのに、部活についてだけでは、顧問教員の時間が無尽蔵とまでは言わないけど、土日もつぶすくらいの多大な時間を捧げても仕方なし、と捉えられているのは、オカシイでしょう?

部活問題の重要な部分は学校で決められる

教育委員会や文科省が動いてくれないと、という意見は、気持ちとしてわからなくもないですし、大会の規定や手当の問題などでは、国・都道府県の役割も大事だと思います。しかし、教育委員会等が一斉に号令をかけないと、学校は動けない、と言うのは、キビシイ表現かもしれませんが、思考停止だと思います。さきほど申し上げた、重要な問題から目をそらしているだけでは?

繰り返しますが、部活は、学校の判断でやめたり、減らしたりはできるテーマです。この点での権限も裁量も、文科省にはなく、教育委員会にもなく、学校長にあるのですから。

きょう登壇された中澤篤史先生の『そろそろ、部活のこれからを話しませんか?』はとても分かりやすく、これまでの経緯や論点が整理されています。朝読書の時間などに先生たちもこれを読んだうえで、校内研修で「そろそろ、部活のこれからを話しませんか?」というテーマで話し合う場をもってはいかがでしょうか?

そろそろ、部活のこれからを話しませんか 未来のための部活講義

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【忙しい学校 どうする?】10回、20回も校内研修やるなら、たまには別のこともやろう

先日、ベネッセより「第6回学習指導基本調査 DATA BOOK」が公表されました。みなさん、読みましたか?小中学校については1997年にスタートした調査なので、約20年の経年経過を見ることができる、貴重なデータです。しかも、回答数もかなりの規模。直近では、小中学校とも、それぞれ約3千人の教員が回答しています。高校のデータもあります。

⇒こちらに資料はあります。

第6回学習指導基本調査 DATA BOOK(小学校・中学校版) [2016年] │ベネッセ教育総合研究所

 

3/4以上の小学校教師は、英語を教えることに自信がない

一部これ聞いてなにに活用するんだろうか、フシギな設問もありますが、いくつか興味深いデータもあります。

たとえば、小学校の教員に英語指導に自信があるかをたずねたところ、現在の授業や活動の指導について、「自信がある」(「とても自信がある」+「まあ自信がある」、以下同)と回答した教員は24.0%、今後の教科としての英語指導になると、「自信がある」の回答がさらに低く、18.6%にとどまっています。「とても自信」があると回答した人は、両方の設問とも2%もいません。

こういうのを見ると、国や教育委員会はすぐに「研修が必要だ!」とかおっしゃるのですが、ちょっとやそっとの研修で、多感な小学生たちを相手に十分授業できるようになるのでしょうか?

教科書と教材の充実はもちろん必要でしょうし、高学年は教科担任制にする、中学校と授業交流する、近所の学習塾と組む、タブレット等でも学習できる環境をもっとつくるなど、思い切ったことが必要かもしれません。ぼくは英語教育の専門家ではないので、詳しくはわかりませんが、いくつかの研究校や地域で試行、実践したことをよく検証してほしいです。

小学校では20回、中学校でも10回、校内研修している

多くの方はすっと読み飛ばすかもしれませんが、ぼくがこのレポートのなかで、一番衝撃的だったデータが次です。

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校内研修の年間実施回数の分布です。小学校では、2010年も2016年も、11~20回がもっとも多く約4割で、すべての平均でも約20回実施しています。21回以上という学校も約3割もありますね。中学校では、かなりばらつきがありますが、平均では約10回で、2010年と2016年では大きな差はありません。

回数が多ければよいという話ではありませんが、正直、かなりの回数やっているな、頑張っているな~というのが率直な感想です。

ちなみに、校内研修の回数について、なにか公的な調査はないかなと探してみたら、身近なところにありました。なんと、全国学力・学習状況調査です(恥ずかしながら、こんな選択肢があったの、今日まで知りませんでした)。

直近の2016年度調査によると、「授業研究を伴う校内研修を前年度に何回実施しましたか」について、小学校は15回以上という学校が26.3%と最も多いのですが、7、8回も18.2%、5、6回も16.7%とけっこうあります。

中学校では、15回以上が14.5%ですが、もっとも多いのは3、4回という学校が23.7%、5、6回も18.4%です。

ベネッセの調査のほうが回数多いのは、全国学力・学習状況調査のほうは「授業研究を伴う」と条件があるせいと推察します。

校内研修=授業研究or教科の勉強なのか?

ただ、ベネッセの調査では、なにについて校内研修しているかも聞いています。その結果は次のものです。

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ん~、小中とも教科指導の実施率が高いですね。まあ、これは当然といえば、当然。特別支援教育についてもけっこう実施しているのは、少し驚きでした。

アクティブラーニングをテーマにする学校もけっこうありますね。

実は、ぼくが注目したのは、ズバリ、「その他」です。小中とも2割弱ですね。つまり、これは、校内研修は、教科指導や授業研究に関係するものがほとんどで、「その他」はあまり実施していないこと(特別支援教育や生徒指導は例外だけど)を意味しています。

たとえば、友人の柳澤さん(『本当の学校事務の話をしよう: ひろがる職分とこれからの公教育』の著者)は、校内研修で、学校財務や子どもの権利などをテーマにしていますが、これなどは「その他」ですよね、この調査上は。

あるいは、ぼくが好きな(得意な)学校の運営や組織マネジメント、地域連携については、選択肢にありません。。。これも、「その他」ですね。キャリア教育も選択肢にないなあ。。。

10回、20回も校内研修やるなら、たまには別のこともやろう

そこで、今日の本題です。タイトルにもしましたが、忙しい、忙しいと言いながら、こんなに校内研修の場があるなら、もっと授業研究や教科指導以外にも、活用しませんか?
※誤解のないように申し添えますが、授業研究や教科指導についての研修が要らないとか、言ってませんよ。

柳澤さんの例を紹介しましたが、財務研修はおススメです。やはりコスト意識が高まりますし、いま子どもの貧困が大きな問題となっているなか、重要です。気安く私費(学校徴収金と呼ばれる学級費や教材費など)を増やしてくれるな、と申し上げたい。

コミュニティ・スクールかどうかはさておき、地域連携・協働なども校内研修のテーマになりえます。先日、ぼくは田原市の中学校での研修に関わりました。もちろん、先生たちのがんばりも大事ですけれど、地域などの資源、ネットワークを活かすと、もっとできることの幅が広がりますよ。

先生たちの多忙化も大きな問題です。であるなら、校内研修のうち、年1回か2回は、仕事や行事の棚卸しと仕分け、改善案のアイデア出しに使いませんか?

たとえば、

  • この行事の準備は毎年すっごく大変。もっと簡略化できないの?
  • ○○委員会と××委員会は似ているから、統合しましょうか?
  • 会議の短縮のために、こんな工夫をしようよ
  • 年度末にバタバタは嫌だから、これを今のうちにやっときません?
  • いつまでも独自の教材にこだりすぎるのはやめませんか?分担して年間のプリントを準備しておきましょう。
  • 部活は大きな社会問題ですよ。このまま全員顧問制ほんとに続けるんですか?

そんな会話は、忙しい中できない、とかいう教職員もいるのですが、、、校内研修を1回か2回つぶして時間をつくればええやん、って思います。

学校には大事なことが多い、ということも承知しています。しかし、いまの忙しい、忙しいというなかでは、ちょっとは我慢する、減らす、整理・統合するというものもつくっていかないと、体がもちませんし、余裕のないばかりでは、いい授業もできないと思います。

みなさん、どう思いますか?とくに管理職や研究主任の方!!!
新年度はムリのない、教職員が元気になる研修計画を練りましょう!

 オンラインコミュニティでのゼミ生は、随時募集中です~

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自己紹介~マイミッション・しごと

「妹尾昌俊アイデアノート」をご覧いただき、ありがとうございます。

このブログでは、ニッポンの学校、地域、子育てがよりよくなるためのヒントをお届けしたいと思います。ここでは、ちょっと自己紹介、プロフィールについて。(2017年4月10日更新)

自己紹介:妹尾 昌俊 (せのお まさとし)

マイミッション、志

日本中に元気な学校と地域を増やすため、すぐれた実践をわかりやすく翻訳して、先生や関係者がともに学び、成長できる場をつくる。

 
◎ご連絡、研修・講演、コンサルテーション、寄稿のご依頼・相談など、お気軽にどうぞ!

senoom879あっとgmail.com あっとは@に変換

プロフィール

  • 教育研究家、学校マネジメントコンサルタント
  • 文部科学省 学校業務改善アドバイザー(多忙化対策に取り組む教育委員会・学校へのアドバイザーです。2017年4月~)
    ※いくつかの県・市の教育・学校アドバイザーとしても活躍中です!
  • 横浜市立中学校(2校)の学校運営協議会(コミュニティ・スクール)委員、逗子市立小学校のPTA役員

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  • 徳島県出身、神奈川県逗子市在住
  • 2男2女の子育てに修行の日々(2017年4月現在、保育園~中1)
  • 主な著書↓ 4刷出来、ぜひ手に取ってみてください!
  • 変わる学校、変わらない学校ー学校マネジメントの成功と失敗の分かれ道
  • 2004年から野村総合研究所にて学校マネジメント、地域とともにある学校づくり、官民さまざまな組織のビジョン・戦略づくり、地域活性化・地方創生、IT活用などを支援。
  • 2016年7月から独立し、フリーに。教職員や公務員向けの研修、ワークショップ、講演、個別コンサルティングなどを多数実施。

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おもな関連実績

  • 得意なテーマ:学校のマネジメント、学校改善、多忙化対策・業務改善、カリキュラムマネジメント、チームづくり、チーム学校、地域連携、コミュニティ・スクール、人材育成・モチベーションマネジメント、事務職員の役割
  • 文科省 学校業務改善アドバイザー
  • 文科省 学校評価ワーキング臨時委員
  • 文科省 学校マネジメントフォーラム基調講演
  • 教員研修センター講師、滋賀大学自治体職員向けプログラム講師
  • 教育委員会主催の教職員等向け講演、研修
    (2016年度:東京都、大分県、宮崎県、北区、豊中市、西宮市、東みよし町ほか多数)
  • 校長会、教頭会での講演、研修、学校事務職員研究会での講演、研修
    (2016年度:茨城県、新潟県、滋賀県、仙台市ほか多数)
  • 学校を訪問した助言・コンサルテーション、校内研修の企画・ファシリテート(2016年度:都立高校、龍ヶ崎市立中、横浜市立中、田原市立中ほか)
  • 逗子市まちづくり市民委員会副委員長も経験
  • オンラインゼミ(「元気な学校づくりゼミ」)もやっています。
    いつからでも参加歓迎です!

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趣味、好きなこと

  • 歴史モノ(日本の戦国時代、古代中国、古代ローマなどとても好き)
  • 旅行先も遺跡・古戦場めぐりと温泉が多い。日本城郭検定2級
  • 料理 最近は娘2人とよくご飯つくります
  • SUP 逗子・葉山の海をぷかぷか
  • 本好き、片付けは苦手だけど。よく読むのは学校関係、歴史考証もの、ビジネス書、マンガ、ときどき小説。友人と書評サイトBooks for Teachersもやってます。

    http://bookfort.hatenablog.com/

  • フェイスブックでも日々気づいたことや趣味のことを投稿しています。よかったら、フォローよろしくお願いします~

    https://www.facebook.com/senoo.masatoshi

葉山の海ちかくの風景↓

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しごと1<研修・講演・ワークショップ>

  • 教職員や教育委員会、公務員向けの研修会での講演、講師、ワークショップのファシリテーション・助言
  • これまで、文部科学省シンポジウム、教員研修センター、東京都ほか地方公共団体、教職員研修会など全国各地で講演・研修を実施 ※関連実績参照
  • 講演スタイルのほか、ケースメソッド(事例検討)を通じたワークショップも人気です
  • 料金、時間はご相談ください

しごと2<スクールリーダーシップ・コンサルテーション>

  • 小中高の管理職向けの パーソナルコンサルテーション&コーチング
  • 複雑にいりくんだ現状の分析・解きほぐし
  • 教職員向けの働きかけ支援、 解決アイデアの提案
  • 悩みごとの相談 ひとりで悩みがちな、 校長先生、教頭先生のご相談承ります。
  • 開催場所:学校のほか、都内ホテルラウンジ もしくは、銀座の個室サロン
    ※Skype、Facebook メッセンジャーを利用した テレビ電話でのご相談も可

しごと3<学校づくり等に関する本書き、教育誌等への投稿>

  • 2017年は『学校事務』にて「学校事務“プロフェッショナル”の仕事術」、『プリンシパル』にて「企業に学ぶ学校マネジメント」を連載中
  • 『教職研修』、『総合教育技術』などにもたまに出ています!
★よく聞かれます、なぜ大企業をやめてまでフリーでやっているの?↓関連記事はこちら

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学校づくり、学校マネジメントの見る眼が変わる本、「変わる学校、変わらない学校」ぜひ手にとってみてください。

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【これも学校文化!?】卒業式マジックに気を付けろ

いまはどこも卒業式のシーズンですね。うちも一番上の長男が先日小学校を卒業しました。いまは春休みを謳歌し、ゲーム三昧です。ぼくもたまに桃鉄で対戦しています。

そういえば、ある中学校教員の友人から「卒業式マジック」という言葉を聞いたことがあります。卒業式がすごく感動的なので、まるで魔法にかかったかのように、今までの苦労を忘れてしまうような1日、という意味で使っていたと思います。

長男の卒業式もステキなものでした。

在校生たちがそれぞれ大きく展示物をつくっていましたし、来賓の挨拶はなく、校長と教育委員会の言葉くらい、その代わりに、卒業証書をもらうときに、一人一人が将来の夢や中学生になったらどうしたいかを発表してくれました。

医者になって病気の人を助けたいという子、オシャレが好きで服を売りたいという子、中学ではサッカーを頑張るという子などなど。夢や志は変わっていってもいいし、ひとつじゃなくてもいいと思うけど、みんないいこと言うなあと思いました。

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この3月はどこの組織も、年度末ということでバタバタだと思いますが、学校はとくにそうです。卒業式、終業式、入学式、始業式、それらの間に、成績を付けたり、提出する書類もいろいろあるし、しかも、人事異動が入ってくるからです。

そんななか、「卒業式マジック」はステキな部分がある反面、学校づくりや学校運営という点で見ると、少し危なかっしいところも見えます。卒業式や人事異動により、これまでの頑張りや反省がリセットされてしまいかねないからです。

学校でPDCAという考え方がどうも根付きにくいなあと感じるのは、ぼくだけではなさそうなのですが、ひとつの背景は、この「卒業式マジック」にあるかもしれません。チェックや振り返りがなおざりのまま、バタバタしているうちに、新しい子どもたちとスタッフを迎え、学級運営などで一番重要な4月を迎えるからです。これでは、P→D→P→Dになっているような感じもしますし、Pは前例をもとに美辞麗句を並べてもっともらしく、だいたいで作っておき、あとはひたすらDという感じ(小さなP→DDDDDD)かもしれません。

先生たちの多忙化の問題も、あるいは新学習指導要領などで強調されているカリキュラムマネジメントなども、どうもこの「卒業式マジック」を越えていかないといけません。

「卒業式は教師冥利につきる日」とは多くの教師が言っていますし、「この感動がなければとっくに教師なんて辞めている」という人もちらほら聞きます。ぼくは教員経験はありませんが、そうした気持ちはとてもわかる気はします。子どもたちの成長を見て、感謝の言葉をかけてもらって、「大変だったけど、あ~、やっててよかったな」と。

2、3日はその感慨のままでけっこうかと思いますが、どこかで、シンデレラでいうと、時計の針を意識しないといけません。よかったところは、続け、伸ばしていけばよいですし、反省するところは見直していくということが、やはり、人、モノ、カネが少なくなってきているなかではとても重要だと思います。

ではどうするか?

とはいえ、クソ忙しい3月4月にバタバタ反省会や企画会議をやるのも、どうも大変だと思います(時間をとれるならしたほうがよいでしょうが)。

多くの人が仕事術などで語っていますが、やはり、都度都度反省を活かすということをもっと学校は大事にしたほうがよいと思います。

たとえば、運動会などの行事であればそれが終わったたびに、振り返りをして記録を残しておく。教科指導や進路指導であれば、夏季休業中や冬季休業中に現在進行形のところでよいので、振り返りの場をもっておくことができるといいと思います。校内研修を授業研究一辺倒にせず、カリキュラムについての意見交換や、進路指導、キャリア教育、地域連携などの振り返り・企画の場にできないでしょうか?

都度都度反省の例は、次の写真です。これは横浜市の富士見台小学校で、事務職員の方が、各教員から修繕してほしいというアイデアを思い付いたときに付箋紙に貼ってもらっています。限られた予算を有効活用するために、多くの人のアイデアや気づきを活かそうとする取組だと思います。

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このごろ、子どもたちの学習状況などの評価の際にも、「ポートフォリオ評価」ということが言われるようになりました。はじめ、ぼくはなんじゃ、このムズカシゲナ評価は!と思ったのですが、なんということはありません。児童生徒の作文やレポート、テスト、作品、活動の様子などがわかる写真などをファイリングしておき、それを評価の素材にするということのようです。(それなら単にファイリングしたものをもとに評価するとか、もっと簡単そうに言えばいいのにね!)

これと理屈は同じです。都度都度反省して、記録を手書きでもよいので、蓄積しておけば、年度末と年度初めに慌てる必要はないはずです。子どもにたいしてと同じようなことを、学校も組織運営でもっと意識していきませんか?

えっ、もう年度末でそんな記録は残してない? では新年度からはもっとできるように、同僚にぜひ呼びかけてみてください。

 

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【忙しい学校 どうする?】教師に真に必要なのは、子どもと向き合う時間ではない!?

きょうはある中学校で、地域とともにある学校づくりとキャリア教育についての校内研修・ワークショップをしてきました。なぜ、地域連携する必要があると思いますか?ぶっちゃけ面倒だなと思うことも多いでしょう。でも、やるとしたら、なぜ?上から言われたからですか?どんな子どもに育ってほしいからですか?

そもそも論を振り返り、議論しました。こうしないと、なかなか本気度が高まらないからです。

地域協働、キャリア教育、教職員の負担軽減という3つの円を描いて、この3つって重なるところあるでしょ?なぜそれを進めるか、根っこを考えると見えてくると思います、という話もしました。みなさん、どう思いますか?

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「もっと子どもと向きあう時間を」は、もっともなように見えるが

研修がおわったあとも有志の先生方や事務職員の方とお話してきました。そのなかで、やはり、学校の多忙化の問題は関心が高い話題で、いくつか話し込みました。

そこで、帰りの新幹線のなかでもあれこれ考えていたのですが、教職員の負担軽減が必要だというときに、多くの人はキーワードとしてこう言うんです。

「子どもと向き合う時間の確保のために(あるいは向き合う時間を増やすために)」

文科省の方もそうですし、教育委員会の文書などの多くも(国を倣ってかは知りませんが)そう書いています。参考までに、文科省の「学校現場における業務の適正化に向けて」という通知は、都道府県・政令市の教育長あてに出されたものですが(要するに、これは大事だから各地方でしっかり意識して取り組んでちょうだいという文書)、次の一文が最初のほうにあります。

学習指導要領の改訂の動向等を踏まえた授業改善に取り組む時間や,教員が子供と向き合う時間を確保し,教員一人一人が持っている力を高め,発揮できる環境を整えていく必要があります。

このキーワードがたびたび登場するのは、以下のような考え方が下敷きにあるからです。

最近、学校ではあれこれやらないといけないことが増えて、教師の本来の仕事である子どもと向かう時間が減っていると思うよ。たとえば、文書作業や調査ものもけっこうあるし、保護者対応で時間をとられることもある。だから、負担感を感じて疲れてしまう教員が多いんだ。
それに、調査によると、忙しすぎて授業準備の時間が足りない、と回答する教師は多い。もっと教材研究をしたり、子どもの悩みの相談にのったり、直接子どものためになる時間を確保していくことが必要だよ。

上記はぼくが勝手に作った文書ですが、国等もおおよそこういう内容のことを書いているか、前提としていると思います。

で、「子どもと向き合う時間の確保がもっと必要」というのは、しごくごもっとも、と一見思ってしまうのですが、本当にそうでしょうか?という点が今日のクエスチョンです。ちょっと立ち止まって考えてみませんか?

2つのギモン、論点を提案したいと思います。

①子どもと向き合おうとするから、多忙になる。

多忙になる原因、あるいは多忙化が長年改善してこなかった背景のひとつは、教師の側が、進んでやっている仕事が多いからです。子どものため、と思って、善意で。

たとえば、宿題の丸付けやコメント書き。丁寧なほうが心がこもって、児童のためになるよね、という先生(とくに小学校)は多い。だから、自宅残業までしても働く。部活動もそうです。子どものためになる、あるいは子どもと向き合って指導しているのが生き甲斐だ、という先生は、長時間労働になりがちです。

そういう人に、これ以上「もっと子どもと向かう時間を」というメッセージを送っても、ぼくはどうかなと思います。むしろ、もっと苦しめてしまう可能性だってありませんか?そういう人はよそから言われなくても、子どものためを思っている先生なのですし。

で、こういう教師は、熱意で、善意で多忙になっているので、自分では修正がききにくいです。自分のカラダを顧みずに、ついつい睡眠時間を削ったりします。それで、突然倒れたり、最悪、過労死になってしまうのです。

②教師に必要なのは3人称でなく、1人称?

日本の教師はまじめな人が多いです。子どものため、学校のため、同僚のため、保護者の期待のためと、一生懸命働いている方が実に多い。それはそれでリスペクトしていますが、ひとつ問題があります。自分のことがどんどん後回しになっていることです。3人称ばかりで、1人称で考えることが少ないのです。

これは、価値観、人生観の問題でもあるので、一概にどっちがよい悪いの世界ではありませんが、ぜひ考えてほしいことがあります。わかりやすく、たとえ話をしましょう。両方とも年は同じくらいの、小学校の女性の先生としましょう。

A先生:教師になって10年。児童からも、同僚からも熱心な先生という評判である。毎週手書きで心のこもった学級通信を出していて、保護者もけっこう読んでくれているようだ。宿題や児童の日誌へのコメント書きも丁寧で、休み時間や放課後だけでは終わらないので、21時すぎにいったん帰宅した後、自宅で残りをこなすことも多い。独身ということもあり、アパートは平日はほとんど寝るだけで、とても読書なんてする気力はない。週末はたまに友人とおしゃべりをしたり、ショッピングに行ったりもするが、授業準備にも土日とも数時間とる。週明けは、どうも疲れが残ってしまうときもある。まだ若いうちだし、まあいいかなと思っている。

 

B先生:さすがに毎日とはいかないが、週3はほぼ定時帰宅。仕事のあとはヨガか読書の時間だ。学級通信は毎週出しているが、30分でできるまでと自分で決めている。写真を使うとそのくらいの時間でもできるようになった。宿題のコメントは、いいね!、すばらしい!、もっとがんばろうね!など一言、二言にしている。そうしないと、残業が増えてしまうからだし、子どもにも「1人5分だと3時間、8分だと5時間以上かかっちゃうんだ。だからコメントは簡単だけど、ちゃんとみんな読んでいるからね」と最初に言っておいた。

教師の仕事は好きだが、趣味の時間も好きだ。大学のときに落研に入っていたこともあり、最近は毎月のように寄席に通っている。最初からそう意識したわけではないが、落語家の話術は、授業でも参考になることが多い。たまにだが、週末は外部の勉強会に出ることもある。熱心な友人が全国に増えてきて、最近楽しくなってきた。

 

どうでしょうか?AさんもBさんも、子どものために頑張っていますが、時間の使い方はかなりちがっていますね。

おそらく、Bさんのような時間の使い方のほうが、たぶん教師としての幅は広がるし、子どもや同僚に話せる引き出しは増えるような気がします。

やり方や工夫のちがいは確かにありますが、そこを言いたいわけではありません。AさんとBさんの最大のちがいは、人生で大事にしたいものや、好きなものがあるかどうかだと思います。

ぼくはこう最近思うようになりました。教師に真に必要なのは、子どもともっと向き合う時間ではなく、もっと自分に向き合う時間ではないか?

★きょうはここまで。感想などは気軽にどうぞ!

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